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第一部 第一章 混沌の世界
15・What will become of us?
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「こっち来ないの?」
「あ、ああ。ここでいい」
「コーヒー飲む?」
「お、おお。いただこうかな」
「……」
私はカウンター越しにランドルフと向かい合っていました。
なんだかぎくしゃくしています。
エスプレッソマシンでコーヒーとカフェラテを作って、コーヒーをランドルフに渡しましたが、目を合わせてくれません。
「ねえランドルフ、なんで目を逸らしているの?」
「ん? んん。そうか?」
「……」
最初は私の方こそ恥ずかしくて、顔を合わせられない状態だったのですが、どうもランドルフの方が私よりも気にしているようです。
「別にランドルフが悪いわけじゃないでしょう? いやランドルフのせいなんだけど」
「う、うん。すまん」
「別にランドルフが謝る事でもないでしょう? ランドルフのせいなんだけど」
「や、やっぱり俺のせいか? ……だよな、うん」
「そうよ。あんな異世界サイズ、小柄な日本人の私には無理よ」
「ニホンジン?」
あれ? ランドルフに私の住んでいた世界の事を、説明した事はなかったでしょうか。
……ありませんでした。
どうしましょう。今更のような気がしますけど、隠す事でもありません。
「私この世界の人間じゃないの。違う世界から転移して来たみたいなの。だからこの世界の事何も知らないのよ」
「そんな気はしてたよ。この建物も、見た事もない作りだしね」
え? 受け入れちゃう? 驚きもしないの?
「なんか普通にしてるけど、驚かないの?」
「違う世界から転生した者も居るって聞くからね。実際に会った事はないが」
私が驚きました。私のように他の世界から来た人も居ると言うのです。
ですが転生と言うのなら生まれ変わって、という事なのでしょう。
「なんで転生したって分かるの?」
「どうもそいつらは前世の記憶を残したまま、生まれ変わるらしい」
「そんな事ってあるの?」
「ああ、そしてその転生者はとんでもない力も備えてるって話だ。だからSランクの冒険者には転生者が多いって聞くよ」
Sランク……エリオットもそうでした。けれど彼はこの建物に反応していませんでした。
でもそれは私の世界からの転生という意味であって、もしかしたら彼は私の居た世界とは違う世界から、生まれ変わった人だったのかも知れません。
今となっては、それを確かめる事も出来ないのですが。
「転移したって人の話は聞いた事ない?」
「ああ、ないね。転生者の話だけだ」
「そう……なの」
「そうだ、すっかり忘れていた。インクを持ってきていたんだ」
ランドルフは懐から小さな布袋を出して私に差し出しました。
袋の中を覗くと、とても小さな壺が入っています。
「インクは高いんだぞ。大事に使えよ」
「あ、そうよね。お金払います。おいくらでしたか?」
「いいさ、俺からのプレゼントだ。受けとってくれ」
「そんな、悪いわ。払いますよ」
「いや、いいんだ。君に何かを贈りたかったんだ」
「……」
この中に指輪が入ってたり……しないわよね。
いえ、助かります。ありがたいですとも。この世界の男性に気の利いたプレゼントなど、期待する方がおかしいと言うものです。
「ありがとう、ランドルフ。大事に使うわ」
「あの羽根ペンに使うんだろう? 何か書いて見せてくれないか?」
「ええ、そうね」
ランドルフには羽根ペンの事は伝えてあります。
私はバックルームに戻り、羽根ペンとノートを一冊取ってきました。
お店の商品で、消費期限が切れそうなものを書いておくノートです。
お弁当やおにぎりなど、期限が翌日とか翌々日とか、すぐに来るものは毎日決まった時間にチェックしているのでその場で分かりますけど、その他のほとんどの商品は数か月という期限があるのです。
それでもなかなか売れずに、その数か月を店内で過ごしてしまう商品もあります。
後ろの方から商品を取るお客様が居るせいでもあります。
そういった商品を下げ忘れないように、期限の近いものをノートに記入しておくのです。
ノートを見て期限が今日のものがあったらチェックし、まだ残っていたら棚から回収します。
コンビニのバイトって楽な仕事のように思われがちですけど、結構細かい作業もあって、覚える事も多いので一ヶ月や二ヶ月勤めたくらいでは決して、すべての仕事が出来ると言えるようにはなりません。
数年勤めていても、まだやっていない作業というものがあったりするのです。
ノートをカウンターの上で広げて、インク壺に羽根ペンの先を浸します。
「書くわよ?」
「ああ、頑張れ」
特に頑張る必要もないのですが、私は自分の名前を書こうとして、ふと思い止まりました。
「私、死なないわよね?」
私の居た世界では物凄く有名な漫画に、そういうものがありました。それはペンではなく、ノートでしたけど。
「そのペンにどんな能力が宿っているか分からないんだ。最初は無難な文字にしといた方がいいぞ」
この世界の住人であるランドルフの方が、よっぽど事の重大さを分かっているようです。
「じゃあ……」
『結婚したい』
ああ、何も考えずに書いたものがこれですか……。どれだけ願望背負ってるんでしょうか私。
「ああ、俺でよかったら結婚しよう」
突然ランドルフが訳の分からない事を言い出しました。
「えええ!?」
「俺に向けて書いたんじゃないのか?」
ちょっと待って。なんでランドルフが漢字を読めるのよ! もちろん彼が読めないと思って書いてますよ私!
あ! 謎翻訳め!
「なし! 今のなしです! なんで私からプロポーズしなきゃならないのよ!」
私の密やかな夢はもちろん、素敵な王子様からの愛の告白とプロポーズです。
これは譲れません。
なんで私が紙に書いたプロポーズをしなきゃならないのでしょうか。
「俺から言えば結婚してくれるのかい?」
「そ、それは……今は無理……かな?」
私はまだ諦めていません。元の世界に戻る事を。そう思ったら今書いたこの文字も危険なものでした。
もしこのペンが願いを叶えるペンだとしたら、私はこの人と結婚していた事でしょう。
それは嫌な事ではないのですが、そうなったとしたら私は帰る事を諦めるのでしょうか。
危なかった……。
「普通のペンに見えるね。君が書いている時に魔力の発動もなかった」
「そ、そうね。魔力とか分からないけど、色々試してみないとね」
色々な文字や数字を書いてみましたが、何も起こりません。
何か法則とか約束事とかが、あるような気がします。
「俺が書いてみてもいいかい?」
ランドルフにはまだ書いてもらっていませんでした。
魔力がある人に書いてもらった方がよかったですね。
ランドルフにペンを渡し、ノートの向きを彼に向けます。
「じゃあ書くよ」
ランドルフが書いた文字は――
『俺と結婚してくれ』
――えっと。
「あのね、ランドルフ」
「うん。なんだい?」
「インクがもったいない」
「……はい」
嬉しかった。
めちゃくちゃ嬉しかった。
でも、今じゃない。
今、彼と浮かれている場合じゃない。
このペンの先に天使が居て、神様が居るかもしれなくて、それが私の残された希望なのかもしれないのだから。
今、彼を選ぶ事は出来ない。
選んではいけない。
「ごめんね、ランドルフ」
「ああ、いいさ。君は元の世界に帰りたいんだね? 俺の方こそ君の気持ちに気付かなくてすまなかった」
「ランドルフが謝らないで、私の勝手な想いに振り回されるのは、ランドルフなんだから」
「本当は君を引き止めたい所なんだが、元の世界には君の居場所があるのだろう? 応援しないといけないね」
「……」
ああ、もう。泣きそうです。
このまま彼の胸に飛び込んでしまいたい。いっそ彼と一緒にこの世界で……。
私で良いと言ってくれる人が、今目の前に居る。もうそれでいいのではないのか。そんな気になってしまいます。
だから私は彼にこう言うのです。
「ランドルフ、今日はもう帰って」
「そうだね。うん、そうするよ。落ち込ませて悪かった」
優しいランドルフは私の勝手な物言いに、嫌な顔もせずに暇を告げます。
ああ、駄目だ。私。
少しだけ、少しだけ彼に気持ちを伝えたい。このまま別れたくない。
「帰る前にキスしてください」
カウンター越しにねだります。
「いいとも」
ランドルフはそのまま私にキスをしようとして、カウンターの結界に顔をぶつけました。
「ぷっ」
「笑うなよ。この結界は一度入ったからって、次も入れるとは限らないのか」
「もう大丈夫よ、きて」
私はカウンターから両手を伸ばし、『彼を受け入れる』と念じます。
ランドルフは今度は結界にぶつかる事もなく、私にキスをしてくれます。
職場で不謹慎です。と、心の中でもう一人の私の声が聞こえた気がしました。
「あ、ああ。ここでいい」
「コーヒー飲む?」
「お、おお。いただこうかな」
「……」
私はカウンター越しにランドルフと向かい合っていました。
なんだかぎくしゃくしています。
エスプレッソマシンでコーヒーとカフェラテを作って、コーヒーをランドルフに渡しましたが、目を合わせてくれません。
「ねえランドルフ、なんで目を逸らしているの?」
「ん? んん。そうか?」
「……」
最初は私の方こそ恥ずかしくて、顔を合わせられない状態だったのですが、どうもランドルフの方が私よりも気にしているようです。
「別にランドルフが悪いわけじゃないでしょう? いやランドルフのせいなんだけど」
「う、うん。すまん」
「別にランドルフが謝る事でもないでしょう? ランドルフのせいなんだけど」
「や、やっぱり俺のせいか? ……だよな、うん」
「そうよ。あんな異世界サイズ、小柄な日本人の私には無理よ」
「ニホンジン?」
あれ? ランドルフに私の住んでいた世界の事を、説明した事はなかったでしょうか。
……ありませんでした。
どうしましょう。今更のような気がしますけど、隠す事でもありません。
「私この世界の人間じゃないの。違う世界から転移して来たみたいなの。だからこの世界の事何も知らないのよ」
「そんな気はしてたよ。この建物も、見た事もない作りだしね」
え? 受け入れちゃう? 驚きもしないの?
「なんか普通にしてるけど、驚かないの?」
「違う世界から転生した者も居るって聞くからね。実際に会った事はないが」
私が驚きました。私のように他の世界から来た人も居ると言うのです。
ですが転生と言うのなら生まれ変わって、という事なのでしょう。
「なんで転生したって分かるの?」
「どうもそいつらは前世の記憶を残したまま、生まれ変わるらしい」
「そんな事ってあるの?」
「ああ、そしてその転生者はとんでもない力も備えてるって話だ。だからSランクの冒険者には転生者が多いって聞くよ」
Sランク……エリオットもそうでした。けれど彼はこの建物に反応していませんでした。
でもそれは私の世界からの転生という意味であって、もしかしたら彼は私の居た世界とは違う世界から、生まれ変わった人だったのかも知れません。
今となっては、それを確かめる事も出来ないのですが。
「転移したって人の話は聞いた事ない?」
「ああ、ないね。転生者の話だけだ」
「そう……なの」
「そうだ、すっかり忘れていた。インクを持ってきていたんだ」
ランドルフは懐から小さな布袋を出して私に差し出しました。
袋の中を覗くと、とても小さな壺が入っています。
「インクは高いんだぞ。大事に使えよ」
「あ、そうよね。お金払います。おいくらでしたか?」
「いいさ、俺からのプレゼントだ。受けとってくれ」
「そんな、悪いわ。払いますよ」
「いや、いいんだ。君に何かを贈りたかったんだ」
「……」
この中に指輪が入ってたり……しないわよね。
いえ、助かります。ありがたいですとも。この世界の男性に気の利いたプレゼントなど、期待する方がおかしいと言うものです。
「ありがとう、ランドルフ。大事に使うわ」
「あの羽根ペンに使うんだろう? 何か書いて見せてくれないか?」
「ええ、そうね」
ランドルフには羽根ペンの事は伝えてあります。
私はバックルームに戻り、羽根ペンとノートを一冊取ってきました。
お店の商品で、消費期限が切れそうなものを書いておくノートです。
お弁当やおにぎりなど、期限が翌日とか翌々日とか、すぐに来るものは毎日決まった時間にチェックしているのでその場で分かりますけど、その他のほとんどの商品は数か月という期限があるのです。
それでもなかなか売れずに、その数か月を店内で過ごしてしまう商品もあります。
後ろの方から商品を取るお客様が居るせいでもあります。
そういった商品を下げ忘れないように、期限の近いものをノートに記入しておくのです。
ノートを見て期限が今日のものがあったらチェックし、まだ残っていたら棚から回収します。
コンビニのバイトって楽な仕事のように思われがちですけど、結構細かい作業もあって、覚える事も多いので一ヶ月や二ヶ月勤めたくらいでは決して、すべての仕事が出来ると言えるようにはなりません。
数年勤めていても、まだやっていない作業というものがあったりするのです。
ノートをカウンターの上で広げて、インク壺に羽根ペンの先を浸します。
「書くわよ?」
「ああ、頑張れ」
特に頑張る必要もないのですが、私は自分の名前を書こうとして、ふと思い止まりました。
「私、死なないわよね?」
私の居た世界では物凄く有名な漫画に、そういうものがありました。それはペンではなく、ノートでしたけど。
「そのペンにどんな能力が宿っているか分からないんだ。最初は無難な文字にしといた方がいいぞ」
この世界の住人であるランドルフの方が、よっぽど事の重大さを分かっているようです。
「じゃあ……」
『結婚したい』
ああ、何も考えずに書いたものがこれですか……。どれだけ願望背負ってるんでしょうか私。
「ああ、俺でよかったら結婚しよう」
突然ランドルフが訳の分からない事を言い出しました。
「えええ!?」
「俺に向けて書いたんじゃないのか?」
ちょっと待って。なんでランドルフが漢字を読めるのよ! もちろん彼が読めないと思って書いてますよ私!
あ! 謎翻訳め!
「なし! 今のなしです! なんで私からプロポーズしなきゃならないのよ!」
私の密やかな夢はもちろん、素敵な王子様からの愛の告白とプロポーズです。
これは譲れません。
なんで私が紙に書いたプロポーズをしなきゃならないのでしょうか。
「俺から言えば結婚してくれるのかい?」
「そ、それは……今は無理……かな?」
私はまだ諦めていません。元の世界に戻る事を。そう思ったら今書いたこの文字も危険なものでした。
もしこのペンが願いを叶えるペンだとしたら、私はこの人と結婚していた事でしょう。
それは嫌な事ではないのですが、そうなったとしたら私は帰る事を諦めるのでしょうか。
危なかった……。
「普通のペンに見えるね。君が書いている時に魔力の発動もなかった」
「そ、そうね。魔力とか分からないけど、色々試してみないとね」
色々な文字や数字を書いてみましたが、何も起こりません。
何か法則とか約束事とかが、あるような気がします。
「俺が書いてみてもいいかい?」
ランドルフにはまだ書いてもらっていませんでした。
魔力がある人に書いてもらった方がよかったですね。
ランドルフにペンを渡し、ノートの向きを彼に向けます。
「じゃあ書くよ」
ランドルフが書いた文字は――
『俺と結婚してくれ』
――えっと。
「あのね、ランドルフ」
「うん。なんだい?」
「インクがもったいない」
「……はい」
嬉しかった。
めちゃくちゃ嬉しかった。
でも、今じゃない。
今、彼と浮かれている場合じゃない。
このペンの先に天使が居て、神様が居るかもしれなくて、それが私の残された希望なのかもしれないのだから。
今、彼を選ぶ事は出来ない。
選んではいけない。
「ごめんね、ランドルフ」
「ああ、いいさ。君は元の世界に帰りたいんだね? 俺の方こそ君の気持ちに気付かなくてすまなかった」
「ランドルフが謝らないで、私の勝手な想いに振り回されるのは、ランドルフなんだから」
「本当は君を引き止めたい所なんだが、元の世界には君の居場所があるのだろう? 応援しないといけないね」
「……」
ああ、もう。泣きそうです。
このまま彼の胸に飛び込んでしまいたい。いっそ彼と一緒にこの世界で……。
私で良いと言ってくれる人が、今目の前に居る。もうそれでいいのではないのか。そんな気になってしまいます。
だから私は彼にこう言うのです。
「ランドルフ、今日はもう帰って」
「そうだね。うん、そうするよ。落ち込ませて悪かった」
優しいランドルフは私の勝手な物言いに、嫌な顔もせずに暇を告げます。
ああ、駄目だ。私。
少しだけ、少しだけ彼に気持ちを伝えたい。このまま別れたくない。
「帰る前にキスしてください」
カウンター越しにねだります。
「いいとも」
ランドルフはそのまま私にキスをしようとして、カウンターの結界に顔をぶつけました。
「ぷっ」
「笑うなよ。この結界は一度入ったからって、次も入れるとは限らないのか」
「もう大丈夫よ、きて」
私はカウンターから両手を伸ばし、『彼を受け入れる』と念じます。
ランドルフは今度は結界にぶつかる事もなく、私にキスをしてくれます。
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