姫は盤上に立つ

ねむるこ

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はるがすみ

第三十九話 第三巻 こころぐるし(3)

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 衛士えじに遠目から止められた霞は思わず顔を歪めてしまう。

(夜遅くに女が出歩くのは良くないことだから面倒ね。できれば顔を合わせたずにやり過ごしたい……)

 霞は歩く速さを落とし、自然と伊吹の着物を引く。伊吹は何事かと体を傾けて霞に耳打ちする。

「どうしんだ。霞」
「伊吹。後ろに隠れさせて」

 一連の様子を眺めていた楓は折角後ろに隠れた霞を前に引っ張りだしてしまう。

「な……何をするのですか」
「そんなにこそこそせずとも……こうすればいい」
「……!」

 そのまま霞の腰に手を当てて、楓の横に並ばせたのだ。霞はすぐにいつもの恋人のフリだと悟る。

(このまま姿を隠してくれれば済むことを……。どうして一々面倒なことばかりするのかしら)

 心の中で非難する。霞はただ顔が見えないよう、深く小袿を深く被ることしかできなかった。

「どなたかと思えば蔵人頭くろうどのとう様ではありませぬか。それと左近衛府さこのえふ殿!」

 駆け寄って来た衛士えじは見知った顔に安堵の表情を浮かべる。

「夜分遅くにすまんな」
「して、そちらの女子おなごは?蔵人頭殿のお連れ様にしては地味なお方ですね。もしかしてどこぞの遊女ゆうじょですか?」

 衛士が霞の顔を覗き込もうとしてきた。

(ああ。またこれか)

 人生で何度受けたか知れない、他人の勝手な見た目への評価。華やかな世界に身を置く弊害か。男女問わず、霞はその質素な見た目を揶揄やゆされることが多かったのだ。菖蒲の隣に相応ふさわしくないと、面と向かって言ってきた女官もいた。

(きっと楓様も適当にあしらうでしょう。笑って誤魔化すとか、ただの遊び相手だとか言って……)

 楓の回答を予測していつもの鈍い痛みを受ける準備をする。そんな霞の予想に反して、楓は霞を自分の方へ抱き寄せた。小袿の中で霞は目を見開く。

「いや……。此方のお方は私の大事な人なんだ」

 霞は一瞬でも嬉しいと思った自分の感情を殺した。あまりにも自然過ぎて忘れてしまいそうになるが、これは楓の演技なのだ。

「そ……そうでしたか。これは失礼を致しました」

 衛士は戸惑ったように謝罪を述べる。

「もういいだろう。おふたりとも早くお休みになりたいんだ。とっとと先へ通せ!」

 伊吹の一押しもあり、衛士は霞達に道を譲った。伊吹の後をぴょこぴょこと跳ねるようについてきたきりは後ろを指差して言う。

「門のところで眠っている衛士がいたよ。早く起こしに行ったら?」
「眠っている衛士だと?」

 衛士は忽ち顔色を変えて門の方へ走って行った。桐は走り去っていく衛士を楽しそうに見送る。

「全く。本当に恐ろしい子供だな」

 楓の呆れた声が上から降ってきて、霞もくすりと笑う。憂鬱な気持ちが少しだけ晴れたような気がした。




「化け物は陰陽寮と繋がっていました。化け物にとって一番の敵になりうる陰陽師を手中に収めていたのです。これは……由々ゆゆしき事態にございます」

 霞の局に辿り着いた一同は緊張感を高める。桐が手にしていた手蜀てしょくをそのまま部屋の灯りに代用した。

「そして今回、この物語を通した人心掌握術と呪いを混ぜた術はある意図を持って仕掛けられたと考えられます」
「宮中を混乱させるためだけじゃないのか?」

 楓の言葉に霞は大きく頷く。

「宮中に結界を張るためです」
「結界?陰陽師達が宮中の邪気を祓うためのもののことか?そもそも霞様が何故結界の存在を知ってるんだ」

 楓の問いに桐が目をこすりながら手を上げた。

「……はあい。私が……気が付きました……」

 欠伸《あくび》をして首をぐらぐらさせている。どうやら相当眠いらしい。

「桐様のお陰で気が付くことができました……。化け物はその結界を利用して……宮中にいる者達の心を白樺しらかば様のように完全に支配しようとしています」
「……!」

 霞の言葉に楓と伊吹の顔色が変わる。楓は白樺の名を聞いて、顔をゆがめた。

「でも……あの術は、悪夢を見せて人を動かしているみたい……。ふああ……。だから、誰かの意思で動かしているものではなさそ……」

 桐はそのまま床にごろりと横になってしまう。霞は眠ってしまった桐に変わって言葉を続けた。

「すぐに化け物が多くの人間の心を完全に操ることはなさそうです。これから水仙様のように、悪夢を見せた者が自発的に動く術が広まり、宮中を混乱させるのでしょう。その隙を突いて陽ノ国ひのくにの最高権力者……帝の御身おんみを狙うはずです」
「操られた者が眠りについてしまったのは術のせいか……。同時に口封じの役割も果たしていると。なんともまわしいことだ」
「はい。私達は帝に急ぎ進言しんげんし、陰陽寮をふうじた後で帝の周辺の守りを固めましょう」
「これからすぐに帝にお伝えしよう……しかし化け物は一体誰だとお伝えすればいいんだ」

 何の感情を込めることなく、霞は即答した。

「それは……分かりません」
「分からない?敵が分からなくてどうやってお守りすればいい?」
「私の想像では……化け物は必ず東宮とうぐう様をあやつって帝をあやめるはず。楓様と伊吹には操られた東宮様をお止め頂きたいのです」

 霞の作戦に楓の息が止まる。その後の展開が予測できて黙り込んでしまった。

「まさか……その間に霞様が……」
「はい。私が化け物を討ちます」
「そんなことさせられるわけがないだろう!だったら俺が向かう!霞が行くことは無い!」

 伊吹が悲痛な叫び声を上げる。そのせいで床に横になって瞼を下ろしかけていた桐が飛び起きた。霞は動じることなく、淡々と伊吹に説明する。

「化け物はひとりの人間を意のままに操ることができる……。だとしたらその人物は帝のご兄弟であり心許されているお方……東宮様である可能性がいちばん高いのです。操って、油断している隙を狙って化け物を襲撃します。そのためにも帝の側を守るのは信頼できるふたりでなくては駄目なの」
「だったら俺も霞と共に仇を討つ!」
「いいえ。化け物に近づくのはひとりの方がいい。それも何の力も持っていなさそうな女官なら油断するでしょう。それに……私が化け物に負けることは決してないわ」
「どうしてそう言い切れる!」

 気の毒なぐらい苦しそうな伊吹の声に霞ははっきりとした声色で答えた。

「私には『化け物を打ち倒す』というがあるから。その意志はたとえ化け物であっても操ることはできないでしょう」

 霞の言葉に楓は何かに気が付いたかのように、おのれの膝を打った。

「もしや……化け物は強い意志を持つ者は操れないのか」

 霞は楓の気付きを肯定するように、大きく頷く。

「化け物の術にかかってしまう条件は対象の心の状態なのでしょう。だから操れない者は意志の弱い者を使って事故に見せかけて消してきたのです。
楓様が操られずに白樺様にお命を奪われかけたのもそのせいでしょう。恐らく私の父も操ることが叶わなかったから……」

 霞は一瞬だけ顔を俯かせた後、過去を振り払うかのようにすぐに顔をあげた。

「だから化け物の術にも負けないふたりにお願いしたい……。それが化け物を倒す私が生きることになるの。だから、伊吹。どうか帝をお守りすることで私を守って」
「そんな……そんな言い方、ずるいだろう」

 伊吹はその場に座り直して床に視線を落とす。

「霞様は顔が見えない相手にどうやって備える」
「私は……物語の最終部を読み終わった上で化け物の正体を特定し、直行します。残りの巻数もどこにあるかは心当たりがありますので。空木様がお持ちの分も桐様に頼んで取ってきて頂こうと考えております。必ずや化け物を仕留めてみせましょう」

 霞の燃え盛る霞の瞳を見て、楓は不思議な心地になる。いつまでも見ていたいような胸を締め付けるような、己を奮い立たせるような……。
 やがて楓は何かを諦めたように息を吐いた。霞にたくしてやりたいという気持ちの方が上回ったのだ。

「……分かった。なれば今から帝に進言に行き、その後は帝のお側につこう」
「はい。お互いに無事を祈りましょう」

 霞はふたりに向かって深々と頭を下げた。
 伊吹は霞の言葉に折り合いをつけることができなかったのか。いち早く局の外に出ていってしまった。楓も伊吹を追うように襖を開ける。いつの間にか空が明るなっていて、霞は目を細めた。
 
「これだけは伝えておく……」

 霞を振り返って楓が言う。今しがた宮中を照らし出した、朝日のように眩しい。

「もう一度ここで会おう」

 それぐらいに楓の言葉がすとんと楓の胸に落ちてきた。いつの間にか演技か演技ではないか考えるのを止めている。だから霞も自然と穏やかに楓に向かって答えていた。

「はい」

 こうして霞の局の夜が明けた。
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