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「……売却先、ですか」
私は乾いた笑いを漏らした。
手元にある父・ローゼンバーグ侯爵からの手紙。
その内容は、娘に対する愛情など1ミクロンもなく、ただの「商品」に対する在庫処分命令そのものだった。
『エマール。レイド殿下との婚約が破棄されたことは聞いた。不良在庫となったお前を、辺境などに置いておくわけにはいかん。
幸い、南方のガマーン公爵(七十歳・資産家・好色家で有名)が、お前を後妻に迎えたいと言っている。
結納金は金貨一万枚だ。殿下への貸付金回収などという小銭稼ぎはやめて、直ちに帰還し、公爵のもとへ嫁げ。
これは家長命令である』
「金貨一万枚……。私の市場価値も、随分と高騰したものです」
私は冷ややかに呟いた。
レイド殿下への慰謝料請求などで私が金を稼げると知った父は、私を「金のなる木」として再評価したらしい。
だが、その使い道が「七十歳の好色爺への身売り」とは。
「……ふざけるな」
ドォン!!
執務机が真っ二つに割れる音がした。
見ると、クラウス様が拳を振り下ろしていた。
机は哀れにも木っ端微塵になり、書類が雪のように舞い散る。
「か、閣下! 備品損壊です! 減価償却が終わっていない机を壊すなんて!」
「机などどうでもいい! なんだその手紙は! 七十歳の爺に嫁げだと!?」
クラウス様の全身から、目に見えるほどの冷気が噴き出している。
部屋の温度が一気に氷点下まで下がり、窓ガラスに霜が張り付く。
「許さん……。あの強欲な侯爵め。娘をなんだと思っている? 家畜か? 物か?」
「父にとっては、私は『高利回りの金融商品』に過ぎませんから」
私は舞い散る書類を拾いながら、淡々と答えた。
「昔からそうでした。私が数字に強くなったのも、父が領地経営の不正をごまかすために私を利用したのがきっかけです。『お前は計算だけしていればいい』と、地下室で帳簿の改ざんを手伝わされていましたから」
「なんだと……?」
クラウス様の怒りが、静かな殺気へと変わる。
「……虐待じゃないか」
「いえ、労働基準法違反および児童福祉法違反です」
私は眼鏡(心の目)を直した。
「ですが、私はただ黙って従っていたわけではありません。……転んでもただでは起きないのが、私の信条(ポリシー)です」
私は、割れた机の引き出し(奇跡的に無事だった部分)から、一冊の黒い革表紙の手帳を取り出した。
「これは?」
「父の『裏帳簿』の完全なコピーです」
「……裏帳簿?」
「はい。脱税、公金横領、違法な闇取引、賄賂の授受。過去十年間にわたるローゼンバーグ侯爵家の『黒いお金』の流れを、私がすべて記録し、複写しておきました」
私は手帳をパラパラとめくった。
そこには、父が隠蔽したはずの汚職の証拠が、1ルピ単位で正確に記されている。
「いつか、自分を売ろうとした時に、この情報を切り札(担保)にして交渉しようと思っていました。……まさか、こんなに早く使うことになるとは」
クラウス様は目を見開き、そして深く息を吐いた。
怒りの炎が、感嘆の色へと変わっていく。
「……君は、本当に恐ろしいな。父親の弱みを、子供の頃から握っていたのか?」
「自己防衛(リスクヘッジ)です。父は私を愛していませんでしたから、私も父を『経営リスク』として管理していました」
私は手帳を閉じた。
「さて、閣下。父は私に『帰ってこい』と言っています。……どうしますか?」
「決まっている」
クラウス様は、私の肩を抱き寄せた。
「行くぞ、王都へ。君を売り飛ばそうとした報いを受けさせる。……その『裏帳簿』を使って、侯爵家ごと破産(リセット)させてやる」
「同意します。ただし、破産させる前に、私の未払い賃金(過去十年分の残業代)は回収させていただきますよ?」
「好きにしろ。不足分は私が補填してやる」
私たちは顔を見合わせて、ニヤリと笑った。
それは、悪役令嬢と魔王が手を組んだような、極悪非道で、最高に痛快な笑顔だった。
◇
数日後。王都、ローゼンバーグ侯爵邸。
豪華なサロンで、侯爵はワイングラスを片手に上機嫌だった。
「ふはは! そろそろエマールが帰ってくる頃か。あいつをガマーン公爵に売れば、莫大な結納金が入る。それで新しい事業を始めよう」
侯爵は、恰幅の良い腹をさすりながら皮算用をしていた。
そこへ、執事が慌てて駆け込んでくる。
「だ、旦那様! エマールお嬢様がお着きになられました!」
「おお、来たか! よし、すぐにここへ通せ! 花嫁衣装に着替えさせる準備もだ!」
「そ、それが……お一人ではなく……」
「なんだ?」
ドォォォォン!!
サロンの扉が、爆発したかのように吹き飛んだ。
「な、何事だ!?」
侯爵が飛び上がると、煙の中から二つの人影が現れた。
一人は、ミッドナイト・ブルーのドレスを纏い、片手に電卓、片手に分厚いファイルを抱えたエマール。
そしてもう一人は、氷のような冷気を纏い、抜身の剣を提げた「氷の閣下」、クラウス。
「ごきげんよう、お父様」
エマールがニッコリと笑う。その目は笑っていない。
「呼び出しに応じ、帰還いたしました。……ただし、嫁入り道具ではなく、『監査資料』を持参しましたが」
「エ、エマール!? なんだその男は! それにその態度は!」
「紹介します。私の現在の雇用主であり、婚約者のヴァイサリウス辺境伯です」
クラウスが一歩前に出る。
その威圧感に、侯爵は後ずさりし、腰を抜かしてソファにへたり込んだ。
「へ、辺境伯……!? なぜ貴殿がここに……!」
「私の大事な婚約者に、汚い手を伸ばそうとした男がいると聞いてな。挨拶に来た」
クラウスが剣先を侯爵の喉元に向ける。
「ひぃっ!?」
「単刀直入に言おう。エマールとの縁を切れ。そして、二度と彼女に関わるな」
「な、何を勝手な! エマールは私の娘だ! 親の言うことを聞くのは当然だろう! それに、ガマーン公爵との縁談はもう決まっているんだ!」
侯爵は震えながらも、強欲さを隠そうとしない。
「金貨一万枚だぞ! 辺境の芋貴族ごときに払える額ではないわ!」
「芋貴族……?」
クラウスの眉がピクリと動く。
「金の話がお好きなようですね、お父様」
エマールがスッと前に出た。
「では、数字でお話ししましょう」
彼女は抱えていたファイルを、テーブルの上にドサリと落とした。
「これは……?」
「お父様が過去十年間に行ってきた、『不正経理』の証拠書類一式です」
「な……!?」
侯爵の顔色が、赤から青、そして白へと変わる。
「3年前の治水工事における助成金の横領。5年前の穀物倉庫の火災保険金詐欺。そして、去年の闇カジノへの不正送金……。すべて、記録してあります」
エマールはページをめくる。
「特に悪質なのが、この『王家への献上品の偽装』ですね。最高級ワインと偽って、安酒をラベルだけ変えて納品していましたね? これ、『王室不敬罪』で極刑ですよ?」
「ば、馬鹿な……! なぜお前がそれを……!」
「私が帳簿をつけていたからです。お忘れですか? 『うまく誤魔化しておけ』と指示したのは貴方ですよ」
エマールは冷酷に告げた。
「ですが、私は『誤魔化し』ではなく『記録』をしていました。いつかこうなる日のために」
「き、貴様……! 親を売る気か!」
「親が子を売ろうとしたのです。これは等価交換(ビジネス)です」
エマールは電卓を弾いた。
「この証拠を司法省と税務局に提出すれば、ローゼンバーグ家は取り潰し。父様は鉱山送りの強制労働。全財産は没収です。……金貨一万枚どころか、借金まみれの老後ですね」
「ま、待て! 待ってくれエマール!」
侯爵が床に這いつくばり、エマールの足にすがりつこうとする。
「わ、私が悪かった! 縁談は白紙に戻す! だからその書類だけは……!」
「触るな」
クラウスが剣の峰で侯爵の手を払った。
「汚らわしい。エマールの靴が汚れる」
「ひぃぃ……!」
エマールは冷ややかに父を見下ろした。
「取引(ディール)しましょう、お父様」
「と、取引?」
「この証拠を提出しない条件は三つです」
エマールは指を立てた。
「1.私との縁を切り、除籍すること。今後一切の干渉を禁じます」
「2.家督を弟(まだまともな次期当主)に譲り、貴方は隠居すること」
「3.過去の私の労働に対する未払い賃金および精神的慰謝料として、ローゼンバーグ家の『隠し資産(別荘と絵画コレクション)』を譲渡すること」
「なっ……! 隠し資産まで知っているのか!?」
「私が管理していましたから」
侯爵は絶望した顔で天井を仰いだ。
自分の欲望のために利用してきた娘が、まさか自分の首を絞めるロープを握っていたとは。
「……わ、分かった。飲む。条件を飲む……」
「交渉成立です」
エマールはあらかじめ用意していた契約書を差し出した。
「では、ここにサインと血判を。……あ、インクがなければ、指を切って血で書いても有効ですよ?」
「か、書く! インクで書く!」
侯爵は震える手でサインをした。
エマールは書類を確認し、満足げに頷いた。
「確かに。……これにて、ローゼンバーグ侯爵家と私の『親子関係』は、正式に債務整理(リセット)されました」
彼女は一度だけ、寂しげな、しかし晴れやかな目で父を見た。
「さようなら、お父様。……数字は嘘をつきませんが、貴方は嘘ばかりでしたね」
「行こう、エマール」
クラウスがエスコートする。
「ああ。……今すぐこの屋敷を出たい。空気が淀んでいて、肺に悪そうだ」
二人が背を向けると、背後から侯爵の泣き崩れる声が聞こえた。
「俺の金がぁ……隠し財産がぁ……」
最後まで金のことしか言わない父。
エマールは振り返らなかった。
屋敷を出ると、王都の空は抜けるように青かった。
「終わったな」
「はい。……長年の不良債権を、やっと損切りできました」
エマールが大きく伸びをする。
「せいせいしました! これで私は、正真正銘の『自由の身』です!」
「自由か。……それは困るな」
クラウスが立ち止まり、私の手を取った。
「え?」
「君はもう、ヴァイサリウス辺境伯家の『永久就職者』だろう? 自由になられては、私が路頭に迷う」
「……ふふ。そうでしたね」
エマールは万年筆を取り出した。
「では、新しい契約を結びましょうか。期間は『死が二人を分かつまで』。報酬は『無限の愛』で」
「承認する」
王都の大通りで、二人は口づけを交わした。
通行人たちが「あれは氷の閣下!?」「隣の美女は誰だ!?」と騒ぎ立てるが、今の二人には雑音にしか聞こえない。
過去の精算は終わった。
これからは、二人で新しい「黒字の未来」を築いていくだけだ。
……と、感動的に締めくくりたかったのだが。
「さて、エマール。せっかく王都に来たんだ。美味しいものでも食べて帰ろう」
「そうですね。……あ、その前に」
私は眼鏡をクイッと上げた。
「王城へ寄りましょう」
「王城へ? なぜだ?」
「レイド殿下がちゃんと借金を返済しているか、監査(チェック)に行かなくては。……ついでに、延滞金が発生していないか、厳しく取り立てておかないと」
「……君は本当に、ブレないな」
クラウスは苦笑したが、その顔はどこか楽しそうだった。
「よし、行こう。王城だろうが地獄だろうが、君の計算に付き合うよ」
こうして、私たちは「地獄の監査ツアー・王城編」へと足を向けたのだった。
私は乾いた笑いを漏らした。
手元にある父・ローゼンバーグ侯爵からの手紙。
その内容は、娘に対する愛情など1ミクロンもなく、ただの「商品」に対する在庫処分命令そのものだった。
『エマール。レイド殿下との婚約が破棄されたことは聞いた。不良在庫となったお前を、辺境などに置いておくわけにはいかん。
幸い、南方のガマーン公爵(七十歳・資産家・好色家で有名)が、お前を後妻に迎えたいと言っている。
結納金は金貨一万枚だ。殿下への貸付金回収などという小銭稼ぎはやめて、直ちに帰還し、公爵のもとへ嫁げ。
これは家長命令である』
「金貨一万枚……。私の市場価値も、随分と高騰したものです」
私は冷ややかに呟いた。
レイド殿下への慰謝料請求などで私が金を稼げると知った父は、私を「金のなる木」として再評価したらしい。
だが、その使い道が「七十歳の好色爺への身売り」とは。
「……ふざけるな」
ドォン!!
執務机が真っ二つに割れる音がした。
見ると、クラウス様が拳を振り下ろしていた。
机は哀れにも木っ端微塵になり、書類が雪のように舞い散る。
「か、閣下! 備品損壊です! 減価償却が終わっていない机を壊すなんて!」
「机などどうでもいい! なんだその手紙は! 七十歳の爺に嫁げだと!?」
クラウス様の全身から、目に見えるほどの冷気が噴き出している。
部屋の温度が一気に氷点下まで下がり、窓ガラスに霜が張り付く。
「許さん……。あの強欲な侯爵め。娘をなんだと思っている? 家畜か? 物か?」
「父にとっては、私は『高利回りの金融商品』に過ぎませんから」
私は舞い散る書類を拾いながら、淡々と答えた。
「昔からそうでした。私が数字に強くなったのも、父が領地経営の不正をごまかすために私を利用したのがきっかけです。『お前は計算だけしていればいい』と、地下室で帳簿の改ざんを手伝わされていましたから」
「なんだと……?」
クラウス様の怒りが、静かな殺気へと変わる。
「……虐待じゃないか」
「いえ、労働基準法違反および児童福祉法違反です」
私は眼鏡(心の目)を直した。
「ですが、私はただ黙って従っていたわけではありません。……転んでもただでは起きないのが、私の信条(ポリシー)です」
私は、割れた机の引き出し(奇跡的に無事だった部分)から、一冊の黒い革表紙の手帳を取り出した。
「これは?」
「父の『裏帳簿』の完全なコピーです」
「……裏帳簿?」
「はい。脱税、公金横領、違法な闇取引、賄賂の授受。過去十年間にわたるローゼンバーグ侯爵家の『黒いお金』の流れを、私がすべて記録し、複写しておきました」
私は手帳をパラパラとめくった。
そこには、父が隠蔽したはずの汚職の証拠が、1ルピ単位で正確に記されている。
「いつか、自分を売ろうとした時に、この情報を切り札(担保)にして交渉しようと思っていました。……まさか、こんなに早く使うことになるとは」
クラウス様は目を見開き、そして深く息を吐いた。
怒りの炎が、感嘆の色へと変わっていく。
「……君は、本当に恐ろしいな。父親の弱みを、子供の頃から握っていたのか?」
「自己防衛(リスクヘッジ)です。父は私を愛していませんでしたから、私も父を『経営リスク』として管理していました」
私は手帳を閉じた。
「さて、閣下。父は私に『帰ってこい』と言っています。……どうしますか?」
「決まっている」
クラウス様は、私の肩を抱き寄せた。
「行くぞ、王都へ。君を売り飛ばそうとした報いを受けさせる。……その『裏帳簿』を使って、侯爵家ごと破産(リセット)させてやる」
「同意します。ただし、破産させる前に、私の未払い賃金(過去十年分の残業代)は回収させていただきますよ?」
「好きにしろ。不足分は私が補填してやる」
私たちは顔を見合わせて、ニヤリと笑った。
それは、悪役令嬢と魔王が手を組んだような、極悪非道で、最高に痛快な笑顔だった。
◇
数日後。王都、ローゼンバーグ侯爵邸。
豪華なサロンで、侯爵はワイングラスを片手に上機嫌だった。
「ふはは! そろそろエマールが帰ってくる頃か。あいつをガマーン公爵に売れば、莫大な結納金が入る。それで新しい事業を始めよう」
侯爵は、恰幅の良い腹をさすりながら皮算用をしていた。
そこへ、執事が慌てて駆け込んでくる。
「だ、旦那様! エマールお嬢様がお着きになられました!」
「おお、来たか! よし、すぐにここへ通せ! 花嫁衣装に着替えさせる準備もだ!」
「そ、それが……お一人ではなく……」
「なんだ?」
ドォォォォン!!
サロンの扉が、爆発したかのように吹き飛んだ。
「な、何事だ!?」
侯爵が飛び上がると、煙の中から二つの人影が現れた。
一人は、ミッドナイト・ブルーのドレスを纏い、片手に電卓、片手に分厚いファイルを抱えたエマール。
そしてもう一人は、氷のような冷気を纏い、抜身の剣を提げた「氷の閣下」、クラウス。
「ごきげんよう、お父様」
エマールがニッコリと笑う。その目は笑っていない。
「呼び出しに応じ、帰還いたしました。……ただし、嫁入り道具ではなく、『監査資料』を持参しましたが」
「エ、エマール!? なんだその男は! それにその態度は!」
「紹介します。私の現在の雇用主であり、婚約者のヴァイサリウス辺境伯です」
クラウスが一歩前に出る。
その威圧感に、侯爵は後ずさりし、腰を抜かしてソファにへたり込んだ。
「へ、辺境伯……!? なぜ貴殿がここに……!」
「私の大事な婚約者に、汚い手を伸ばそうとした男がいると聞いてな。挨拶に来た」
クラウスが剣先を侯爵の喉元に向ける。
「ひぃっ!?」
「単刀直入に言おう。エマールとの縁を切れ。そして、二度と彼女に関わるな」
「な、何を勝手な! エマールは私の娘だ! 親の言うことを聞くのは当然だろう! それに、ガマーン公爵との縁談はもう決まっているんだ!」
侯爵は震えながらも、強欲さを隠そうとしない。
「金貨一万枚だぞ! 辺境の芋貴族ごときに払える額ではないわ!」
「芋貴族……?」
クラウスの眉がピクリと動く。
「金の話がお好きなようですね、お父様」
エマールがスッと前に出た。
「では、数字でお話ししましょう」
彼女は抱えていたファイルを、テーブルの上にドサリと落とした。
「これは……?」
「お父様が過去十年間に行ってきた、『不正経理』の証拠書類一式です」
「な……!?」
侯爵の顔色が、赤から青、そして白へと変わる。
「3年前の治水工事における助成金の横領。5年前の穀物倉庫の火災保険金詐欺。そして、去年の闇カジノへの不正送金……。すべて、記録してあります」
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「特に悪質なのが、この『王家への献上品の偽装』ですね。最高級ワインと偽って、安酒をラベルだけ変えて納品していましたね? これ、『王室不敬罪』で極刑ですよ?」
「ば、馬鹿な……! なぜお前がそれを……!」
「私が帳簿をつけていたからです。お忘れですか? 『うまく誤魔化しておけ』と指示したのは貴方ですよ」
エマールは冷酷に告げた。
「ですが、私は『誤魔化し』ではなく『記録』をしていました。いつかこうなる日のために」
「き、貴様……! 親を売る気か!」
「親が子を売ろうとしたのです。これは等価交換(ビジネス)です」
エマールは電卓を弾いた。
「この証拠を司法省と税務局に提出すれば、ローゼンバーグ家は取り潰し。父様は鉱山送りの強制労働。全財産は没収です。……金貨一万枚どころか、借金まみれの老後ですね」
「ま、待て! 待ってくれエマール!」
侯爵が床に這いつくばり、エマールの足にすがりつこうとする。
「わ、私が悪かった! 縁談は白紙に戻す! だからその書類だけは……!」
「触るな」
クラウスが剣の峰で侯爵の手を払った。
「汚らわしい。エマールの靴が汚れる」
「ひぃぃ……!」
エマールは冷ややかに父を見下ろした。
「取引(ディール)しましょう、お父様」
「と、取引?」
「この証拠を提出しない条件は三つです」
エマールは指を立てた。
「1.私との縁を切り、除籍すること。今後一切の干渉を禁じます」
「2.家督を弟(まだまともな次期当主)に譲り、貴方は隠居すること」
「3.過去の私の労働に対する未払い賃金および精神的慰謝料として、ローゼンバーグ家の『隠し資産(別荘と絵画コレクション)』を譲渡すること」
「なっ……! 隠し資産まで知っているのか!?」
「私が管理していましたから」
侯爵は絶望した顔で天井を仰いだ。
自分の欲望のために利用してきた娘が、まさか自分の首を絞めるロープを握っていたとは。
「……わ、分かった。飲む。条件を飲む……」
「交渉成立です」
エマールはあらかじめ用意していた契約書を差し出した。
「では、ここにサインと血判を。……あ、インクがなければ、指を切って血で書いても有効ですよ?」
「か、書く! インクで書く!」
侯爵は震える手でサインをした。
エマールは書類を確認し、満足げに頷いた。
「確かに。……これにて、ローゼンバーグ侯爵家と私の『親子関係』は、正式に債務整理(リセット)されました」
彼女は一度だけ、寂しげな、しかし晴れやかな目で父を見た。
「さようなら、お父様。……数字は嘘をつきませんが、貴方は嘘ばかりでしたね」
「行こう、エマール」
クラウスがエスコートする。
「ああ。……今すぐこの屋敷を出たい。空気が淀んでいて、肺に悪そうだ」
二人が背を向けると、背後から侯爵の泣き崩れる声が聞こえた。
「俺の金がぁ……隠し財産がぁ……」
最後まで金のことしか言わない父。
エマールは振り返らなかった。
屋敷を出ると、王都の空は抜けるように青かった。
「終わったな」
「はい。……長年の不良債権を、やっと損切りできました」
エマールが大きく伸びをする。
「せいせいしました! これで私は、正真正銘の『自由の身』です!」
「自由か。……それは困るな」
クラウスが立ち止まり、私の手を取った。
「え?」
「君はもう、ヴァイサリウス辺境伯家の『永久就職者』だろう? 自由になられては、私が路頭に迷う」
「……ふふ。そうでしたね」
エマールは万年筆を取り出した。
「では、新しい契約を結びましょうか。期間は『死が二人を分かつまで』。報酬は『無限の愛』で」
「承認する」
王都の大通りで、二人は口づけを交わした。
通行人たちが「あれは氷の閣下!?」「隣の美女は誰だ!?」と騒ぎ立てるが、今の二人には雑音にしか聞こえない。
過去の精算は終わった。
これからは、二人で新しい「黒字の未来」を築いていくだけだ。
……と、感動的に締めくくりたかったのだが。
「さて、エマール。せっかく王都に来たんだ。美味しいものでも食べて帰ろう」
「そうですね。……あ、その前に」
私は眼鏡をクイッと上げた。
「王城へ寄りましょう」
「王城へ? なぜだ?」
「レイド殿下がちゃんと借金を返済しているか、監査(チェック)に行かなくては。……ついでに、延滞金が発生していないか、厳しく取り立てておかないと」
「……君は本当に、ブレないな」
クラウスは苦笑したが、その顔はどこか楽しそうだった。
「よし、行こう。王城だろうが地獄だろうが、君の計算に付き合うよ」
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