無能な私を捨ててください!と婚約破棄を迫ったら溺愛?

萩月

文字の大きさ
27 / 28

27

しおりを挟む
「……あ、アリス様? その、先ほどから私を見つめて、どうなさいましたの? 私の顔に、何か『聖女の粉』でも付いておりますこと?」


公爵邸の図書室。窓から差し込む午後の柔らかな光の中で、ルルナは居心地悪そうに身をよじった。
悪役令嬢を廃業し、アリスティアの愛を受け入れると決めてから三日。
ルルナは今、人生で最大級の「羞恥心」という壁にぶち当たっていた。


これまでは「嫌われよう」という明確な目的があったからこそ、あんなに堂々と振る舞えたのだ。
しかし、いざ「愛される婚約者」として振舞おうとすると、何をしても正解が分からず、指先一つ動かすのにも緊張してしまう。


アリスティアは、ソファの対面に座り、頬杖をつきながらルルナをじっと見つめていた。
その瞳は、深淵よりも深く、甘くとろけるような熱を帯びている。


「いいや。ただ、素直になった君があまりに眩しくて、目が離せないだけだよ。……ねえ、ルルナ。もう一度、僕の名前を呼んでみてくれないか? さっきみたいに、語尾に『様』をつけずに」


「む、無理ですわ! そんな破廉恥なこと、いくら廃業したからといって、すぐには……!」


「昨日までは、あんなに元気に僕のことを『この変態王子!』とか『ストーカーの化身!』とか罵っていたのに。……今は名前を呼ぶだけで顔を真っ赤にするなんて、本当に君は僕を殺す気かい?」


アリスティアはくすくすと笑いながら、ルルナの隣へと移動した。
ふわりと彼の香水の香りが鼻をくすぐり、ルルナの心臓はドラムの乱打のように鳴り響く。


「ルルナ。廃業を宣言したということは、今までの君の『悪行』に対する責任を取る準備もできている……ということでいいのかな?」


「……責任、ですの?」


ルルナは首を傾げた。
魔獣を浄化し、枯れ木に花を咲かせ、人々に希望を与えてきたはずだ。
責任を取るどころか、勲章を貰ってもおかしくない働きをしたはずである。


「そうだよ。君は数ヶ月にわたって、僕の心を弄び、突き放し、絶望の淵に立たせようとした。……あんなに酷い高笑いを浴びせたり、扇子で僕の肩をマッサージ(自称・暴力)したり、あろうことか庭の草と浮気宣言までしただろう?」


「そ、それは……! すべて、あなたを思ってのことで……!」


「分かっているよ。だからこそ、その『歪んだ愛』への罰が必要だと思わないかい? ……今の君は、もう悪役令嬢という盾を持っていない。ただの、僕の愛しい婚約者だ。……ねえ、ルルナ。お仕置きの時間だよ」


アリスティアの低い声が耳元で響き、ルルナの背中にゾクリと甘い震えが走った。
彼はルルナの手首を優しく、けれど逃げられない強さで掴み、自分の方へと引き寄せた。


「お、お仕置き……。何をなさるおつもりですの!? また、あの激辛シチューを私に食べさせるおつもり!? あれは自業自得ですけれど、今は胃の調子が……!」


「そんな野蛮なことはしないよ。……僕が欲しいのは、君からの『誠意』だ」


アリスティアは、空いた手でルルナの顎をそっと持ち上げた。
至近距離で見つめ合う。
彼の金色の瞳の中に、自分自身の情けないほど真っ赤な顔が映っている。


「……おねだりしてもいいかな? 今まで僕に冷たくした分、これから毎日、一回は僕に『愛している』と言うこと。それから、僕が触れるのを拒まないこと。……そして」


アリスティアの顔が、さらに近づく。
唇が触れそうなほどの距離で、彼は悪戯っぽく微笑んだ。


「……今日から結婚式までの間、一日に一度、僕に君から口づけをしてほしい」


「……っな!? な、ななな……何を仰っていますの!? 私から!? そんなの、そんなの……悪役令嬢のプライドが!」


「もう廃業したんだろう? ……さあ、ルルナ。最初の一回、今ここで見せてくれないか。……それとも、僕が無理やり奪うのを待っているのかい?」


アリスティアの瞳は、冗談ではなく本気だった。
彼は、ルルナが自分から一歩踏み込んでくるのを、ずっと待っていたのだ。
彼女の「拒絶」ではない、「受容」の証を。


(……ああ、もう。本当にこの方は……!)


ルルナは覚悟を決めた。
ここで逃げたら、また「悪女」に逆戻りだ。
彼女は震える手でアリスティアの肩を掴み、ぎゅっと目を閉じた。


「……嫌いにならないでくださいましね。……私、こういうの、不慣れですから……!」


ルルナは背伸びをして、アリスティアの頬に、鳥が突つくような軽い口づけを落とした。
本当に一瞬。触れたかどうかも分からないほど。


けれど、その瞬間にアリスティアから漏れたのは、魂を削り取られたかのような深い溜息だった。


「…………ルルナ」


「ど、どうですの! これで満足!? もういいでしょう、お仕置きは終了ですわ!」


「……足りない。全然足りないよ。……君がそんなに可愛い顔をして、自分から来てくれるなんて。……ああ、僕はもう、一生君を離さない。……いや、離せない。……今のは君からの宣戦布告だと受け取ったよ」


アリスティアの腕に力がこもる。
彼は、今度は逃がさないと言わんばかりに、ルルナの唇を自分のそれで塞いだ。
先ほどのような軽いものではなく、深く、甘く、ルルナの意識が白く溶けていくような、熱烈なキスだった。


「……ん、……ぁ、……アリス……さま……」


ようやく唇が離れた時、ルルナは彼の胸の中で、力なく項垂れていた。
頭の中がふわふわとして、もう「悪役」なんて言葉はどこかへ吹き飛んでしまった。


「……よし、今日のお仕置きはこれくらいにしておこう。……でも、明日からはもっと厳しいよ? 覚悟しておいてね、僕の愛しい王妃様」


「……もう、勝手になさるがいいですわ。……どうせ、私にはあなたを止める魔法なんて、最初からなかったんですもの……」


ルルナは彼の胸に顔を埋め、降参の印としてその背中に手を回した。
今までは「嫌われるため」に必死だった。
これからは「愛し合うため」に、もっと必死にならなければならない。


図書室の外では、その様子を察したセバスが、満足げに扉の前を離れていった。


「……お嬢様。ようやく、ご自身の幸せを掴み取る覚悟ができたようですな。……さて、明日の結婚式の準備、気合を入れて進めるとしましょうか」


ついに最高のフィナーレへと向かう。
世界で一番不器用な「悪役令嬢」と、世界で一番執念深い「溺愛王子」の、輝かしい門出まで、あとわずか。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

断罪されていたはずなのですが、成り行きで辺境伯様に連れ去られた結果……。

水上
恋愛
リリア・アシュベリーは婚約者である第二王子ジェラルドと彼の隣にいるイザベラ・ローズによって、断罪されようとしていた。 しかし、その場に現れた辺境伯アルヴィス・グレンデルのおかげで、窮地を脱することができた。 さらに……。 「冤罪は晴らした。だが、ここの空気は知性が欠乏していて息苦しい。行くぞ、リリア。君のような希少な検体を、こんな場所に放置しておくわけにはいかない」  その手は、ジェラルドが一度も握ってくれなかったほど力強く、リリアの手首を引いた。  こうして、成り行きで彼に連れ去られたリリア。  その結果、新たな運命の歯車が動き始めたのだった。

冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?

由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。 皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。 ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。 「誰が、お前を愛していないと言った」 守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。 これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。

月蝕の令嬢 〜妹の偽りの光を暴き、夜の王に溺愛される〜  嘘つきの妹に成敗を、ざまあ

しょくぱん
恋愛
「汚らわしいその腕で、僕のセリナに触れるな!」 公爵令嬢エレナは、生まれつき「不浄の影」を持つとして家族から虐げられてきた。 実態は、妹セリナが放つ「光の魔法」が生む猛毒を、エレナが身代わりとなって吸い取っていただけ。 しかし、妹の暴走事故を自らの腕を焼いて防いだ日、エレナは「聖女である妹を呪った」と冤罪をかけられる。 婚約者である第一王子に婚約破棄され、実家を追放され、魔物が巣食う「奈落」へと突き落とされたエレナ。 死を覚悟した彼女を拾ったのは、夜の国を統べる伝説の龍神・ゼノスだった。 「これを不浄と言うのか? 私には、世界で最も美しい星の楔に見えるが」 彼に口づけで癒やされたエレナの腕からは炭化が剥がれ落ち、美しい「星の紋章」が輝きだす。 実はエレナの力こそが、世界を再生させる唯一の「浄化」だったのだ。 龍神の番(つがい)として溺愛され、美しく覚醒していくエレナ。 一方、彼女を捨てた母国では、毒の吸い取り役がいなくなったことで妹の「光」が暴走。 大地は腐り、人々は倒れ、国は滅亡の危機に瀕していく。 「今さら『戻ってきて毒を吸ってくれ』ですって? お断りです。私は夫様と幸せになりますので」 これは、虐げられた影の令嬢が真の愛を知り、偽りの光に溺れた妹と国が自滅していくのを高みの見物で眺める、大逆転の物語。

愛しいあなたは竜の番

さくたろう
恋愛
 前世で無惨に処刑された記憶を持つ少女フィオナは、今世では幼い頃から番である竜族の王に保護されて塔の中で大切に育てられていた。  16歳のある日、敵国の英雄ルイが塔を襲撃しにきたが、なんとフィオナは彼に一目惚れをしてしまう。フィオナを人質にするために外へと連れ出したルイも、次第に彼女に離れがたい想いを感じ始め徐々に惹かれていく。  竜人の番として育てられた少女が、竜を憎む青年と恋に落ちる物語。 ※小説家になろう様に公開したものを一部省略して投稿する予定です。 ※全58話、一気に更新します。ご了承ください。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

婚約破棄された夜、最強魔導師に「番」だと告げられました

阿里
恋愛
学院の祝宴で告げられた、無慈悲な婚約破棄。 魔力が弱い私には、価値がないという現実。 泣きながら逃げた先で、私は古代の遺跡に迷い込む。 そこで目覚めた彼は、私を見て言った。 「やっと見つけた。私の番よ」 彼の前でだけ、私の魔力は輝く。 奪われた尊厳、歪められた運命。 すべてを取り戻した先にあるのは……

さようなら、私を「枯れた花」と呼んだ貴方。~辺境で英雄を救って聖女と呼ばれたので、没落した元婚約者の謝罪は受け付けません~

阿里
恋愛
「お前のような見栄えの悪い女は、俺の隣にふさわしくない」 婚約者アレクに捨てられ、辺境へ追いやられたセレナ。 けれど、彼女が森で拾ったのは、アレクなど足元にも及ばないほど強くて優しい、呪われた英雄ライアンだった。 セレナの薬草が奇跡を起こし、王都を救う特効薬となったとき、かつて自分を捨てた男との再会が訪れる。 「やり直そう」と縋り付くアレクに、セレナは最愛の人と寄り添いながら静かに微笑む。 ――あなたが捨てたのは、ただの影ではなく、あなたの未来そのものだったのですよ。

処理中です...