愛想が尽きました。婚約破棄?喜んで。

萩月

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「エマール。今日は天気もいい。少し出かけないか?」

朝食の席で、クラウス様が唐突に切り出した。

私はナイフとフォークを止め、手元のスケジュール帳を確認する。

「外出ですか? 本日の予定には入っていませんが……。目的はなんでしょうか? 隣領との外交? それとも鉱山の視察?」

「いや。……『デート』だ」

「デート?」

私が聞き返すと、クラウス様は少し照れくさそうに視線を逸らした。

「普通の婚約者同士なら、街を散策したり、買い物をしたりするものだろう? 君が来てからずっと屋敷の改革ばかりさせていたからな。たまには息抜きも必要だ」

「息抜き……」

私は少し考え込んだ。

確かに、労働基準法(私の脳内法規)に照らし合わせれば、適度な休暇は生産性向上のために必須である。

しかし、ただ漫然と街を歩くことに何の意味があるのだろうか?

「分かりました。では『領内市場調査(マーケティング・リサーチ)』という名目で同行いたします」

「……相変わらずだな。まあいい、君が楽しんでくれるなら名目は何でも」

クラウス様は苦笑しながら立ち上がった。

「準備をしてくれ。お忍びだから、目立たない格好でな」



一時間後。

私たちは平民風の服に着替え、城下町のメインストリートを歩いていた。

クラウス様は、仕立ての良い軍服を脱ぎ、ラフなシャツに茶色のジャケット姿。

前髪を下ろしているせいか、いつもの「氷の閣下」という威圧感はなく、ただの「恐ろしく顔の整った好青年」に見える。

一方の私は、シンプルなワンピースにカーディガン。

変装用の眼鏡(これは本物)をかけている。

「どうだ、エマール。我が領の城下町は」

クラウス様が誇らしげに周囲を見渡す。

確かに、活気があった。

露店が並び、人々が行き交い、子供たちの笑い声が響いている。

しかし、私の目は建物の美しさや人々の笑顔ではなく、別のものを捉えていた。

「……ふむ」

私は眼鏡の位置を直し、一軒の果物屋の前で足を止めた。

「閣下。あの店をご覧ください」

「うん? リンゴが山積みになっているな。美味そうだ」

「いえ、問題はそこではありません。あのリンゴ、下の方の果実が重みで痛むリスクがあります。それに、陳列に立体感がないため、顧客の視線誘導ができていません。購買率(コンバージョンレート)が低い配置です」

「……そう見るか」

「さらに、隣のパン屋。焼きたての香りを換気扇で空に逃がしています。あれは『集客装置』としての香りを捨てているのと同じです。排気口を通りに向け、香りを撒き散らす設計にすれば、客足は15%伸びるはずです」

私は手帳を取り出し、カリカリとメモを取り始めた。

「あと、この通りの人流。右側通行と左側通行が混在しており、衝突のリスクがあります。動線を整理すれば、歩行速度が上がり、回遊性が高まるでしょう」

「……」

クラウス様は、呆れたように、しかしどこか楽しそうに私を見下ろしている。

「エマール。君にかかると、平和な街並みも『改善すべきデータ』の山に見えるんだな」

「当然です。街は生き物であり、巨大な経済システムです。非効率を放置するのは、血管にコレステロールが溜まっているのと同じです」

「なるほど。では、あのアクセサリーショップはどうだ? 女性客で賑わっているが」

クラウス様が指差したのは、煌びやかな装飾品を並べた露店だった。

若い娘たちがキャアキャアと品定めをしている。

「……商品のラインナップが散漫ですね。ターゲット層が不明確です。安価なガラス玉と高価な銀細工を並列に置くことで、ブランド価値が希釈されています。私なら、価格帯ごとにゾーニングを行い……」

私が熱弁を振るっていると、不意にクラウス様がその店に歩み寄った。

「おじさん、これを一つ」

「へい! まいどあり!」

クラウス様が戻ってくる。その手には、銀色のシンプルな髪飾りが握られていた。

「……閣下? それは?」

「君へのプレゼントだ」

「はい? ですが、先ほど申し上げた通り、この店の価格設定は原価率から見て割高で……」

「いいんだ。私が君に似合うと思った。それ以上の価値(プライスレス)がある」

クラウス様は私の背後に回り、手際よく髪飾りを私の髪に挿した。

「……あ」

ショーウィンドウのガラスに、私の姿が映る。

地味な格好だが、髪飾りがキラリと光り、少しだけ華やかに見えた。

「似合うよ、エマール。……いつも数字ばかり見ている君の瞳も綺麗だが、こうして着飾った君も悪くない」

耳元で囁かれる甘い声。

私の心拍数が、またしても不規則なリズムを刻み始める。

(……これはまずい。思考回路がショートしそうだわ)

「あ、ありがとうございます。……減価償却期間を長く取れるよう、大切に使わせていただきます」

精一杯の強がり(経理用語)で返すと、クラウス様は嬉しそうに私の手を取った。

「さあ、次はあっちだ。君に見せたいものがある」



手を引かれてやってきたのは、街外れの小高い丘だった。

そこからは、領地全体が見渡せた。

広がる田園風景、活気ある街並み、そして遠くに見える鉱山の煙。

夕日が全てを黄金色に染め上げている。

「綺麗だろう?」

「……はい」

私は素直に頷いた。

「灌漑(かんがい)設備が行き届いていますね。水路の配置が幾何学的に美しいです。あれなら水不足のリスクも低いでしょう」

「ふっ、そこを褒めるのは君くらいだ」

クラウス様は笑い、風に吹かれる髪をかき上げた。

「私は、この景色を守りたいんだ。父から受け継いだこの土地と、ここに住む民たちを。……だが、私一人では限界があった」

彼の表情が、ふと真剣なものに変わる。

「私は武人だ。剣で敵を倒すことはできても、経済という見えない敵と戦う術(すべ)を持っていなかった。だから、いつも何かが足りないと感じていた」

クラウス様は私の方を向き、私の両手を包み込んだ。

その手は大きく、温かく、そして少し震えているように感じた。

「エマール。君が来てくれて、私の世界は変わった。君が指摘する『無駄』や『非効率』の裏に、君なりの『愛』があることを、私は知っている」

「……愛、ですか?」

「ああ。君は数字を通して、人々の生活を豊かにしようとしている。それは、どんな甘い言葉よりも誠実な愛だ」

クラウス様のアイスブルーの瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。

「だから……これからも、私の隣で計算をしていてくれないか? 一生、死ぬまで」

それは、プロポーズだった。

契約上の婚約者に対するビジネスライクなものではなく、一人の男としての、魂の告白。

私は口を開きかけ、そして閉じた。

胸が苦しい。

喉が熱い。

脳内の計算機がエラーを吐き出し、損益分岐点のグラフが測定不能なほど跳ね上がっている。

(……これは、計算できない。どんな数式を使っても、この感情の『答え』は出せないわ)

私は深呼吸をして、どうにか言葉を絞り出した。

「……閣下。その契約、長期保有(ロングホールド)前提でよろしいですか?」

「もちろん。永久債権だ」

「途中解約の違約金は、国家予算並みに設定させていただきますが?」

「望むところだ。私の全財産を担保に入れよう」

「……交渉成立、です」

私が小さく頷くと、クラウス様は破顔した。

そして、夕焼けの中で、優しく私を抱きしめた。

その腕の中で、私は初めて「数字」以外の温かさに包まれる心地よさを知った。

(ああ……。心拍数が下がらない。これは不整脈ではなく……『幸福』という名のプラス収支なのかもしれない)

私はそっと、彼の背中に手を回した。



帰り道。

私たちは繋いだ手を離さずに、屋敷への道を歩いていた。

すっかり日も落ち、街には明かりが灯り始めている。

「そういえば、エマール」

「はい?」

「来週、領主主催のパーティーがあるんだ。私の婚約者として、君を正式に社交界にお披露目したい」

「パーティーですか。……経費は予算内に収まっていますか?」

「心配するな。君の指導のおかげで、余剰金が出ている。……そこでだ。君には新しいドレスが必要だ」

「ドレス……。持参したもので十分ですが」

私が言うと、クラウス様は首を横に振った。

「だめだ。君は『未来の辺境伯夫人』だ。それに、あの王都の連中……レイドやシルフィが見ても、腰を抜かすような最高のドレスを着てほしい」

クラウス様の目が、怪しく光った。

「来週、王都から有名なデザイナーを呼んである。君を着せ替え人形……いや、最高の花嫁に仕立て上げるためにな」

「……嫌な予感がします。予算オーバーの匂いがプンプンします」

「たまにはいいだろう? これは『必要経費』だ。君の美しさを世に知らしめるための、宣伝広告費だよ」

「宣伝なら、チラシを配った方が安上がりですが……」

「却下する」

クラウス様は楽しそうに笑い、私の手を引く力を強めた。

幸せな夕暮れ。

二人の影が長く伸び、重なり合っている。

だが、私たちはまだ知らなかった。

その「パーティー」の日を目指して、王都から「台風」のような二人組が、泥だらけになりながらこちらに向かっていることを。

そして、そのドレス選びが、単なる買い物ではなく、私とクラウス様、そしてデザイナーをも巻き込んだ「美と予算の戦争」になることを。
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