新月の光

恵あかり

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第二部 紅陽(完結)

8 いにしえの庭に遊ぶ

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 丁寧に仕上げた渾身の申請書を持って、犀星は慈圓と共に五亨庵を出た。
 玲陽を録房へ連れて行こうとした犀星だったが、さすがに東雨に引き止められた。
 理由は明白、目立ちすぎるのだ。
 犀星が宮中に姿を見せるのは久しぶりのことである。それだけでも、相当に騒がれるに決まっている。その上、玲陽まで連れていては、火に油を注いでしまう。
 さらに、どう考えても今の犀星は一線を越えている。玲陽を迎えた嬉しさゆえの興奮なのだろう。人前だろうと構わず、肩でも抱こうかという勢いである。そんな姿を見られるわけにはいかない、と、東雨は譲らなかった。
 なかなか納得しない犀星に疲れ、東雨は玲陽に助けを求めた。
 玲陽が見事に犀星を操ることを、東雨は知っていた。
 玲陽は、寂しそうに微笑んでそっと犀星の袖を引き、早く帰ってきてくださいね、と小首を傾げて見せた。無理に説得するよりも、この斜めに構えて微笑む戦術は、犀星には特効である。
 東雨もこっそりと鏡の前で試してみたが、残念ながら彼には真似できなかった。
 玲陽と二人になると、東雨は安心したように一息ついた。
「全く、若様ったらあんなに舞い上がって。みっともないったらないです」
 玲陽も中央の長榻に腰かけ、首から肩のあたりを揉みながら、同意のため息をつく。
「あの人、昔からあの調子なんですよ。静かにしているかと思えば、何かのきっかけで爆発してしまうんです。最近、少し落ち着いてきたなって思ってたんですけど、今回ばかりは仕方がないのかもしれません」
 玲陽は疲れたように笑った。東雨も、呆れてはいるものの不機嫌ではない。
「若様、ずっと光理様とここで過ごすこと、楽しみにしてましたし……むしろそのためだけに十年間生きてましたし……」
「私的感情で政治をしていたってことですね」
 申し訳なさそうに、玲陽は言った。
「それでも、結果的に誰かの役に立てていたのならよかったです」
「もちろん、役に立ってましたよ。だから街の人たちも、光理様のこと、すぐに受け入れてくれたんです」
 玲陽は、市場での一件を思い出した。歌仙親王の弟、と紹介された途端、あらゆる疑いが氷解した。それは犀星に対する信頼の大きさを表している。
 東雨は玲陽の向かいに座り、足をぶらぶらとさせた。
「昔、似たようなことがありました」
「似たようなこと?」
「はい。若様が都に来てすぐの頃、やっぱりいろいろと嫌な噂をされたんです。誰も若様のことはよく知らなかったし、母上も亡くなっていて後ろ盾がなかったから、軽く見られてたんだと思います」
「そんなことが……」
「はい。でもそのとき、涼景様が若様の後見についてくれたんです。あの時はもう、暁将軍として人気あったので、涼景様が保証するなら大丈夫だろうと」
「もしかして兄様、私に同じことをしようとしていたのでしょうか……?」
「まさかぁ。ただの偶然ですって。そこまで計画的になんて……」
 と、否定したが、ふと、二人は揃って沈黙する。犀星の身の回りで起きることはすべて、彼の計算によるものではないのか。
 無言で意味ありげに微笑む犀星の横顔が、はっきりと想像された。玲陽も東雨も、それ以上、ことの真相を考えることはやめた。
 そうだ、と、玲陽が気を取り直したように、
「五亨庵のきっかけになったという石を、見せてもらえますか?」
 玲陽の言葉の終わりに、ふっと風が通り過ぎた。
 東雨は、軽く跳ねるように立ち上がった。
「こちらです」
 言って、慈圓の席の後ろ側を指す。そこには黒光りする花崗岩が鎮座していた。東雨が両腕でようやく抱えられるほどの大きさだ。
「根元は土の中に埋まったままです」
 と、東雨は腕を組んだ。
「掘り起こさないでそのままにするように、って若様が言ってました」
 巨石の基部は白い玉砂利で囲まれ、上部が黒檀の床板の下から顔を覗かせている。
 細部まで人の手が加えられた建物の中にあって、その自然のままの石は異質に見える。
「部屋の中に庭を作ったようなものです」
 と、東雨は言った。
 玲陽は他の石も順に見て回った。青みを帯びた石は氷のような透明感があった。赤い石はほんのりと暖かく思われ。光を受けて緑がかった石は若葉の匂いを感じさせ、最後の一つには、金色の筋が走っていた。
 石に込められた意味を、玲陽は考えずにはいられなかった。そのひとつひとつに丁寧に触れ、記憶に刻みつける。
 この場所が、何らかの霊的な意味を持っていたこと、そして、その力が犀星を引き寄せたことは明らかだった。今もなお、結界として空気を清浄に保っている。
 玲陽は思慮に沈んだ。
 本来、この地域にはない種類の石が持ち込まれ、五角形の頂点に位置するように正確に置かれたとすれば、そこには間違いなく人為的な意図がある。
 誰が、いつ、何のために。
 今、この場所から、嫌な力は感じなかった。しかし、強い力は時として諸刃の剣となる。犀星がこの地に惹かれた、ということも気がかりだ。玲陽と同じく、犀星にも玲家の血が確実に受け継がれている。
 玲陽は目を閉じた。
 こうして五亨庵の中心に立っていると、建物すべてに見つめられているような感覚がある。耳の底に、低く銅鑼のような音が繰り返し響いた気がした。
「光理様?」
 深刻な顔で黙ってしまった玲陽に、東雨は思い切って声をかけた。玲陽はハッとして、東雨を見た。
 つい、自分の内側にこもって考え込む癖が出てしまった。
「ごめんなさい、ぼうっとして」
「いえいえ」
 東雨は気にしていない、と首を振る。
「前にここにきた陰陽官も、同じようなこと、してました」
「陰陽官?」
「はい。気になるから見せて欲しい、って。ここは力が集まるとか、調和がどうとか……」
 話を聞くうちに、また、玲陽の表情が暗くなる。しかしそれは、東雨の最後の一言で打ち砕かれた。
「とにかく、いろいろ面倒!」
 その言い方に、玲陽はぽかんとした。東雨が言うと、どんなことも深刻にならずに済みそうな、明るい救いが感じられた。
 その陰陽官が言いたかったのは、結界や聖域として力を持つ、ということだろう。それは世界のことわりを整えるという観点で、非常に重要であり大切にされるべきことわりだ。それを、面倒臭い、と片付けた東雨に、玲陽は好感が持てた。
「若様ったら、なんでこんなもの、作っちゃったかなぁ」
「本当に、兄様らしいです」
 文句を言いながら、ふたりは笑顔だった。犀星について話すとき、ふたりは、自然と声も明るくなる。
「形はともかく、こんな宮中の端にあったら、いろいろ大変なのではありませんか?」
「そうなんですよ!」
 と、東雨は力一杯に肯定した。
「俺、毎日何回も中央区にお使いに行かなきゃならないんです。若様が出かけるとなると、近衛まで付き合わされちゃいます」
「湖馬様、でしたね、先程の……」
「はい。右近衛隊から、いろんな人が入れ替わりで、ここまで出張してくれてます。一人だけだけど」
「警備が手薄になって、危なくはないですか?」
「俺も、それ、心配してたんです。この南の区域、宮中の禁軍の警備もほとんど無いし。でもね」
 と、東雨はにんまりする。
「朱市のそばだから、逆に商人たちが見張っていてくれるんですよ。兵を率いて襲ってきたら、みんなが確実に気がつきます。昼間は人目があって怪しいことはできません」
「なるほど……」
「そして、ここは住居ではないので、夜は都の屋敷に帰ってしまう」
「ああ」
 と、玲陽が手を打った。
「若様らしい、防衛方法でしょう」
「はい」
「せっかくですから、五亨庵の中、案内しますよ!」
 玲陽の笑顔に、東雨はさらにやる気が出た。
 玲陽との関係を親密なものにする、絶好の機会だ。
 ふたりきりのとき、玲陽が自分に対して隙を見せ、あわよくば命を狙える関係を築くこと。
 それが、宝順が東雨に下した命令だった。
「こちらへどうぞ」
 東雨は親切な顔をして、犀星の几案を指した。
 五亨庵に設置されている几案はどれも同じ規格で、犀星のものだけが特別立派である、ということはない。
 だが、その机の上の様子は、実に彼らしい。常時必要となるもの以外は全く置いていない。
 筆架と筆、硯、墨と水入れに文鎮。それらが机の端にきちんと揃えてある。筆も一本一本が丁寧に整えられて、整然と筆架にかけられていた。
 左の端に木簡をおさめる箱が置かれていたが、今は中身は空である。普段はここに、処理すべき書類が保管される。
 几案の横に小さな箪笥があり、そこには資料や、書きかけの予算書、計画書、経理簿などが、整えて収められていた。
 交椅に毛氈が敷かれていたが、決して豪華なものではない。
 犀星の席から、外縁の回廊に沿って右の手前に慈圓、奥に緑権の席がある。
 それぞれ個性が出るようで、慈圓の席のそばには山積みにされている書類や巻物、それらを収める箱や棚などがぎっしりと並び、まるで壁のように周囲と仕切りを作っている。
 緑権の席は、とにかく、物が多かった。その雑然ぶりは、さきほど、慈圓が王印を探すときに確認済みであった。本来、そこにあるはずのない日用品までが、手の届く場所にごちゃまぜに置かれていた。色とりどりに鮮やかな、丸められた毛氈が何枚も見える。よほど座り心地にこだわりがあるのだろう。また、寒くなる季節には、大量の褥が持ち込まれるのが常であった。
「まったく、俺がいないと、出しっぱなしなんだから」
 東雨は足早に近づき、湯のみを手に取り、緑権の後ろ側の小部屋に向かった。おとなしく、玲陽は後をついていく。
 そこは厨房になっていて、奥の引き戸の先は、井戸と厠につながっている。
「光理様、厨房、自由に使ってくれて大丈夫ですから」
 と、東雨は湯のみを桶の水に浸した。それから、顔をしかめて、ぐるりと見渡し、
「ちゃんと片付けますので……」
 と、恨めしそうに言う。
 東雨がいない間、厨房の整理も五亨庵全体の掃除も、備品の管理も、何もかもが放置されてしまった。
 普段自分がやっていることが失われると、これほどに荒れるものかと、がっかりすると同時に、自分の存在意義を再確認する。
「いつもは、こんなに散らかってないんですよ」
 東雨は少し、五亨庵の品格を弁護した。玲陽はにこっと笑う。
「東雨どのがいないと、五亨庵は機能しないみたいですね」
「わかっていただけますか!」
 東雨は嬉しそうに、
「若様や玄草様が忙しいのはわかるんです。でも謀児様はもう少ししっかりしてくれてもいいと思います」
 と、大人びたことを言った。
 それを聞きながら、玲陽はまだ会ったことのない緑権という官吏に興味が沸いた。
 礼儀正しい東雨がこれほど言える相手なのだから、きっと、気軽に話しができるだろう。
 続いて、東雨は、厨房の隣の部屋へ案内する。
「こちらが書庫です」
 壁一面に机架が並び、そこには木簡や竹簡、布製の地図などが、きちんと並んでいた。
 宮中には大規模は秘府があり、必要なものはその都度借りに行くのだが、日常的に使うものについては、こちらに保管してある。
「きっと、光理様なら、一日中、秘府にいても飽きないと思いますよ」
 東雨は、竹簡に夢中になる玲陽を想像した。
「私も、読むことが許されますか?」
「もちろんです。若様は光理様に、最高の地位を用意したんですから」
 玲陽は少し困ったように、斜め下を見た。犀星が録坊に願い出たのは『承親悌』という、耳慣れない官位だ。
「『承親悌』は若様が新たに作ったんですよ」
 玲陽は、わずかに青ざめた。
「それ……簡単なことではないのでしょう?」
「まぁ、いろいろ無理を通したみたいですけど、若様のすることですから、心配ないと思います」
 東雨は、平気そうに言った。だが、この話が進む中で、自分が玲陽に嫉妬を抱いたことは、自覚していた。
 犀星は今まで、誰かを特別に扱うということをしてこなかった。それが、玲陽に対しては、あまりに熱心だ。
 東雨はそこに、棘のような痛みと寂しさを覚えてしまう。
「光理様、次はこっち!」
 東雨は、大きな声を出して玲陽を呼んだ。
「若様の席の後ろ、兵庫なんです」
 玲陽は中を覗いた。壁には、長槍や細身の戟、短剣などが用意されている。火薬も扱っているようで、鍵がついた木箱の中身は、煙玉や、襲撃を知らせる火紋などだ。
「この部屋、若様の私室や寝室とも繋がっています」
 東雨は部屋の一方を示した。衝立もなく、すぐに移動できるように動線が確保されていた。
「万一、入り口から敵に侵入された場合、若様がここで武器をとって中庭に行きます」
 と、東雨が非常事態のことを説明する。
「まぁ、今のところ、そういう事は無いですけどね」
 玲陽は、兵庫の中をしげしげと見た。
 どの武器にも、丁寧な手入れの跡があった。
 東雨はちらりと、昔聞いた話を思い出した。それによれば、玲陽は、犀星よりも剣術の腕が立つらしいのだ。
「あの、光理様って、刀、使えるんですよね?」
 と、東雨は少し遠慮がちに聞いた。
「はい」
 と、玲陽は控えめに答えた。
「子供の頃、父上に習って。でも、この十年、まともに稽古をした事はありません」
「でも、真面目な光理様のことだから、何もしてなかったわけではないでしょう?」
「真面目と言うことではありませんが……忘れたくなくて、素振りや、体幹を鍛えるための体術などは少しだけ…… けれど、体が弱って、思うようには動けませんでした」
 正直だ。
 東雨は、玲陽の受け答えに安心感を覚える。玲陽は、すっかり心を許しているように見える。
「光理様の体が良くなってきたら、俺に稽古をつけてもらえませんか?」
 と、東雨は思い切って言った。
「私が東雨どのに稽古? 逆なのでは?」
 玲陽は、東雨の剣の腕を知らない。東雨はあえてそこには触れずに、
「とにかく、一緒にやれたら楽しいと思います」
 と、だけ答えた。玲陽はもちろん、頷いた。
 玲陽の実力がどの程度か、それは宝順に報告するためにも必要な情報だった。
 当然、玲陽には、東雨の真意などはわからない。
「稽古するなら、ここがいいですよ」
 東雨は兵庫の外壁の戸を開いた。ふっと、外気の匂いがした。
「中庭です」
 言って、東雨は、ぽん、と真新しい雪の上に飛び降りた。玲陽はそっと庭を覗いた。
 誰にも踏み荒らされていない雪は、銀の粉を撒いたようにキラキラと輝いている。日差しが降り注ぎ、それが雪に反射して、玲陽は眩しさに目を細めた。
 雪の広場の向こうには、木々が立ち並んでいる。葉を落とすもの、冬も緑を保つもの、など、あらゆる樹木が美しく空に枝を広げていた。それらは特に整えられず、自然の流れに任せた姿である。
 木々の下には低木や茂みもあり、真っ赤な果実が雪との対比で美しい。
「さすがに、ここに畑はありません」
 と、東雨は言った。
「以前、若様が言い出したことがあるんですけど、お客様もいらっしゃる場所に畑はダメって、みんなで止めたんです」
「兄様らしいです」
 玲陽は呆れた。
 入り口から左手を見ると、薪割りのための場所が用意されていた。薪割り用の切り株が、すっかり雪に埋れていた。そばには木材が積み上げられ、こちらも雪を被ったままだった。
「あーあ、やっておいて、って言ったのに」
 東雨はそちらを見て、
「薪割りもできないんだから……」
 と、木材に乗った雪を払う。
「申し訳ありません、光理様、薪割り……」
 と言いかけて、東雨は玲陽の左手のことを思い出し、口を閉じる。だが、玲陽は嬉しそうに言う。
「一緒にやりますか?」
 玲陽は、楽しいことを提案するかのようだ。東雨は嬉しさ半分、照れくささ半分で顔を緩めながら、
「そうしてくれると楽しいし、嬉しいし、助かります」
 と、率直だ。
 その無垢を装う仮面の下には、別の顔がある。
 薪割りならば、隙も大きい。事故に見せかけて何をするのも自由になる……
 もうひとりの冷静な東雨が、胸の中でこっそりと耳打ちした。だが、それを知るのもまた、東雨本人だけである。
 東雨の天真爛漫な明るさが、玲陽には何よりも嬉しい。自分が長く人との付き合いを恐れて、どう接していいかわからずにいる中、東雨は自分から手を伸ばして玲陽を導いてくれる。
 犀星とはまた違った、その関わり方に、玲陽は心から感謝している。
「光理様は子供の時、薪割りも、していたんですか?」
 東雨が尋ねた。玲陽は、こくんとうなずいた。
「全身の鍛錬になるからやれって、よく、兄様と一緒に。あの頃、子供たちはみんな薪割りでしたね。今思うと、大人たちが億劫がって押し付けていたのかもしれません」
 と、どこか嬉しそうだ。
「それ、あると思いますよ」
 東雨は、ああやっぱり、と肩を寄せて、おかげで散々鍛えられて、剣術より得意です」
 東雨が照れながら言う。
「頼りになります」
 と、玲陽はどこまでも優しい。
 東雨は嬉しくなった。
 そしてまた、仮面の下の東雨が、騙されるな、と警告するのが聞こえた。
 東雨は騙す者であり、玲陽は騙される者であるべきだった。
 東雨は、自分自身の声を、少しだけ邪魔だと感じた。
「光理様、あれ、わかりますか?」
 庭の中央あたりに生えている、一本の桂の木を指さした。
 玲陽は、雪を踏んで近づくと、その幹に体をもたれかけた。
 その仕草は、初めて会った日の犀星と同じだった。あのとき、犀星は突然、宮中の庭の蝋梅の木に、今の玲陽のように体を寄せた。
 まだ、犀星のことを何も知らなかった東雨は、その行動に驚かされたのだった。
 今、玲陽はあの時の犀星と同じことをしている。
 歌仙には、そんな風習があるのだろうか、と東雨は思った。が、すぐに、
 これは、この二人だけのものだ、と、考え直した。
 一緒に育つと、仕草までが似るのかもしれない。
 玲陽は少しそうしてから、枝葉を見上げた。
「桂の木は、仙界とつながる、神秘的なものとされています。この五亨庵には、本当にふさわしいと思います」
 東雨にはそのような言われはわからなかったが、この庭を作るときに犀星が自分で植えたのを覚えている。
「花が、すごく素敵なんですよ」
 言いながら、東雨は懐から小さな香り袋を取り出した。
「歌仙に行く前にちょうど花が咲いて……俺、毎年ここの金木犀で香袋を作るんです。来年、光理様にも作っていいですか?」
「嬉しい! 私、そういうのに憧れていたんです」
 玲陽は、目を細めて、可愛らしいことを言った。
「任せてください! 腕によりをかけて作りますから!」
 東雨はもう、嬉しくてたまらない。
 香袋からはほのかに甘い匂いがする。東雨はこの匂いが好きだった。それは、自分が五亨庵の一員であるという証のようにも思えた。
 東雨はふと、声を低めた。
「俺、思うんです」
 玲陽からそっと目をそらし、空を見上げる。
 冬の空が、東雨は好きだった。その透き通る色に、犀星の面影を重ねる。
「若様は、外見が、あんなふうに綺麗でしょう?」
 唐突に、そんな話を切り出す。
「みんな、若様の見た目や、仕事の結果にばかり目を向けているけれど、それだけじゃ足りない」
 興味深そうに、玲陽はじっと耳を傾けてくれる。
 東雨は香袋をそっと両手で包みながら、
「言葉も少ないし、表情もあまり動かないですけれど、心の中はとっても繊細で、いろんな感情がたくさん溢れているような気がします。だから余計に、自分の気持ちを押さえつけてしまうんじゃないかなって」
「……はい」
 玲陽は頬を緩め、うなずいた。
「東雨どのは、本当に兄様のこと、大切にしていらっしゃるんですね」
 東雨は自分の手がぴくりと震えたことに気づいた。
「あなたのような人が兄様のそばにいてくれたから、兄様は頑張ってこられたのだと思います」
 東雨は少し驚いた顔をした。
 誰からも、子供扱いされ、利用はされるばかりだった東雨にとって、玲陽は対等に話をしてくれた。
 それを喜ぶ心と、全ては演技だと否定する心が、せめぎ合って東雨を揺らした。
「別に、俺は……」
 と、東雨は鼻をこする。
 自分は今まで何をしてきたのか。
 自分が信じてきたことと、まるで違う意味を、玲陽から渡された気がした。
 微笑んで東雨を見ていた玲陽は、その向こうに、楓の木を見つけた。枝には、まだ数枚の葉が残されている。根本の雪の上に、赤や橙、黄色の葉が、鮮やかに散りばめられていた。
 玲陽は楓に近づくと、一枚の赤い葉を拾い上げた。
 じっと見つめる。
 その顔は、あまりにも美しくて、雪景色と紅葉と青い空によく映えた。
「こんな色、初めて見ました」
 玲陽は小さく息を吐いた。
「歌仙には、紅葉ってないんですか?」
 東雨にとって、秋に葉の色が変わることなど当たり前である。
 玲陽は少し首をかしげるようにして、
「色づかないわけではないですが、ここまで鮮やかなことはありません」
 言って、玲陽は、冬空と、まだ枝先に揺れる赤い葉を眺める。
「その命の最後に、一枚の葉が、これほど美しく輝くなんて知りませんでした」
 そう、ささやいた玲陽の顔には、透き通るような美しさがあった。
 玲陽は、何枚かの葉を手に取ると、少し離れて、踏み固められていない柔らかな雪の上に丁寧に並べた。一枚一枚に話しかけて、この世界に生み出すような優しさで。
 玲陽の手で、その存在を認められた枯葉が、東雨は羨ましかった。
 雪と紅葉と、子供のような横顔。
 十五歳から、長くたった一人で閉じ込められていた玲陽の心は、年齢よりもずっと幼いままのかもしれない。
 この人は、まだ、子供なんだ。
 東雨の胸に、抑えがたい激しい感情がこみ上げた。
 たまらなかった。
 この人を傷つけてはいけない。
 強く、強くそう思った。
 皇帝の声が、東雨にそっとささやいた。
『玲陽の信頼を得よ。ふたりきりになれるほどに』
 今、二人きりだ。
 玲陽には隙しかない。武器もなく、こちらに背中を向けて座り込み、急所を曝け出している。
 自分の懐には、刀がある。
 五亨庵には誰もおらず、何が起きても、言い逃れができる。
 ……果たしてしまった。
 命令の遂行は、東雨にとっては生き残る唯一の道である。
 だが、これは、歩んではならない道だったのではないか。
 自分は、裏切り続けている。今、こうしていることは、策略の一部であって、真心ではない。
 ……そんなふうに、俺を、信じないでください。
 東雨は、玲陽に背を向けた。
 取り返しのつかないことをした罪悪感にうろたえる。
 思わず自分の肩を抱く。体の震えは収まりそうもない。
 そっと、自分の手に暖かな玲陽の手が触れて、東雨は驚いて、さらに身を縮めた。
「……寒いですか?」
 玲陽が気遣うように聞いた。
 東雨は背中を向けたまま、必死に仮面を探した。
 こういう時は、どんな顔をすればいいんだ? 考えろ!
 東雨は焦る気持ちをねじ伏せる。
 それから、困りきった顔で振り返った。
「だめですね、体がまだ慣れてないみたいで。光理様のほうがたくましいです」
「では、中へ入りましょう」
 玲陽は、何も知らず、そっと促してくれた。
 これ以上、玲陽の姿を見ていたら、自分はどうにかなってしまう。
 東雨はあえて目をそらし、平気なふりをして五亨庵の中へ戻った。
 「お茶をいれてきます。休んでいてくださいね」
 玲陽は、東雨に勧められるまま、中央の長榻におとなしく座った。
 厨房へ入る。
 こういう時は、忙しく働くに限る。
 東雨は余計なことを考えず、火を起こすことに集中した。しばらく使われていなかったのか、ほとんど触られた形跡がない。
「何もかも、俺任せなんだから」
 東雨は独り言を言った。普段通りにしていると、自分に科せられた使命が遠のくようで、少し気持ちが軽くなる。
 湯を沸かし、棚を探る。箱の底に、白茶が残っていた。
 東雨は、茶葉を急須に入れた。銅壷に沸かした湯を注ぐ。
 燃え残っていた炭は火鉢に移し、手を温められるように、茶と一緒に玲陽のもとへ運んだ。
「夏に採れた茶葉なので、風味は落ちているかもしれませんが」
「暖かいです」
 と、玲陽は茶碗を両手で包んだ。
 東雨は少し迷ってから、
「五亨庵の桂に若芽が出たら、それで白茶を作りませんか? 次の、春……」
 玲陽が目を上げる。
「光理様と一緒に、芽を摘んで乾かして……」
 その時のことを想像しながら、東雨は微笑むような顔をした。
「そうですね。春には、若芽摘みをしましょう。それから、次の秋には……」
「金木犀の香袋を作ります」
 次の春、次の秋、未来を約束するその言葉は、東雨にとって尊いような、儚いような、そんな響きがあった。
 玲陽は、まるで彼の瞳のような、淡い琥珀色の茶を見つめた。暖かく湯気がたつ白茶は、東雨の優しい心を手にしているかのようだ。
 改めて、五亨庵の中へ目を転じれば、変わらずに美しい景色が広がっている。
 犀星が作り上げた場所。
 一緒に歌仙を走り回っていたあの少年が、遠くに行ってしまったような寂しさ。
 しかし、それは玲陽だけの寂しさではなかった。
 犀星もまた、ひとり、心細かったに違いない。それゆえに、今、必死なまでに自分を引き寄せようとする。
 玲陽に与えられる『承親悌』という名。それを手に入れるために、犀星はどれほどの道を歩んできたのだろう。
 だが……
 玲陽は、手放しには喜べない自分を感じていた。
「……やはり、公私混同が過ぎると思います、兄様は」
 玲陽は、ぽつり、と呟くように言った。直前までの明るさが消える。
「光理様……」
 東雨も表情を曇らせ、そっと顔を覗き込んだ。
 玲陽は決して、照れや遠慮から言っているわけではなかった。その白い顔はより一層、色が薄れて見えた。
「心配、なんです」
 小さく、震えるように玲陽は言った。
「兄様が、私のためにしてくださること。それは嬉しいです。けれど、度が過ぎれば、周囲があの人をどう思うか。せっかく築いてきたものを、私のために壊したくない」
 それは玲陽の切実な願いだった。
 東雨にも、彼の真剣さ、思い詰めた心の深さが痛いほどに伝わってきた。
 東雨もまた、同じことを考えたことがあった。玲陽にかまけて、犀星が政治を放り出すのではないか、そんなことになって欲しくは無いと。
 同じだ、と、東雨は思った。
 玲陽も自分も、犀星を思う気持ちに違いはない。
 東雨は必死に考えた。
 今は、犀星の侍童として、何か言いたかった。
 玲陽と同じ場所に立って、同じ人を見たい。
 東雨は、真剣な顔を上げた。
「方法があります」
 東雨を見る玲陽の顔は、どこか、追い詰められているようでもあった。
「方法?」
「はい」
 力強く、東雨は頷いた。
「光理様が、若様より、すごいことをすればいいんです」
「……え?」
「俺、宮中で、いろんな人を見てきました」
 東雨の口調は今までになくしっとりと、落ち着いていた。
「自分の身内を勝手に官職につけて、政治をガタガタに崩してきた人たちもいました。光理様が、心配している通りに」
「…………」
「でも、逆のことだってありました。肩書きだけで実力はないだろう、って笑われていた人が、すごいことをやり遂げて、まわりを叩きのめしたこともあったんです」
「…………」
「若様は、決して愚かじゃ無い。光理様が大事で、一緒にいたいからって理由だけで、こんなことはしません。俺が知っている若様は、そういう人です」
 東雨には、それが真実だという自信があった。
「若様が認めたのだから、光理様は、すごいことをする人です」
 それが何かは、東雨にも想像はつかなかったが、そうなる予感は確かにあった。
「名声や、官位なんて、くだらないのかもしれない。けれど、宮中では、実より名が必要な時もあるんです。それは力を発揮するための道具です」
「道具……」
「はい。若様は、何も無いところから這い上がった。それがどれだけ辛いか、悔しいか、知っています。だから、光理様に、やりたいことができる道具を……武器を、あげたかったんです。光理様なら、使いこなせるって信じているから」
 東雨は、少し、息を落ち着けて、
「光理様が、みんなを黙らせることをすればいいんです。そうしたら、誰も若様のわがままだなんて言いません」
 玲陽は、じっと東雨を見つめていた。
「ねぇ、光理様」
 と、東雨は少し笑った。震える声を悟られまいと、精一杯に胸を張る。
「俺も、手伝いますから。だから、一緒に、若様の公私混同、周りに認めさせてやりましょうよ」
 玲陽は立ち上がると、耐えきれない、というように、東雨に背を向けた。肩が震えていた。
 東雨もまた、すぐに動けなかった。
 静かな興奮が、指先にまで浸透し、血の流れまで感じられるほど、感覚が鋭敏だった。
 自分が口走ったことが、誇らしかった。
 本当に、言いたいことが言えた、と感じた。
 玲陽に語ることで、自分の心を初めて知った気がした。
 光理様は、俺にとって必要な人だ。
 東雨は、それを受け入れた。
 犀星に対する思慕とは違う、また、別の愛しさが、確かに生まれていた。
 東雨はそっと、聞き耳を立てた。まだ、扉の外は静かで、犀星たちが戻ってくる気配はなかった。
 若様、ごめんなさい。
 少しの罪悪感と、好奇心。
 東雨は静かに玲陽に歩み寄った。手を伸ばし、その背中に触れ、それから黙って額をあてた。温もりが伝わる。
 玲陽は涙を堪えるように、じっと立っている。
「大丈夫、ですよ」
 優しく、東雨はつぶやいた。
「大丈夫、ですから」
 東雨は、何度も繰り返した。
 玲陽なら、本当にやってくれる。犀星を助けてくれる。誰よりも、犀星のことを、守ってくれる。
 嘘つきな、俺なんかより、ずっと……
 東雨の目から、涙が溢れたが、声は立てなかった。

 同時刻、録坊。
 玲陽が案じた通り、録坊への道は、大変な騒ぎになっていた。犀星を見つけて駆け寄る者が後を絶たず、また、何かにつけては呼び止められて、その歩みは遅々としていた。
 中常侍や尚書令配下の郎官、禁軍の小隊長などの見知った者もいたが、直接関わりのない侍医や尚衣局の女官、果ては稽古帰りの楽官までが、放ってはおかなかった。さらに遠巻きに、何人もの女性たちが、犀星に色っぽい視線を浴びせかけた。
 初めは冷静に対応していた犀星だったが、次第と表情がこわばり、失礼がない程度に浮かべていた笑みも尽き果てる。
 ようやく録坊の公案に書類を差し出した時には、犀星も慈圓もすっかりくたびれていた。
 もともと、人付き合いの苦手な犀星は、大勢に囲まれることを好まない。明確な用件があるのならば良いが、ただのご機嫌伺いの連発では、まさに閉口の極みだった。最後には、黙り込んでしまった犀星に代わって、慈圓が周囲に愛想を振りまく始末である。
 玲陽を連れて来なくてよかった、と二人とも心底思った。
 犀星が提出した書類を確認し、担当の官吏は複雑な表情を浮かべた。
 断るわけにはいかないが、前例のない話である。事前に慈圓が根回しをし、犀星もあらゆる無理を通してきた。ここで反故にされることはない、とわかってはいても、許諾が降りて証明札を受け取るまでは、落ち着かなかった。
 わずかに燻った香の匂いが立ちこめる別室に通され、ようやく膝を折って床に座ると、犀星は珍しく肩を落とした。
「さすがに疲れた」
 と、呟く。
「これからが本番ですぞ」
 と、慈圓が励ます。
 犀星は恨めしげな目で慈圓を見た。慈圓が悪いわけではないのだが、それ以外にぶつける相手がいない。慈圓は逆に、にやにやして、
「これに懲りて、長く宮中を留守にしないことです」
「考えておく」
 犀星は小さく答えた。
 言葉はそっけないが、慈圓の声には温かみがある。犀星はこの偏屈な官吏が好きだった。
 五亨庵で政務を始めるにあたって皇帝から、深い見識のある者を身近に置くようにと勧められた。何人か候補があり、その中に、慈玄草の名があった。
 その頃の犀星には知る由もないが、皇帝が慈圓を候補に加えた一番の理由は、手に余るから、というものだった。
 慈圓の気質は、頑固な理屈屋そのものだった。感情の赴くままに振る舞いたい宝順にとっては、目障りな存在であった。才能がありながら、中書侍郎どまりの出世となったのも、皇帝に疎まれたからに他ならない。
 だが、毒も使い道では薬になる。
 慈圓を犀星のそばにおけば、自然と押さえつけてくれるだろう、との期待があった。
 そんなことは露とも知らず、犀星は、なんとなく父に似ていたから、という理由で、慈圓を選んでしまった。犀星は慈圓と犀遠の関係を知らなかったが、直感的に似た気配を感じたのだろう。
 慈圓に一度任せると決めれば、犀星は一切口出しをしなかった。放任ではなく、信頼の上での行動であると、慈圓は読んだ。そして、犀星を支え、厳しくも丁寧な指導で導いた。
 それが、今日の二人の信頼につながっている。
 皇帝の目論見は見事に外れ、慈圓は犀星を制する薬になるどころか、さらに勢いづける翼となった。
 書類を提出してからしばらくが過ぎた。出された茶も冷めた。
 犀星はふっと、欄間から空を見上げた。
 近くに、玲陽がいる。そう思うだけで心が和らいだ。
 小さく足音がして、二人の人物が部屋に入ってきた。
 一人は先ほど書類を受け取った官吏である。もう一人は、犀星が見知っている男だった。
 四十代半ばほどの、気難しい顔をした小柄な風体である。上質な絹の紫袍をまとい、藍色の直裾と合わせている。襟元に見える白の交領は、陰陽を生業とする者の印だ。
 腰を下ろす際に、帯につけていた木札が乾いた音をたてた。
 名を、紀宗きそうという。もちろん本名ではない。
 この類のまじないを扱う者たちは、本名を知られることを嫌う。名を知られることは、すなわち運命を握られることである。
 五亨庵を建設する際に、紀宗は土地の吉兆を占ったことがあった。さらに、時折、五亨庵を訪ねてきては『運気が……天気が……風が……』などと、よくわからないことを呟いて帰っていく。
 東雨はよく、興味半分気味悪さ半分でそれを見ている。
 紀宗は犀星が提出した木簡を自分の前に置き、手にしていた丸い木の霊盤を並べた。
 犀星はちらりと慈圓を見た。慈圓は余裕を持って、犀星にうなずいて見せる。
 堂々としていなさい。
 その暗黙の指示に、犀星は素直に従った。
「何か問題でも?」
 犀星は、紀宗に向かって尋ねた。紀宗は唇を捻じ曲げている。細い目は視点が定まっていない。それが余計に不気味だった。
 陰陽官としての腕前は良く、帝の寵愛もあるが、つかみどころがない。
「ちと、気になるゆえ……」
 と紀宗が、小さな声で、かさこそと喋る。これは彼の癖である。霊盤の上で針を動かし、何やら小さな札を並べ、ぶつぶつとやっている。
「気になるとは、どのようなことが?」
 立ち向かうように、慈圓が言った。
「これは……」
 と、ようやく聞き取れる程度の声で、紀宗が言った。
「この者の……『犀陽』とは、生まれの名か?」
 犀星は全く動じず、返答もしない。
 答える気は無い、という強い意思だ。
 紀宗は少し顔を上げた。まっすぐに犀星を見ることは礼儀に反するため、喉元のあたりまでで止める。
「生まれの名であるか?」
 紀宗は繰り返したが、やはり犀星は黙ったままである。
 これでは話が進まない。
 事情を知っている慈圓は、仕方なく口を開いた。
「いや、先日養子縁組をしたゆえ、名が変わっている」
「元の名は?」
 紀宗が問い直す。
 慈圓は犀星の顔色をうかがった。とがめられないことを察すると、自分で答えた。
「元は、南陵郡歌仙の玲家……」
 紀宗はぶつぶつと繰り返し、また霊盤に触る。時折ぴたりと手を止め、また針を回す。木札を動かす音が部屋に響く。
 何をしているのか、犀星にはわからないが、慈圓がわずかに眉をひそめた。
 博学な慈圓には、何かが読み取れるらしい。
「……どちらにせよ、変わらぬ……」
 紀宗は、自分を納得させるように言った。それから、また、犀星を見るように顔をあげる。
「……飲むか……飲まれるか……用心せよ」
 そして官吏にそっと、犀星の木簡を押して返す。
 官吏はただ黙ってそれを受け取り、頭を下げた。
「玲親王殿下よりのご申請、たしかに承りました。録坊において記録手続き、速やかに進めさせていただきます。」
 犀星はわずかに目を細めた。
 立ち上がり、しずしずと部屋を出ていく二人を、犀星と慈圓はそのままの姿勢で見送った。
「何なんだ、あれは」
 と、犀星が感情のない声で言った。慈圓は一つ、強めに鼻で息を吐き、
「名前の吉兆がよろしくないのでしょう」
「名など」
 と、強めに言って、犀星は顔を背けた。
 名前や血筋、そのようなものに縛られて、自分たちがどれほどの目にあってきたか。
 ここにいたってなお、それがついて回ることが煩わしい。
「帰るぞ」
 犀星は言うと、立ち上がった。一刻も早く、玲陽の姿が見たかった。
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