婚約破棄、歓迎~自称聖女を返品不可で引き取って~

萩月

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翌朝。
冬の城の執務室は、昨夜の「書類雪崩プロポーズ」の爪痕――つまり、クシャクシャになった重要書類の山――を前に、修復作業に追われていた。

「……申し訳ない。俺が力任せに抱きしめたせいで、この『橋梁補修計画書』がアコーディオンのようになっている」

オルグレン様が、シワシワになった羊皮紙を広げながら、しょんぼりと謝罪する。
その姿は、悪戯が見つかった大型犬そのものだ。

「構いませんわ。愛の重さだと思って、アイロンをかけて修復しますから」

私は魔法具のアイロンを片手に、淡々と作業を進めていた。
顔は熱い。
昨夜の出来事を思い出すだけで、耳まで赤くなりそうだ。

けれど、私はダーリ・アークライト。
元・悪役令嬢であり、現・最強の事務官だ。
感傷に浸っている場合ではない。
結婚が決まったのなら、やるべきことは一つ。

「……ところで、閣下」

「ん? なんだ、ダーリ」

「昨夜の口約束だけでは、法的な効力が不安定です。正式な『婚姻契約書』を作成しましょう」

「……けいやくしょ?」

オルグレン様がキョトンとする。

「はい。貴族間の結婚は、家と家、領地と領地の合併事業でもあります。なあなあで済ませては、後々トラブルの元になりますから」

私は修復した書類を脇にどけ、真っ白な高級羊皮紙を取り出した。
そして、愛用の万年筆のインクを補充する。

「これより、私と閣下の結婚生活における『運営ルール』を策定します。お互いに要望を出し合い、明文化するのです」

「……お前らしいな」

オルグレン様は苦笑したが、その目は優しかった。

「分かった。……俺の要望は一つだけだ。『ずっとそばにいてくれ』。それ以外はどうでもいい」

「……ッ!」

いきなりのクリティカルヒットに、ペンを落としそうになった。
この人は本当に、無自覚に心臓を攻撃してくる。

「……そ、それは『前提条件』として記載します。では、具体的な条項を詰めていきますよ」

私は咳払いをして、気を取り直した。

「まず、第1条。『公務の分担』について」

私はサラサラとペンを走らせた。

『甲(オルグレン)は、領内の治安維持、魔獣討伐、および対外的な武力行使を担当する。
乙(ダーリ)は、領内の内政管理、財務処理、および対外的な折衝(主に言い訳と根回し)を担当する』

「どうですか?」

「異議なし。……俺が計算しなくていいなら、何でもいい」

「ただし、『最終決裁権』は閣下にあります。私が勝手に暴走して隣国を乗っ取ったりしないよう、手綱は握っていてくださいね」

「……お前ならやりかねんからな。了解した」

「次に、第2条。『福利厚生』について」

私は少し声を弾ませて書いた。

『甲は乙に対し、業務の円滑な遂行に必要なエネルギー源として、一日三回のおやつタイムを保証するものとする。なお、おやつの質は王都の有名店レベルを基準とし、必要経費は領主のポケットマネーから捻出される』

「……俺の小遣いが減るな」

「ポチのおやつも込みですよ?」

「……ならば仕方ない。承認する」

「よろしい。続いて第3条。『生活環境』について」

ここ重要だ。
私は筆圧を強めた。

『寝室および執務室の温度は、常に摂氏24度に保つこと。また、乙が寒がっている場合、甲は直ちに自身の人体(体温高め)を提供し、湯たんぽとして機能すること』

「……ほう」

オルグレン様がニヤリと笑った。

「それは……俺にとっても好都合な条件だな」

「あ、あくまで暖房器具としての利用ですからね! 勘違いなさらぬよう!」

「分かっている。……だが、性能の良い湯たんぽだぞ、俺は」

彼は机越しに身を乗り出し、私の頬に指を触れた。
熱い。
指先だけでこの熱量なら、全身ならどうなるのか。
想像してしまい、私は慌てて視線を逸らした。

「……そ、そういえば、閣下からの要望はありませんか? 一方的では不平等条約になってしまいます」

「俺からの要望か……」

オルグレン様は腕を組み、天井を見上げて少し考えた後、真剣な顔で言った。

「『無理をしないこと』だ」

「え?」

「お前は、放っておくと寝食を忘れて働く。倒れるまで気づかない。……だから、『一日の労働時間は八時間を上限とし、休日は必ず俺と過ごすこと』。これを追加しろ」

「八時間……短すぎませんか? せめて十時間……」

「却下だ。八時間だ。それ以上働くなら、俺が強制的に連れ出して寝かしつける」

「うっ……分かりました。記載します」

私は渋々書き加えた。
『乙の労働時間は厳守とし、超過した場合は甲による強制排除(お姫様抱っこ等)を認める』。

「……これで大体、整いましたね」

私は羊皮紙を見返した。
公務、おやつ、生活、労働時間。
完璧だ。
これさえあれば、私たちの結婚生活はシステム的に保証される。

「……まだだ」

オルグレン様が言った。

「え? 何か抜けが?」

「一番重要なことが抜けている」

「重要……? 予算ですか? それともポチの散歩当番?」

「違う」

彼は立ち上がり、私の背後に回った。
そして、私が握っている万年筆を持つ手に、自分の大きな手を重ねた。

「っ……閣下?」

「書け、ダーリ。……最後の条文だ」

彼の体温に包まれながら、私は彼に誘導されるままにペンを動かした。

『特記事項:甲は乙を、乙は甲を、生涯をかけて慈しみ、守り、愛し抜くこと』

「……これだ」

耳元で囁かれる低音ボイス。
背筋がゾクゾクと震える。
これは契約書だ。
事務的な文書のはずだ。
なのに、どうしてこんなに甘くて、切ないラブレターのように見えるのだろう。

「……これは、法的効力があるのですか?」

私が震える声で聞くと、オルグレン様は私の首筋に顔を埋めるようにして笑った。

「あるさ。……俺が保証する。誰にも破らせない、絶対の契約だ」

「……ペナルティは?」

「違反したら……そうだな。一生、離さない刑に処す」

「……それは、ご褒美では?」

「ふっ。……そうかもな」

重ねられた手で、最後に署名欄へとペンが走る。

『オルグレン・フェル・ヴォルフ』

力強く、雄々しい筆跡。
その横に、私が署名する。

『ダーリ・アークライト』

書き終えた瞬間、なんだか胸がいっぱいになった。
これで本当に、私はこの人のものになり、この人は私のものになるのだ。

「……完成だな」

「はい。……世界で一番、重くて温かい契約書です」

私はインクが乾くのを待ちながら、そっと羊皮紙を撫でた。

「さて、契約が締結されたからには、早速履行していただこうか」

「え? 何を?」

「第3条だ。『寒がっている場合、直ちに湯たんぽを提供する』」

オルグレン様はそう言うと、椅子に座っている私を軽々と横抱きにした。

「きゃっ! 閣下! まだ昼間ですよ!?」

「外は吹雪だ。寒いだろう?」

「室内は24度に保たれています!」

「俺が寒いんだ。……心が」

「……子供みたいな言い訳ですね」

「うるさい。……補給させろ」

彼は私を抱いたまま、執務室の奥にあるソファへと腰を下ろした。
そして、私を膝の上に乗せ、ぎゅっと抱きしめる。

大きい。
温かい。
そして、安心する。

王宮での十年間、私は常に気を張り詰め、誰かの顔色を伺い、完璧な令嬢を演じてきた。
誰かに甘えることなんて、許されなかった。

でも、この腕の中なら。
この「契約書」がある限り。
私は、ただのダーリとして、力を抜いていいのだ。

「……暖かいですか、閣下」

「ああ。……最高だ」

彼は私の髪に頬を寄せ、深く息を吸い込んだ。

「……お前からは、甘い匂いがする。インクと、紅茶と……俺の好きな匂いだ」

「それは、さっき食べたクッキーの残り香では?」

「ムードのないことを言うな」

私たちはクスクスと笑い合った。

こうして、「鉄の女」と呼ばれた事務官と、「氷の野獣」と呼ばれた辺境伯の間に、正式な婚姻契約が結ばれた。
その内容は、国の公文書館に残るどんな条約よりも強固で、そして甘いものとなったのである。

「……さて、ダーリ。契約の次は……」

「次は?」

「式だ。結婚式だ」

オルグレン様の目が、狩人のように鋭く光った。

「王都での舞踏会は見事だったが、あれはあくまで『査問』だ。俺たちのための式ではない」

「そうですね。……派手なのは苦手ですが、けじめとして必要でしょう」

「ああ。……俺たちの城で、俺たちの流儀でやるぞ」

「北の流儀、ですか?」

「そうだ。……準備は任せていいか? 俺の『最高のパートナー』」

「もちろんです。……予算の範囲内で、最高に記憶に残る式にしてみせますわ」

私は彼の方に手を回し、不敵に微笑んだ。

私の頭の中には、すでに新しいプロジェクトの青写真が描かれていた。
プロジェクト名『悪役令嬢(元)の華麗なるウェディング』。
ターゲットは全領民、および嫉妬に狂う元婚約者たち(招待状を送って見せつけてやるつもりだ)。

「さあ、忙しくなりますよ、あなた!」

私たちの新しい生活は、いつだって多忙で、騒がしくて、そして最高に幸せな予感に満ちていた。
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