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孔明さんの不本意ありまくりの出廬が近づいてます。

琉璃は、何か覚悟を決めたようです。

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 ボロボロと泣き続け、そのまま寝入ってしまった琉璃りゅうりは、不意にフワッと抱き上げてくれた体の暖かさに目を開く。

「……だ、旦那様……お早いお帰りですね?」
「何を言ってるの? 私は書簡を返して、新しい書簡を受け取った代わりに、代講してきたんだよ。そして、きょうを迎えに行く前に晶瑩しょうえい姉上の屋敷に行って、来ていないと聞いたから、父上の屋敷に行って喬を連れて帰ってみたら、琉璃が倒れてて……」

 顔を覗き込んでくる孔明こうめいの心配そうな顔に、琉璃は微笑む。

「お帰りなさい。旦那様。少しふらついて倒れてしまったみたいです。大丈夫ですよ?」
「どこが大丈夫なの? 真っ青な顔なのに目が赤くなってる……な、何か恐い事があったの? 琉璃」

 夫の鋭い一言に一瞬躊躇うが、思い出したかのように、

「だ、旦那様。き、季常きじょうさんと幼常ようじょうさんが何処かに出仕しゅっしされていて、こちらには滅多に来なくなりましたが、旅好きの士元しげんお兄様と、仕官先を探してらした元直げんちょくお兄様はお元気ですか?」
「琉璃は、話を反らすのが上手いねぇ?」

クスクス笑いながら孔明は、琉璃を抱いたまま家に入っていく。

「士元は江東の子敬しけいどのや兄上、公瑾こうきんどのと良く会われてるそうだよ。で、子敬どのに頼まれて中原ちゅうげん許昌きょしょう……許都きょと長安ちょうあん洛陽らくよう……の辺りまで出向いてるらしいね。今は確か長安かな?」
「ちょ、長安……」

 琉璃は前に孔明に見せて貰った地図を思いだし、その遠さにほっとする。
 その安心した表情に孔明は、珍しくムッとする。

「琉璃。士元を好きなの?」
「大好きです」

 即答する。

 琉璃にとって大好きな人と言うのは、自分を偏見の目で見たり、からかったり、孔明の居ないところで嫌がらせをしない人である。
 その点士元も元直も表裏がなく、その上孔明と士元が交わす激論を、元直は丁寧に噛み砕いて説明してくれるし、士元は士元でフラッと戻ってきては、何故か琉璃に乾菓子を山のようにくれたり、各地の風景や名所の話をしてくれる。

のだが、孔明は不機嫌そうに、

「じゃぁ、元直兄は?」
「大好きです。だって、お二人共旦那様のお友達で、琉璃の事をちゃんと諸葛家の嫁だって言ってくれます。それに捨てられっ子で、運良く旦那様に拾って戴いた上に、お父様の養女になった、過去を隠した私を認めて、一人の人間として扱ってくれます。妹のように可愛がってさえくれます。それだけでも尊敬できますし大好きです。嫌いなんて言えません!」

きっぱりはっきり言い切った琉璃は、微妙な顔になった夫を見上げ、泣き腫らした目を再び潤ませる。

「も、もしかして、最近お二人とも来られないのは、琉璃が何かしてしまったのでしょうか? 怒らせること……も、もしかして……」
「……あ~、それはないよ。えっと、い、今のは、ただの……私の悪い感情だから」

 一瞬、自分より士元か元直の方が好きになってしまったのだと言われたら、どうしようとどす黒い感情に支配されかけた自分を恥じ、笑顔になる。

「琉璃の事を、士元も元直兄も嫌いになったりしないよ。特に士元は会いに来る度に可愛くて綺麗になっていく琉璃を見て『あぁ、勿体無いことをした。あのやせっぽっちで人に怯えてフーフー季常に牙を剥いてた琉璃が、みるみるうちに背が伸びて、綺麗になって、笑顔で話も出来るようになってるんだもんなぁ……しっかしここまで美人で知的で、完璧な嫁。お前良く見つけたよな。この国一の出来た嫁を』とか、この前言ってたしね」
「えっ? そ、そんな! 私はまだまだです。でも、もっと頑張って旦那様のお手伝いをしたかっ……したいです。そ、それに……」

 ぽぽぽっと頬を赤くする。

「き、喬ちゃんに、兄弟を……」
「そうだねぇ……喬も5才だし、お兄ちゃんになるのも良い頃だよね……喬も言ってたし、女の子が私も欲しいな」
「だ、旦那様に似た子だったら可愛いです」

 頬を緩ませる琉璃に、孔明はキョトンとする。

「何言ってるの? 琉璃に似た美少女の子でしょう? 丸いつぶらな目で、目鼻立ちが整っていて、笑顔の可愛い女の子。欲しいなぁ」
「黒い髪と瞳ですか?」
「どうして? 琉璃に瓜二つなんだよ?同じ色が可愛いよ。もう、お父さんも月英げつえいも家族皆大喜びだよ! 何て美少女なんだって」

 ふふっと微笑む夫を見上げ、

「同じで良いですか? 可愛くないかもしれないですよ?」
「そんなはずないじゃない。琉璃に瓜二つなんだよ? 絶対美少女。生まれたらもう嫁に出さないよ。きっと。他にも何人か生まれたら良いね。私は兄弟が多かったから沢山家族が欲しいんだ」

幸せな未来予想図を思い描く孔明を見つめながら、琉璃はある決意を固めていた。
 そしてそれは、決して孔明が思い描く予想図とは違う……その事に心を痛め、俯き唇を噛み締め涙をこぼしたのだった。
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