姫は盤上に立つ

ねむるこ

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あづさゆみ

第十六話 残心(2)

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 牡丹ぼたんが住まうという屋敷は寂しい場所にあった。
 人通りが極端に減っただけではない。
 屋敷を囲っている築地ついじは崩れ、建物の壁もがれ落ち、建物の骨組みが見える。庭も手入れが行き届かずに草が好き放題にえていた。
 
「ここが……牡丹ぼたん様の屋敷?」

 馬を下りたかすみは息を呑んだ。
 もしかしたら化け物の仲間が潜んでいるかもしれない。
 緊張感を胸に霞が屋敷に向かって踏み出すと、それを押しとどめるようにかえでが霞の前に出る。
 草を踏む音が聞こえたのだろうか、屋敷の中から慌ただしく何者かが急いで此方こちらに向かってくる音が聞こえた。
 
「霞様、下がって!」

 そう言って楓が霞をかばうようにして腕を霞の前に伸ばす。霞は足音の主を見極めようと目をらす。

「……貴方達は?」

 姿を現したのは白髪頭の女性だった。顔には深いしわが刻まれ、背は曲がり、老齢の女性であることが分かる。不思議なことに、屋敷はこんなにボロボロなのに身に着けている着物は上等なものだった。
 女性は怪しむような目つきで霞達を見ている。その視線に気が付いた楓が慌てて口を開いた。

「私は白樺の友、蔵人頭くろうどのとうの楓だ。白樺が亡くなり、牡丹様の見舞いに参った」

 それを聞いた女性は自身の目元にそでを引き寄せて涙ぐんだ。

「これはこれは……!よくお越しくださいました!牡丹様は白樺様の訃報ふほうを聞いてとこせっておいでで……」

 霞は白樺の訃報ふほうが知らされていることに驚きつつも、冷静に提案した。

「……牡丹様に目通りすることはできますか?私達も友を失った身。少しでもお心を癒して差し上げたいのです」
左様さようですか……。少しでも姫様の為になるなら。しばしお待ちください」

 霞の言葉に老女ろうじょは大きく頷くと、準備を整えた後で屋敷に入れてくれることになった。
 老女の名はきくと言い、牡丹の世話役として長年この屋敷に住んでいるのだという。
 歩くたびに床がギシギシときしむ。歩いている間も注意深く周囲を見渡すが、人の気配はない。どうやらこの屋敷には菊と牡丹以外に人はいないようだ。

(牡丹様の屋敷に化け物の罠は仕掛けてなさそうね……。それどころか牡丹様の監視役もいないのね)

 やがて一同は屋敷の奥にある部屋の前で足を止めた。

「牡丹様。白樺様のご友人がお見えになりました」

 所々破れた御簾みす越しに、小さな影を見る。

「……よく、おいでくださいました……」

 消え入りそうなか細い声に、霞は心が重たくなった。声の調子、御簾越しから見える線の細い体つきから牡丹の容態ようだいが良くないことが分かる。
 霞達は御簾の前に用意された円座えんざに座ると、すぐに楓が口を開いた。
 
「白樺を失ったこと、本当に悔しく、悲しく思います……」
「私も……しらせを聞いた時は驚きました……。毒矢で自害なされたのですよね?弓矢が好きな白樺様らしいわ……。
まさか白樺様が出世しゅっせのことでそこまで思い詰めていたなんて。白樺様のお側にいられるような女子おなごでありたかった……」

 ゆっくりとした口調で牡丹が話す。霞は悲しみに暮れる牡丹の様子に心を痛ませたが、すぐにあることに気が付いた。

(牡丹様にも『化け物』の存在が伏せられているようね……。無理もないわ。体もお心も弱った状態で白樺様が化け物に操られて殺されたなんて言ったら……。御心をまれてしまう)

 霞達も牡丹のことを案じて白樺の死の真相を明かすことなく、化け物の痕跡を探さなければならない。そのことを悟った霞は楓に目配せすると、楓は小さく頷いてみせた。

「牡丹様、あまり気負わないでください。私達も白樺の側に居ながら何もできなかったのですから……。もっとできることがあったはずなのに」

 そう言って楓が顔をうつむかせる。

「楓様のことは……白樺様から聞いておりました……。とても優秀なお方だと……」
「そうでしたか。そんな風に覚えてくださって、光栄です」

 楓が頭を下げるのを見届けた後、霞は白樺と楓の友人であるかのような口ぶりで話し始めた。

「私も、白樺様の死に大変心痛みました……。楓様と痛みを分かち合うことで何とか気を保っていますが……牡丹様には何方どなたか痛みを分かち合えるお方はいらっしゃいますか?それがとても心配で……」

 霞の問いに牡丹は少し咳き込んだ後で答えた。

「お心遣いありがとうございます。このように、両親もなく交友関係の少ない私ですが、山茶花さざんか様とのふみのやり取りに救われております……。何よりきくがずっと側に居てくれるから」

 そう言って牡丹が御簾の前に座る菊に視線をやると、それに気が付いた菊が話を続けた。

「宮中に戻る途中、山茶花様の牛車ぎっしゃの調子が悪くなりこの屋敷に立ち寄られたあの日から、山茶花様は私達を気に掛けてくだるのです。着物や食べ物だけでなく、姫様の薬なども送ってくださる……。心もお姿も美しい天女てんにょのようなお方なのです!」

 そんな風に目を輝かせながら語った。
 霞は楓から山茶花が牡丹に入内じゅだいすすめているという聞いていたがそんな経緯けいいがあったとは知らなかった。
 山茶花は、有能な者ならば身分に関係なく迎え入れるような柔軟な思考を持った才女さいじょだ。山茶花の周りにいる女房達の中には孤児だった者もいるというから牡丹を支援するのも不思議ではない。

「左様ですか……。それを聞いて安心しました。他にお会いされる方などいますか?」
「体調がいい時は近所に住まう方々とお話しますね。宮中から派遣された使いの者や女房達ぐらいでしょうか。皆、気さくて優しいお方ばかりです……」

 霞は牡丹の返答を聞いて思考を巡らせる。

(牡丹様の周りに怪しい人物はいない?だとしたらどうやって白樺様を脅していたの……?)

 もっと深く思考したいところだが今は牡丹と会話中だ。不自然なことがないように、会話を締めくくる。

「そのお方達とよく話し、気を休めてください。大切な人を失った悲しみから立ち上がるのは難しいことですが……必ず前を向ける日が訪れるでしょう。その日までどうか、心穏やかにお過ごしください」

 霞の言葉は演技でありながらも心にせまるものがあった。それは家族を亡くした霞だからこそ言える言葉だった。情報を引き出すための嘘にまみれた霞だったがその言葉だけはまことに感じられた。
 隣でそれを聞いていた楓は、複雑な心境で霞の横顔を眺める。

「……ありがとうございます。あの……とても心優しい貴方のお名前は?」

 感極まったような牡丹の声色に霞は少し間を開けたあとで、にこやかに答えた。

いつきと申します。以後お見知りおきを」

 霞の隣で楓が目を細めている。その目は「よくもまあ、咄嗟に嘘の名前がでるな」と言っているようで、霞は心の中で得意げな笑みを浮かべていた。

「樹様に楓様。本日は……励ましのお言葉、ありがとうございます。できればまたお会いしたいものです……」
「勿論、私達でよければいつでも姫様にお会いしましょう」

 牡丹のはかなげな声に楓がいつもの軽口かるくちをたたく。

「牡丹様はもうすぐ入内じゅだいされると聞きました。そうしたらすぐにお会いできますよ」

 霞も優しい声色で答える。すると牡丹はくすくすと可愛らしい笑い声を立ててくれた。

「そうだ。牡丹様も入内される身。何かあったら危ないので本日から警護の者をつけるのは如何でしょう?」

 自然な霞の提案に楓は思わず舌を巻く。今、牡丹に危険が無いと分かってもこれから化け物がどう動くか分からない。警護を付けるのが妥当な判断だと思われた。

「そんな……そこまでなさらなくても……」
「そのように手配致しましょう。白樺も心配しているでしょうし」

 楓の明るい声に牡丹が小さく頷く姿が見える。
 牡丹と菊に頭を下げ、屋敷を出た二人は息をいた。霞も緊張をゆるめる。

「結局、化け物の正体は分からず仕舞いだな。こうも宮中から人が派遣されては特定のしようがない……。牡丹様自身がおどしの対象になっていることもご存じないということは化け物と接触していない可能性もある」
「牡丹様と接触していないだけでいつでもどこからでも手を出せるようにしているかあるいは……化け物と知らずに接触しているかのどちらかでしょうね。まず牡丹様の周囲に警護を置いて問題ないでしょう」
生憎あいにく、霞の言う怪しい人物はいなかったぞ!ここに到着してから周囲を警戒していたが誰も近づいてこなかったからな」

 霞と楓が神妙な面持ちで腕組をしているところに、伊吹《いぶき》が片手を上げながら近づいて来た。屋敷に到着してからずっと外で見張りをしてくれていたようだ。

「伊吹!見張っていてくれたのね。ありがとう」
「いや……それより……霞。気になってることがあるんだが少しいいか?」
「何?」

 伊吹が珍しく難しい顔をしているので霞は再び緊張感を高めた。化け物に関して何か気が付いたことがあったのかもしれないと思ったからだ。
 霞の腕を引くと、伊吹は霞の耳元に小声で問いかける。

蔵人頭殿くろうどのとうどのとは、本当に恋人同士じゃないのか?」

 想定外の質問に脱力すると共に、伊吹のどこか不安そうな表情が霞の心に残った。


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