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第二部 第三章 対決
85・私は、私
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天使たちが待つ宿屋に急いで戻りましたが、何やら中が騒がしそうです。
扉を開けて入って見ると、十人くらい居る人たちが皆、一か所を見つめていました。
私もそちらに視線を移すと――
「頼むからもう止めてくれ! 仕事にならねえ!」
宿屋のマスターが叫んでいました。
「あのぉ……」
「あっ! あんた、こいつらをどうにかしてくれ!」
見ればマスターはニナとラフィーを厨房から引きずり出そうと、襟首を掴んで引っ張っている所でした。
「こいつら二人で厨房の食材、全部食っちまったんだよ! どうしてくれんだよ! どんな胃袋してんだよ!」
「はい?」
「部屋に監禁してようが縄で縛ろうが、いつの間にか厨房に居るんだよこいつら!」
「ええ……ゴキブリですかそれ」
二人の天使はいまだに何かを食べているらしく、ほっぺたをいっぱいに膨らませて、小さなお口をもぐもぐと動かしていました。
「何それ、リスみたい。可愛い……」
「可愛くねえよ! 食材どうしてくれんだよ! 明日の分も残っちゃいねえよ!」
「ニナ、ラフィー、おいで」
私の元に寄ってきた二人は、マスターを指差しました。
「ぶった」
「ぶたれた」
「なんですって? この子たちを殴ったのですか?」
フロアに居るお客が一斉に、非難の視線をマスターに向けます。
「そりゃぶつよ! 仕事にならねえんだもん! てかこいつらの頭を殴ったら手が折れたんだが!? 折れたと思ったらなんか魔法で治されたんだが!? 回復魔法なんて見た事ねえよ、何なんだよこいつら!?」
天使です、とは流石に言えませんね。
それよりも手が折れる程、強く殴ったのですか……この人は。
「食べてしまった食材の分のお金も払います。ご迷惑をお掛けしました」
「当然だ! あんたがいくら持ってるかしらねえけどな、こりゃ金貨の二、三枚も貰わなきゃ割に合わねえよ!」
「金貨……ですか」
「持ってねえだろ!? やっぱりその子供は売っ払っちまうしかねえようだな!」
子供を……売る……この人はまだこんな事を言うのですか。
ここに居る二人の天使がこの世界において、どれ程の存在価値があるのかをこの人は知らないとは言え、子供を売り払うなどと平気で口に出す人間がまともなはずがありません。
私の中で何かが、プツっと切れました。
「こ、この……」
「あん? この? なんだ?」
「この子たちの価値はね、……銀貨五枚とか金貨二、三枚とかの、そんなはした金で測れるようなものじゃないのよ!」
「お、おう?」
「だいたい子供を売るって何なの? 人としてどうなの? 馬鹿なの!?」
叫んでいたら、涙が出てきました。
私はいつからこんなにも、感情的な女になってしまったのでしょう。
ここが異世界なのは重々承知していますけれど、子供の売買が普通に行われているような世界だったのでしょうか。
この人が特別なのでしょうか。
魔物だとか魔王だとか、勇者なんかも居て、皆どこかで戦っていて、人も魔族も殺したり殺されたりしていて――
それがこの世界のルールなのは分かっていますけれど、……人の命もものすごく軽いものなのかもしれませんけれど、……。
だからって子供の扱いが、こんなにも酷い世界であっていいわけがありません。
ここに居るのがたまたま天使でしたから、人間に何をされようが痛くもかゆくもないのでしょうけれども、そうでなくても子供の姿をしている者を殴ったり、売り飛ばそうとする行為が許されているのだとしたら、私はこの世界を否定します。
「これくらいで済んで……良かったわね」
「なんだって?」
「店の食材くらいで済んで良かったわねって言ったのよ」
「いいわけねえだろ! こっちゃ生活が――」
「うるさい! この子たちが怒ったらアンタの命なんかいくつあっても足りないのよ! 食材だけで済んでラッキーだったのが分からないの!?」
「んなわけねえだろ!」
「ニナ」
私はニナを見ながら、宿屋の壁に向けて指を差しました。
「やっちゃって」
「はいなの」
ドン! ニナが左手を向けただけで、宿屋の奥側の壁一面が、一瞬で破壊されて消えて無くなりました。
「へ? な、何しやがった?」
「この子はね、勇者と一緒に魔王の討伐にも同行するような子供なの。そんな子をアンタが売り飛ばすなんて、最初から出来る訳が無かったって事よ」
「魔王? 勇者? 何言ってんだおまえ。……それよりも壁! どうしてくれんだよ壁ぇ!」
「私がお金をたまたま持ってなかったから、……こっちに非があるから、……この子たちは我慢してくれていたのよ」
「ほれ、やっぱりおめえが悪いんじゃねえか! 食材も壁も無銭飲食も! どうすんだこら!」
ギルドで受け取った金貨二十枚が入った布袋を、男の足元に投げました。
「金貨二十枚よ。それだけあればお店だって新しくなるでしょ」
「に、二十枚!?」
「私のバッグも返してちょうだい」
「バッグ? ああ、そこのカウンターの下に置いてある。案の定ろくなもんが入ってなかったぜ」
「大きなお世話よ」
バッグの中身を確認して、ノートと羽根ペンが盗まれていない事に安堵しました。
天使とバッグさえ返してもらったら、もうここに用はありません。
宿だって他の所で取ります。
ニナとラフィーの手を引いて、扉に向かいました。
人垣が左右に割れて、私たちの通り道を開きます。
「うお! 本当に二十枚も入ってやがる! これなら店が二つ三つ出来るぜ!」
田舎の物価は安そうですね。
本当は金貨二十枚では足りないのではと思っていたのですが、お釣りがくるくらいなのでしたら問題ないでしょう。
扉に手を掛けて外に出ようとしたその時――
「自警団が来たぞ!」
「誰かが通報したのか」
そんな声が外から聞こえてきて、私が開けるよりも先に扉が開きました。
「全員動くな! なんだその壁は!? 何があった!?」
外に出るタイミングを逸してしまいました。
面倒な事になりそうなので早く出たいのですが、自警団の人が――あら?
「あなたはオーク退治の現場に来ていた方ですね?」
私がオークの大軍を退治した後で、倒れた人たちを介抱していた、自警団の人たちの中の一人でした。
たまたまですが、顔を見ていて覚えていたのです。
この人が一人、自警団を指示してまとめる役割を担っていたので、目立っていたせいでもあります。
「ん? 確かにあの現場には居たが……あんたは?」
「オークを退治した鎧の騎士は私です」
「なんだって?」
自警団の人は私を上から下まで観察した後、はっきりとこう言いました。
「絶対違うね。あの騎士様はもっとこう……巨乳だったし」
「は?」
「どう見てもあんた、貧――」
「それ以上言うなー!」
なんという事でしょう。この人は胸の大きさで人を認識していました。
あれはプレートアーマーのサイズが、その大きさで固定されていただけなのに!
「ちょっと待って下さい。鎧姿に変身しますから」
私がスマホを取り出そうとしたら、止められました。
「全員勾留する! 移動するから大人しくしろ!」
「ちょっ、今証拠を見せますってば」
宿屋のマスターが邪魔をしてきました。
「俺はこいつらに被害を被っただけなんだよ! 俺まで勾留する気か?」
「あんたなんかどうでもいいのよ! それよりも街を救った英雄を拘束する気?」
「黙れ! 話は後で聞く! 表に出ろ!」
その場に居たお客も全員外に連れ出されて、待機していた馬車に詰め込まれました。
「何でこんなに面倒な事になるかな……」
天使の力や神様のアイテムを使えば力ずくでどうにでもなる事は分かっているのですが、それをしてしまうと私はこの世界でさらに孤立してしまうというのも分かっています。
開き直って何もかもやりたいようにやるのも、一つの生き方かも知れません。
けれども元々この世界の住人でもない私は、この世界に遠慮しているというわけでもないのですが、基本の私というものから逸脱して行くのを恐れているのです。
――徐々に自分では無くなって行く。
天使とか勇者とか神様とか色々なものに関係して、既に元の世界の私では居られなくなっているとも言えるのですが、それでも私はまだ変わらぬ自分のままなのだと思いたいのです。
こんな異世界なんかに転移させられてしまって、とっくに私の人生はめちゃくちゃですけれども、それでも私はこれまでの生きてきた分の道のりを、意味の無いものにしたくなかったのです。
どこに居ても、私は、私で在りたい。
勇者なんか本当はどうでもいい。私は――
私は、ただのコンビニ店員で、幸せだったのですから。
そんな事を、ぎゅうぎゅう詰めに押し込まれた馬車の中で、膝を抱えて考えていたのでした。
扉を開けて入って見ると、十人くらい居る人たちが皆、一か所を見つめていました。
私もそちらに視線を移すと――
「頼むからもう止めてくれ! 仕事にならねえ!」
宿屋のマスターが叫んでいました。
「あのぉ……」
「あっ! あんた、こいつらをどうにかしてくれ!」
見ればマスターはニナとラフィーを厨房から引きずり出そうと、襟首を掴んで引っ張っている所でした。
「こいつら二人で厨房の食材、全部食っちまったんだよ! どうしてくれんだよ! どんな胃袋してんだよ!」
「はい?」
「部屋に監禁してようが縄で縛ろうが、いつの間にか厨房に居るんだよこいつら!」
「ええ……ゴキブリですかそれ」
二人の天使はいまだに何かを食べているらしく、ほっぺたをいっぱいに膨らませて、小さなお口をもぐもぐと動かしていました。
「何それ、リスみたい。可愛い……」
「可愛くねえよ! 食材どうしてくれんだよ! 明日の分も残っちゃいねえよ!」
「ニナ、ラフィー、おいで」
私の元に寄ってきた二人は、マスターを指差しました。
「ぶった」
「ぶたれた」
「なんですって? この子たちを殴ったのですか?」
フロアに居るお客が一斉に、非難の視線をマスターに向けます。
「そりゃぶつよ! 仕事にならねえんだもん! てかこいつらの頭を殴ったら手が折れたんだが!? 折れたと思ったらなんか魔法で治されたんだが!? 回復魔法なんて見た事ねえよ、何なんだよこいつら!?」
天使です、とは流石に言えませんね。
それよりも手が折れる程、強く殴ったのですか……この人は。
「食べてしまった食材の分のお金も払います。ご迷惑をお掛けしました」
「当然だ! あんたがいくら持ってるかしらねえけどな、こりゃ金貨の二、三枚も貰わなきゃ割に合わねえよ!」
「金貨……ですか」
「持ってねえだろ!? やっぱりその子供は売っ払っちまうしかねえようだな!」
子供を……売る……この人はまだこんな事を言うのですか。
ここに居る二人の天使がこの世界において、どれ程の存在価値があるのかをこの人は知らないとは言え、子供を売り払うなどと平気で口に出す人間がまともなはずがありません。
私の中で何かが、プツっと切れました。
「こ、この……」
「あん? この? なんだ?」
「この子たちの価値はね、……銀貨五枚とか金貨二、三枚とかの、そんなはした金で測れるようなものじゃないのよ!」
「お、おう?」
「だいたい子供を売るって何なの? 人としてどうなの? 馬鹿なの!?」
叫んでいたら、涙が出てきました。
私はいつからこんなにも、感情的な女になってしまったのでしょう。
ここが異世界なのは重々承知していますけれど、子供の売買が普通に行われているような世界だったのでしょうか。
この人が特別なのでしょうか。
魔物だとか魔王だとか、勇者なんかも居て、皆どこかで戦っていて、人も魔族も殺したり殺されたりしていて――
それがこの世界のルールなのは分かっていますけれど、……人の命もものすごく軽いものなのかもしれませんけれど、……。
だからって子供の扱いが、こんなにも酷い世界であっていいわけがありません。
ここに居るのがたまたま天使でしたから、人間に何をされようが痛くもかゆくもないのでしょうけれども、そうでなくても子供の姿をしている者を殴ったり、売り飛ばそうとする行為が許されているのだとしたら、私はこの世界を否定します。
「これくらいで済んで……良かったわね」
「なんだって?」
「店の食材くらいで済んで良かったわねって言ったのよ」
「いいわけねえだろ! こっちゃ生活が――」
「うるさい! この子たちが怒ったらアンタの命なんかいくつあっても足りないのよ! 食材だけで済んでラッキーだったのが分からないの!?」
「んなわけねえだろ!」
「ニナ」
私はニナを見ながら、宿屋の壁に向けて指を差しました。
「やっちゃって」
「はいなの」
ドン! ニナが左手を向けただけで、宿屋の奥側の壁一面が、一瞬で破壊されて消えて無くなりました。
「へ? な、何しやがった?」
「この子はね、勇者と一緒に魔王の討伐にも同行するような子供なの。そんな子をアンタが売り飛ばすなんて、最初から出来る訳が無かったって事よ」
「魔王? 勇者? 何言ってんだおまえ。……それよりも壁! どうしてくれんだよ壁ぇ!」
「私がお金をたまたま持ってなかったから、……こっちに非があるから、……この子たちは我慢してくれていたのよ」
「ほれ、やっぱりおめえが悪いんじゃねえか! 食材も壁も無銭飲食も! どうすんだこら!」
ギルドで受け取った金貨二十枚が入った布袋を、男の足元に投げました。
「金貨二十枚よ。それだけあればお店だって新しくなるでしょ」
「に、二十枚!?」
「私のバッグも返してちょうだい」
「バッグ? ああ、そこのカウンターの下に置いてある。案の定ろくなもんが入ってなかったぜ」
「大きなお世話よ」
バッグの中身を確認して、ノートと羽根ペンが盗まれていない事に安堵しました。
天使とバッグさえ返してもらったら、もうここに用はありません。
宿だって他の所で取ります。
ニナとラフィーの手を引いて、扉に向かいました。
人垣が左右に割れて、私たちの通り道を開きます。
「うお! 本当に二十枚も入ってやがる! これなら店が二つ三つ出来るぜ!」
田舎の物価は安そうですね。
本当は金貨二十枚では足りないのではと思っていたのですが、お釣りがくるくらいなのでしたら問題ないでしょう。
扉に手を掛けて外に出ようとしたその時――
「自警団が来たぞ!」
「誰かが通報したのか」
そんな声が外から聞こえてきて、私が開けるよりも先に扉が開きました。
「全員動くな! なんだその壁は!? 何があった!?」
外に出るタイミングを逸してしまいました。
面倒な事になりそうなので早く出たいのですが、自警団の人が――あら?
「あなたはオーク退治の現場に来ていた方ですね?」
私がオークの大軍を退治した後で、倒れた人たちを介抱していた、自警団の人たちの中の一人でした。
たまたまですが、顔を見ていて覚えていたのです。
この人が一人、自警団を指示してまとめる役割を担っていたので、目立っていたせいでもあります。
「ん? 確かにあの現場には居たが……あんたは?」
「オークを退治した鎧の騎士は私です」
「なんだって?」
自警団の人は私を上から下まで観察した後、はっきりとこう言いました。
「絶対違うね。あの騎士様はもっとこう……巨乳だったし」
「は?」
「どう見てもあんた、貧――」
「それ以上言うなー!」
なんという事でしょう。この人は胸の大きさで人を認識していました。
あれはプレートアーマーのサイズが、その大きさで固定されていただけなのに!
「ちょっと待って下さい。鎧姿に変身しますから」
私がスマホを取り出そうとしたら、止められました。
「全員勾留する! 移動するから大人しくしろ!」
「ちょっ、今証拠を見せますってば」
宿屋のマスターが邪魔をしてきました。
「俺はこいつらに被害を被っただけなんだよ! 俺まで勾留する気か?」
「あんたなんかどうでもいいのよ! それよりも街を救った英雄を拘束する気?」
「黙れ! 話は後で聞く! 表に出ろ!」
その場に居たお客も全員外に連れ出されて、待機していた馬車に詰め込まれました。
「何でこんなに面倒な事になるかな……」
天使の力や神様のアイテムを使えば力ずくでどうにでもなる事は分かっているのですが、それをしてしまうと私はこの世界でさらに孤立してしまうというのも分かっています。
開き直って何もかもやりたいようにやるのも、一つの生き方かも知れません。
けれども元々この世界の住人でもない私は、この世界に遠慮しているというわけでもないのですが、基本の私というものから逸脱して行くのを恐れているのです。
――徐々に自分では無くなって行く。
天使とか勇者とか神様とか色々なものに関係して、既に元の世界の私では居られなくなっているとも言えるのですが、それでも私はまだ変わらぬ自分のままなのだと思いたいのです。
こんな異世界なんかに転移させられてしまって、とっくに私の人生はめちゃくちゃですけれども、それでも私はこれまでの生きてきた分の道のりを、意味の無いものにしたくなかったのです。
どこに居ても、私は、私で在りたい。
勇者なんか本当はどうでもいい。私は――
私は、ただのコンビニ店員で、幸せだったのですから。
そんな事を、ぎゅうぎゅう詰めに押し込まれた馬車の中で、膝を抱えて考えていたのでした。
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