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第一部 第一章 混沌の世界

17・ラフィー、帰る

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「邪魔だったからけした」

 ラフィーの言葉に、私はしばらく呆然としてしまいました。

「消した……って?」
「けしたー」

 私はすぐにカウンターに行き、たばこ棚の中から一つたばこを選び、手にして投げました。
 結界に弾かれるはずのそれは、そのままカウンターの外に行き、床に転がりました。

「そんな……」

 頭の中はパニックです。

 この世界で結界が無かったら、私なんかが生き残れるはずもありません。
 すぐにまたバックルームに戻り、ラフィーに訊きます。

「結界を元に戻す事は出来ないの? お願いだから、何とかしてくれない? 結界が無いと困るの」
「うー?」

 首をかしげています。
 元に戻す事は出来ないのでしょうか。

「こーな」
「え? あ、はい。コーラね。待っててね、今新しいの持ってくるから」

 ウォークインの冷えたペットボトルのコーラを取りに行き、もしかしたらコーラがここにある限り、ラフィーはまだここに居るかもしれない。……そう思ったのですが――

「ラフィー帰る」

 コーラを受け取ったラフィーは、それを開けて飲む事をせずに、暇を告げます。
 ――そのコーラは手土産だったのね……。

 バックルームからゆっくりとカウンターに出て行く、ラフィーの小さな背中を見つめながら、私の頭はフル回転していました。

 このまま彼女を行かせていいのでしょうか。
 いいわけがありません。結界の消えたこの場所に、私が一人で生き残れるはずがないのです。

 結界を元に戻す事に関して、ラフィーの返事は貰っていません。でもあの感じでは恐らく、戻す事は出来ないのでしょう。
 では、どうするか。ここに残れないのであればラフィーについて行くしか選択肢が残されていないような気がします。
 
 お店の外は闇の中――夜です。
 天使であるラフィーの傍に付いて居る方が安全だと分かってはいますが、彼女が私を守ってくれるという保証はありません。
 
 ラフィーがカウンターから出ました。
 お店の扉まではもうあとわずかです。

 ランドルフに保護してもらうにしても、連絡を取る方法がありません。
 この世界にスマホなどないのです。
 彼がここに来るとしても明日の夜になる事でしょう。

 丸一日、私が一人でここに残って、生き残る事は――
 無理……絶対に無理です。

 ラフィーが硝子の抜けきった扉をくぐろうとしています。

 どうする!? どうする私!!

 もう考えている時間はありません。

 私は急いでバックルームに戻り、ロッカーから私物のショルダーバッグを出してそれから、冷蔵庫に保存してある携帯食とペットボトルの水をバッグに詰め込んで、すぐにラフィーを追いました。

 ラフィーはお店を出て少しした所で足を止めています。

「待ってラフィー! 私も行くわ。神様の所へ連れていってちょうだい!」

 ラフィーの背中へ向けて投げた言葉は無視されました。
 なぜなら彼女は突然、走りだしたのです。

「え? ちょっと待って! ラフィー!」

 暗闇の中へと消えたラフィーの姿はもう見えません。
 私は走り出しました。

 躊躇っている時間はないのです。
 辺り一面は草原ですが、馬車の通り道は幅五メートル程の土の地面です。
 
 どうしよう。どうしよう。
 このまま見失ってしまったら、私はもうこれまでなのかもしれない。
 
 お店からあまり離れたくはない。……けど、そのお店ももう結界は無いのです。

 私は走りながら、バッグからお店で売っていた懐中電灯を取り出し、目の前に向けて点灯しました。
 電池は既に挿入済みです。

「いた! よかった……」

 懐中電灯に照らされたラフィーの背中が見えました。
 立ち止まっています。

「ラフィー! なんで走りだすのよ。私も――」

 異変に気付きました。

 ラフィーの立ち止った先に、いくつもの赤い光点が浮かび上がります。
 それは何十、何百とあるか分からない程に、暗闇の中に存在しました。

「これは!?」
「こーな。もってて」

 ラフィーは先ほどのコーラを私に手渡してきました。

「ラフィー、何をするつもり? あの赤い点は何?」

 彼女は前方を見つめたまま、気だるげに答えます。

「うるふー。たくさんいる」
「ウルフ?」

 思い出しました。
 先日、お店の前で三人組みの冒険者の方々が戦っていた、野獣の事ではないでしょうか。

 では、あの赤い光点がその魔獣の目なのだとしたら、いったい何匹居るのでしょう。
 私たちはいつの間にか、その大量の赤い瞳に囲まれていました。

 敵は待ってはくれませんでした。
 突然闇の中から一匹のウルフが現れ、ラフィーに飛びつきます。
 
「あぶな――」
「ギャウゥゥン!」

「え?」

 飛びついたはずのウルフがラフィーの足元に転がっていました。
 懐中電灯を向けると、地面にみるみる血が広がって行きます。

 ラフィーの左手が前に突きだされていました。

「何をしたの!?」
「ミシェールいないと魔物いうこときかない……だから」

「だから?」

 ラフィーはその先を言わず、目の前に突きだした左手を天に向けて――

「うー」

 ――数多輝く赤い光点に向けて、振り下ろしました。

「やー」

 可愛くも気の抜けた、その掛け声で放ったものは魔法でしょうか。
 私には何も見えません。

 ただ次の瞬間、前方数十メートル先で巨大な爆発が起き、私はその爆風によって吹き飛ばされ――

 気を失ってしまったのです。

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