断罪されているはずが、なぜか殿下が追いかけてくる

萩月

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「……何だ、この地獄絵図は」

 アルメリア公爵家の重厚な門を潜り、領地へと戻ってきた我が父、アルメリア公爵。
 彼は馬車から降りた瞬間、その場に石像のように固まりました。

 無理もありません。
 彼が愛した自慢の庭園は、今や一面「真っ赤な実」をつけた植物に占拠されています。
 さらにその中央では、第一王子が泥まみれでクワを振り、第二王子が白衣のようなものを着て顕微鏡を覗き込み、そして男爵令嬢がトウガラシをそのまま齧って「……甘いわ」と呟いているのですから。

「お父様、お帰りなさいませ。王都での公務、お疲れ様でしたわ」

 私は、作業用エプロンの泥を軽く払い、優雅に……かつ実務的な速さで父の元へ歩み寄りました。

「ロザリア……。お前、王都で婚約破棄をされたと聞いて、慌てて戻ってきたのだが……。なぜ我が家の庭で、王国の至宝たる殿下たちが農作業に勤しんでいるのだ?」

「ああ、それは話せば長くなりますわ。一言で言えば『共同研究』ですわね。殿下たちは、我が家のトウガラシが持つ『国家戦略的価値』に気づいてしまわれたのです」

「……国家戦略的価値だと? ただの辛い野菜だろう?」

 父が眉間に皺を寄せたその時、シリウス殿下がクワを放り出し、汗を拭いながら駆け寄ってきました。

「公爵! 戻られたか! 素晴らしいぞ、貴殿の娘は! この赤い実一つで、私は『自分自身の弱さ』を克服し、大地と共に生きる喜びを知った!」

「殿下……。その、お姿は一体……。お顔のその、真っ赤なシミは何です?」

「これはシミではない! トウガラシの精油を浴びた『勲章』だ! 公爵、頼む、あと数ヘクタールほど、私に自由に使える畝(うね)を貸してくれ!」

 父は、かつて冷徹と謳われた第一王子のあまりの変貌ぶりに、眩暈を起こしたようにフラリとよろけました。
 そこに、さらに追い打ちをかけるようにカイル殿下が近づいてきます。

「公爵。兄上の情緒的な発言は無視してください。重要なのは数値です。このアルメリア産トウガラシに含まれる特殊成分は、兵士の集中力を三倍に高め、さらに冬場の行軍における体温低下を劇的に抑制する可能性がある。これは、軍事バランスを塗り替える発明ですよ」

「カ、カイル殿下まで……。お二人とも、正気なのですか……?」

「正気ですよ、お父様」

 私は父の腕をそっと取り、温室へと案内しました。

「婚約破棄をされた当初、私は絶望……する間もなく、この事業の可能性に賭けました。見てください、この騎士たちの顔を。王都から連れ戻しに来たはずの彼らが、今やトウガラシなしでは食事が喉を通らないと言って、自発的に畑の警備と収穫を手伝っているのですわ」

 父の視線の先には、鎧の上にエプロンをつけた騎士たちが、真剣な顔で「これはまだ色が薄い」「いや、こっちの方が殺意が高い」などと議論しながら、丁寧に実を摘み取っている姿がありました。

「……騎士団が、農作業を……。私の知っている騎士道とは、随分と形が違うようだが……」

「形なんてどうでもよろしいのです。大事なのは、このトウガラシが『売れる』ということですわ。すでにお隣のスパイス王国からは、先行投資として金貨五千枚の打診が来ております」

「……ご、五千枚!? たかが、これだけでか?」

 父の目が、貴族として……ではなく、領主としての鋭さを取り戻しました。
 五千枚。それはアルメリア領の年間税収に匹敵する額です。

「ええ。ですが、私は断りました。五千枚なんて安すぎます。このトウガラシは、いずれ大陸全土の食卓を支配する……いえ、熱狂させることになりますから。私たちは、その独占販売権を握るのですわ」

「ロザリア、お前……。婚約破棄されて、ショックで頭が……と思っていたが、むしろ商才が爆発しているのか?」

「ショックなんて、種一粒分もございませんわ。むしろ殿下たちがこうして『広告塔』として泥を被ってくださるおかげで、ブランド価値は爆上がりです。ねえ、シリウス殿下?」

「もちろんだ! 私が認めた最強のトウガラシだとなれば、誰も文句は言えまい!」

 シリウス殿下が、真っ赤な顔でグッと親指を立てました。
 
 父はしばらくの間、泥だらけの王子二人と、生き生きとした娘を交互に見つめていましたが、やがて深く、重いため息をつきました。

「……わかった。もう、好きにしろ。王都には私から『殿下たちは高度な国家プロジェクトに従事中である』と報告しておく。だが、ロザリア」

「はい、何でしょう」

「その、トウガラシとやら……。私にも、一口だけ食わせてみろ。お前たちがそれほどまでにおかしくなる理由を、この舌で確かめてやる」

 私は、待ってましたとばかりに、背後に隠し持っていた「特製・公爵様専用トウガラシの肉詰め」を差し出しました。
 
「……ほう、香りは悪くないな。見た目はただの野菜だが……」

 父は、貴族らしい洗練された所作で、それを一口、ガブリと齧りました。

「…………っ!!」

「お父様?」

「………………ッ、…………ッッ!!」

 父の顔が、瞬く間に熟したトマトのように赤くなりました。
 額から噴き出す汗。見開かれた目。
 数秒の間、父は呼吸を忘れ、宇宙の真理を悟ったような顔で固まっていました。

「……あ。あぁ……。熱い。喉の奥に、火龍が住み着いたようだ。……だが、何だ、この清涼感は……。腹の底から、力が……。かつて戦場を駆けていた頃の、あの野心と情熱が、蘇ってくるようだ……!」

「お父様! 目覚めましたのね!」

「ロザリア! 今すぐ、北側の休耕地をすべて開放しろ! 肥料は惜しむな! 私の私財をすべて、この赤い実に投じる! ……これが、これこそがアルメリア公爵家の、新たな、そして最強の『武器』になるのだ!」

 父は、先ほどまでの困惑をどこへやら、シリウス殿下からクワを奪い取ると、自ら畑へと飛び込んでいきました。

「……あらあら。お父様まで、あんなに張り切って。……リリア様、ご覧になって?」

「……ええ。ロザリア様。公爵家は、もう救いようがありませんわね。……ふふ、最高ですわ。さあ、私にはもっと、あの『脳を揺さぶるやつ』をいただけますかしら?」

 リリア様も、優雅にトウガラシを齧りながら微笑みます。

 
 公爵、王子二人、令嬢、そして騎士団。
 
 もはやここは公爵領ではなく、王国最大の「激辛軍事拠点」と化していました。
 私の静かな隠居生活は、どこか遠い異次元へと消え去りましたが、代わりに手に入れたのは、世界を赤く染めるための圧倒的な戦力。

「……さて。次は、王都にある『陛下のお口』を、どうやって真っ赤に染めて差し上げましょうかしら?」

 
 私の野望は、トウガラシの成長速度を上回る勢いで、熱く、激しく燃え広がっていくのでした。
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