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序 ブラック企業奴隷、異世界転生で奴隷になる

誰がために鐘は鳴るけど?俺には?

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  俺は冷たい畳の上で俯き、明かりも付けずに立っていた。
床に落としたスマホが嫌に明るくて目に痛い程だ。画面にはメッセージが書かれている。彼女から送られてきた一方的な意見と別れたいと言う言葉。

「なにが...優しすぎるだよ...」

 こういった無難な理由を添えた別れたいメッセージは決まって別の男が出来た時だ。まぁ経験談ではあるが、それはいい。
「優しい」というワードは、俺に対する免罪符に聞こえてしまう。優しいからと言葉を付け足してしまえば、何でもしてくれる。そんな風に思われて28歳を迎えているのだ。
 なにが言いたいのかと言えば。

「聞き飽きたんだよ...クソが。」

人、友人、職場の上司、親にさえ利用される人生。出涸らしになった俺からも抜き取られる。信じた人にすら捨てられた今となっては、そういう風に対応してきた自分が恨めしい。
 三夜四日の完徹を終えた今の俺になら分かる。俺は優しさの奴隷だ。

「次があるなら、せめて、自由に生きてみたい。」

そうして俺は天井から下がる輪っかに首を入れ込み、足を乗せている椅子を蹴り飛ばした。

「グッ____か、ハッ!!!」

締め付ける綱は肌にめり込む。自重が下へと向かうに連れて、首が苦しくなって、熱くなって、それから意識が少しづつ霧散していくような感覚になっていく。

「あ___終わ____」

ハッキリとした終わりは感じない。でも今この瞬間死んだのだと分かるのはどうしてだろうか?











「それはあなたが死んだからよ。」

  突然の第三者の発言に心臓が裏返る。
  目を開くとボロボロだった壁は白く清潔なものに変わり、床は畳ではなく無機質な白くて硬そうななにかに変化している。そして目の前には机が置かれ、その机には肘を着いて書類を睨む青い髪の毛の女性が座っていた。
でかい。胸が。でかいが白衣のせいで形しか分からない。

「__08523…?」

あれ?なんかおかしいぞ。話そうとしているのに言葉が数字へ勝手に変化されている。なんだこれ。

「あらら。あなた自己認識随分低いわね。なに、恋人にでも振られて自殺したの?...」

首を振ってみるも、返事がない。どういうことだろうか。

「あーあなたがどういうふうに見えるか分からないけど、私から見ると貴方のことは...煙みたいにモヤモヤよ。」

  言われてみると肌に触れる温度も、手が動く感覚もない。まるで夢にいるような、と言うよりも幽体離脱しているような感じだ。こんなこと今まで体験したことが無い。なんだかんだとパニックを起こしている自分が恥ずかしくなってきた。

  まとまらない考えは、青髪の女性の咳払いで意識がそちらへと向いた。

「_____どうやらここの説明よりも、あなたをちゃんとさせてからの方がいいのかもね。早くしないと貴方の魂はここに留まれず、転生もなく消えてしまう。」

  なんだ。それなら願ったり叶ったりだ。

  ずっと消えたいと望んできた俺にとって、またとないチャンスじゃないか。あの時首を吊ったのは、恋人と別れたというだけじゃない。それはきっかけだ。

「...八木元拓也。人に裏切られ続けた男よ。今、貴方の力が必要なの。」

  そう言って近寄ってくる奴は多かった。
  俺は自他ともに認めるほどに優しい。それは生まれてきてからずっと親に言われてきたからだ。まるで呪いのような「コレ」が、他人の悪意によって上手く利用されてしまう。それすらも「優しい」から許してしまった。

 時間差で来るぼやけていく感覚は、まるで波のようで次第に大きくなる。まるでパズルの端から崩れていくようだ。

「おい大丈夫か?おい!」

  いや、それでいいんだ。
  もし2度目があるならと強く願いはしたが、今の気持ちはそうじゃない。誰もいない場所で静かに眠らせてくれ。消えるならそれもいい。もう誰の話も聞きたくない。優しさなんて甘い果実を実らせても、誰から構わず貪られるだけだ。

「いいかい拓也。君は優しい人でそれを他人に振りまいてきた。それが返ってくることを何となく期待しながらね。」

そう言われたらそんな気がする。

「そして沢山の人が君を蔑ろにしてきたのも知ってる。18歳の頃、君は名前を貸したんだよね。懇意にしてくれた先輩だった。」

そいつは逃げた。俺に100万以上の借金を押し付けて。

「それから仕事が上手く行かなくなって、心を病んで、転職した。高卒で資格もない君が行ける仕事は、荒い現場職くらいなもので、色んな場所で虐められたり、パワハラ受けたりして。...辛かったね」

パワハラと言うよりはモラハラが多かった。
行く先々で荒れた人物が僕の人生を大きく歪ませ、金もなくなり、どん底に落ちていた。
だが心が深く沈まなかった。それは彼女がいたからだ。でもそれは彼女なんて呼べる代物ではなくて、死なない為、自分の心を少しでも色付ける為の装置でしか無かった。

  それさえも奪われた。

「____闇堕ちがはじまった!!!早く救わないと...」

  奪い尽くされたこの俺には、魂だけは自分のモノだ。誰にも取らせはしない。だから自殺を決めた。

「拓也!!聞いて!君がいた世界では色んな物が沢山あった。色んな事情や誘惑が、まるでスーパーみたいに立ち並んでいて、それを手に取らない勇気がある人はほんのひと握りなんだ。」

  なんだよそれ。なら勝手に俺の籠から奪っていくな。

「君は、自分が何も減らないと思って人に渡し続けたんだ。でも減ってるのよ。心の内壁は優しさよ。それは人に渡す度に確実に削れて磨り減って、かえってきたとしても元には戻らない。期待通りには絶対かえってこないから、剥き身の心は黒く淀んでしまうの。」

  全うそうな言葉が心を貫く。だがそれがどうしたと言うのか。もう終わってしまうのだから関係ない。

「なら今度は別の世界で、君の期待を試してみないか?」

別の世界って言ったか?

「そこは君がいた世界よりも、質素で、日々生きる事だけを追い求めているような世界なの。まぁ勿論例外な人間もいるでしょうが____それでももし、自分を試してみたいなら、強く自分をイメージしなさい。踏み出したその足が、貴方の優しさが世界を救うの。」

  連帯保証人になって莫大な借金を背負った19歳。
時間と自由だけを追い求めて転職した23歳。
新たな場所ではモラハラを受けた。それから頼みの綱だった司法書士も、実際蓋を開ければ単なる詐欺集団で、最後の金も騙し取られ、恋人も僕を置いて去っていった。時間も自由も金も奪われ続けた人生だった。

  もし。もしだ。僕が信じた「優しさ」が救う世界があるのならだ。試してみてもいいのかもしれない。

「終わるのが遠回りになるだけだ拓也。寄り道していけよ。」

良い言い方だな。遠回りか。

「___モヤモヤが薄れてきたな。よし。承諾と受け取るぞ。ではルールに乗っ取り、この私アストライアが名前を付ける。これにより君は異世界へと転生する事となるだろう。」
「587(いい名前を頼む)」
「任せろ。ってうぉ、なんか意味わかるぞ!!まぁいいか...名づけは女神のお家芸だからな。八木元拓也改め、今から君の名は_______マサヨシだ。」

  なんとも和風な名前がつけられてしまった。あんなにも仰々しい言い方や見た目なのも相まって、クスッと笑ってしまう。
次第に身体の輪郭がハッキリしてきた。フワついていた感覚が締められて、形を浮き彫りにしていくような感じ。それが全身を覆った。
  しばらく感覚の余韻に浸っていると、青髪の女は俺の目を見つめて笑顔になっている。

「なにか御用でしょうか___うわ!声でる!!」
「やっと身体が出てきたね。はじめましてマサヨシ、私はアストライア。ここ、異世界転生者派遣機構「天秤」の局長です。よろしく」

手を差し伸べられ握手を求められたた。なんだか不穏だが、その手を取る。

「あのえー、なんて呼べばいいんですか?」
「そうね...とりあえず局長でいいわ。」
「なら局長、めっちゃ質問多いんですが、なんです天秤って?」
「まぁまぁ順を追って説明するから少し待たれよ。」




☆☆☆☆☆





 アストライアの話は今まで聞いたことのない突飛な話だった。
ここ6次元の世界に立つ異世界転生者派遣機構「天秤」において、世界とはひとつの単位だと言う。
6次元の海に浮かぶ数多の世界は女神によって育てられる箱庭であり、世界に生きる物全てを庇護し守り破滅させ、また生まれを繰り返しているようだ。
何のためにかは彼女達も知らない所であるが、女神は最上神と呼ばれる存在によって縛られているため、逆らう事もできないという。

  女神が担当する世界には、直接的な干渉を禁じられている。そして世界のサイクルが上手く出来なかったり、何かしらの変化を齎す必要がある時の助け舟として、アストライア率いる「天秤」から異世界転生者を派遣するのだという。

所謂、派遣業者ということになるのだろう。と僕は理解した。


少し喋りすぎて疲れたのだろう。アストライアは長い青髪を振って、深く息を吐いて仕切り直した

「フー...____それでどう?ここまでで質問ある?」
「んー...向こうに転生したとすると、僕ってなんになるの?」
「人間よ。オーダーは16歳の男性と言う事だから若くなるわね。スペックやスキルは世界担当女神の仕事だからわからないわね。」
「そうなんだ___めちゃ強な勇者になれたらいいんだけど」
「ぷっ_____くくく...勇者ね...」

  急に口元を抑えて吹き出したアストライア。なんだ?なんか不穏な雰囲気を感じる。

「ねぇマサヨシ。ちょっとお話ししよう。勇者って、誰が決めるの?」

 勇者という耳心地にいい単語が届く。ファンタジー物の創作物なら主人公になりがちなポジション。だが実際はどうなんだろうか。
 
「勇者って____そらアストライアが選抜して送るんだから、アストライアじゃないのか??」

個人的に妥当な返しだと思った。

「なら女神が暴虐や陵辱の限りを尽くし、人里を燃やして歩くような者を送ったとする。それも勇者?」
「そんな訳ない。」

  勇者とは自称するものでは無く称号に近い物。第三者が特定の者に対して言う記号。立場の違う者同士でなら、勇者も魔王もあべこべに見える。

  つまりアストライアは転生者を送るのは、世界に変化を促すためであり、勇者を送っているつもりは無いということだ。

「勿論そうよね。そんな勇者がいたとすれば、結局魔王と変わらないわ。つまり何が言いたいのかと言うと____」
「人間が勝手に渾名を付けてるって事だな。」
「御明答よ。勧善懲悪は人間同士の枠組みで起こる諍いを正当化してるだけ。勇者は群衆が作った正しさの化身。私たちは送りはすれ、その後どんな動きをしようと関知しない。」

 優しい目をしたアストライアは、白く綺麗な両手で俺の両頬を包んだ。優しくて暖かくていい匂いがして、心が少し落ち着いた。

「自死を選んでも、貴方は自分に正しくあろうとするのね。」
「そういう風にしか生きられないんだよ。僕は。」
「あぁ...マサヨシ。あなたは、貴方の人生を生きなさい。第2の人生の中で、貴方の優しさが全てを変えることを祈ります。」
「アストライア...」

  僕は彼女の手に触れて、温かさを噛み締めた。忘れたくない。

「ここでの事、向こうでは覚えてるの?」
「...忘れることはないわ。でも封印されるから思い出すこともない。でもね。」

 生まれて初めて感じられた暖かさ。彼女の言葉の中にある確かな物が、僕の冷たくなった一部をしっかりと温めてくれた。だから信じて見たくなった。彼女の事を。
 アストライアはゆっくりと手を離し、にっこり笑った。

「きっとまた会える。その時は、私が貴方の記憶を解放してあげるから、それまで頑張って。」
「絶対だからな。アストライア。絶対の絶対。君が僕を信じさせたんだ、もう誰にも裏切られ________」

嗚呼、どうか向こうでもアストライアに会えますように。

























  瞼を開くと、青々とした背景に白い雲がまだらに流れていた。青空。天井や病院ではなく青い空が僕を出迎えた。

「____あれ?」

  身体を起こして地に足を立てる。すると草原が風に凪いでいた。どこまでも広がる緑色の絨毯が、風によって波のように葉を横たえていた。

「僕、今まで部屋にいて...」

 薄暗い部屋の中で、喉を締め上げる苦しさに悶えていた筈だ。
でも今はどうだ。今まで感じていた圧迫感はなくなった。ここにあるのは壮大な世界と僕だけだ。

「お初にお目にかかります。」

不意に背後から声をかけられて振り向いてみる。そこにはまるでゲームから出てきたような村人が2人、男女が俺に笑顔を向けている。

「貴方が、アストライア様によってこの現世に召喚されました勇者様でしょうか?」

  丁寧な日本語だ。こういう事は何度かあったんだろうと確信するくらいに慣れた対応に感激する。
 兎に角なんと返せばいいかわからず、俺は頷いてみた。コミュ障極まれる。てかアストライアとはなんだ?
  挙動不審な対応を見ると、男性は柔和な笑顔を崩さず言った。

「急な出来事で大変驚かれているかと思われます。ですが安心して下さい。我々がおります。」

  なんというかハリボテな優しさを笑顔に変えて、顔に貼り付けているような人だ。出てくる言葉が何か胡散臭い。

「あ、あの。貴方達は一体どちら様でしょうか?」
「我々は天秤の守り手、女神アストライアにお仕えする信者にございます。」
「天秤の守り手...」

聞き覚えがあるようでないような気がしてきた。なんかのゲームにでもでたのだろうか。

「女神アストライアはこの世界に変革が必要になった時、別世界で死んだ人間をこちらに転生させることがございます。私共は転生された勇者様が迷わぬようにと、神託を受けて案内を任された夫婦でございます。」

 現状なにもない草原で見つけた彼らはかなり胡散臭い。だがこの優しさに縋ることしか今はできない。

「な、なるほど。少し事態を理解するのに時間はかかりますが、どうかよろしくお願いいたします。」

誘われるがまま、僕は彼らの後を追ってみる。どうせ当てもないわけだし。素直になることも大事だろう。

こうして僕は望んでいなかった第2の人生を歩みだした。だが心中が穏やかでは無い。今先陣を切って歩く2人の背中が影っていて、出てくる言葉が全て胡散臭い。

「ゆっくり歩きますから、どうぞ跡を歩いて下さい。」

振り向いた時に見えた目付きは、なんだかとても見覚えのあるものだった。
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