婚約破棄された悪役令嬢~金貨と狂犬大公、どちらが効率的ですか?〜

萩月

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ガタゴト、ガタゴト。

馬車のリズムは、私の新しい人生の鼓動のようだ。

王都を出てから三日。
私はふかふかのクッションに背を預け、手元のメモ帳にペンを走らせていた。

「……宿泊費、食費、馬の飼い葉代……ここまでは予算内。チップが少し余計にかかりましたが、あの宿のスープは絶品だったので『必要経費』として計上しましょう」

私は完璧な家計簿をつけ終えると、満足げに頷いた。

懐には、一生遊んで暮らせるだけの資産。
トランクには、最低限の荷物。
そして心には、かつてないほどの開放感。

「お嬢ちゃん、そろそろ国境の峠越えだぜ」

小窓から、御者のオヤジさんが声をかけてくる。

「ありがとう。予定通りですね」

「ああ。だが気をつけてくれよ。この辺りは『出る』からな」

「幽霊ですか? 非科学的ですね」

「違げえよ、山賊だ。最近、質の悪いのがうろついてるって噂だ」

「山賊……」

私は眼鏡の位置を直す。

「それは厄介ですね。資産の減少リスク要因です」

「もっと命の心配をしなよ! それに、運が悪けりゃ『バルトアンの狂犬』に出くわすかもしれねぇ」

「狂犬?」

聞き捨てならない単語だ。
動物愛護団体が黙っていないネーミングである。

「隣国の大公、マクシミリアン様のことさ。戦場じゃ敵を素手で引き裂くとか、気に入らない部下を窓から投げ捨てるとか、血も涙もねぇ噂ばっかりだ」

「……非効率な方ですね」

私は即座に断じた。

「素手で引き裂くより剣を使った方が早いですし、部下を投げ捨てたら再教育コストが無駄になります」

「そういう問題か!?」

オヤジさんが呆れた声を出す。

「まあ、私は関わるつもりはありません。目指すは地方都市での隠居生活ですから」

そう。
私は別に、隣国の首都に行ってバリバリ働くつもりはない。
適度な田舎に小さな家を買い、家庭菜園でもしながら、溜め込んだ金で悠々自適に暮らすのだ。
そのために、あの地獄のような労働環境(公爵家&王家)から脱出したのだから。

ヒヒィィィィン!!

突如、馬がいななき、馬車が急停止した。
勢いで私は前の座席に頭をぶつけそうになる。

「な、何事ですか! 急ブレーキはムチ打ちのリスクが……」

「お、お嬢ちゃん! 出たぞ!!」

オヤジさんの悲鳴。
続いて、下卑た笑い声が聞こえてきた。

「ヒャッハー! 止まれ止まれぇ!」

「金目の物を置いてきな! 命だけは助けてやるぜぇ!」

……ああ、なんとテンプレな。
私は深いため息をついた。

「予定より三十分遅れですね。タイムロスです」

私はトランクから愛用の魔導銃(護身用・出力調整済み)を取り出し、スカートのポケットに忍ばせた。
そして、優雅に馬車の扉を開ける。

「――お騒がせしております。どなたですか?」

外には、薄汚い男たちが十人ほど。
手には錆びた剣や斧を持っている。
いわゆる、山賊の皆様だ。

彼らは、馬車から降りてきた私を見て、ポカンと口を開けた。
銀髪に眼鏡、仕立ての良い旅装。
場違いな令嬢の登場に、思考が追いついていないらしい。

「あ……? なんだ、女か?」

「おいおい、上玉だぜアニキ!」

リーダー格らしき男が、下品な笑みを浮かべて近づいてきた。

「へっへっへ。こりゃツイてる。金もだが、お前ごともらってやるよ」

「お断りします」

私は即答した。

「私の資産運用計画に、貴方達への寄付は含まれておりません。ですが、通行料という名目なら、金貨一枚までお支払いしましょう。それで手を打ちませんか?」

私は財布から金貨を一枚取り出し、指で弾いた。
キラリと光るコイン。
だが、男はそれを叩き落とした。

チャリン。

「ふざけてんのか! 一枚だと? 身ぐるみ全部置いてけっつってんだよ!」

「……交渉決裂ですね」

私は地面に落ちた金貨を見つめ、少しだけ目を細めた。
あれは今日の夕食代になるはずだったのに。
無駄になった。

「いいですか、皆様。私は今、非常に機嫌が良いのです。これからのスローライフに胸を躍らせているのです。それを邪魔するのであれば……」

私はポケットの中の銃を握りしめた。

「徹底的に『処理』させていただきますが?」

「ハッ! 女が粋がってんじゃねぇ! おい、ひっ捕らえろ!」

男たちが一斉に襲いかかってくる。
御者のオヤジさんは震えて動けない。

やるしかない。
私は銃を引き抜き、安全装置を解除した。
狙いはリーダーの右膝。
関節を砕けば、治療費がかさんで彼らの組織運営に打撃を与えられるはずだ。

「計算終了。照準、ロック」

引き金に指をかけた、その時だった。

ドォォォォォォォン!!!

轟音と共に、私の目の前にいたリーダー格の男が、横向きに「吹っ飛んだ」。

「え?」

斬られたのではない。
まるで巨大な鉄球にでも殴られたかのように、人間が水平に森の奥へと消えていったのだ。

「あ、アニキ!?」

残された山賊たちが立ち尽くす。

砂煙の向こうから、ゆっくりと歩いてくる人影があった。

「……おいおい。俺の領土で薄汚い真似をしてくれるじゃねぇか」

低い、地を這うような声。
それだけで周囲の気温が数度下がった気がした。

現れたのは、一人の男。
長身。
黒曜石のような黒髪。
そして、血のように赤い瞳。
その手には、身の丈ほどもある巨大な「鉄塊(大剣)」が握られていた。

「え……」

私は思わず言葉を失った。
怖い。
シンプルに見た目が怖い。
山賊よりもよっぽど悪役顔である。

男は面倒くさそうに首をコキリと鳴らし、私の方を一瞥もしないまま、残りの山賊たちを見下ろした。

「ゴミ掃除の時間だ。……一秒で消え失せるか、ここで肥料になるか。選べ」

その姿はまさに、噂に聞く「狂犬」。
バルトアン帝国大公、マクシミリアンその人であった。

(……スローライフ、初日で終了のお知らせですか?)

私はそっと、握っていた銃をポケットの奥に隠した。
どうやら私の計算機でも弾き出せない「特大のイレギュラー」に遭遇してしまったらしい。
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