断罪されているはずが、なぜか殿下が追いかけてくる

萩月

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「止まれッ! この悪逆無道なる公爵令嬢ロザリア! 我が兄たちを毒牙にかけ、あまつさえ泥にまみれさせるとは……万死に値するぞ!」


 アルメリア領ののどかな午後に、雷鳴のような叫び声が轟きました。
 砂塵を巻き上げて現れたのは、黄金の装飾がこれでもかと施された、成金趣味……失礼、大変豪華な王家の馬車。
 そこから飛び出してきたのは、燃えるような赤い髪を逆立て、白銀の甲冑を揺らす美少年でした。


「あらあら。次から次へと、賑やかなことですわね」


 私は、収穫したばかりのトウガラシを天日干しにする作業を中断し、扇を広げました。
 現れたのは、第三王子レオナルト殿下。
 シリウス殿下、カイル殿下の下の弟君であり、王立騎士団の若き俊英として知られる「脳筋……いえ、直情型」の王子様です。


「ロザリア! 貴様、兄上たちにどんな禁忌の魔法をかけた! 見ろ、あそこで虚ろな目で土を弄っている不審な男を! あれが、我が国の誇る第一王子シリウス兄上だというのか!」


 レオナルト殿下が指差した先には、上半身裸で「……この赤み、まさに情熱の権現……」と呟きながら、トウガラシの苗に話しかけているシリウス殿下の姿がありました。


「レオか。うるさいぞ。今、トウガラシが眠りにつこうとしているところだ。声を落とせ」


「兄上ぇっ!? その泥だらけの姿、そしてその締まりのない顔! まさか、人格を入れ替えられたのか!?」


「失礼な。私は今、かつてないほど『自分』というものを確立している。レオ、お前もそんな重苦しい鎧を脱いで、この大地の温もりを感じてみろ。世界が変わるぞ」


 シリウス殿下が、泥だらけの手を広げて弟を誘いました。
 レオナルト殿下は悲鳴を上げて一歩後退ります。
 そこに、背後から音もなくカイル殿下が近づいてきました。


「レオナルト。君の到着は、私の計算よりも十五分早い。……それほどまでに、兄たちを連れ戻したかったのですか? それとも、王宮の執務がそんなに嫌だったのですか?」


「カイル兄上まで……! その奇妙な眼鏡……いえ、防護ゴーグルは何です!? それにその、手に持っている『激辛成分抽出中』という怪しげな瓶は!」


「これは、人類の進化の鍵ですよ、レオ。……君も、論理的に物事を考えられるなら、この赤い果実が持つ『可能性』に気づくはずです。さあ、こちらに来て成分分析を手伝いなさい」


「嫌だ! 私は……私は、魔女ロザリアの手から、兄上たちを救い出しに来たのだ! 覚悟しろ、ロザリア! その卑劣な『洗脳』を解くために、私は……!」


 レオナルト殿下が、腰の剣に手をかけました。
 近衛騎士団がざわつきます。
 私は、困ったように溜息をつき、リリア様の方を振り返りました。


「リリア様。どうしましょう? レオナルト殿下、あんなに張り切っていらっしゃいますけれど」


「ふふ、ロザリア様。あの子は、一度思い込んだら人の話を聞きませんから。……でも、大丈夫ですわよ。あの子の胃袋は、お兄様方よりもずっと『正直』ですから」


 リリア様が、意味深に微笑みました。
 私は頷き、レオナルト殿下に向かって一歩踏み出しました。


「殿下。剣を抜く前に、一つだけお聞きくださいませ。殿下は、真の勇気とは何だと思われますか?」


「何……? 真の勇気だと?」


「ええ。強敵に立ち向かうこと? 愛する人を守ること? ……いいえ、違います。真の勇気とは、『未知なる衝撃』を受け入れ、それを己の糧にすることですわ」


 私は、控えていた執事に目配せをしました。
 運ばれてきたのは、真っ赤な……あまりにも真っ赤な、ドロリとした液体が並々と注がれた大皿。
 それと、炊きたての白いご飯。


「これは、我が領が誇る『暗黒激辛・レッドカレー』ですわ。もし、これをお召し上がりになっても殿下の意志が変わらないのでしたら、私は謹んで首を差し出しましょう」


「……カレー? ただの食事で、私の決意が揺らぐと思っているのか! いいだろう、受けて立つ! その毒物、私が一滴残らず殲滅してやる!」


 レオナルト殿下は、勢いよくテーブルに着きました。
 シリウス殿下とカイル殿下が、憐れみの視線を弟に送っているのにも気づかずに。


「レオ、やめておけ。それは……戦いではない。審判だ」


「兄上、静かに。……彼の主観的な現実が、今から物理的に崩壊する瞬間を、データとして記録しておかなければ」


 そんな兄たちの言葉を無視し、レオナルト殿下はスプーンを大きく動かし、一口、その赤い塊を口に放り込みました。


「…………」


 一瞬の静寂。
 レオナルト殿下の動きが、石像のように止まりました。


「……ふん、たわいもない。少しばかり舌がピリつくだけではない……」


 強がりの言葉を最後まで紡ぐことは、できませんでした。
 直後、彼の顔が……文字通り、茹で上がった海老のように、真っ赤に変色したからです。


「……ぐ、…………がぁッ!?」


 レオナルト殿下は、ガバッと立ち上がりました。
 しかし、足に力が入らず、そのまま椅子に沈み込みます。


「あ、あつ……! 何だ、これは!? 喉が! 喉に火炎龍が住み着いたのか!? 胃袋の中で、火薬庫が爆発したような……! み、水! 水をくれ!」


「お水はいけませんわ。中和するには、こちらの特製ラッシー……いえ、さらに辛味を増幅させる『追いがけトウガラシ茶』の方が、殿下の勇気を証明できるのではなくて?」


「飲めるかッ!! ぎゃああああ、痛い! 痛いのに……何だ!? この、後から追いかけてくる強烈な旨味は! 肉の甘みが、この地獄のような刺激の中で、宝石のように輝いている……ッ!」


 レオナルト殿下は、涙をボロボロと流しながら、震える手で二口目を運びました。
 一度、その扉を開けてしまえば、もう戻ることはできません。


「……クソっ、負けない……私は、私は王子だ……! この……この『情熱の奔流』に、飲み込まれてたまるか……!」


 格闘すること十分。
 皿は、ピカピカに磨かれたかのように空になっていました。


 レオナルト殿下は、精根尽き果てた様子で、机に突っ伏していました。
 甲冑の中は、おそらく汗で水没していることでしょう。


「……ロザリア。……認めよう。……私の負けだ」


「まあ、殿下。意志は変わりまして?」


「変わったのではない……。上書きされたのだ。……王宮のあの、冷めたコンソメスープなど、もう二度と食べられない体になってしまった……。……兄上たち。……場所を空けてください」


 レオナルト殿下は、ふらふらと立ち上がり、シリウス殿下の隣の畝へと歩いていきました。


「レオ? 何をするつもりだ」


「……決まっているだろう、シリウス兄上。……この『魂の燃料』を、自らの手で作り出すのだ。……私は、今日から騎士であることを辞める。……最強の『トウガラシ守護騎士(スパイシー・ガーディアン)』として、この畑を守り抜く!」


「……ははは! よく言った、レオ! さあ、クワを持て! 今日の開墾ノルマは、まだ半分も終わっていないぞ!」


「おうッ!!」


 
 こうして、王都からの「刺客」は、わずか一皿のカレーによって、忠実な「農奴……いえ、労働力」へと変貌を遂げたのでした。


「……ロザリア様。これで、王子三人が揃いましたわね」


「ええ。人件費ゼロの、最高級の労働力ですわ。……さて、リリア様。そろそろ、王都の食卓を本格的に『侵略』する準備を始めましょうか?」


 
 私の悪役令嬢としての物語は、三人の王子を泥まみれにするという、前代未聞の方向に加速していくのでした。
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