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第二部 第二章 追跡者

72・こういう事ですよ!

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「私は……ランドルフの婚約者ですわ」

 思わず言ってしまいましたけど……いいのか!? これで!? いや、よくないですよね? 私とランドルフはせいぜい友達以上恋人未満な関係なのですから。
 王族の者の名前を出して勝手に婚約者を名乗ったら、詐欺罪とかになりませんか? 犯罪ですか? 逮捕されちゃいますか!?

「まあ! あのランドルフ様の? それはそれは、おめでとうございます」

 やっぱり王族の顔は知れ渡っているのですね! よかった、私がシレっと家族だなんて名乗らなくて!
 いやでも、婚約者でもありませんでした。……もう、どうにでもなれです。

「それで、そちらの可愛らしいお嬢様方は、御側付おそばづきという事でよろしいのですね」
「はい、そうですね。私の護衛兼、お世話係というか、そんな感じです」
「でも……」

 エメドーラは近くに居たラフィーの瞳をまじまじと見つめていました。
 
「この方の瞳は……十字に光る瞳は……どこかで……」
「え?」

 天使の特徴は皆、十字型に光る瞳にあります。
 この人は過去に天使を見た事があると言うのでしょうか。
 
「ヴッヴヴッヴヴヴァヴァヴァヴァヴァヴァッ!」
「何事!?」

 ラフィーの瞳を凝視していたエメドーラが突然、白目をむいて体を硬直させて、小刻みに震えだしました。――気持ちの悪い奇声を発して!
 それを目の前で見てしまったラフィーは、少し引いています。

「どうしたの!?」
「失礼いたしました。何でもありません。少し持病の発作が……」

 一瞬で持ち直して何事も無かったかのようにしていますが、……さっきのは本当に発作だったのでしょうか。
 とても怖かったのですけれど……というか、見てはいけないものを見てしまったような気がします。
 
 持病の発作と言いながらも、そのための薬を飲むわけでもなく、それどころか発作を起こした事自体を忘れてしまったかのように平静を取り戻しています。

 エメドーラはおもむろにカウンターの後ろにある棚に手を伸ばすと、どこの魔導書か百科事典かと思えるような巨大な台帳を引っぱり出し、カウンターにドン! と叩きつけるように置いて、それを開きました。

「こちらにお客様のお名前をご記入下さい」

 先程の恐怖とも言える光景がまだ目に焼き付いていましたが、私は何とか気持ちを落ち着かせて、目の前に開かれた宿泊台帳に向きました。
 宿屋ですから当然の事と思い、素直に差し出されたペンを手に取って、記帳しようとしましたが――カーマイルが横から手を伸ばしてきて邪魔をしました。

「馬鹿ですか? いや馬鹿なのは知っていましたが、知らぬ者の前で自らの名前を相手の差し出したペンと紙を使って綴ろうなどと……死ぬ気ですか?」
「へ?」

 何を言っているのこの子は? と、頭が混乱してしまいましたが、カーマイルは口は悪いですが頭の悪い子ではありません。
 チラリとエメドーラの顔を見たら、カーマイルに向かって目を大きく見開いて睨んでいました。
 その顔、めちゃくちゃ怖いんですけど!?

「ど、ど、ど、どういう事?」

 エメドーラの怖い顔からゆっくりとカーマイルに視線を戻すと、そこにはいつも通りのクールな天使が、平然とエメドーラを睨み返していました。

「本当に馬鹿ですか? 魔力の宿ったペンやノートの威力と効力、その強制力はサオリが一番知っているでしょう? 私が何度あなたの羽根ペンで名前を書かれて強制的に召喚された事か」

 そこまで聞いてもよく分かりませんでした。カーマイルはいったい何が言いたいのでしょう。
 私は宿泊台帳に名前を記帳しようとしただけです。何故これが私の持つ羽根ペンと比べられるのでしょう。
 ただエメドーラが突然発作を起こして奇声を上げたり、カーマイルをギョロ目で睨んだりして何かがおかしいとは感じますけど、理由が分かりません。
 そんな表情の私に呆れたのか、驚いたのか、――いいえ、怒っていますね。――カーマイルは実力行使に切り替えました。

「こういう事ですよ!」

 カーマイルの左手が発光して、青い炎を放射しました。
 ――宿屋の台帳に向けて。

『グギャアァァァァ!』
「えええ!?」

 悲鳴を上げたのは台帳そのものでした。
 なおも浴びせ続けるカーマイルの青い炎に、紙で出来ているはずのそれは、燃え尽きるという事がありませんでした。
 ただ炎に包まれて、苦悶に満ちた声を上げているだけです。

『グアァァァァァ!』

 そのうちに台帳を包む炎が人の顔を形作って、その口の部分から悲鳴を上げるようになりました。
 これは……この台帳に何かが乗り移っていたのでしょうか? これに私がサインをしていたら、どうなっていたのでしょうか。

「第四天使、そいつを逃がさないようにして下さい」
「はい」

 カーマイルがフォウに指示したのは、宿屋の女主人、エメドーラの確保でした。

「ちっ」

 舌打ちをしたエメドーラが次に取った行動は、私にとっては全くもって理解不能で、あまりにも衝撃的でした。

 エメドーラは自分の脳天に両手を掛けると、紙を引きちぎるようにして自らを縦に引き裂いたのです。
 途端に薄っぺらな破れた紙となって、その紙も消えてなくなりました。

「何いまの!?」
「生命力が希薄だと思ってはいましたが、まさか人間ではなかったのですね」

 フォウは落ち着いたものですが、私はちょっとパニックになりそうです。
 カーマイルが炎の放射を止めると、あの台帳も消えて無くなっていました。
 燃え尽きたのでしょうか。それともエメドーラが消えたせいで台帳もまた、同じ運命を辿ったのでしょうか。

「エメドーラさん……どういう事!?」

 この場に居て一部始終を見ていたカルミナの驚きようは、彼女もまたエメドーラの正体は知らなかったように見えます。 
 エメドーラとグルだったと思えなくもないですが、これが演技だとはとうてい思えません。

「誰か……説明してくれない?」
「見たままですよ、サオリ。エメドーラはサオリをめようとしたのですよ。策略がバレたので自らを消滅させて証拠を隠滅したのでしょう」
「だから、何で?」
「馬鹿ですか……」

 私はカーマイルではなく、フォウを見ました。

「あの台帳からは闇の魔力が滲み出ていました。わたくしが注意をする前に、第五天使がサオリを止めてくれました」
「闇の……魔力?」
「恐らく呪いのようなものが罠として組み込まれていたのだと思われます。あれに名前を書く事で何が起きるのかは、台帳が消えた今となっては調べようがありませんが、それがサオリ様にとって望ましくない結果であるという事は、想像に難くありません」

 カーマイルが直前で止めてくれた、という事だったのですね。
 
「ありがとう、カーマイル。でも私には闇の魔力とか、見えないんだからね」
「ふん」
「で、エメドーラは結局なんだったの?」
「わたくしの見立てでは、あれは何者かに操られていた術式そのもので、サオリ様を狙ったというのも間違いはないと思いますが、この宿に誘導する者が居なければ、それは成り立ちません」
「それは、つまり……」

 カルミナに皆の視線が集まりました。

「私は何も知りませんでした! 本当です! 信じてください! エメドーラさんと会ったのも久しぶりでしたし、私がサオリ様たちをご案内したのも本当に偶然で、以前知り合った王族の方がここに滞在していた事も事実です!」

 涙を浮かべて訴える彼女のこれが演技なのだとしたら、どこぞの映画賞の助演女優賞くらい、本気で狙えるのではないでしょうか。
 
「彼女が嘘をついているように見える?」
「わたくしには、分かりません。けれども彼女がここにわたくしたちを連れて来なければ、エメドーラの罠も意味の無いものになります」

 私が口に出した、嘘という言葉。……嘘……嘘……? どこかでその文字を見たという記憶が突然脳裏に浮かびましたが、何だったでしょう。……ごく最近のはずです。
 
「あっ!」

 思い出しました。
 すぐにバッグからスマホを取り出して、その画面の中に並んでいるアイコンを凝視しました。
 
「これだ!」

 『嘘』と漢字一文字が書かれたアイコンがあったのです。
 この世界の神様が、よくこんな漢字を知っていたものだと感心しましたが、よくよく考えたらこれも謎翻訳機能のせいかも知れませんね。
 とにかく私はこの文字から、あるものを連想していました。

 アイコンをタップすると、またしても画面は真っ黒になりました。
 ものは試しです。その画面をカルミナに向けて、質問をしました。

「カルミナさん、もう一度さっきの言葉を、口に出して喋ってもらえますか?」
「さっきの?……私は知らなかった、という事ですか? 本当に私は何も知らなかったのです。信じて下さい!」

 スマホの真っ黒な画面の中央に、文字が浮かびました。――『YES』と。

 私が『嘘』という文字で連想したもの、それは――嘘発見器です。
 まさか本当に機能するとは思いませんでしたが、これは……そうなのでしょうか。
 もう一度確かめてみましょう。

「では、次の質問には必ず、『はい』と答えて下さい。いいですか?」

 カルミナは頷きました。
 
「では行きます。あなたは……『男』だ」

 一瞬だけカルミナは怪訝な顔をしましたが、事前に『はい』と答えるように言われているので、その通りに答えてくれました。

「はい」

 画面を見るとそこには――『NO』と出ています。

「本物だ!」

 何を基準に判定をしているのかは分かりませんが、これは本物なのではないでしょうか。
 なにせ、神様が作った特別アイテムなのです。

 もう一度、今度はカーマイルに向けて――「あなたは私の事が好き」と、振ってみました。

「そんな事、ある訳が無いじゃないですか、馬鹿ですか?」

 判定は――『YES』
 なんだかちょっと、悲しくなりました。
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