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第一部 第一章 混沌の世界
13・ボーダーライン
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泣き出した私をなだめてから、仕事がまだあるからと、ランドルフは王都へ戻って行きました。
帰り際に馬車の幌から毛布をたくさん降ろして、置いていってくれました。
私は今バックルームに籠り、毛布にくるまって椅子に座っています。
文字化けしたストアコンピューターのモニターをしばらく眺めた後、脇にあるDOTを手に取って発注画面を見たら――
ありました。
『教授の鞭 0/1』
持ち主の居なくなったそれは、再び発注できるようです。
「エリオット……」
また涙があふれてきました。
椅子の上に膝を抱えて丸くなってしばらく泣いた後、その武器を発注しました。
『教授の鞭 1/1』
この武器は今、お店の外の地面に埋まっているのではないのでしょうか。……エリオットと共に。
ナイフもあります。
『シースナイフ(鞘付) 0/1』
これも発注します。
その後はずっと、ボーッとしていました。何もする気になれません。
夜になってから、ランドルフがまた訪ねてきました。
「気になったから来てみたけど、大丈夫かい?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
私はランドルフに、この十日間の出来事を話ました。
黙って耳を傾けていたランドルフは全てを聞き終えると、カウンター越しに私の頭を撫でようとして、結界に手をぶつけます。
私はカウンターから出ました。
ランドルフの手は目的を達成して、私の頭を撫でてくれます。
「昼間も結界から飛び出してきて、びっくりしたよ」
そうでした。私はランドルフの姿を見て、カウンターから飛び出して抱きついたのです。
そして今もまた、彼の慰めを受けるべく自ら出てきました。
「私が殺したの……」
「ああ、そうだな」
少し驚きました。私はたぶん自分の言葉を否定してくれる事を望んだのだと思います。
そんな事ない、君は悪くない、と。
それをランドルフは肯定しました。
「君が殺したようなもんだ。君の判断でそうなった。結界に入れなかったんだからな」
「はい……」
「だけどどうする事も出来なかったのも事実だ。結界に入れたところで魔物たちは消えないだろう。
エリオットという男は、自分が巻き起こした騒動を自分でなんとかしなければならなかった。
結果的には同じ事になっただろうさ。生きるか死ぬかは運だ。君は彼を間接的に殺したかもしれない。
だけど気に病むことでもないんだよ。君は巻き込まれただけなんだからね」
「だけど……」
「俺から見たら、君が結界にその彼を入れなかった事は英断に思える。できればそういう判断をこれからも下せる事を願うよ。君のためにもね」
結局はランドルフは、私を認めてくれるようです。私の味方だ、そう思いました。
「ランドルフ、結界に入ってみる?」
自然に出たその言葉に、自分でも驚きます。あれだけエリオットに対して、拒んでいたはずなのに。
こんな事を言えるなんて、私はこの人を完全に受け入れてしまったのでしょうか。
けれど、ランドルフの返事は――
「遠慮しておくよ。君の大切な世界だ。俺なんかに侵されていい領域じゃないだろう」
――なんだかフラれた気分です。
「うん。ごめん」
私はいったい、何に対して謝ったのでしょうか。
「とにかく気にしない事だ。いいか? サオリ、気持ちを切り替えろ。忘れろとは言わない、だが既に過去になった事に囚われるな。明日を生きたかったらな」
「……はい」
この世界の人の言葉は、いちいち心に沁みてきます。
平和で温い世界から来た私からしたら、命を掛けて毎日を生きるというリアルに、まだ付いて行けていないようです。
「食用油、ありがとう。思ってたよりも品質は悪くないみたい」
話題を変えました。
エリオットの事を忘れたいわけではないのですが、今は少し普通の会話で、平穏な日常を思い出したかったのだと思います。
「ならまた持ってくるよ、値段はその時に聞いてくる。今回のはお試し品だ」
「そうなんだ。……うん、お願いします。あ、あとねランドルフ、マナ・ポーションも入荷出来るようになったの」
「マナだって? そいつはいいな、騎士団にも分けてくれないか?」
「もちろんよランドルフ。いくらでも持っていって」
「助かる、また五十ほどいいかな?」
「うん。大丈夫」
ランドルフと居るとなんだか落ち着きます。さっきまで荒れていた心が、少しずつ溶かされていくのが分かるのです。
「そうだサオリ、昼間馬車で来た時に幌の中に魔法特化の騎士が二人同乗していたんだが、そいつらが言っていたぞ」
ランドルフは店内の照明に視線を送った後、私に言いました。
「なにを言っていたの?」
「この店の灯り だ。魔法ではない光の集まりに興味深々だった。この灯りは魔力を感じさせないのに光っているから、魔力の多いものにとっては不思議で仕方ないのさ。俺もそう思う。その二人は脅威を感じるとも言っていた」
「ただの照明よ、ランドルフ。まるでこれが恐怖の対象みたいに言うの……あ」
私はある事に気付きました。今までの魔物たちは――
「どうした?」
「夜よ、夜には魔物が襲って来ないの。……ランドルフ、これってそういう事なの?」
昼間には分かりづらいけど、夜は煌々とお店が輝いて見えるはずです。周りには街灯も何もない暗闇の中で……。
騎士団の魔法使いの方がそう言うのでしたら、あり得る事です。魔物たちは魔力の感じない光輝くものに対して、恐怖していたのではないでしょうか。
火を恐れる動物のように。
人だって未知のものに対しては恐怖するものです。ましてや魔物だったらもっと敏感になって、警戒するのかも知れません。
「それはあり得るな。実際魔物がそうしていたのならきっとそうだろう」
魔力ではなく、電気というこの世界にとって未知のものが、夜のこのお店を守っていたようです。
いまだにこの電気の供給源は分かりませんが、これが電気そのものであるのなら、やはりそれは私の居た世界に繋がっているという事ではないでしょうか。
このお店のどこかに、私の世界と繋がる接触面があるのかも知れません。
もしそうだとしても、科学者でもないただのフリーターの女に、元の世界に帰る方法など思いつきもしませんけど。
「じゃあそろそろ帰るよ、サオリ」
ランドルフは暇を告げようとします。
「え……はい。色々とありがとう、ランドルフ」
まただ。――また私は彼に対して寂寥感を募らせる。
駄目だよ私。ひとりで頑張って生きないと駄目だよ。最後には絶対に元の世界に帰るんだよ。
誰かに頼る事は仕方ない。けど、心まで傾倒しては駄目なんだよ。
頑張れ私。寂しくない。大丈夫。彼は友達としてこの世界に存在してくれている。
それだけで有り難い事でしょう。それ以上を求めちゃ駄目だよ私。
ほら、やれば出来るでしょう。彼を見送って、またねって言うだけだよ。
そう、こうやって。
「サオリ?」
私は、帰ろうと踵を返したランドルフの背中に、しがみ付いていました。
「帰っちゃ……やだ」
しがみ付いたまま、泣いてしまいました。
「わかった。……もう少し居るから。泣くな」
振り向き、私の頭を撫でるその手が愛しくて、どうしようもなくなって、彼を見上げて目をつむりました。
逡巡した気配を一瞬感じた後、彼の唇が私のそれに重なりました。
昨日までの恐怖を、払拭したかっただけなのかもしれません。
ただ忘れたかっただけなのかもしれません。
恐怖も寂しさも全て消し去りたかった。そのために私は男を求めるのでしょうか。
いえ、私が彼を結界に誘った時点でもう、分かっていました。
恋に国境は関係ないのです。
帰り際に馬車の幌から毛布をたくさん降ろして、置いていってくれました。
私は今バックルームに籠り、毛布にくるまって椅子に座っています。
文字化けしたストアコンピューターのモニターをしばらく眺めた後、脇にあるDOTを手に取って発注画面を見たら――
ありました。
『教授の鞭 0/1』
持ち主の居なくなったそれは、再び発注できるようです。
「エリオット……」
また涙があふれてきました。
椅子の上に膝を抱えて丸くなってしばらく泣いた後、その武器を発注しました。
『教授の鞭 1/1』
この武器は今、お店の外の地面に埋まっているのではないのでしょうか。……エリオットと共に。
ナイフもあります。
『シースナイフ(鞘付) 0/1』
これも発注します。
その後はずっと、ボーッとしていました。何もする気になれません。
夜になってから、ランドルフがまた訪ねてきました。
「気になったから来てみたけど、大丈夫かい?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
私はランドルフに、この十日間の出来事を話ました。
黙って耳を傾けていたランドルフは全てを聞き終えると、カウンター越しに私の頭を撫でようとして、結界に手をぶつけます。
私はカウンターから出ました。
ランドルフの手は目的を達成して、私の頭を撫でてくれます。
「昼間も結界から飛び出してきて、びっくりしたよ」
そうでした。私はランドルフの姿を見て、カウンターから飛び出して抱きついたのです。
そして今もまた、彼の慰めを受けるべく自ら出てきました。
「私が殺したの……」
「ああ、そうだな」
少し驚きました。私はたぶん自分の言葉を否定してくれる事を望んだのだと思います。
そんな事ない、君は悪くない、と。
それをランドルフは肯定しました。
「君が殺したようなもんだ。君の判断でそうなった。結界に入れなかったんだからな」
「はい……」
「だけどどうする事も出来なかったのも事実だ。結界に入れたところで魔物たちは消えないだろう。
エリオットという男は、自分が巻き起こした騒動を自分でなんとかしなければならなかった。
結果的には同じ事になっただろうさ。生きるか死ぬかは運だ。君は彼を間接的に殺したかもしれない。
だけど気に病むことでもないんだよ。君は巻き込まれただけなんだからね」
「だけど……」
「俺から見たら、君が結界にその彼を入れなかった事は英断に思える。できればそういう判断をこれからも下せる事を願うよ。君のためにもね」
結局はランドルフは、私を認めてくれるようです。私の味方だ、そう思いました。
「ランドルフ、結界に入ってみる?」
自然に出たその言葉に、自分でも驚きます。あれだけエリオットに対して、拒んでいたはずなのに。
こんな事を言えるなんて、私はこの人を完全に受け入れてしまったのでしょうか。
けれど、ランドルフの返事は――
「遠慮しておくよ。君の大切な世界だ。俺なんかに侵されていい領域じゃないだろう」
――なんだかフラれた気分です。
「うん。ごめん」
私はいったい、何に対して謝ったのでしょうか。
「とにかく気にしない事だ。いいか? サオリ、気持ちを切り替えろ。忘れろとは言わない、だが既に過去になった事に囚われるな。明日を生きたかったらな」
「……はい」
この世界の人の言葉は、いちいち心に沁みてきます。
平和で温い世界から来た私からしたら、命を掛けて毎日を生きるというリアルに、まだ付いて行けていないようです。
「食用油、ありがとう。思ってたよりも品質は悪くないみたい」
話題を変えました。
エリオットの事を忘れたいわけではないのですが、今は少し普通の会話で、平穏な日常を思い出したかったのだと思います。
「ならまた持ってくるよ、値段はその時に聞いてくる。今回のはお試し品だ」
「そうなんだ。……うん、お願いします。あ、あとねランドルフ、マナ・ポーションも入荷出来るようになったの」
「マナだって? そいつはいいな、騎士団にも分けてくれないか?」
「もちろんよランドルフ。いくらでも持っていって」
「助かる、また五十ほどいいかな?」
「うん。大丈夫」
ランドルフと居るとなんだか落ち着きます。さっきまで荒れていた心が、少しずつ溶かされていくのが分かるのです。
「そうだサオリ、昼間馬車で来た時に幌の中に魔法特化の騎士が二人同乗していたんだが、そいつらが言っていたぞ」
ランドルフは店内の照明に視線を送った後、私に言いました。
「なにを言っていたの?」
「この店の灯り だ。魔法ではない光の集まりに興味深々だった。この灯りは魔力を感じさせないのに光っているから、魔力の多いものにとっては不思議で仕方ないのさ。俺もそう思う。その二人は脅威を感じるとも言っていた」
「ただの照明よ、ランドルフ。まるでこれが恐怖の対象みたいに言うの……あ」
私はある事に気付きました。今までの魔物たちは――
「どうした?」
「夜よ、夜には魔物が襲って来ないの。……ランドルフ、これってそういう事なの?」
昼間には分かりづらいけど、夜は煌々とお店が輝いて見えるはずです。周りには街灯も何もない暗闇の中で……。
騎士団の魔法使いの方がそう言うのでしたら、あり得る事です。魔物たちは魔力の感じない光輝くものに対して、恐怖していたのではないでしょうか。
火を恐れる動物のように。
人だって未知のものに対しては恐怖するものです。ましてや魔物だったらもっと敏感になって、警戒するのかも知れません。
「それはあり得るな。実際魔物がそうしていたのならきっとそうだろう」
魔力ではなく、電気というこの世界にとって未知のものが、夜のこのお店を守っていたようです。
いまだにこの電気の供給源は分かりませんが、これが電気そのものであるのなら、やはりそれは私の居た世界に繋がっているという事ではないでしょうか。
このお店のどこかに、私の世界と繋がる接触面があるのかも知れません。
もしそうだとしても、科学者でもないただのフリーターの女に、元の世界に帰る方法など思いつきもしませんけど。
「じゃあそろそろ帰るよ、サオリ」
ランドルフは暇を告げようとします。
「え……はい。色々とありがとう、ランドルフ」
まただ。――また私は彼に対して寂寥感を募らせる。
駄目だよ私。ひとりで頑張って生きないと駄目だよ。最後には絶対に元の世界に帰るんだよ。
誰かに頼る事は仕方ない。けど、心まで傾倒しては駄目なんだよ。
頑張れ私。寂しくない。大丈夫。彼は友達としてこの世界に存在してくれている。
それだけで有り難い事でしょう。それ以上を求めちゃ駄目だよ私。
ほら、やれば出来るでしょう。彼を見送って、またねって言うだけだよ。
そう、こうやって。
「サオリ?」
私は、帰ろうと踵を返したランドルフの背中に、しがみ付いていました。
「帰っちゃ……やだ」
しがみ付いたまま、泣いてしまいました。
「わかった。……もう少し居るから。泣くな」
振り向き、私の頭を撫でるその手が愛しくて、どうしようもなくなって、彼を見上げて目をつむりました。
逡巡した気配を一瞬感じた後、彼の唇が私のそれに重なりました。
昨日までの恐怖を、払拭したかっただけなのかもしれません。
ただ忘れたかっただけなのかもしれません。
恐怖も寂しさも全て消し去りたかった。そのために私は男を求めるのでしょうか。
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