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「……ロザリア。少し、二人だけで話せないだろうか」
真っ赤に実ったトウガラシの森(かつてはバラ園だった場所)の中で、シリウス殿下が神妙な面持ちで私に声をかけてきました。
その顔は、農作業による健康的な日焼けと、トウガラシの刺激による絶え間ない発汗で、異様なツヤを放っています。
かつての冷徹な王子の面影はどこへやら、今の彼は「情熱の塊」そのものです。
「あら、改まってどうされましたの? 新しい肥料の配合についてでしたら、今あちらでお父様がカイル殿下と『牛糞か馬糞か』で熱い議論を交わしていらっしゃいますわよ」
「そんな話ではない! ……いや、それも重要だが、今はもっと……個人的な、我々二人の未来に関する話だ」
シリウス殿下は、泥のついた手で私の肩を掴もうとして、一瞬躊躇してから手を引っ込めました。
どうやら、トウガラシを触った手で不用意に私に触れると、肌が炎症を起こすと学習したようです。素晴らしい進歩ですわ。
「未来、ですの? ああ、わかりますわ。来期の収穫量の予測ですね。私も先ほど計算してみましたが、王都の胃袋を完全に掌握するには、あと三つほど山を切り拓く必要がありますわね」
「違う! ……ロザリア、その、あの夜のことだ。卒業パーティーでの『婚約破棄』……あれは、その、無効にできないだろうか」
「…………はい?」
私は、手に持っていた収穫用のハサミを落としそうになりました。
今、このお方は何とおっしゃいました?
「無効? 殿下、それは何かの冗談かしら。あの日、あんなに大勢の前で、あんなに朗々と、あんなに楽しそうに宣言されたではありませんか。『真実の愛を見つけた!』とかなんとか」
「あれは……その、周りの連中が『一度突き放せば彼女は泣いて縋ってくるはずだ』とか『ツンデレの極みだ』とか、わけのわからぬアドバイスをしてきたからで……。リリアだって協力してくれただけで、彼女とはただの激辛仲間だろう!」
「理由なんてどうでもよろしいのです。結果として、私の婚約者という肩書きは、あの瞬間に華麗に爆散いたしました。……おかげで私は、こうして自由にトウガラシと戯れる日々を手に入れたのですわよ?」
私は、愛おしい真っ赤な実を一つ、撫でるように指でなぞりました。
「殿下、一度吐き出した言葉は、一度飲み込んだトウガラシの辛味と同じ。消すことはできませんわ。……それに、私はもう『返品』を受け付けるつもりはありませんの」
「返品だと!? 私を不良品扱いするか、貴様は!」
「ええ。心変わりが激しく、周囲の意見に流されやすく、挙句の果てに元婚約者の領地に居座る王子様なんて、超特等の一級品……というわけにはいきませんでしょう? 公爵家としても、そんなリスクの高い商品は在庫として抱えておけませんわ」
私が冷たく言い放つと、シリウス殿下はガックリと膝をつきました。
「……そんな。私は、この領地で貴様と共に土にまみれ、共に激辛料理を囲んでいるうちに、気づいてしまったのだ。王宮の着飾った貴様よりも、クワを持って『根こそぎ抜いてやるわ!』と叫んでいる今の貴様の方が、百倍も魅力的に見えるということに……!」
「……褒め言葉として受け取っておきますが、お断りです。私は今、人生で一番幸せなんですの。誰の顔色もうかがわず、ただトウガラシの成長だけを願って眠りにつく。この平穏を、またあのドロドロした王宮の社交界に売り渡すなんて、正気の沙汰ではありませんわ」
「社交界など行かなくていい! 私が王になったら、王宮の中庭をすべてトウガラシ畑にしてやる! 晩餐会はすべて麻婆豆腐だ! それで不満はあるか!」
「……国家予算を何だと思っているのですか、このバカ王子様は」
私は呆れて、天を仰ぎました。
このお方、どうやら「激辛」の刺激で脳のブレーキが完全に壊れてしまったようです。
かつての冷徹王子はどこへ行ったのでしょう。
「兄上。見苦しいですよ。ロザリア様に拒絶されているのがわからないのですか」
背後から、冷ややかな声が響きました。
カイル殿下です。彼はいつの間にか、泥跳ね一つない完璧な作業着姿で、分厚い書類を小脇に抱えて立っていました。
「カイル! 貴様、聞いていたのか!」
「ええ。あまりにも声が大きいので、隣の畝まで丸聞こえでした。……ロザリア様。兄上のような不安定な個体よりも、私との『独占販売契約』を結びませんか? もちろん、その付帯条項として、私の『終身専属パートナー』という項目を加えていただいても構いませんよ」
「カイル、貴様もか!! お前は効率重視じゃなかったのか!」
「ええ、効率を重視した結果です。ロザリア様という唯一無二の供給源を確保することは、私の人生における最大利得であるという結論に達しました。愛だの恋だのという不確実な言葉ではなく、強固な契約(マリッジ)で結ばれるべきです」
「……お二人とも、トウガラシの成分が脳に回りすぎですわ」
私は二人の王子の間に割って入り、腰に手を当てました。
「いいですか、殿下たち。今の私は、恋愛よりもビジネスに忙しいのです。この領地を世界一の激辛拠点にするという野望があるのです。……ですから、婚約だの結婚だのという甘いお話は、せめてトウガラシの砂糖漬けでも完成させてからになさってくださいませ」
「……トウガラシの砂糖漬け? それは、新しい刺激の形ですか?」
シリウス殿下が、涙目になりながらも食いついてきました。
「ええ。甘みの中に潜む、爆発的な辛味。……それを作るには、まだ数年は研究が必要ですわ。……ですから、お二人とも。そんなに私と一緒にいたいのでしたら、まずはあそこの休耕地の開墾を終わらせてきてくださいませ。話はそれからですわよ」
「……わ、わかった! 開墾だな! 任せておけ、私の根性で明日には終わらせてやる!」
「……不本意ですが、兄上の労働力を最大限に活用しつつ、私も私のやり方で成果を出しましょう。ロザリア様、期待していてください」
二人の王子は、まるで競走馬のように、鼻息荒く荒野へと駆けていきました。
その背中を見送りながら、私はふう、と深くため息をつきました。
「……たく、王子二人を顎で使い倒すなんて。私こそ、本当の『悪役』かもしれませんわね」
「ふふ、いいではありませんか。あの方たち、あんなに楽しそうなんですもの」
リリア様が、いつの間にか私の隣に並んで、真っ赤な実を美味しそうに齧っていました。
「ロザリア様。……でも、少しだけ気をつけてくださいね。あの二人、本当に貴女のことが好きみたいですから。……トウガラシと同じで、一度ハマると抜け出せない呪いにかかってしまったようですわよ?」
「……勘弁してくださいませ。私はただ、平和に辛いものが食べたいだけですのに」
婚約破棄を言い渡した本人が、婚約破棄の取り消しを求める。
そんな矛盾に満ちた喜劇が繰り広げられるアルメリア領。
私の「自由」は守られつつも、周囲の「熱狂」はますます温度を上げていくのでした。
真っ赤に実ったトウガラシの森(かつてはバラ園だった場所)の中で、シリウス殿下が神妙な面持ちで私に声をかけてきました。
その顔は、農作業による健康的な日焼けと、トウガラシの刺激による絶え間ない発汗で、異様なツヤを放っています。
かつての冷徹な王子の面影はどこへやら、今の彼は「情熱の塊」そのものです。
「あら、改まってどうされましたの? 新しい肥料の配合についてでしたら、今あちらでお父様がカイル殿下と『牛糞か馬糞か』で熱い議論を交わしていらっしゃいますわよ」
「そんな話ではない! ……いや、それも重要だが、今はもっと……個人的な、我々二人の未来に関する話だ」
シリウス殿下は、泥のついた手で私の肩を掴もうとして、一瞬躊躇してから手を引っ込めました。
どうやら、トウガラシを触った手で不用意に私に触れると、肌が炎症を起こすと学習したようです。素晴らしい進歩ですわ。
「未来、ですの? ああ、わかりますわ。来期の収穫量の予測ですね。私も先ほど計算してみましたが、王都の胃袋を完全に掌握するには、あと三つほど山を切り拓く必要がありますわね」
「違う! ……ロザリア、その、あの夜のことだ。卒業パーティーでの『婚約破棄』……あれは、その、無効にできないだろうか」
「…………はい?」
私は、手に持っていた収穫用のハサミを落としそうになりました。
今、このお方は何とおっしゃいました?
「無効? 殿下、それは何かの冗談かしら。あの日、あんなに大勢の前で、あんなに朗々と、あんなに楽しそうに宣言されたではありませんか。『真実の愛を見つけた!』とかなんとか」
「あれは……その、周りの連中が『一度突き放せば彼女は泣いて縋ってくるはずだ』とか『ツンデレの極みだ』とか、わけのわからぬアドバイスをしてきたからで……。リリアだって協力してくれただけで、彼女とはただの激辛仲間だろう!」
「理由なんてどうでもよろしいのです。結果として、私の婚約者という肩書きは、あの瞬間に華麗に爆散いたしました。……おかげで私は、こうして自由にトウガラシと戯れる日々を手に入れたのですわよ?」
私は、愛おしい真っ赤な実を一つ、撫でるように指でなぞりました。
「殿下、一度吐き出した言葉は、一度飲み込んだトウガラシの辛味と同じ。消すことはできませんわ。……それに、私はもう『返品』を受け付けるつもりはありませんの」
「返品だと!? 私を不良品扱いするか、貴様は!」
「ええ。心変わりが激しく、周囲の意見に流されやすく、挙句の果てに元婚約者の領地に居座る王子様なんて、超特等の一級品……というわけにはいきませんでしょう? 公爵家としても、そんなリスクの高い商品は在庫として抱えておけませんわ」
私が冷たく言い放つと、シリウス殿下はガックリと膝をつきました。
「……そんな。私は、この領地で貴様と共に土にまみれ、共に激辛料理を囲んでいるうちに、気づいてしまったのだ。王宮の着飾った貴様よりも、クワを持って『根こそぎ抜いてやるわ!』と叫んでいる今の貴様の方が、百倍も魅力的に見えるということに……!」
「……褒め言葉として受け取っておきますが、お断りです。私は今、人生で一番幸せなんですの。誰の顔色もうかがわず、ただトウガラシの成長だけを願って眠りにつく。この平穏を、またあのドロドロした王宮の社交界に売り渡すなんて、正気の沙汰ではありませんわ」
「社交界など行かなくていい! 私が王になったら、王宮の中庭をすべてトウガラシ畑にしてやる! 晩餐会はすべて麻婆豆腐だ! それで不満はあるか!」
「……国家予算を何だと思っているのですか、このバカ王子様は」
私は呆れて、天を仰ぎました。
このお方、どうやら「激辛」の刺激で脳のブレーキが完全に壊れてしまったようです。
かつての冷徹王子はどこへ行ったのでしょう。
「兄上。見苦しいですよ。ロザリア様に拒絶されているのがわからないのですか」
背後から、冷ややかな声が響きました。
カイル殿下です。彼はいつの間にか、泥跳ね一つない完璧な作業着姿で、分厚い書類を小脇に抱えて立っていました。
「カイル! 貴様、聞いていたのか!」
「ええ。あまりにも声が大きいので、隣の畝まで丸聞こえでした。……ロザリア様。兄上のような不安定な個体よりも、私との『独占販売契約』を結びませんか? もちろん、その付帯条項として、私の『終身専属パートナー』という項目を加えていただいても構いませんよ」
「カイル、貴様もか!! お前は効率重視じゃなかったのか!」
「ええ、効率を重視した結果です。ロザリア様という唯一無二の供給源を確保することは、私の人生における最大利得であるという結論に達しました。愛だの恋だのという不確実な言葉ではなく、強固な契約(マリッジ)で結ばれるべきです」
「……お二人とも、トウガラシの成分が脳に回りすぎですわ」
私は二人の王子の間に割って入り、腰に手を当てました。
「いいですか、殿下たち。今の私は、恋愛よりもビジネスに忙しいのです。この領地を世界一の激辛拠点にするという野望があるのです。……ですから、婚約だの結婚だのという甘いお話は、せめてトウガラシの砂糖漬けでも完成させてからになさってくださいませ」
「……トウガラシの砂糖漬け? それは、新しい刺激の形ですか?」
シリウス殿下が、涙目になりながらも食いついてきました。
「ええ。甘みの中に潜む、爆発的な辛味。……それを作るには、まだ数年は研究が必要ですわ。……ですから、お二人とも。そんなに私と一緒にいたいのでしたら、まずはあそこの休耕地の開墾を終わらせてきてくださいませ。話はそれからですわよ」
「……わ、わかった! 開墾だな! 任せておけ、私の根性で明日には終わらせてやる!」
「……不本意ですが、兄上の労働力を最大限に活用しつつ、私も私のやり方で成果を出しましょう。ロザリア様、期待していてください」
二人の王子は、まるで競走馬のように、鼻息荒く荒野へと駆けていきました。
その背中を見送りながら、私はふう、と深くため息をつきました。
「……たく、王子二人を顎で使い倒すなんて。私こそ、本当の『悪役』かもしれませんわね」
「ふふ、いいではありませんか。あの方たち、あんなに楽しそうなんですもの」
リリア様が、いつの間にか私の隣に並んで、真っ赤な実を美味しそうに齧っていました。
「ロザリア様。……でも、少しだけ気をつけてくださいね。あの二人、本当に貴女のことが好きみたいですから。……トウガラシと同じで、一度ハマると抜け出せない呪いにかかってしまったようですわよ?」
「……勘弁してくださいませ。私はただ、平和に辛いものが食べたいだけですのに」
婚約破棄を言い渡した本人が、婚約破棄の取り消しを求める。
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