愛想が尽きました。婚約破棄?喜んで。

萩月

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「申し訳ございません、シルフィ様。その商品は『現金払い』のみとなっております」

王都の高級ブティック『ル・レーヴ』。

その店先で、ピンク色の髪を揺らした男爵令嬢シルフィが、信じられないものを見る目で店主を睨みつけていた。

「現金……? 何を言っているの? ツケに決まっているじゃない! 私は次期王太子妃になる女よ?」

「存じております。ですが、先ほど商業ギルドより通達がありまして……」

店主は慇懃無礼(いんぎんぶれい)な態度で、一枚の紙を指差した。

『重要通達:レイド王子およびシルフィ嬢への掛売り(ツケ)は、ローゼンバーグ侯爵家の保証対象外となりました。以降、与信取引は停止となります』

「な……何よこれぇ!?」

シルフィが金切り声を上げる。

「エマール様の仕業ね! あの陰険女! 私たちが幸せになるのがそんなに悔しいの!?」

「悔しいかどうかは存じませんが、商売は信用が第一ですので。……でお買い上げになりますか? この新作ドレス、金貨八十枚ですが」

店主が冷ややかに手を差し出す。

シルフィの財布の中には、銀貨が数枚入っているだけだ。男爵家の小遣いなど、たかが知れている。

「……買うわけないでしょ! こんな意地悪なお店、二度と来ないんだから!」

シルフィは地団駄を踏み、店を飛び出した。

「ううっ……ひどい、ひどいわ! エマール様のせいで、何も買えないなんて!」

王都の大通りを走りながら、彼女の目には涙が滲んでいた。

欲しいものが手に入らないストレス。

それは、物欲の化身である彼女にとって、呼吸ができないほどの苦痛だった。

「レイド様にお願いしても『金がない』って言うし……。どうすればいいの?」

トボトボと王城へ戻ってきたシルフィは、ふと、廊下に飾られている「あるもの」に目を留めた。

それは、壁に掛けられた巨大なタペストリーだった。

金糸や銀糸をふんだんに使い、王国の歴史を描いた芸術品だ。

キラキラと輝くその織物に、シルフィの目が釘付けになる。

「……かわいい」

彼女の脳内で、危険な回路が接続された。

『お店で買えないなら、ここにあるものを使えばいいじゃない』

王城は宝の山だ。

飾られている壺、絵画、カーテン、食器。すべてが一級品。

そして彼女の認識では、これらは「レイド様のもの」=「将来の私のもの」だった。

「そうよ……! 私の部屋、殺風景で寂しかったのよね。模様替えしちゃお!」

シルフィの瞳から、理性の光が消え、強欲の炎が灯った瞬間だった。



数時間後。

王城の財務執務室では、財務大臣の悲鳴が轟いていた。

「な、ななな、何事だこれはぁぁぁッ!!」

初老の財務大臣は、運び込まれてきた報告書を見て、泡を吹いて倒れそうになっていた。

そこへ、呼び出されたレイド王子が不機嫌そうに入ってくる。

「なんだよ大臣。うるさいな。僕はいま、エマールを連れ戻すための旅支度で忙しいんだ」

「旅支度どころではありませんぞ殿下! 城内の備品が……次々と消失しているのです!」

「消失? 泥棒か? 衛兵に捕まえさせればいいだろう」

「それが……犯人は『シルフィ様』なのです!」

「は?」

レイドが眉をひそめる。

「シルフィが? まさか。彼女は可憐で無邪気な花のような……」

ドガンッ!!

その時、廊下の方から凄まじい音が響いた。

「なんだ!?」

レイドと大臣が慌てて部屋を飛び出すと、そこには信じられない光景が広がっていた。

廊下の向こうから、シルフィが何かを引きずって歩いてくる。

彼女が引きずっているのは、王家の紋章が入った、純金製の重厚な燭台(しょくだい)だった。

さらに、彼女の首には王妃の肖像画から剥ぎ取ったと思われる真珠のネックレスが何重にも巻かれ、その背中には、先ほどの巨大なタペストリーがマントのように巻き付けられている。

まるで、略奪を終えたばかりの蛮族の姫君だ。

「よっこらせ、よっこらせ……。あ、レイド様ぁ!」

シルフィは満面の笑みで手を振った。

「見てください! 廊下に落ちてたガラクタを集めて、リメイクしてみたんですぅ! かわいくないですか?」

「か、かわ……?」

レイドの思考が停止する。

「落ちてたって……それは建国記念の燭台(国宝)だぞ!?」

「えー? だって埃かぶってたし、誰も使ってないからもったいないじゃないですかぁ。私の部屋の明かりにちょうどいいかなって」

「そ、そのタペストリーは……!?」

「これ? カーテンにしようと思って! ハサミで切ってサイズ合わせなきゃ!」

「ハサミで切る!? それは三百年前の職人が十年かけて織った……!」

大臣が「ひぎゃあ!」と奇声を上げて卒倒した。

「大臣! しっかりしろ!」

レイドが駆け寄るが、大臣は白目を剥いて痙攣している。

「レイド様、どうしたんですかぁ? あ、そうだ! 食堂にあった銀のスプーンも、全部私の部屋に持っていきましたからね!」

「な、なんで!?」

「だって、私の部屋でお茶会するときに、可愛いスプーンがないと映(ば)えないじゃないですかぁ。エマール様がいじわルして、新しいのを買わせてくれないから……」

シルフィは頬を膨らませて拗ねてみせる。

「これは『現物支給』です! 私が幸せに暮らすための必要経費ですぅ!」

その言葉を聞いた瞬間、レイドの脳裏に、エマールの冷ややかな声が蘇った。

『そのドレス、国民の血税です』
『無駄遣いは罪です』
『貴殿の感情は愛ではなく寄生です』

(……まさか、エマールが言っていたのは、こういうことだったのか?)

レイドの背筋に、冷たいものが走った。

今までは、エマールが黙って尻拭いをしていたから気づかなかった。

シルフィの「無邪気な浪費」が、これほどまでに破壊的な威力を持っていたとは。

「し、シルフィ……とりあえず、その燭台を置こうか。重いだろう?」

「えー、やだぁ。これ、溶かして指輪にするつもりなんですぅ」

「溶かすなあああッ!!」

レイドの絶叫が城内にこだまする。

その時、意識を取り戻した大臣が、震える手で一枚の紙をレイドに突きつけた。

「で、殿下……これをご覧くだされ……」

「なんだこれは」

「今月……いえ、ここ数日の、城内備品の損害総額です……」

レイドがその数字を見た瞬間、目の前が真っ暗になった。

『損害見積額:金貨五千枚』

エマールへの慰謝料(三千枚)を優に超えている。

「う、嘘だろ……」

「事実です。タペストリーの修復費、燭台の損壊、持ち出された宝石類の行方不明分……。もはや、王家の予備費は底をつきました」

大臣は涙を流して訴えた。

「エマール様がいらっしゃった頃は、このようなことは一度もありませんでした! あの方は、予算の1ルピまで管理し、無駄を削ぎ落としておられた……。まさに『王家の金庫番』であらせられたのです!」

「くっ……!」

「殿下! 今すぐエマール様を! エマール様をお連れ戻しください! さもなくば、我が国は『ピンク色の破産』を迎えますぞ!!」

レイドはシルフィを見た。

彼女は今、近くにあった甲冑の兜(かぶと)を、「これ、プランターにしたら可愛いかも!」と言って土を詰め込もうとしている。

(……こいつ、バカだ。可愛いバカだと思っていたが、国を滅ぼすレベルのバカだった……!)

レイドの中で、「真実の愛」という名のフィルターが、バリバリと音を立てて剥がれ落ちていくのを感じた。

しかし、同時に別の感情が湧き上がった。

(エマールが必要だ。僕の愛のため……いや、僕が破産しないために! あいつの管理能力が、今すぐ必要なんだ!)

「……行くぞ」

「え? どこへですぅ?」

「辺境伯領だ! 今すぐ馬車を出せ! ……いや、馬車が壊れてるんだったな! 馬だ! 馬に乗ってでも行くぞ!」

レイドはシルフィの手を引っ掴んだ。

「きゃっ! 痛いですレイド様ぁ! 私のリメイク作業がぁ!」

「リメイクなんぞしている場合か! エマールに土下座してでも戻ってきてもらうんだ! でないと、僕たちは路頭に迷うぞ!」

なりふり構わなくなったレイド王子。

彼はまだ気づいていなかった。

借金まみれの元婚約者が、「お金の亡者」と化した元婚約者の元へ行けば、どのような扱いを受けることになるのかを。

それは、「感動の再会」などではなく、「苛烈な取り立て」の始まりであることを。



一方、ヴァイサリウス辺境伯領。

執務室で優雅に紅茶を飲んでいた私は、ふと窓の外を見た。

「……ん?」

「どうした、エマール」

クラウス様が顔を上げる。

「いえ。なんだか、王都の方角から『ドス黒い赤字の気配』が急速に近づいてくるのを感じまして」

「赤字の気配?」

「ええ。台風のような、あるいはイナゴの大群のような……すべてを食い尽くす負のエネルギーです」

私はカップを置き、眼鏡(心の目)をクイッと上げた。

「閣下。迎撃準備を整えましょう。防衛費の計上をお願いします」

「迎撃? 敵軍が攻めてくるのか?」

「敵軍よりもタチが悪いです。……『金欠の元カレ』と『浪費モンスター』が来ます」

私の予言に、クラウス様はニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。

「面白い。我が領の防衛システム(エマールの計算能力)がどれほど通用するか、テストするには良い標的だ」

「手加減はしませんよ? 全額、きっちり回収させていただきます」

私は新しい万年筆を手に取った。

そのペン先は、獲物を狙う猛獣の牙のように、鋭く光っていた。
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