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第一部 第一章 混沌の世界
12・悼むという痛み
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―― 6日目 ――
昨日も今日も、特に何もありませんでした。
エリオットは様子見のようです。
―― 7日目 ――
サメがほとんど居なくなりました。
エリオットは王都へ行くと言い、出て行きました。
『教授の鞭』はお貸ししました。
―― 8日目 ――
エリオットが帰ってきました。
王都へは辿りつけなかったようです。
そのかわり巨大な蛸のような魔物に追われていました。
エリオットは空が暗くなるまで戦い続け、お店の照明が辺りを照らす頃になると、巨大な蛸は砂の下に沈んで消えました。
―― 9日目 ――
日が昇ると蛸の魔物は襲ってきます。エリオットによるとそれはクラーケンと言う魔物だそうです。
サンドワームよりも遥かに大きなクラーケンでも、やはりこのお店を壊す事は出来ないようです。
クラーケンの足はどれももの凄く太いのですが、その中でも特別に細い足がお店の中に侵入してくるので、エリオットは籠城する事も出来ず、外に出て戦いを挑んでいます。
瀕死になりながらも、激闘を繰り広げていました。
夜になるとクラーケンは遠ざかって砂に潜り、姿を消します。
私はポーションをお売りする事くらいしか出来ません。
―― 10日目 ――
エリオットが死にました。
―― 11日目 ――
砂漠だった痕跡は跡形も無く、今は元の草原に戻っていました。
先程まで吹いていた風も凪ぎ、穏やかな風景の中、遠くに馬車が見えました。
御者台には知らない騎士の人が乗っています。
馬車はお店の前まで来ると停車し、幌の中からランドルフが出てきました。
「やあサオリ、元気だったかい?」
一人店内に入ってきて、ランドルフは挨拶してきます。
「ランドルフ……」
「どうした、何かあったのか?」
「私、私……」
私はカウンターから飛び出して、ランドルフに抱きつきました。
ランドルフは背が高いので、私の顔はちょうどその胸の下辺りになります。
「うわあああああ! 私……私! 見捨てた! 助けなかったの! 殺したの! わああああ!」
私はランドルフの胸で号泣してしまいました。
―― 再び10日目 ――
「があっ!」
エリオットが血を吐きながら、店内に倒れ込みました。
「ポーションを!」
外には巨大な蛸の足が何本も、砂の海から生えています。
やがてそれらはお店全体を包み込みました。
ミシミシと軋んだ音はしますが、お店は無事です。
「くそっ、魔法がほとんど効かねえ。剣持ちが居ないと無理だ」
ナイフと鞭だけでは対抗出来ないと、エリオットは嘆きます。
「逃げる事も出来ませんか?」
「やつは足も速い、王都とここまでの距離を計算して、近いと判断したここに辿りつくのもギリギリだった」
武器は他にありません。どうする事も出来ないのでしょうか。
エリオットは何やら考えた後に立ち上がり、カウンターの前に来ました。
「サオリ、このペンを持っていてくれ。今のところこいつの価値は不明だが、鞭の代金の代りと思ってくれていい」
例の羽根ペンをカウンターに置きました。
鞭の原価を知ってしまった私は無償でお貸ししましたが、返ってこないのも覚悟の上でお渡ししたのです。
でも、それの代りにペンを置いて行くと、エリオットは言います。
「いいのですか? そのペンは苦労して手に入れたものなのでしょう?」
「そのうち金を持ってくるから、その時に返してくれればいい」
私はカウンター越しにエリオットと向き合い、羽根ペンに目を落とします。
それを手に取ろうと腕を伸ばしました。
カウンターのちょうど真ん中に結界は発生しています。
その結界を私の腕が超えて羽根ペンを掴もうとした瞬間、エリオットに腕を掴まれました。
「え?」
私は視線をエリオットの顔に戻します。
彼は、これは冗談でも何でもないといった真面目な表情でした。
「言ったろう? 俺は利用出来るものは利用する主義なんだ」
私の力ではエリオットに抵抗して、腕を戻す事も出来ません。
「俺をその結界に入れてくれ。君に危害は加えない」
「……」
私の右手首がエリオットの左手で強く掴まれています。
そして彼の右手にはナイフがありました。
「そう言いながらナイフですか? 信じられません」
「結界に入れてくれたら、危害は加えないと言ってるんだ」
「入れなかったら?」
「このナイフが君の手首を切るかも知れない」
「……」
どうする!? どうする私!!
まさかエリオットがこんな事をするとは、思いませんでした。
それ程までに切羽詰っているという事でしょうか。
私が許可をすれば彼は結界に入れるでしょう。試した事はありませんがそんな気がします。
でも、それでいいのでしょうか。一時しのぎにしかならないのは本人も分かっていると思います。
外ではいまだにクラーケンがお店を破壊しようと、その巨大な足で覆っています。
お店はまだ大丈夫みたいですが、どこまで耐えられるのかは分かりません。
私が彼を結界に入れたとして、その後どうなるのでしょう。
ずっと彼と二人で過ごさなければならないのでしょうか。彼がここに居る限り、クラーケンも居続けるはずです。
「クラーケンはどうするのですか?」
「やつが諦めるまで待つ。もしくは君が強力な武器を仕入れてくれ」
「そんな……」
クラーケンが諦めるとは思えませんでした。武器だって発注出来るようになるのか分かりません。
もし発注出来たとしても、外にクラーケンが居る限り、荷物が届く事もないでしょう。
「どうする? そろそろ俺を結界に入れてくれてもいいんじゃないか? 君に何もしないと約束するさ」
「私、私……」
「少し休みたいだけなんだ。頼むよサオリ、少しでいい」
嘘だ……。男が女にこんな頼みごとをして、言葉通りに済むはずがありません。
私の男性に対する偏見や頑なな意志は、決して想像だけのものではないのです。
悲しいかな経験として身についてしまったものなのです。そうでもなかったら、とっくに結界の中に呼んでいます。
でも一つだけ引っかかる事があります。
何故エリオットは私を掴んでおきながら、結界から引きずり出そうとしないのでしょう。
考えられる事はエリオットは無理強いよりも、私の意思で選ばせようとしているのだという事です。
結界に入れた時の、これからの関係性を危惧しての事でしょう。
私からして見れば、ナイフで脅された時点でどっちも同じ事なのですけれど。
ならば――
「いいです。手首でもなんでも切ってください。私はそれでもあなたをこちら側へは入れません」
私はエリオットは決して、危害を加えてくる事はないと判断しました。
ここで手首を切るくらいなら、私を引きずり出す事でしょう。
私のその言葉にエリオットは少し驚いた顔をして、すぐに笑顔になりました。
「やっぱり。君はSランクの素質があるよ。人生は選択肢の連続なんだ、俺たちはその選択を瞬時に見極めなければ生き残れない。君にとって最悪と思えるような選択を選べる、君のその意志に俺は驚愕する。君はきっと――」
その言葉の続きは聞けませんでした。
クラーケンの足があっという間にエリオットを攫っていったのです。
ほとんど音も立てずに、一瞬の出来事でした。
気付いたら目の前のエリオットが消えていたのです。
彼は私を巻き添えにしませんでした。
私は少しも引っ張られる事もなく、エリオットだけが消えました。
カウンターの上には羽根ペンが残されています。
「エリオット!?」
外を見ればクラーケンの足を体に巻きつけたエリオットが、砂の海に沈む所でした。
「エリオット!!!」
クラーケンはエリオットを連れて、砂を巻き上げながら潜っていきました。
それっきり辺りは何事もなかったかのように、静まり返ります。
やがて砂漠は次第にその姿を、元の草原へと戻しました。
目的が達成されたのでしょう。――エリオットを殺すという目的が。
私のせいでしょうか。
私が結界に入れなかったせいです。
だから私が殺したようなものなのです。
こんな結果、分かり切っていた事ではないでしょうか。
私はいったい何に嘆くのでしょう。
あんな化け物に、勝てるはずもなかったじゃないですか。
自分でそうしておいて、何で私は泣いているのでしょう。
そうなるかもと思っていながら、いざそうなると、私は泣くのです。
そんな女なのです。
「私がエリオットを……」
私は安全な結界の中で、消えたエリオットを悼むのです。
昨日も今日も、特に何もありませんでした。
エリオットは様子見のようです。
―― 7日目 ――
サメがほとんど居なくなりました。
エリオットは王都へ行くと言い、出て行きました。
『教授の鞭』はお貸ししました。
―― 8日目 ――
エリオットが帰ってきました。
王都へは辿りつけなかったようです。
そのかわり巨大な蛸のような魔物に追われていました。
エリオットは空が暗くなるまで戦い続け、お店の照明が辺りを照らす頃になると、巨大な蛸は砂の下に沈んで消えました。
―― 9日目 ――
日が昇ると蛸の魔物は襲ってきます。エリオットによるとそれはクラーケンと言う魔物だそうです。
サンドワームよりも遥かに大きなクラーケンでも、やはりこのお店を壊す事は出来ないようです。
クラーケンの足はどれももの凄く太いのですが、その中でも特別に細い足がお店の中に侵入してくるので、エリオットは籠城する事も出来ず、外に出て戦いを挑んでいます。
瀕死になりながらも、激闘を繰り広げていました。
夜になるとクラーケンは遠ざかって砂に潜り、姿を消します。
私はポーションをお売りする事くらいしか出来ません。
―― 10日目 ――
エリオットが死にました。
―― 11日目 ――
砂漠だった痕跡は跡形も無く、今は元の草原に戻っていました。
先程まで吹いていた風も凪ぎ、穏やかな風景の中、遠くに馬車が見えました。
御者台には知らない騎士の人が乗っています。
馬車はお店の前まで来ると停車し、幌の中からランドルフが出てきました。
「やあサオリ、元気だったかい?」
一人店内に入ってきて、ランドルフは挨拶してきます。
「ランドルフ……」
「どうした、何かあったのか?」
「私、私……」
私はカウンターから飛び出して、ランドルフに抱きつきました。
ランドルフは背が高いので、私の顔はちょうどその胸の下辺りになります。
「うわあああああ! 私……私! 見捨てた! 助けなかったの! 殺したの! わああああ!」
私はランドルフの胸で号泣してしまいました。
―― 再び10日目 ――
「があっ!」
エリオットが血を吐きながら、店内に倒れ込みました。
「ポーションを!」
外には巨大な蛸の足が何本も、砂の海から生えています。
やがてそれらはお店全体を包み込みました。
ミシミシと軋んだ音はしますが、お店は無事です。
「くそっ、魔法がほとんど効かねえ。剣持ちが居ないと無理だ」
ナイフと鞭だけでは対抗出来ないと、エリオットは嘆きます。
「逃げる事も出来ませんか?」
「やつは足も速い、王都とここまでの距離を計算して、近いと判断したここに辿りつくのもギリギリだった」
武器は他にありません。どうする事も出来ないのでしょうか。
エリオットは何やら考えた後に立ち上がり、カウンターの前に来ました。
「サオリ、このペンを持っていてくれ。今のところこいつの価値は不明だが、鞭の代金の代りと思ってくれていい」
例の羽根ペンをカウンターに置きました。
鞭の原価を知ってしまった私は無償でお貸ししましたが、返ってこないのも覚悟の上でお渡ししたのです。
でも、それの代りにペンを置いて行くと、エリオットは言います。
「いいのですか? そのペンは苦労して手に入れたものなのでしょう?」
「そのうち金を持ってくるから、その時に返してくれればいい」
私はカウンター越しにエリオットと向き合い、羽根ペンに目を落とします。
それを手に取ろうと腕を伸ばしました。
カウンターのちょうど真ん中に結界は発生しています。
その結界を私の腕が超えて羽根ペンを掴もうとした瞬間、エリオットに腕を掴まれました。
「え?」
私は視線をエリオットの顔に戻します。
彼は、これは冗談でも何でもないといった真面目な表情でした。
「言ったろう? 俺は利用出来るものは利用する主義なんだ」
私の力ではエリオットに抵抗して、腕を戻す事も出来ません。
「俺をその結界に入れてくれ。君に危害は加えない」
「……」
私の右手首がエリオットの左手で強く掴まれています。
そして彼の右手にはナイフがありました。
「そう言いながらナイフですか? 信じられません」
「結界に入れてくれたら、危害は加えないと言ってるんだ」
「入れなかったら?」
「このナイフが君の手首を切るかも知れない」
「……」
どうする!? どうする私!!
まさかエリオットがこんな事をするとは、思いませんでした。
それ程までに切羽詰っているという事でしょうか。
私が許可をすれば彼は結界に入れるでしょう。試した事はありませんがそんな気がします。
でも、それでいいのでしょうか。一時しのぎにしかならないのは本人も分かっていると思います。
外ではいまだにクラーケンがお店を破壊しようと、その巨大な足で覆っています。
お店はまだ大丈夫みたいですが、どこまで耐えられるのかは分かりません。
私が彼を結界に入れたとして、その後どうなるのでしょう。
ずっと彼と二人で過ごさなければならないのでしょうか。彼がここに居る限り、クラーケンも居続けるはずです。
「クラーケンはどうするのですか?」
「やつが諦めるまで待つ。もしくは君が強力な武器を仕入れてくれ」
「そんな……」
クラーケンが諦めるとは思えませんでした。武器だって発注出来るようになるのか分かりません。
もし発注出来たとしても、外にクラーケンが居る限り、荷物が届く事もないでしょう。
「どうする? そろそろ俺を結界に入れてくれてもいいんじゃないか? 君に何もしないと約束するさ」
「私、私……」
「少し休みたいだけなんだ。頼むよサオリ、少しでいい」
嘘だ……。男が女にこんな頼みごとをして、言葉通りに済むはずがありません。
私の男性に対する偏見や頑なな意志は、決して想像だけのものではないのです。
悲しいかな経験として身についてしまったものなのです。そうでもなかったら、とっくに結界の中に呼んでいます。
でも一つだけ引っかかる事があります。
何故エリオットは私を掴んでおきながら、結界から引きずり出そうとしないのでしょう。
考えられる事はエリオットは無理強いよりも、私の意思で選ばせようとしているのだという事です。
結界に入れた時の、これからの関係性を危惧しての事でしょう。
私からして見れば、ナイフで脅された時点でどっちも同じ事なのですけれど。
ならば――
「いいです。手首でもなんでも切ってください。私はそれでもあなたをこちら側へは入れません」
私はエリオットは決して、危害を加えてくる事はないと判断しました。
ここで手首を切るくらいなら、私を引きずり出す事でしょう。
私のその言葉にエリオットは少し驚いた顔をして、すぐに笑顔になりました。
「やっぱり。君はSランクの素質があるよ。人生は選択肢の連続なんだ、俺たちはその選択を瞬時に見極めなければ生き残れない。君にとって最悪と思えるような選択を選べる、君のその意志に俺は驚愕する。君はきっと――」
その言葉の続きは聞けませんでした。
クラーケンの足があっという間にエリオットを攫っていったのです。
ほとんど音も立てずに、一瞬の出来事でした。
気付いたら目の前のエリオットが消えていたのです。
彼は私を巻き添えにしませんでした。
私は少しも引っ張られる事もなく、エリオットだけが消えました。
カウンターの上には羽根ペンが残されています。
「エリオット!?」
外を見ればクラーケンの足を体に巻きつけたエリオットが、砂の海に沈む所でした。
「エリオット!!!」
クラーケンはエリオットを連れて、砂を巻き上げながら潜っていきました。
それっきり辺りは何事もなかったかのように、静まり返ります。
やがて砂漠は次第にその姿を、元の草原へと戻しました。
目的が達成されたのでしょう。――エリオットを殺すという目的が。
私のせいでしょうか。
私が結界に入れなかったせいです。
だから私が殺したようなものなのです。
こんな結果、分かり切っていた事ではないでしょうか。
私はいったい何に嘆くのでしょう。
あんな化け物に、勝てるはずもなかったじゃないですか。
自分でそうしておいて、何で私は泣いているのでしょう。
そうなるかもと思っていながら、いざそうなると、私は泣くのです。
そんな女なのです。
「私がエリオットを……」
私は安全な結界の中で、消えたエリオットを悼むのです。
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