元奴隷少年が【黒曜】になるまでの戦記

SSS(隠れ里)

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序章〘作中作〙

第9話【芽生えはじめた自我】

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 俺は、青い月に照らされた街道をゆっくりと彷徨っている。

(ふん、それにしても皇帝になるなんてよく言えたな。あぁ、あの頃は、毎日夢中で読んでたな)

 武術学校の歴史書庫で、英雄や名将たちの戦史や自伝などを熟読していた頃を思い出した。

 貸出は自由だった。俺は月明かりの下、夢中で呼んでいたのだ。

 叙事詩や英雄譚には、感じるものがなかった。あれは、飾り立てられた話に過ぎないからだ。そこには、葛藤も屈辱もない。

 反して自伝は、面白かった。

 ほとんどの名将は、はじめて生命を奪ったとき罪悪感にさいなまれたそうだ。

 眠れない夜や悪夢にうなされることもあったという。戦いのたびに震え、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった、と。

 そんなことは、叙事詩や英雄譚には、書かれることはない。良いところだけを抽出した砂糖菓子のような駄文である。

 彼らは、神の子のように選ばれた人間でなくてはならないのである。

 弱き人々には持てない超常的資質によって万難を退ける英傑……。

 でも、事実は……

 初陣が怖くて、逃げ出すような人物が名将になったこともあったのだ。

 俺が、はじめて命を奪ったのは憎き男だった。

 心の底から喜びを感じたし、罪悪感から悪夢にうなされることなどあるはずもない。

 ルグラン家の養子となってからの俺は、覚えていないほど多くの命を壊してきた。

 何も感じない。

 英雄や名将たちのような罪悪感にさいなまれることもない。

 それどころか、相手の魂が消滅する瞬間に悦楽を感じてしまう。

 鞭を打たれ、多くの観客に笑われた。嘲りの眼差しが、俺の心を縛り上げていく。

 誰かの命を奪う前に、剣を突き立てる、その時に。──幼かった俺の目の前にいた笑顔の群れが、その動かない双眸が、チラチラと浮かんでくる。

 俺は、そんな不条理を打ち倒すため、アルウィンとともに英雄になることを誓った。

 ボルドローの魂を壊したとき、皇帝になることを願った。

 その願いのどれもが、実感はない。まるで、夢の中の願いだ。これこそが、俺の悪夢なのだろうか。

 俺は、考えながら歩きつづけた。気がつけば、アニュレ砦の裏門の前だ。

 結局は、ここに戻るしかない。

 握ったままの剣に、俺の顔が映る。

 赤黒くなった黒曜の鎧も、顔にへばりついている怨念で染められた赤い液体も拭わなかった。

 帰るしかなかった。

 アニュレ砦の裏門は、俺の姿を確認したのだろうか。何事もなく、簡単に開いた。

「お戻りになられましたか? アルウィン様からの伝言です。ゆっくり休んでほしい。伝えたいことがあるから、明朝9時に司令室まで来て欲しいとのことです。……大丈夫ですか?」

 番兵は、俺の様子を見て訝しむような口調に変わった。

 血まみれの男が、剣を持ったまま呆然としているのだ。無理もない。

「あぁ、分かった。事前に言われていたんだな。気にいらない……」

 番兵は、軽く声をたてて笑う。俺の反応まで、アルウィンの予想済みだったというわけだろう。

「アルウィン様は、リシャール殿を信頼しておられるのでしょう。そのように感じましたよ」

 番兵は、嬉しそうに言葉を弾ませて言った。前向きに受け取ればそうなのだろう。

 俺は、剣を鞘に納めてから番兵に片手を上げた。軽い挨拶のつもりなのだが。

 何故か、そうしたいと思ったのだ。

(こいつらも笑うのか、笑えるんだな。今まで、気にもしていなかった……)

 アルウィンは、変わったのだろう。俺に手を差し伸べたあの頃は、夢見がちな御曹司のようだった。

 今や、御曹司は、腹の底で夢を見ることのできる策士になったようだ。

 俺も変わったのだろうか。元々の自分とは何だったのか。そこからどう変わったのか。

 俺は、それを知りたいと思う。



 朝になる。窓から差し込む日差しは、まだ弱々しく青い月に似ている。

 やはり、悪夢に苛まれることはなかった。俺は、自分の手を見つめる。

 ボルドローの部下の男の願いは、叶わなかった。彼を裏切ったのは、ボルドローのほうだが。

 結局は、無駄死にとなってしまった。

 俺は、こんなにも人の死について考えたことはない。今までは、まるで訓練所にある案山子のごとく、敵の心臓に刃を突き立ててきた。

 これは、何なのだろうか。時計を見ると、8時を過ぎていた。

 ベッドから起き上がり、テーブルの上に置かれた朱殷色になった黒曜の鎧を見た。

 後悔や懺悔の念は、まったくない。

 皿の上に置かれた木の皮のような干し肉を手に取ると、かじりつく。

 渇いた塩味が、舌に滲んだ。はじめて食べたときに感動したのを思い出した。

 低級の貴族から横流しされた肉を喰らうサーカス団員たちの幸福そうな顔を見ていたからだ。

 食べてみたいと願いながら……

 俺たち道化人形は、名も知らない雑草をお湯につけたスープのみであった。

 平民たちは、豆スープを食べられると知ったときは、羨ましかったものだ。

 ターブルロンド帝国では、食肉は貴族のものだ。

 粗悪な横流し品を食べることができるのは、市民の中でも金持ちだけなのである。

 もし、俺が皇帝になれば干し肉を多くの市民に解禁させるだろう。

 それだけで、多くの市民の心をつかむことができるはずである。

 無論、貴族からの反発は必至なのだが。貴族よりも平民のほうが、人口が多い。

 数の多い方を厚遇するほうが、国は長く続くのではないかと俺は常々考えていた。

 その場合、市民は貴族のように狡猾であってはならない。

 愚かな人々に幸福を与える王でなければならないのだ。俺は、そうなった自分を夢想して笑った。

 奴隷から王になる展開など、自分が嫌っていた英雄譚そのものではないかと……

 第9話【芽生えはじめた自我】完。
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