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「……はあ、はあ、はあ。……逃がさん……ぞ、ロザリア……!」
朝日がアルメリア公爵領の緑豊かな大地を照らす中、我が家の玄関先には、およそ王族とは思えないほどボロボロになった殿下が立っておりました。
自慢の銀髪は乱れ、泥が跳ね、息は絶え絶え。
愛馬も心なしか「うちの主人が無茶してすみません」という顔で項垂れています。
「殿下、おはようございます。ずいぶんと斬新なファッションでのお越しですね。王都では今、泥パックを全身に施すのが流行りなのですか?」
私は、長旅の疲れも見せず、涼しい顔でティーカップを傾けました。
屋敷のバルコニーから見下ろす殿下の姿は、なかなかに滑稽です。
「ふざけるな……! 貴様が……貴様が、勝手にパーティーを抜け出すから……!」
「抜け出した? 人聞きの悪い。私は正当な『婚約破棄』という契約解除手続きを経て、速やかに職場、もとい婚約者の座を辞しただけですわ。それに殿下、追放される側は早めに立ち去るのがマナーでしょう?」
「追放などと言った覚えはない! 私はただ、婚約を破棄すると言っただけで……いや、それもまだ正式な手続きが……!」
殿下は震える指でこちらを指差しますが、その指先が小刻みに揺れているのは、怒りのせいか、はたまた一晩中馬を飛ばした疲労のせいか。
私はバルコニーからひらりと手を振り、執事に命じて彼を屋敷の中へ入れさせました。
一応、腐っても国の第一王子です。玄関先で野垂れ死なれては、私のトウガラシ畑に風評被害が出かねません。
「……で、わざわざ泥まみれになってまで、何をしにいらしたのですか? 忘れ物なら、あの豪華な婚約指輪でしたら、あそこの噴水に沈めておきましたわよ。洗浄ついでに」
「あ、あの国宝級のダイヤを噴水に……!? 貴様という女は……!」
応接間に通されたシリウス殿下は、差し出された温かい紅茶を一気に飲み干し、ようやく人心地ついたようでした。
しかし、その瞳にはまだ妙な執念の光が宿っています。
「ロザリア、話はまだ終わっていない。昨夜のパーティーでは、罪状の読み上げが途中だった。法治国家として、被告人がすべての罪を認め、それに対する罰を正当に受けるまで、婚約破棄は完了したとは言えん!」
「まあ、殿下ったら。そんなに私の悪事を聞きたいのですか? よほど私に構ってほしいのですね」
「違う! これは手続き上の問題だ! 貴様は私の話を遮り、勝手に自分の罪を捏造して去っていった! あれでは私が一方的に悪者に……いや、とにかく、断罪のやり直しだ!」
殿下はテーブルをドン、と叩きました。
どうやら彼は、自分が主導権を握って、私を完膚なきまでに叩きのめし、その上で私が「ごめんなさい、私がいけなかったわ、もう一度チャンスを!」と泣きつく展開を、どうしても諦めきれないようです。
なんという無駄な情熱でしょう。そのエネルギーを国政に回していただきたいものです。
「わかりました。殿下がお忙しいのは重々承知しております。そこで、私が提案がございますの」
「提案……? なんだ、泣いて謝る準備ができたのか?」
「いえ。殿下が読み上げる時間を短縮するために、私が『罪状のセルフサービス』を行いましたわ。はい、これをご覧ください」
私は、執事に持ってこさせた分厚い書類を、テーブルの上に広げました。
それは、昨夜の馬車の中で私が書き殴った、渾身の「自白書」です。
「……なんだ、これは」
「ロザリア・フォン・アルメリアによる、自作自演を含む全悪行リストです。第一章『殿下のプリンをこっそり食べた罪』から始まり、最終章『殿下の将来を案じてわざと嫌われるような態度をとった罪(捏造)』まで、全百項目にわたって詳しく記載しておりますわ」
殿下は引き攣った顔で、書類の最初の一枚を手に取りました。
「『罪状その四:殿下の誕生日に贈った刺繍入りハンカチに、実は激辛トウガラシの成分を染み込ませておいた。殿下が汗を拭うたびに顔がヒリヒリしたのは私のせいです』……貴様、あれは愛の嫌がらせだったのか!?」
「いいえ、ただの実験です。おかげでトウガラシ成分が皮膚に与える刺激のデータが取れましたわ。はい、次をどうぞ」
「『罪状その十二:殿下が大切に育てていた中庭のバラを、夜中にこっそりトウガラシの苗に植え替えた。赤いからバレないと思った』……バレるわ! 翌朝、庭師が絶叫していたぞ!」
「あら、バレていましたのね。でも、トウガラシの方が実用的でしょう? 観賞用としても美しいですし、何より食べられますもの」
殿下は次々とページをめくり、そのたびに顔色を赤くしたり青くしたりしています。
私はその様子を眺めながら、優雅にスコーンを口に運びました。
自家製のトウガラシジャムをたっぷり塗ったスコーンは、目が覚めるような刺激的なお味です。
「……ロザリア、貴様、これほどのことをしておいて、なぜあんなに堂々としていられるんだ。これだけ罪を重ねれば、婚約破棄どころか、修道院送りか、最悪の場合は国外追放だぞ?」
「ええ、望むところですわ! 国外追放なら、お隣のスパイス王国へ亡命するつもりでした。あそこなら私の才能をもっと評価してくれるはずですもの」
「させんぞ! 貴様のような危険人物、国外に出せるか!」
「では、修道院ですか? あそこの裏庭は土壌が良さそうですから、隠れてトウガラシを育てるには最適ですね。毎日のお祈りも、トウガラシの豊作を願うものに変えれば捗りそうですわ」
私が楽しそうに微笑むと、殿下は頭を抱えて唸り声を上げました。
彼の目算では、私がこれらの罪を突きつけられて絶望するはずだったのでしょう。
しかし、私にとって「罰」とは「自由へのパスポート」に過ぎないのです。
「……認めん。こんなセルフサービスの罪状など、法的な証拠能力はない!」
「ええっ、せっかく徹夜で書いたのに! 殿下、わがままを言わないでください。ここに私のサインと指印も押してありますわ。ほら、リリア様との浮気……あ、失礼、『真実の愛』を邪魔した罪も、たっぷり三ページ割いて記述しておきましたから!」
「リリアは……リリアは関係ない! あれは、貴様の気を引くために、リリアに協力してもらって……」
「おっと、殿下。それ以上は言わない方がよろしいですよ? 今さら『あれは嘘でした』なんて言っても、パーティーの出席者全員があなたの『婚約破棄宣言』を聞いてしまったのですから。覆水盆に返らず、トウガラシの辛味は抜けず、ですわ」
私は立ち上がり、窓の外に広がる広大な畑を指差しました。
「見てください、殿下。あの美しい土を。あそこが私の新しい戦場です。王宮の窮屈なドレスも、中身のない夜会も、もう私には必要ありません。私はあそこで、世界一の激辛トウガラシを育て、この国の食文化に革命を起こすのです!」
「ロザリア……貴様、本気なのか……?」
「本気も本気、超マジですわ。……ですから殿下、早くその書類に受理のハンコを押して、王都へ帰ってくださいませ。私、これから種まきに忙しいのです」
私が冷たく言い放つと、殿下はガタッと椅子を蹴って立ち上がりました。
その瞳には、先ほどまでの困惑ではなく、何か恐ろしい決意のようなものが宿っています。
「断る!」
「……はい?」
「この罪状リストは、精査する必要がある。捏造の疑いも強い。よって、私がここに滞在し、貴様の行動を監視しながら、一つ一つ事実確認を行うことにする!」
「はあ!? 何を言っているのですか、殿下。ここは私の領地ですよ? 王子の滞在なんて、警備や食事の準備でどれだけコストがかかると思っているのですか!」
「費用なら王室から出す! 私は帰らんぞ、ロザリア! 貴様が本当の意味で『反省』し、私に対して正当な態度を取るまで、私は一歩もここを動かん!」
シリウス殿下は、まるで子供のように胸を張って宣言しました。
まさかの居座り宣言。
婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか元婚約者の家に立てこもるという、前代未聞の事態です。
「……執事、殿下を客間に。一番日当たりの悪い、トウガラシの乾燥部屋の隣の部屋に案内してちょうだい」
「承知いたしました、お嬢様」
「ふん、どんな部屋でも構わん! 私は諦めないからな、ロザリア!」
鼻息荒く去っていく殿下の背中を見送りながら、私は深いため息をつきました。
自由を手に入れたはずが、なぜか一番面倒な「おまけ」が付いてきてしまったようです。
「……まあいいわ。人手が一人増えたと思えば。殿下には明日から、トウガラシの苗に虫がつかないか、二十四時間体制で見張ってもらいましょう」
こうして、私の優雅なはずの隠居生活は、早くも暗雲、ならぬ「激辛の予感」に包まれることになったのでした。
朝日がアルメリア公爵領の緑豊かな大地を照らす中、我が家の玄関先には、およそ王族とは思えないほどボロボロになった殿下が立っておりました。
自慢の銀髪は乱れ、泥が跳ね、息は絶え絶え。
愛馬も心なしか「うちの主人が無茶してすみません」という顔で項垂れています。
「殿下、おはようございます。ずいぶんと斬新なファッションでのお越しですね。王都では今、泥パックを全身に施すのが流行りなのですか?」
私は、長旅の疲れも見せず、涼しい顔でティーカップを傾けました。
屋敷のバルコニーから見下ろす殿下の姿は、なかなかに滑稽です。
「ふざけるな……! 貴様が……貴様が、勝手にパーティーを抜け出すから……!」
「抜け出した? 人聞きの悪い。私は正当な『婚約破棄』という契約解除手続きを経て、速やかに職場、もとい婚約者の座を辞しただけですわ。それに殿下、追放される側は早めに立ち去るのがマナーでしょう?」
「追放などと言った覚えはない! 私はただ、婚約を破棄すると言っただけで……いや、それもまだ正式な手続きが……!」
殿下は震える指でこちらを指差しますが、その指先が小刻みに揺れているのは、怒りのせいか、はたまた一晩中馬を飛ばした疲労のせいか。
私はバルコニーからひらりと手を振り、執事に命じて彼を屋敷の中へ入れさせました。
一応、腐っても国の第一王子です。玄関先で野垂れ死なれては、私のトウガラシ畑に風評被害が出かねません。
「……で、わざわざ泥まみれになってまで、何をしにいらしたのですか? 忘れ物なら、あの豪華な婚約指輪でしたら、あそこの噴水に沈めておきましたわよ。洗浄ついでに」
「あ、あの国宝級のダイヤを噴水に……!? 貴様という女は……!」
応接間に通されたシリウス殿下は、差し出された温かい紅茶を一気に飲み干し、ようやく人心地ついたようでした。
しかし、その瞳にはまだ妙な執念の光が宿っています。
「ロザリア、話はまだ終わっていない。昨夜のパーティーでは、罪状の読み上げが途中だった。法治国家として、被告人がすべての罪を認め、それに対する罰を正当に受けるまで、婚約破棄は完了したとは言えん!」
「まあ、殿下ったら。そんなに私の悪事を聞きたいのですか? よほど私に構ってほしいのですね」
「違う! これは手続き上の問題だ! 貴様は私の話を遮り、勝手に自分の罪を捏造して去っていった! あれでは私が一方的に悪者に……いや、とにかく、断罪のやり直しだ!」
殿下はテーブルをドン、と叩きました。
どうやら彼は、自分が主導権を握って、私を完膚なきまでに叩きのめし、その上で私が「ごめんなさい、私がいけなかったわ、もう一度チャンスを!」と泣きつく展開を、どうしても諦めきれないようです。
なんという無駄な情熱でしょう。そのエネルギーを国政に回していただきたいものです。
「わかりました。殿下がお忙しいのは重々承知しております。そこで、私が提案がございますの」
「提案……? なんだ、泣いて謝る準備ができたのか?」
「いえ。殿下が読み上げる時間を短縮するために、私が『罪状のセルフサービス』を行いましたわ。はい、これをご覧ください」
私は、執事に持ってこさせた分厚い書類を、テーブルの上に広げました。
それは、昨夜の馬車の中で私が書き殴った、渾身の「自白書」です。
「……なんだ、これは」
「ロザリア・フォン・アルメリアによる、自作自演を含む全悪行リストです。第一章『殿下のプリンをこっそり食べた罪』から始まり、最終章『殿下の将来を案じてわざと嫌われるような態度をとった罪(捏造)』まで、全百項目にわたって詳しく記載しておりますわ」
殿下は引き攣った顔で、書類の最初の一枚を手に取りました。
「『罪状その四:殿下の誕生日に贈った刺繍入りハンカチに、実は激辛トウガラシの成分を染み込ませておいた。殿下が汗を拭うたびに顔がヒリヒリしたのは私のせいです』……貴様、あれは愛の嫌がらせだったのか!?」
「いいえ、ただの実験です。おかげでトウガラシ成分が皮膚に与える刺激のデータが取れましたわ。はい、次をどうぞ」
「『罪状その十二:殿下が大切に育てていた中庭のバラを、夜中にこっそりトウガラシの苗に植え替えた。赤いからバレないと思った』……バレるわ! 翌朝、庭師が絶叫していたぞ!」
「あら、バレていましたのね。でも、トウガラシの方が実用的でしょう? 観賞用としても美しいですし、何より食べられますもの」
殿下は次々とページをめくり、そのたびに顔色を赤くしたり青くしたりしています。
私はその様子を眺めながら、優雅にスコーンを口に運びました。
自家製のトウガラシジャムをたっぷり塗ったスコーンは、目が覚めるような刺激的なお味です。
「……ロザリア、貴様、これほどのことをしておいて、なぜあんなに堂々としていられるんだ。これだけ罪を重ねれば、婚約破棄どころか、修道院送りか、最悪の場合は国外追放だぞ?」
「ええ、望むところですわ! 国外追放なら、お隣のスパイス王国へ亡命するつもりでした。あそこなら私の才能をもっと評価してくれるはずですもの」
「させんぞ! 貴様のような危険人物、国外に出せるか!」
「では、修道院ですか? あそこの裏庭は土壌が良さそうですから、隠れてトウガラシを育てるには最適ですね。毎日のお祈りも、トウガラシの豊作を願うものに変えれば捗りそうですわ」
私が楽しそうに微笑むと、殿下は頭を抱えて唸り声を上げました。
彼の目算では、私がこれらの罪を突きつけられて絶望するはずだったのでしょう。
しかし、私にとって「罰」とは「自由へのパスポート」に過ぎないのです。
「……認めん。こんなセルフサービスの罪状など、法的な証拠能力はない!」
「ええっ、せっかく徹夜で書いたのに! 殿下、わがままを言わないでください。ここに私のサインと指印も押してありますわ。ほら、リリア様との浮気……あ、失礼、『真実の愛』を邪魔した罪も、たっぷり三ページ割いて記述しておきましたから!」
「リリアは……リリアは関係ない! あれは、貴様の気を引くために、リリアに協力してもらって……」
「おっと、殿下。それ以上は言わない方がよろしいですよ? 今さら『あれは嘘でした』なんて言っても、パーティーの出席者全員があなたの『婚約破棄宣言』を聞いてしまったのですから。覆水盆に返らず、トウガラシの辛味は抜けず、ですわ」
私は立ち上がり、窓の外に広がる広大な畑を指差しました。
「見てください、殿下。あの美しい土を。あそこが私の新しい戦場です。王宮の窮屈なドレスも、中身のない夜会も、もう私には必要ありません。私はあそこで、世界一の激辛トウガラシを育て、この国の食文化に革命を起こすのです!」
「ロザリア……貴様、本気なのか……?」
「本気も本気、超マジですわ。……ですから殿下、早くその書類に受理のハンコを押して、王都へ帰ってくださいませ。私、これから種まきに忙しいのです」
私が冷たく言い放つと、殿下はガタッと椅子を蹴って立ち上がりました。
その瞳には、先ほどまでの困惑ではなく、何か恐ろしい決意のようなものが宿っています。
「断る!」
「……はい?」
「この罪状リストは、精査する必要がある。捏造の疑いも強い。よって、私がここに滞在し、貴様の行動を監視しながら、一つ一つ事実確認を行うことにする!」
「はあ!? 何を言っているのですか、殿下。ここは私の領地ですよ? 王子の滞在なんて、警備や食事の準備でどれだけコストがかかると思っているのですか!」
「費用なら王室から出す! 私は帰らんぞ、ロザリア! 貴様が本当の意味で『反省』し、私に対して正当な態度を取るまで、私は一歩もここを動かん!」
シリウス殿下は、まるで子供のように胸を張って宣言しました。
まさかの居座り宣言。
婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか元婚約者の家に立てこもるという、前代未聞の事態です。
「……執事、殿下を客間に。一番日当たりの悪い、トウガラシの乾燥部屋の隣の部屋に案内してちょうだい」
「承知いたしました、お嬢様」
「ふん、どんな部屋でも構わん! 私は諦めないからな、ロザリア!」
鼻息荒く去っていく殿下の背中を見送りながら、私は深いため息をつきました。
自由を手に入れたはずが、なぜか一番面倒な「おまけ」が付いてきてしまったようです。
「……まあいいわ。人手が一人増えたと思えば。殿下には明日から、トウガラシの苗に虫がつかないか、二十四時間体制で見張ってもらいましょう」
こうして、私の優雅なはずの隠居生活は、早くも暗雲、ならぬ「激辛の予感」に包まれることになったのでした。
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