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第二部 第三章 対決

80・ジーク

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 フォウが言う『やつ』とは、あいつしか居ません。

「ジーク!」

 その姿はすぐに視界に入りました。
 前回の魔族の姿ではなく人間の恰好をしたジークが、道の向こうから夕陽を背に、歩いてこちらに向かっていました。
 それは私の中のフォレスの記憶にある、以前のジークと同じ姿でした。
 黒の鍔広帽子トラベラーズハットをを目深く被り、足首まである黒い大振りなマントを羽織っているその姿は、私から見たら西部劇のガンマンにしか見えません。
 
「サーラ、結界を!」

 無詠唱で瞬時に展開されるサーラの強力な結界は、私たちに余裕と安心感を与えてくれます。
 けれども相手が相手なので、油断は禁物です。

「堂々と姿を現すとは、意外でしたね」

 カーマイルの言葉に私も同じ気持ちでした。
 天使たちから聞いていたジークのやり口は、とても卑怯で計画的でずる賢くて、少なくとも堂々とあいまみえるような性格には思えませんし、実際カルミナの居た街ではジークは姿を見せる事なく、罠だけが張られていました。
 もしかしたら既にこの周辺にも、何らかの罠が待ち構えているのかも知れません。

 ジークは私たちの居る場所から、二十メートルくらい離れた所で立ち止まりました。
 まだ少し距離があるとは言え、その見えない圧力が恐怖となって、私の体を蝕みます。
 フォレスも目覚めていない勇者未満の、ただの人間でしかない私に出来る事は、恐れて震えて、涙ぐむ事だけでした。
 
 しばらく様子を見るように、お互いに黙って対峙していましたが、やがてジークの方から口を開きました。

と同じ取り巻きが残って居る。……バケモノめ」

 第一声がそれでした。
 あの時とはアランと戦った時、そして取り巻きと言うのはサーラと二人の天使ニナとフォウの事でしょう。
 ジークにバケモノと言わしめるのは、サーラを指しての事でしょうか。

 怖い、怖い、怖すぎます……ジークは人間の姿をしていると言うのに、何故こんなにも体が震えるのでしょうか。
 全身が恐怖で支配されて、今にも漏らしてしまいそうなくらいに、私は脅えているのです。

 けれども……私は――
 私は、前に進むと決めたではないですか。
 ここで怯んでいる場合ではないのです。
  
「何をしに来たの?」

 気力を振り絞ってようやく発した私の問いかけに、ジークは薄く笑うと――

「女勇者よ、貴様も魔力を隠すのか。見事な隠蔽術式だが俺には通用せん。アランで懲りたからな。さぞやその体に内包する魔力は桁違いのものがあるのだろう」

 なんだか勘違いされているようですが、勇者と見破っているあたり、大体の見当は付けて来ているのでしょう。
 勇者と知って、宣戦布告でもしに来たのかと思っていた私は、次のジークの言葉に耳を疑いました。

「今日は貴様らのために、忠告をしに来てやったのだ」
「忠告ですって?」

 会話を続けながらもお互いに油断なく観察を続け、少しでも動きがあれば瞬時に戦いの火蓋が切られそうな緊張感が、この場を包み込んでいました。

「貴様らがこのまま魔族領へ行っても徒労に終わるだろう。無駄なのだよ。貴様らでは魔王様は討てぬ」
「そんなの、やってみなきゃ分からないでしょう? そんな事を言いにわざわざ私たちの目の前に姿を現したの?」
「馬鹿な勇者だ。魔王様どころかこの俺さえも、倒せぬと言っているのだ」

 一度アランにやられているくせに、どこからその自信が湧いてくるのでしょう。

 私はロデムを召喚して使用した時に、たまたまポケットに入れていたスマホを取り出しました。
 その動きを見たジークは、いつの間にか短めのスタッフを二本、どこからか取り出し、左右の手に掴んでいます。

「……」
「それで何をするつもりなのかは知らんが、無駄な事は止めておけ」

 私はスマホの画面にある『魔』のアイコンを押しながら訊きました。

「私たちが魔王やあなたを、倒せないと言う理由はどこにあるの?」

 ジークはその質問に、答えてはくれませんでした。

「まぁ、いいだろう。好きにしろ。魔族領へ行けば分かる。それともその前に、俺とここで一戦して絶望を味わっておくか?」

 どこまでも自惚れるジークに、少し痛い思いをさせた方が良いのではと一瞬だけ思いましたが、恐怖に震えて立っているのが精一杯の私は、天使たちに攻撃を指示する事も躊躇われました。

 ですが約一名、勝手に暴走してしまう天使がここに居ました。

「わざわざその首を差し出しに来るとは、馬鹿ですか?」

 カーマイルの左手が淡く閃光して、その手から発生した青い炎が、業火となってジークに襲い掛かります。
 凄まじい勢いで迫る炎が、ジークに食らいつかんと竜のあぎととなった瞬間――

 ドン! という発砲音を響かせて、ジークの短い杖から発射された魔力弾が、カーマイルの魔法を相殺して打ち消しました。
 ジークの技を実際に見るのは初めてですが、フォレスの記憶の中にある光景と同じで、私も知っていた情報です。
 人の記憶とは言え映像として見て知っていたのに、何か違和感を感じました。
 それは何故なのか――フォウの発した言葉で分かりました。

「おかしいです、サオリ様。第五天使の極大魔法をあのような小さな魔力の塊りのみで相殺してしまいました」
「以前とは威力が違うのよ、フォウ。魔力が格段に上がっているんじゃないの?」

 私はそう言いながら、手に持っているスマホの画面に、視線を落としました。

 ――『56000』
 
「!?」

 この数値は!? サーラを越えているではないですか!?
 様子を見ている場合では無さそうです。余裕など一ミリも無くなりました。
 すぐにでもこの場は退かないと――ああ、でも……まだエリーシアの情報を得ていないと言うのに。

 ドン! またしても発砲音が轟き、今度は――

「きゃあ!」
「サーラ!」

 あのサーラの強固な結界が、たった一発の魔力弾によって破壊されていました。
 迷っている時間などありません。
 
「サーラ! 撤収!」

 ドン! ジークの発砲とサーラの転移魔法の展開は同時でした。
 私のノートによる転移と違って、サーラの転移は対象の体に触れる事なく、彼女が認識した者たちを一斉に移動させてくれます。

 空間を切り裂いて、以前野営した河原へと転移した私たちは、すぐに異変に気が付きました。
 足元が……真っ赤なのです。

「ニナ!」

 全員無事に転移したと思っていましたが、最後にジークが発砲した魔力弾は、ニナを標的にしていて転移直前に命中させていました。
 ニナの下半身が、――消失していたのです。

「死んではいません、気を失っているだけです。サーラ! 早く!」
「は、はい!」

 ショックで口が利けなかった私の代りに、カーマイルがサーラに指示を出しました。
 蘇生魔法は天使には効きません。
 もしこれが頭だったとしたら、即死となって二度とニナは戻らなかった所でした。

「あいつ……まさか、回復魔法持ちのニナを狙って……」

 過去の戦いで、ニナの能力を見極めていたのだと思います。
 狡猾なあの魔族は、真っ先に回復持ちのニナを、潰しに掛かって来たのです。

 サーラの魔法の効果で、失った体の部分を取り戻してもまだ気絶している状態のニナを見て、私は恐怖で震えました。
 あの短時間で天使を一人、失う寸前にまで追い込まれていたのです。

「『56000』って出てたのよ! どういう事!?」
「ジークの魔力値ですか?」

 フォウの見立てではジークの魔力はせいぜい天使と同等で、サーラにはとても及ばないとの事でした。
 それがどういうわけか、サーラを凌駕する程の魔力を身に付けていたのです。 
 その魔力値の差は、サーラの結界を一撃の元に破壊するという結果として表れていました。

「おそらく、それも……アラン様の」
「妖精の森……」

 フォウがアラン様と口に出した事で、私にも何となく分かりました。
 すべては妖精の森でジークが、森の精気を吸収して復活した事に起因しているのだと思います。

「森の精気として沁み込んでいたアラン様の魔力が、ジークにも影響を与えたのでしょう。大幅な魔力値の増大はそれしか考えられません」

 アランによって倒されたはずのジークが、アランによって更に強くなって復活したと言う事ですか。

「何の冗談よ……ますます勝ち目が無くなったじゃないの……」   
「あ、あの……サオリ様……」

 ニナの治療を終えたサーラが、オドオドとした態度と小さな声で、遠慮がちに口を開きます。

「わたし……勝手ながらも……ジークに、マーキングを……してしまいました」
「え!?」

 それって、以前私が付けられたマーキングの事でしょうか。
 アランの指示でサーラが行ったそれは、私の絶体絶命のピンチを救ったものでした。
 そしてそれは、マークされたものの視界とリンクさせて、映像として見る事が出来る魔法でした。

「えいっ」っと杖を軽く振るったサーラの目の前の空中に、二十インチ程の四角いモニターが出現しました。

「現在の……ジークの、視点です」

 サーラにしては……と言ったら失礼ですけれど、あの状況下で何と言うファインプレーをしたのでしょう。
 私たちはそのモニターを凝視しました。
 そこに映るものはいったい――

「あっ、……もう、気付かれて、しまい……ました」

 画面に何かが映ったと思ったらすぐに、プツっと切れてしまいました。
 ですが一瞬だけ、ほんの少しだけ見えた映像には――

「想定内とは言え、……やはりあいつは侮れませんね」
「そんな……これじゃ本当に勝ち目なんて……」

 一瞬だけで充分でした。
 あまりにも分かりやすい特徴でしたから。

 私たちが見たそれは、椅子に座らされた、生きているのか死んでいるのかも分からない、虚ろな表情をした――

 金髪巻き髪の少女でした。
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