かいしゅうやさんのしごと

佐藤さん

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回収屋ログ

おとぼけバンビ後編

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 音が死滅した世界から辛うじて這い出した男と裕二は、淀川沿いの廃墟群を北へと進んでいた。


 巨大な象が去った後の街には、再び不気味なほどの静寂が戻っていた。
 しかし、それは先ほどの「無音の結界」とは違う。時折、遠くで瓦礫が崩れる音や、正体不明の鳥のような鳴き声が、隔離地域の「日常」を告げている。

​「なぁ、おっちゃん……」

 裕二が、ぬかるんだアスファルトに足を取られそうになりながら、男のコートの裾を力なく引いた。
 振りほどくには容易だが、心苦しさもあって男は振り返る。

「なんだ?」
「暇なんだ。父さんの話を聞いてよ。」

 深刻な危機を脱したとは言っても、ここは以前隔離地域。ストレスを紛らわせるならと、男は薄く頷いた。

「父さん、昔はすごく厳しかったんだ。自衛隊の訓練の話ばっかりでさ。家でも、靴の並べ方一つで怒鳴られたりして。正直大嫌いだったんだ。」

​ 男は何も答えず、キャッツアイの索敵レイヤーを最大に広げて周囲を警戒し続けた。しかし、裕二の言葉を遮ることもなかった。

「でも……一ヶ月前に父さんが帰ってこなくなった時、家の中に父さんの脱ぎっぱなしの靴が一つだけ残ってて。それを見た時、初めて気づいたんだ。……あぁ、父さんは、俺たちを『守る』ために、あの街へ、この壁の向こうへ行ってたんだなって。」

​ 少年の瞳には、泥に汚れながらも、決して消えない「再会」への熱が灯っていた。

「だからさ、謝らなきゃいけないんだ。『うるさい親父だと思っててごめん』って。……あの日、喧嘩したまま送り出しちゃったから。だから、絶対に生きてなきゃ困るんだ。……生きてるよな? シェルターは安全なんだろ?」

​ 男は、自らのスカイフックのグリップを強く握りしめた。親指に伝わる形状記憶ポリマーの脈動が、少しだけ早くなる。
 言葉を選ぶが、いい選択肢を持ち合わせていない。無難な言葉で返すことしか男はできなかった。

「……シェルターは、最悪の事態を想定して作られている。あそこに逃げ込んだなら、望みはある」

 それは男の精一杯の嘘だった。キャッツアイが捉えている周辺の電磁ノイズは、すでに「生物」の平穏を許すレベルを超えていたからだ。












​ 2026年1月8日午後22時20分
 旧・北野病院




 荒んだ廃墟にシェルターは設けられている。錆びたゲートを潜り、誰もいないがらんどうな病院を横目に、二人は庭へと向かう。
 枯れ果てた芝の中央に、目標のものがあった。

「あったな。」

 かつて命を繋ぎ止める場所だったそこは、今や巨大な白い墓標のように立ちはだかっていた。
 地下への入り口となる緊急シェルターの重厚な鉛の扉は不自然な形に拉げ、高熱で焼き切られていた。

​「父さん!!」
「おいまて!先走るな!」

 裕二が制止を振り切り、奥の暗闇へと駆け込む。

「待て! 裕二、戻れ!!」

 男が追いかけようとした瞬間、不意に寒気が背中を覆う。

「まずいッ…!」

 視界の端で銀色の閃光が走り、鼓膜を刺すような鋭い金属音が鳴り響く。
 男はスカイフックで飛来してきた銀色のワイヤーを弾き飛ばした。

「いい勘してるね。3908」

​ どこからか音もなく、影が滑り落ちるように、目の前に襲撃者が現れた。
 しなやかなタクティカルウェアに身を包み、レースカーテンのように流れる黒髪。
 紛れもなく、誰が見ても美女なのだが、その瞳は冷徹な捕食者のように闘争心に燃えたぎっている。

「せっかく私がドアをこじ開けたのに。余計なギャラリーを連れてくるなんて、感心しないわ」
​「…お前、サフミだな。」
「あらあら。かの有名な【回収屋の始祖】に覚えて貰えていただけるとはね。」

 男のスカイフックが怒りに応えるように駆動音を上げた。

「聞いたことがある。ダーティーワークを受ける回収屋がいるって。何企んでるか知らねぇけど……邪魔をさせるわけにはいかないな。」

​ サフミは薄く笑い、両手から十数本の極細ワイヤーを放った。それは生き物のようにうねり、狭い入り口を完全に封鎖する「クモの巣」を形成する。

「いいわ。なら、あんたのギアが、どれだけ私のワイヤーに耐えられるか試してあげる。」

​ サフミはその細く白い指先を僅かに動かす、たったそれだけでワイヤーが意思を持ったように蠢く。そして男の四方を囲み、切り刻まんと迫る。

「邪魔なら殺すってか_____舐めんじゃねぇ!!!」

 男はスカイフックのプラズマ出力を最小限に抑え、電磁的な斥力を発生させてワイヤーを弾き飛ばしながら前進した。その足が向くのはシェルターの入口だ。

「あらあら逃げるつもり?」
「そんなことするか!!」

 男はシェルターの入り口にたどり着くと、踵を回してサフミと対面した。外と中の境界を守る為の行動だったのだ。
 
「裕二! 絶対でてくるな!!いいな!!」

​ 背後で裕二が通信室へと駆け込むのを感じながら、男はサフミとの死闘に没入する。
 サフミの動きは速い。いや、物理法則を無視しているかのような「軽さ」があった。
 見た目には反映されない機械的な動き。男の頭の中で、物が水に浮かぶように【義体】というワードが表出する。要はサイボーグのような状態なのだ。

「てめぇ…身体の中にギアを埋め込んでるな。」
「さぁてね。知った所で、世代遅れのギアを使ってるアンタの負け確なのよ。」
「おい、なんつった?」

​ サフミの安い挑発が青筋を立てさせて、男の意識を抉る。

「世代遅れだと?」
「そうよ。だって私の動きに近づけないんだもの。」

 それは違う。男の感覚ではスカイフックの挙動が、時折わずかに「サフミの動き」を避けるように遅れることがあった。

 「……だったら、機械を捨ててやるよ!」

 男は叫び、キャッツアイの戦闘支援システムをあえて「オフ」にした。

「舐めてるのかしら。バカみたいな事するじゃない。」

​ 暗闇、自身の呼吸、そしてワイヤーが空気を裂く微かな音。そのすべてを直接肉体で受け止める。腕を身体の前でクロスし、ワイヤーが身体と腕に切り込んだ。

「グッ!」 
「そのままじゃみじん切_____」

 するとワイヤーは男の腕を通り抜けず、たわんで、空中に舞い上がった

「な、何っ!?」

 予測不能な「人間としての不規則な動き」に、サフミの眉が跳ねた。
 油断が招く何も無い【隙】を掴む。たわんだ糸を握り込んで地面に振り下ろした。それに繋がっているサフミは、地面に身体を落とす。

「なんて馬鹿力なのッ…でもッ!!!」

 サフミははち切れそうな前腕の張りを堪え、地面がめり込むほど強く押し上げ、そらへと高く飛び上がる。 

​「AIをオフにするなんて。死に急ぐにも程があるわよ、3908」

​ サフミの声は、冷徹な刃のように鼓膜を撫でる。そしてまたワイヤーが襲いかかった。波状攻撃にも似た高密度の糸の猛攻が振り下ろされる。

「ヤバ___」

 きらめきと音、そして殺意。それだけを頼りに男は避けていく。
 避けたそばから地面に切り口が生まれていく。落ちていた鉄の扉は、木の板の様に割れていく。命を寸断するワイヤーは息を吸う暇さえ与えない。

(何度も避けてられねぇ…どうにかしないと。)

 頭にある情報を整理する。
 彼女の手首に仕込まれた射出装置から放たれるワイヤーは、髪の毛よりも細く、それでいて一本で装甲車の鋼鉄を寸断するほどの強度を持つ。
 手数で負けている。そう感じた男は、悪手にでた。

「歯を食いしばれ!!!」

​ 男は空に向かって吠え、スカイフックを胸の前に構えると重心を低く落とした。
 視界を覆う「キャッツアイ」の投影はない。敵の予測軌道という「答え」を見るのをやめた。その代わりに、男は自分の五感を極限まで研ぎ澄ませた。
 カビ臭い空気の動き、サフミの指先が微かに震える予動、そして、親父さんのギアが発する微弱な放電の唸り。

​「答えはなぁ、機械の中にはねぇんだよ……サフミ!」

 男が吠える。地面を蹴る足は、自らの筋肉の爆発力をよるもの。AIが算出した「最短距離」ではない、あえて泥臭い、不規則なジグザグの突進。予想のつかない動きでサフミの足元へと向かう。

​「……ッ!?」

 サフミの眉がまた跳ねる。

「ほんと男って_____」

 彼女の演算能力は、男がAIの支援を受けていることを前提に組み立られていた。
 その「最適解」から外れた男の動きに、ワイヤーの制御がコンマ数秒、遅れる。

「___しまッ!」
「焦ったな。」

​ その隙を男は見逃さなかった。
 スカイフックを薙ぎ払う。先端から溢れ出した紫色のプラズマが、迫り来るワイヤーの束を焼き切った。
 ​サフミは瞬時に廃墟へと跳躍し、重力を無視した倒立の姿勢でぼろぼろの天井に張り付いた。そのまま、腰のホルダーから特殊な投擲ナイフを三枚、同時に放つ。

「それがどうしたって言うんだよ!!」
「頭が悪いわね。」

 ナイフは空中で不自然なカーブを描き、男の死角、背負った『コフィン』の連結部を狙った。

『警告:背後に向かって_____強制終了』

 安全機構により強制的に起動したキャッツアイのAIの声を、男は力技でねじ伏せた。

「うるせぇ、黙ってろ!」

 男は回避せず、あえてコフィンを大きく振って背中でナイフを弾いた。ステルスコーティングを施した強靭な外装が、ナイフを火花と共に弾き飛ばす。

「なっ!!重てぇ!」

​ だがナイフの速度は大したものだった。予想外な衝撃で男の体勢が崩れる。
 男が地面に崩れる隙を、サフミは逃さず、天井から弾丸のような速さで急降下してきた。
 彼女の右手に握られているのは、超振動を伴うダガーナイフ。

​「さよなら、おじさん。思い出と一緒に消えなさい」

 ​サフミのナイフが、男の喉元に迫る。

「まだだッ!オーバーライド!!」

 その時、男の右腕が勝手に跳ね上がった。

「諦めの悪い!この老害がぁ!!」
「んなもん知るかぁぁ!!!」

 いや、男の意志がギアを無理やり「ねじ伏せた」のだ。スカイフックの石突を地面にあてがったまま、親父さんが設定した安全圏を超えた出力でブーストさせる。

​「俺は死んでも負けねぇ!!」

​ 男が叫ぶと同時に、スカイフックから紫色の電光が爆発的に放射された。それは単なる切断用のプラズマではない。周囲の空気を無理やりイオン化させ、球状の電磁フィールドを形成する「暴力」だった。

(やば_____意識___飛ぶぞ_____)

 グリップ越しでも掌を焼き上げる強力な電磁。科学の火が男の身体と魂を焦がし、意識を削り取っていく。
​ だがそれはサフミも同じ事。ダガーがそのフィールドに触れた瞬間、激しい放電が彼女の細い体を襲った。

「あ、あああぁぁッ!!」

 絶叫。サフミのタクティカルウェアに備わった絶縁処理を突き破り、数万ボルトの電流が彼女を弾き飛ばした。
 サフミは通信コンソールに激突し、火花を散らしながら床に転がった。

​「……はぁ、はぁ、はぁ……」

 男の右腕の皮膚が、ギアの過負荷による熱と放電によって、赤く焼けていた。
​ サフミは苦しげに顔を上げ、口端から流れる血を拭った。彼女の瞳には、初めて「驚愕」を超えた「恐怖」の色が混じっていた。

「信じられない……。中心にいた筈の貴方が…死ぬかもしれなかったのに…耐えてるなんて…」
​「俺がやってるんじゃねぇ。……親父さんの魂が、勝手に動いてんだよ」

​ 男は一歩、また一歩とサフミへと歩み寄る。スカイフックの先端からは、今なお不安定なプラズマがパチパチと漏れ出している。
 サフミは再びワイヤーを展開しようとしたが、彼女の腕は先ほどの電撃で麻痺し、思うように動かない。

​「や、やめて…」
​「殺すには忍びない。」

 スカイフックの石突でサフミの背中に触れると、肉が焦げ始める。悲しいほどに美しい悲鳴が木霊しても、男はそれを辞めることはない。

「生かしてたら追いかけるんだろう。なら性根を折ってやらないとな。」

 そうして男はグリップのボタンを押し続ける。

「……あんたの雇い主に話しとけよ。俺の邪魔する奴は、【ここ】にいようといなかろうと関係がないってな。」

​ まるで最期の悲鳴と言わんばかりの音圧が溶けていき、最後には声なく気絶した。
 男は踵を返してシェルターに向き合う。遠く見えない階段の先は静けさの皮を被る暗闇だ。

「行くぞ、裕二。まってろよ。」

​ そして地下への階段を下る。一歩一歩が重い。すると突然AIが再び、平坦な声で告げる。

『3908、オーバーライドの使用により、右腕の神経系に20%の恒久的損傷を確認。……お疲れ様でした。現時刻をもって、帰還ルートを再計算します』

​「……好きにしろ。事が済んだらそのルートに逃げてやる。」















 予想外にも廊下の蛍光灯が生きている。奥の部屋からも見える明かりが、男に過去の名残を感じさせた。
 男はキャッツアイのバイザーを上げ、最奥の通信室へと滑り込んだ。
 そこは、外部からの通信を遮断するための電磁シールドが張り巡らされた、隔離地域の中でも数少ない「聖域」。

​ だが、その聖域の中心に、男は「現実」を見つけた。

「裕二……」

​ 壁に背を預け、ハロゲンの光の元に座り込んだまま微動だにしない男。もう動きそうにない手を握りしめて項垂れる裕二。自衛隊の制服は汚れ、胸元のバッジには、裕二が話していた「畠中」の名が刻まれている。

 彼は、すでに事切れていたのだ。

 その右手には、一通の手紙と、二つの銀色のドッグタグが、まるで命を吹き込むようにして握りしめられていた。

​ 「……父、さん……」

 裕二が膝から崩れ落ちた。

「嘘だ……待ってろって……俺、謝りに来たんだよ! 靴……ちゃんと並べるから! 怒ってくれよ! 父さん!!」

​ 少年の慟哭が、冷たいコンクリートの部屋に反響する。男は通信機器のコンソールに残された、一ヶ月前のログを確認した。
 そこには、一曹が死の間際まで送り続けようとしていた、未送信の音声データが残っている。

「…裕二、お父さんの声が聞けるかもしれん。」
「……再生してくれ。」
「わかった。」

​ 男は震える手で、遺体の手からドッグタグを回収し、キャッツアイに読み込ませた。
 
『――再生します』

​ ノイズだらけの、しかし力強い声。

「裕二……これを聴いているということは、お前は靴を並べることができたのかもしれないな。そうでないと困るがな。」

 裕二は彼の言葉を聞き入れている。

「ここに辿り着いて、お前はどう思うんだろうなぁ。そして未来のお前はどうかわってちまうんだろうなぁ。俺はそれを見届ける事ができない。それが悔しいよ。」

 語りかける声音は震えていた。涙さえ感じられるほどの諦めを、録音を介していてもわかる。

「み、未来を守れたよな。俺は。お前の未来を守れたんだよなぁ_____だから、俺のドックタグをもって外に出ろ。裕二。」

 突然ノイズが消えて鮮明になる。AIによる復元が追いついたのだ。

「……俺のドッグタグには、証拠データが入っている。こんなことになってしまった証拠だ。これを……壁の向こうへ届けてくれ。お前ならできると信じてる。信じてるぞ……」

​ 音声が途絶えると同時に、背後から凍てつく気配を感じる。振り返れば、視界を回復させたサフミが、全身に殺気を纏って立っていた。

「……聴いちゃったわね。最高の、そして最悪の遺言を」

​ 男は危機感に従って立ち上がる。間合いはお互い射程範囲内であり、一挙一動が即死に繋がっていた。

「そのパンクさ。嫌いじゃないけど、タイミングは悪いわね。」
「何背負ってるのか知らんが、邪魔するならどのみち一緒だ。」
「あらあら、敵だとでも言うの?」
「少なからず、敵意はあるだろ。」

 裕二の肩に手を置き、ドッグタグを彼の掌の中に押し付ける。 

「いいか、裕二。泣くのは後だ。あんたの親父さんか命を懸けてこの街の『闇』を回収したんだ。必ず届けろ。」
「…わかった。」

​ 男の右腕のスカイフックが、かつてないほど激しく紫色の放電を開始した。

「回収屋…自分が何に関わってるのかすらわかってないのに…邪魔立てしないで。」

​ サフミの眉間にシワが寄った途端に、天井の蛍光灯が弾け、壁に亀裂が入る。

(くそ…ワイヤーは展開済みか。)

 肝が冷える。体を走り回っている血から熱が消えていくのを男は感じた。

「逃げることさえ許さない。アンタ達はそこの亡骸ごと、豚の餌にしてやる。」

 殺意の籠もる声が無慈悲に響いたが、男は諦めずスカイフックのグリップを握り込んだ。すると、それに反応したのかAIが語りかけてきた。

 『――システム異常。オーバーライド。ギアの全出力を開放します。3908、覚悟はよろしいですか?』

 男は笑ってしまった。機械はやる気を見せているのに、自分がなぜ尻すぼみしているのかと。

 「……ああ。ぶっ壊してやるよ。」

​ 男の瞳が、ギアの放電と同じ紫色の輝きを放った。するとサフミは肩を落とし、一言だけ放つ。

「辞めた。」
「………はぁ?」

 サフミはぼろぼろの身体を回し、階段を登っていく。

「割に合わない。何も気づいていない貴方に勝っても、採算が合わない。なにより身体がダルいのよね。」

 言うだけのことを言って、サフミは俺達に背中を見せる。突然の撤退、呆気に取られてしまった。
 













​ 地下シェルターの重苦しい空気から逃れるように、男は裕二を連れて地上へと這い出した。
 深夜の北野病院。かつては白亜の巨塔だったであろうその外壁は、月光の下で、死者の肌のような青白い色をしていた。

「…大丈夫?」

 月光の下で、裕二は自身の優しさを男に向ける。男は本当の事を言おうとした。言おうとしたが、右手に握られたドックタグが見えた途端に、言葉が摩り替わる。

「大丈夫だ。問題ねぇよ。」
「…そっか。」

 登山に置いて、無理、嘘、意地は死につがる。特に一人では無理を強いれば孤独に死を迎えることになるが、二人の場合はそうじゃない。だから相手が子供だろうがそれだけは犯せない罪だ。
 だが男の右腕は、一つまみの痛みさえ感じないほどに感覚がなかった。

『神経系への恒久的損傷。スカイフックの電磁信号により、右腕の強制駆動は正常。』

 オーバーライドの代償は重い。無理に無理を重ねる行為を支えるのは、男の心に残る使命感だけなのだ。

​「……おっちゃん、本当に大丈夫?」

 裕二が不安げに男の顔をしきりに覗き込む。それはやはり、隠しきれない疲労感が男の顔から垂れ流されているからだ。

「……心配すんな。機械で言えばオーバーヒートしてるだけだ。」
『警告。火球的速やかにバイザーの装着推奨。』

 男はキャッツアイのバイザーを再度下ろした。網膜に映し出されたのは、絶望的な警告の赤文字だ。

​『警告:周辺に生体反応多数。特殊装備を使用する集団の包囲網を確認。』

 押し寄せる脅威の波に男は笑った

​「……サフミが逃げた理由がこれか。」

 病院の庭を囲む闇の中から、無数の赤いレーザーサイトの光線が男たちの胸元に収束していく。
 すると、床を這いずるような低い声音が男の耳に届く。  

「二人とも、そこを動くなよ。」
「どこのどいつだ。」
「知る必要があると思うか?」

 ガガガ、と地面を削る音が響く。闇の中から姿を現したのは、戦車のようなクローラーを備えた自走式の無人機と、防弾装甲で全身を固めた兵士たちだった。

​「……3908、任務は終了だ。そのガキと『証拠』を渡せ。そうすれば、お前のメンテナンス費用だけは出してやる」

 兵士たちの背後にあるスピーカーから、佐藤の冷徹な声が響き渡る。

​「……断る。」

​ 男は左手で裕二を自分の背後に押し込んだ。

「裕二、よく聞け。俺が合図をしたら、あの病院の裏門まで一気に走れ。そこには俺のバイクがある。……お前の親父さんのドッグタグ、絶対に離すなよ」
​「でも、おっちゃんは!?」
​「俺は……落とし物を回収しなきゃならねぇ」

 男は右腕のスイッチを再び、最奥のロックへと叩き込んだ。
 ギアに隠された「強制解放コード」が脳内に直接響く。

​『――ファイナル・シーケンス解除。……コフィンの装甲密度、限界値確認。』

 男のスカイフックから、これまでの比ではないプラズマの奔流が溢れ出した。紫色の光が夜の帳を焼き、周囲の空気そのものを爆ぜさせる。

「走れッ!! 裕二!!」

​ 紫の光はプラズマの盾を形成し、降り注ぐ銃弾の嵐に抗う。意表を突かれた部隊は焦りを口にした。

「何だあれは!!!」
「……砲弾!各個に撃て!!」

 無人機のキャノン砲が火を噴く。1度目は防ぐことができた。

「はっ!!そんなもん_____」

 だが2度目の砲撃が盾を突き破り、3度目はコフィンに直撃した。
 爆風が男を襲い、コフィンの装甲が剥がれ飛ぶ。勢いを殺せず吹き飛び、全身を地面にこすりつけ、散らばっていくコフィンの残骸が瞳に映る。

(身体が_____バラバラになりそうだ。)

 生きたまま火炙りにされたと錯覚する程の痛み。だが男は止まらない。片膝を使い、生き残った左腕で立ち上がる。 

「アイツ…なんで立ち上がれるんだ…。」
「知ったこっちゃないんだよ_____テメェらの常識なんざ!!!!」
「もういいぞ。」

 冷静な言葉の後で男の視界が曇った。鼻を突く嫌な匂いと、肺を引っ掻き回す刺激に咳き込む。

(煙幕かよ…こんなときにい!!)

 夜風が煙を攫っていくと、そこには誰もいない。薬莢すらない。まるで何もなかったかのように、枯れた芝生が風に倒されているだけだった。
 なぜ急に消えたのか。男はしばらく頭が回らなかったが、理解が及んだ。

​「裕二! 大丈夫か!?」

 背後に振り向くと、裕二だったものが地面に寝転がっていた。

「……。」 

 地面に残っているのは腕と足だけ。着ていた服が彼であると証明するが、それ以外はなにもない。
 ただ唯一残された右手はまだ、握り拳をほどいていない。

「そんな…。」

​ 男は残り少ない亡骸に膝をついて項垂れた。そして溢れ出る悔しさが涙と共に流れ出る。

「せ、せめてドックタグは…。」

 握り拳を見てみると、爆風の破片が、裕二の握っていたドッグタグを直撃していた。
 タグは無残に拉げ、そこにあるはずのメモリーチップの基盤が砕け散っていた。 
 
​「アァァ!!畜生!!!!!畜生ぉおおおおおおお!!」

​ 男は、損傷したタグを見て咆哮を響かせる。 

「アイツラ…やりやがったな…俺から荷物を奪うなんざ…」
『回答。1度目砲撃の跳弾による損傷と思われる。』
「_____」

 絶句。自身の力が、及ばない所で死人を産んでしまった事が男を壊す。自責の念が心を潰す。
 男の瞳にやどっていた光は、緑色に濁り初めた。

「……この始末は絶対に払わせる。アイツラを絶対に潰してやる。絶対にだ。」
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