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回収屋ログ
長い話になるよ
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家の団欒を耳にしながら、カシワギサヤカはノートパソコンを見つめている。
「ギアを考えろって言ってもねぇ。こう…インスピレーションにかけるのよ。」
カシワギは男の元で働くサポーターだ。依頼の整理に加え、入山準備における装備品等の手配、大まかなルートぎめ、依頼主の身辺調査。
だが彼女が活躍する場所は、主に現在地の把握、それから新たなギアの開発業務だ。
「まぁでもそろそろ、ガントレットみたいなサポートシステムも欲しがるわよね。このプロットは進めておきたいけど_____ん?」
ノートパソコンの画面上部に唐突なポップアップが降りてくる。カシワギはそれをクリックする。
表示されたのは隔離地域の状況をトレースした衛星写真による地図。その地図には赤いピンが刺さっており、【HELP!】という文字がくっついていた。
「これは………キャッツアイのAI!」
カシワギはすぐにスマホを取り出して、壁に勤務する知り合いに通話をつなげた。
「_____あ、もしもし。不測事態よ。金は送金したからすぐに取りに行って。」
意識の深淵は、黒い泥のような熱に満ちていた。男はその泥の中で何度も何度も、あの月光に照らされた病院の庭を走り直していた。
腕の中に抱えた裕二の温もり。紫色の放電。そして、鼓膜を裂くような爆音のあとに訪れた、雪のように降り積もる静寂。
手を伸ばしても、指先から零れ落ちるのは少年の髪ではなく、焦げた回路の破片と砂利だけだった。
「――心拍数、安定。意識レベル、上昇中」
無機質な声が遠くで聞こえた。
男が重い瞼をこじ開けると、そこには淀川の濁った水のような灰色ではなく、不自然なほど清潔な白が広がっていた。天井の蛍光灯が網膜を刺し、男は思わず顔をしかめる。
「……ここは」
「流石始祖様じゃねぇか。回復が早い。」
視線を向けると、丸眼鏡を鼻先にかけ、使い古された白衣を羽織った老人が、点滴の速度を調整していた。
「因みに天国じゃねぇよ。お前みたいな業の深い男を、あっちが受け入れるはずがない」
聞き覚えのある、皺がれた声。彼は徳田医師。隔離地域の「壁」ができる前から、この地で町医者を続けている偏屈な男だ。
かつて親父さんが元気だった頃、怪我をした職人や、訳ありの登山家たちを極秘で担ぎ込んでいた、唯一の「聖域」の主である。
「徳田……先生……」
「喋るな。肺にまだあの街の煤が残ってる。……よくこんなので生きてるな。長年煙草吸ってるわしのほうがマシだわ。」
徳田先生は軽口を叩いている。その隙に男は自分の右側に意識を向けた。
感覚がない。痛みすら、遠い場所で鳴っている警笛のように現実味がない。
「お前の傷を見ればわかる。誰かに襲われて、何かしらの無理をした事もな。」
視界を下ろせば、肩の付け根から先が、分厚い包帯の塊と、外部から固定された金属のフレームによって「封印」されていた。
だが不思議と落ち込むこともない。男はなんとなくこの結果は予想していたからだ。そして淡い期待を口にする。
「……裕二は」
男の掠れた問いに、徳田は答えなかった。ただ、カルテを挟んだボードをベッドの端に叩きつけるように置いた。その乾いた音が、男の心臓を冷たく突き刺す。
そして溢れ出す涙を、男は左手でつまみ取った。
「ああ…ちくしょぉ…。」
悲しみに答えない徳田先生。この空間の静寂は耐え難いものへと変わり果てる。
それから病室のドアがノックもなしに乱暴に開かれたのは、それから数時間後のことだった。
「所長!! 死んだかと思いましたよ、本当に!!」
飛び込んできたのは、男の個人事務所で事務員を務めるカシワギサヤカだった。
いつもは仕事以外の会話を「時間の無駄」と切り捨てるドライな彼女が、今はボサボサになった髪を振り乱し、目に涙を溜めて立ち尽くしている。
「……サヤカ。手配してくれたのは君か。」
「もちろんですよ!!AIが知らせてくれてなかったら死んでましたよ!!心臓が止まるかと……あ、これお見舞いです」
彼女は乱暴に、プラスチック容器に入ったリンゴの詰め合わせをサイドテーブルに置いた。
男はぼんやりと彼女を見つめた。彼女の背後には、この数日間の心労が色濃く残っている。
「……すまない。」
「謝るくらいなら、最初から無茶しないでくださいよねー。どうやったら4日も眠れるんだか。」
「4日も…」
起き抜けのダルさは感じていたが、どうにも4日寝たきりと言うのは予想外にも長く感じる。だから男は身体を起こし、サヤカと向き合った。
満身創痍の男が起きると、サヤカは狼狽した。
「ちょっと…。」
「いいんだ。報告してくれ。」
「…報告ですか。」
サヤカはパイプ椅子を男のベッドサイドに引き寄せ、周囲を警戒するように声を潜めた。
「依頼不達成…裕二くんは回収できませんでした。」
頭の中で色んな感情が渋滞した。怒りや後悔、罪悪感がせめぎあい、最後には眉間を抑えないと耐えられないほどの頭痛に昇華する。
「わかってると思いますが、あの中で起きたことは全て日本で取り扱わない。隔離地域内での死亡事故が正式なものとして露見しないのは知ってるでしょう。」
「つまり外から見ると事故は起きていない…か。」
「そうです。裕二くんは【隔離地域内にて行方不明】となるはずです。謎の勢力に襲われたとなればね。依頼主の彼らからは『本当のこと』を教えてほしいと催促が…」
「知らないのか? 武装車両の砲撃があったんだぞ。」
「……わかりません。向こうでも責任の取り合いが起きてるのかも」
サヤカは唇を噛み、手元のタブレット端末を男に見せた。
「正直こういった事案はよくあります。」
「なんだと?」
「まぁまぁ怒らないで…。そんなことより、私が気になるのは貴方のログから、恒常業務を知らせるものしかありません。だから私も詳細をしらないんですよね。」
男はどういう事かと考えた。登山家ログとは行動の経緯を、登録協会に報告するもの。
道中で逐次記入して違法性が無いことを証明するのだが、改竄されるような事ができるのだろうかと。
すると突然思い出した。サフミに対する攻撃が、謎の軌道を経て、当たらない事に。
「そういう事か…。」
「??」
「ログの改竄はあったか?もしくはハッキングの痕跡とか。」
「まぁ確かにあるにはあったんですが…」
その原因はギアにある。これはもう確定だと男は確信した。
「システムがハッキングされた。多分な。」
「……まぁそれはそうでしょうが、手立てがわかりません。」
「身に覚えがあるよ。あの日…」
男の独白に似た話をサヤカは黙って聞いていた。
「つまりはサフミと言う回収屋と、特殊部隊みたいな輩に襲われた、ですか。」
「そうだ。だから俺は、あの子を助けることが…」
まるでアニメみたいな話だが、その証拠が男の右腕とすると信じる他ない。
(これじゃまるで懺悔じゃない。)
サフミはそれでも端的に、頭の中身をさらけ出す。
「秘密作戦_____それに巻き込まれたと言う線で調べてみはします。ですが一先ずは報告ですね。依頼主、隔離地域に駐在する自衛隊、そして協会への正式な報告は義務です。」
男は奥歯を噛み締めた。身に降りかかる真実が闇に葬り、死者さえも数字の一部として処理する。その理不尽さに腹がたった。
「……報告、どうすればいいか悩んでるんです」
サヤカがうつむいた。
「自衛隊側の意向は、所長を『任務中に事故に巻き込まれた協力者』として扱おうとしています。ですがこれをそのまま報告したら、所長は『重要証拠の隠滅』か『テロの共謀者』として、壁の中に永遠に消されることになります」
サヤカの指先が震えている。彼女は知っているのだ。男が守りたかったものを。
嘘の報告をすれば、佐藤の思い通りになる。
本当のことを言えば、男の命が危ない。
「……サヤカ。報告書は、俺が書く。お前は、自衛隊には『精密検査中で面会謝絶だ』とだけ伝えておけ」
「でも……」
「徳田先生がいる。ここは犬どもが容易に手を出せる場所じゃない」
その時、部屋の隅で腕を組んで聞いていた徳田医師が口を開いた。
「なんだか知らんが、私の病院で患者に指一本触れさせるつもりはない。親父さんとの約束があるんでな。だがよ…」
徳田医師は言葉を選ばず、実直に話した。
「……だが3908。すぐに戻るつもりだろ。」
「…。」
「お前の右腕、これだけははっきりさせておく」
徳田は包帯に巻かれた男の右腕を指差した。
「神経が、根元から焼き切れている。二度と動かすことはできん。……つまり、お前の『登山家』としての命は、ここで終わりだ」
重い沈黙が病室を支配した。
サヤカは泣きそうな顔で男の横顔を見つめ、徳田は厳しい視線を外さない。
男は、感覚のない右腕を見つめた。
裕二の手を握れなかった腕。親父さんの形見を、暴力の道具に変えてしまった腕。
徳田医師はその光景を見て、目を細めた。
「何を考えてる。」
「何も考えられないのが本音かな。」
二人の会話にサヤカは、男の心根が見えたのか、申し訳なさそうに会話へ入る。
「…所長が考案した【強化ギプス】のギアはまだ構想の段階です。実用化にはまだ…。」
それも男はわかっていた。だから
「あいつは、身体の中に直接ギアを埋め込んでいた。……俺も、あれに、なるしかない。」
「義体化プロジェクトですか!所長、あれはもう…」
サヤカが叫ぶように椅子から立ち上がった。
義体化プロジェクト。親父さんが前職で携わっていた物だ。自身の欠損部分や脆弱な肉体、もしくは付加価値をつけるため、体内にギアを植え込むプロジェクトだ。
もちろん非合法の為、日本にいてできるものではない。
「何を言ってるんですか! !あれは拒否反応もでるかもしれませんし、最悪死ぬことだって。」
「サヤカ、落ち着け。……俺は、このまま『事故の被害者』として引退するつもりはねぇ。……裕二の親父さんが、命懸けで伝えたかったことが何なのか。……俺が、この腕で掴み取らなきゃならねぇんだ」
男の瞳に、再びあの不気味な緑色の光が宿る。それはウィルスの侵食か、それとも復讐という名の狂気か。
「徳田先生。……金なら、これから一生かけて、あの地獄から回収してきてやる。だから…」
徳田医師は眼鏡を指で押し上げ、長く、深い溜息をついた。
「……まったく、親子揃って救いようのない馬鹿だな。」
「どういう意味だ?」
「親父さんに言われたんだよ。本人が望んだらそうするようにってな。術後の痛みで舌を噛み切っても、私は知らんぞ」
「望むところだ」
男は左手で、ベッドのシーツを固く握りしめた。
サヤカは、そんな男の姿を見て、もう止めることはできないと悟った。彼女は静かにタブレットを開き、書きかけの報告書を全消去した。
「……分かりました。私は、私の仕事をします。所長の代わりの雇い主なんて、この世のどこにもいないんですから。死んだら訴訟ですよ訴訟。」
サヤカの言葉は、男の胸に深く刺さった。
だが、男はもう、光の差す世界へ戻ることはできない。
隔離地域の外、朝焼けの街並みは美しく輝いている。
しかし、男の視界には、再び降り始める「灰」の幻影が見えていた。
隔離地域の「壁」から北へ数キロ。かつては町工場が立ち並び、活気に溢れていたその一画は、今や都市の排泄物のように静まり返っていた。
錆びたシャッターが並ぶ路地の奥、ひときわ古びた鉄工所跡――そこが、親父さんの工房がある。
佐藤はそんな外観に不釣り合いなスーツを着込み、シャッターの前で止まり、息を呑んだ。
「_____よし。いくか。」
意を決し、佐藤がシャッターを開く。
天井から吊り下げられた白熱灯が、電圧の不安定さゆえに時折チカチカと瞬き、床に散らばったスカイフックの予備部品や、使い古されたコフィンの装甲板を不気味に照らし出している。
その中央で、親父さんは一台の作業台に向かっていた。親父さんは佐藤に気づいて、鋭い眼光を向けている。
「ノックもなしか。」
かつては「神の手」と称された職人。その背中は、もはや一人の老人というよりは、古びた機械そのもののように見えた。
なぜはら親父さんは手を止めなかったからだ。レンチを回す一定のリズムも、その荒い鼻息も変わらない。
「……随分と上等な靴の音だな。ここをどこだと思ってる、佐藤」
「今回は人を連れているんですよ。どうぞ。」
「なに?」
入り口の影から、一人の男が歩み出た。
自衛隊の制服を寸分の狂いもなく着こなし、その肩に刻まれた階級章が、暗がりの中で冷たく光っている。彼は工房の雑多な床を厭う様子もなく、親父さんの背後数メートルの位置で足を止めた。
「はじめまして。私は畠中良一1等陸佐です。突然の来訪、申し訳ありません。」
「……陸幕か。エリート様がなんの要件でここに。」
親父さんはようやくレンチを置き、ゆっくりと椅子を回転させた。その瞳は、深淵のような暗さを湛え、佐藤を見据えた。その様子を見兼ねて畠中1佐が割り込んだ。
「私が願い出たのです。本件、登山家3908に依頼したのは私。身勝手にも息子、孫の捜索が断念された事で佐藤君を通じてご依頼したのです。」
「それがどうし_____」
「重ねてお願いをする為に伺った次第です。」
深い溜息を吐いて、親父さんは男二人に向き直る。
「時間も遅い。話がしたいなら、少し付き合え。」
「ええ。もちろんです。いくぞ佐藤くん。」
「え?え、なんですか?」
「尻の青い。酒だよ酒!辛気臭い話なら、酒でも飲まんときいてらんねぇ。」
親父さんは、椅子の軋む音を長く響かせながら、畠中良一を値踏みするように見つめた。
オイルで汚れたウエスを放り出し、作業台に無造作に置かれた安ウィスキーのボトルを掴む。一口煽り、喉を焼くアルコールの熱に顔を歪めた。
「……畠中、と言ったか。あんたの襟についているその徽章が気になって仕方ねぇよ。何だそりゃ。見たことがねぇ。」
畠中の襟元、そこには「壁」をモチーフにした重厚な職種徽章が、鈍く光っていた。
「徽章と呼びますか…昔は軍属で?」
「…昔の話だ。」
「そうですか。……これは隔離地域を隔てる壁の職種を表すものです。私はそこの責任者を。」
「なるほど。なるほどな…。」
親父さんは無言でウィスキーのボトルを畠中に差し出した。その行為に佐藤は無表情のまま驚く。
(すご。親父さんが酒渡してる…)
無論畠中も迷いなくウィスキーを受け取り、一口のんで、ゆっくりと話を初めた。
「……話は伺っています。その上で、3908に起きたことも佐藤くん伝で概ねは聞いています。」
畠中の声は、静かだったがゆえに、工房の鉄の空気を震わせた。
「佐藤君には感謝している。私の独断による捜索依頼を引き受け、3908という優秀な男を繋いでくれた。……だが、結果として彼は腕を失い、孫も……」
畠中は一度、言葉を切った。その拳が白くなるほど握りしめられている。
「私はもうすぐ退官を迎える身だ。だが、このまま『兵隊』として綺麗に去るつもりはない。息子を、孫を、そして3908の未来を奪ったこの不条理なシステムに……私は個人的な意趣返しをしたい」
親父さんの瞳が、微かに揺れた。
「意趣返し、だと? 1等陸佐様が、国家を相手に反乱でも起こすつもりか?」
「いえ。組織の内部から牙を剥くのは非効率だと判断しました。だから、私は『外』に新たな城を作ることにした。」
畠中が取り出したのは、一枚の趣意書だった。そこには大きく、**【独立法人:隔離地域協会】**という文字が記されていた。
「現在、隔離地域での活動は、一部の登山家協会と自衛隊の杜撰な協力体制に依存している。これを完全に分け、私が退官後に理事として、文字通り『壁』の利権と運営を完全に掌握する。……国家の犬ではなく、私の意志で動く、隔離地域専用の統治組織だ」
「……そのために、俺を相談役に据えたいってか」
「左様です。協会の基盤には、現場を熟知する最高峰の技術者が必要だ。親父さんの持つギアのノウハウ、そして現場への影響力を貸していただきたい。」
「はっ!!!あっはっは!!」
畠中の言葉で親父さんは吹き出した。それはなにも面白いからでなく、あくまで卑屈、侮蔑の嘲笑だ。
「絵空事に聞こえるぞ。アンタもやはり極限を責める自衛官。まぁ好きにしたらいいが、政事なら他所でやりな。」
「……これは依頼ではない。私と共に、この狂ったルールを書き換えるための『共謀』です。」
迷彩服には不釣り合いな言葉が、空気を止めた。畠中本人はきっと気づいていないのだろう。その動悸は正義の心からくるものでなく、邪な復讐心からでているものだと。
親父さんはそんな事を考えると、ゆっくり佐藤の方を向いた。
「佐藤。お前、これを知ってて連れてきたのか?」
佐藤は薄く笑い、眼鏡の位置を直した。
「知るわけ無いですよ。こんな謀反みたいな話、知ってたらここにいません。」
親父さんが佐藤の手見ると、僅かながらだが震えているとわかる。本当に知らなかったのだと確信していると、畠中が会話を引き取った。
「北野病院での一件、そしてサフミという女。……私は長年、壁の管理者を務めてきたが、そのような特殊部隊や個人の存在は、私の台帳には一切載っていない。……我々の知らないところで暗躍している『寄生虫』が内部にいる。……私の息子と孫は_____」
畠中良一の瞳には、打算ではなく、燃え盛るような復讐の炎が灯っていた。
「サフミ……特殊部隊……。不勉強ながら、私はそれらの正体をまだ掴めていない。だが、協会を設立し、私が壁の門を完全に閉鎖・管理すれば、奴らも姿を現さざるを得なくなる。……その時は私がその引導を渡してやる。これらはその為のお膳立てです。」
親父さんは、ウィスキーのボトルを机に置いた。
工房の天井で、白熱灯が激しく瞬き、死に際のような音を立てる。
「……一つ、勘違いしてるようだがな、畠中。……息子は、もう元の登山家には戻れねぇぞ」
「承知しています。腕を失ったことも、そして彼が何を望んでいるかも」
「……あいつは今、人間を辞めようとしてる。自分の身体の中にギアを埋め込み、あのサフミとかいう化け物と同じ土俵に上がろうとしてる。……あんたの孫の骨を、その鋼鉄の腕の中に詰め込んでな。」
畠中の顔が、一瞬だけ歪んだ。それは、祖父としての痛みだった。
だが、彼はすぐにその表情を消し、冷徹な指揮官の顔に戻った。
「ならば、その『腕』のメンテナンス費用から、法的な保護まで、すべて私の協会が引き受けましょう。……3908を我が協会の組合員第一号にして『主席執行官(チーフ・エクスキューショナー)』として公認する。……壁の内側では、彼が法律だ。私の部下にもそれを伝えておきましょう。」
親父さんは、ゆっくりと立ち上がった。
義足が重く響き、彼は工房の奥から、一枚の古い設計図を持ってきた。
「……面白ぇ。1佐様がそこまで腹を括ってるなら、俺も隠居は辞めだ。……この『隔離地域協会』。俺が相談役になってやる。……その代わり、準備しろ。佐藤。畠中」
親父さんは、設計図を二人の前に広げた。
そこには、かつて「神の手」が夢見た、隔離地域のすべてのインフラを物理的にハッキングし、支配するための究極のシステムが描かれていた。
佐藤はまた眉をひそめて驚きに溺れた。
「こんなエグいもの持ってたのかよ…。」
「そらぁよ。これだけ期間ながけりゃ暇ができるってもんだ。」
「ほぼっていうか、ちゃんとした犯罪だわ。」
「まぁ息子が新しい腕で地獄から戻ってきたとき、帰る場所がねぇんじゃ可哀想だからな。……最高の『城』を用意してやろうじゃねぇか」
畠中は深々と一礼した。それぞれの喪失と、共通の怒りが、隔離地域の歴史を根底から覆すための「闇の同盟」を成立させた瞬間だった。
「_____よし。決まりだな。」
佐藤がシャッターへと歩き出す。
外は、隔離地域の壁が放つ冷たい風が吹き抜けていた。
「ギアを考えろって言ってもねぇ。こう…インスピレーションにかけるのよ。」
カシワギは男の元で働くサポーターだ。依頼の整理に加え、入山準備における装備品等の手配、大まかなルートぎめ、依頼主の身辺調査。
だが彼女が活躍する場所は、主に現在地の把握、それから新たなギアの開発業務だ。
「まぁでもそろそろ、ガントレットみたいなサポートシステムも欲しがるわよね。このプロットは進めておきたいけど_____ん?」
ノートパソコンの画面上部に唐突なポップアップが降りてくる。カシワギはそれをクリックする。
表示されたのは隔離地域の状況をトレースした衛星写真による地図。その地図には赤いピンが刺さっており、【HELP!】という文字がくっついていた。
「これは………キャッツアイのAI!」
カシワギはすぐにスマホを取り出して、壁に勤務する知り合いに通話をつなげた。
「_____あ、もしもし。不測事態よ。金は送金したからすぐに取りに行って。」
意識の深淵は、黒い泥のような熱に満ちていた。男はその泥の中で何度も何度も、あの月光に照らされた病院の庭を走り直していた。
腕の中に抱えた裕二の温もり。紫色の放電。そして、鼓膜を裂くような爆音のあとに訪れた、雪のように降り積もる静寂。
手を伸ばしても、指先から零れ落ちるのは少年の髪ではなく、焦げた回路の破片と砂利だけだった。
「――心拍数、安定。意識レベル、上昇中」
無機質な声が遠くで聞こえた。
男が重い瞼をこじ開けると、そこには淀川の濁った水のような灰色ではなく、不自然なほど清潔な白が広がっていた。天井の蛍光灯が網膜を刺し、男は思わず顔をしかめる。
「……ここは」
「流石始祖様じゃねぇか。回復が早い。」
視線を向けると、丸眼鏡を鼻先にかけ、使い古された白衣を羽織った老人が、点滴の速度を調整していた。
「因みに天国じゃねぇよ。お前みたいな業の深い男を、あっちが受け入れるはずがない」
聞き覚えのある、皺がれた声。彼は徳田医師。隔離地域の「壁」ができる前から、この地で町医者を続けている偏屈な男だ。
かつて親父さんが元気だった頃、怪我をした職人や、訳ありの登山家たちを極秘で担ぎ込んでいた、唯一の「聖域」の主である。
「徳田……先生……」
「喋るな。肺にまだあの街の煤が残ってる。……よくこんなので生きてるな。長年煙草吸ってるわしのほうがマシだわ。」
徳田先生は軽口を叩いている。その隙に男は自分の右側に意識を向けた。
感覚がない。痛みすら、遠い場所で鳴っている警笛のように現実味がない。
「お前の傷を見ればわかる。誰かに襲われて、何かしらの無理をした事もな。」
視界を下ろせば、肩の付け根から先が、分厚い包帯の塊と、外部から固定された金属のフレームによって「封印」されていた。
だが不思議と落ち込むこともない。男はなんとなくこの結果は予想していたからだ。そして淡い期待を口にする。
「……裕二は」
男の掠れた問いに、徳田は答えなかった。ただ、カルテを挟んだボードをベッドの端に叩きつけるように置いた。その乾いた音が、男の心臓を冷たく突き刺す。
そして溢れ出す涙を、男は左手でつまみ取った。
「ああ…ちくしょぉ…。」
悲しみに答えない徳田先生。この空間の静寂は耐え難いものへと変わり果てる。
それから病室のドアがノックもなしに乱暴に開かれたのは、それから数時間後のことだった。
「所長!! 死んだかと思いましたよ、本当に!!」
飛び込んできたのは、男の個人事務所で事務員を務めるカシワギサヤカだった。
いつもは仕事以外の会話を「時間の無駄」と切り捨てるドライな彼女が、今はボサボサになった髪を振り乱し、目に涙を溜めて立ち尽くしている。
「……サヤカ。手配してくれたのは君か。」
「もちろんですよ!!AIが知らせてくれてなかったら死んでましたよ!!心臓が止まるかと……あ、これお見舞いです」
彼女は乱暴に、プラスチック容器に入ったリンゴの詰め合わせをサイドテーブルに置いた。
男はぼんやりと彼女を見つめた。彼女の背後には、この数日間の心労が色濃く残っている。
「……すまない。」
「謝るくらいなら、最初から無茶しないでくださいよねー。どうやったら4日も眠れるんだか。」
「4日も…」
起き抜けのダルさは感じていたが、どうにも4日寝たきりと言うのは予想外にも長く感じる。だから男は身体を起こし、サヤカと向き合った。
満身創痍の男が起きると、サヤカは狼狽した。
「ちょっと…。」
「いいんだ。報告してくれ。」
「…報告ですか。」
サヤカはパイプ椅子を男のベッドサイドに引き寄せ、周囲を警戒するように声を潜めた。
「依頼不達成…裕二くんは回収できませんでした。」
頭の中で色んな感情が渋滞した。怒りや後悔、罪悪感がせめぎあい、最後には眉間を抑えないと耐えられないほどの頭痛に昇華する。
「わかってると思いますが、あの中で起きたことは全て日本で取り扱わない。隔離地域内での死亡事故が正式なものとして露見しないのは知ってるでしょう。」
「つまり外から見ると事故は起きていない…か。」
「そうです。裕二くんは【隔離地域内にて行方不明】となるはずです。謎の勢力に襲われたとなればね。依頼主の彼らからは『本当のこと』を教えてほしいと催促が…」
「知らないのか? 武装車両の砲撃があったんだぞ。」
「……わかりません。向こうでも責任の取り合いが起きてるのかも」
サヤカは唇を噛み、手元のタブレット端末を男に見せた。
「正直こういった事案はよくあります。」
「なんだと?」
「まぁまぁ怒らないで…。そんなことより、私が気になるのは貴方のログから、恒常業務を知らせるものしかありません。だから私も詳細をしらないんですよね。」
男はどういう事かと考えた。登山家ログとは行動の経緯を、登録協会に報告するもの。
道中で逐次記入して違法性が無いことを証明するのだが、改竄されるような事ができるのだろうかと。
すると突然思い出した。サフミに対する攻撃が、謎の軌道を経て、当たらない事に。
「そういう事か…。」
「??」
「ログの改竄はあったか?もしくはハッキングの痕跡とか。」
「まぁ確かにあるにはあったんですが…」
その原因はギアにある。これはもう確定だと男は確信した。
「システムがハッキングされた。多分な。」
「……まぁそれはそうでしょうが、手立てがわかりません。」
「身に覚えがあるよ。あの日…」
男の独白に似た話をサヤカは黙って聞いていた。
「つまりはサフミと言う回収屋と、特殊部隊みたいな輩に襲われた、ですか。」
「そうだ。だから俺は、あの子を助けることが…」
まるでアニメみたいな話だが、その証拠が男の右腕とすると信じる他ない。
(これじゃまるで懺悔じゃない。)
サフミはそれでも端的に、頭の中身をさらけ出す。
「秘密作戦_____それに巻き込まれたと言う線で調べてみはします。ですが一先ずは報告ですね。依頼主、隔離地域に駐在する自衛隊、そして協会への正式な報告は義務です。」
男は奥歯を噛み締めた。身に降りかかる真実が闇に葬り、死者さえも数字の一部として処理する。その理不尽さに腹がたった。
「……報告、どうすればいいか悩んでるんです」
サヤカがうつむいた。
「自衛隊側の意向は、所長を『任務中に事故に巻き込まれた協力者』として扱おうとしています。ですがこれをそのまま報告したら、所長は『重要証拠の隠滅』か『テロの共謀者』として、壁の中に永遠に消されることになります」
サヤカの指先が震えている。彼女は知っているのだ。男が守りたかったものを。
嘘の報告をすれば、佐藤の思い通りになる。
本当のことを言えば、男の命が危ない。
「……サヤカ。報告書は、俺が書く。お前は、自衛隊には『精密検査中で面会謝絶だ』とだけ伝えておけ」
「でも……」
「徳田先生がいる。ここは犬どもが容易に手を出せる場所じゃない」
その時、部屋の隅で腕を組んで聞いていた徳田医師が口を開いた。
「なんだか知らんが、私の病院で患者に指一本触れさせるつもりはない。親父さんとの約束があるんでな。だがよ…」
徳田医師は言葉を選ばず、実直に話した。
「……だが3908。すぐに戻るつもりだろ。」
「…。」
「お前の右腕、これだけははっきりさせておく」
徳田は包帯に巻かれた男の右腕を指差した。
「神経が、根元から焼き切れている。二度と動かすことはできん。……つまり、お前の『登山家』としての命は、ここで終わりだ」
重い沈黙が病室を支配した。
サヤカは泣きそうな顔で男の横顔を見つめ、徳田は厳しい視線を外さない。
男は、感覚のない右腕を見つめた。
裕二の手を握れなかった腕。親父さんの形見を、暴力の道具に変えてしまった腕。
徳田医師はその光景を見て、目を細めた。
「何を考えてる。」
「何も考えられないのが本音かな。」
二人の会話にサヤカは、男の心根が見えたのか、申し訳なさそうに会話へ入る。
「…所長が考案した【強化ギプス】のギアはまだ構想の段階です。実用化にはまだ…。」
それも男はわかっていた。だから
「あいつは、身体の中に直接ギアを埋め込んでいた。……俺も、あれに、なるしかない。」
「義体化プロジェクトですか!所長、あれはもう…」
サヤカが叫ぶように椅子から立ち上がった。
義体化プロジェクト。親父さんが前職で携わっていた物だ。自身の欠損部分や脆弱な肉体、もしくは付加価値をつけるため、体内にギアを植え込むプロジェクトだ。
もちろん非合法の為、日本にいてできるものではない。
「何を言ってるんですか! !あれは拒否反応もでるかもしれませんし、最悪死ぬことだって。」
「サヤカ、落ち着け。……俺は、このまま『事故の被害者』として引退するつもりはねぇ。……裕二の親父さんが、命懸けで伝えたかったことが何なのか。……俺が、この腕で掴み取らなきゃならねぇんだ」
男の瞳に、再びあの不気味な緑色の光が宿る。それはウィルスの侵食か、それとも復讐という名の狂気か。
「徳田先生。……金なら、これから一生かけて、あの地獄から回収してきてやる。だから…」
徳田医師は眼鏡を指で押し上げ、長く、深い溜息をついた。
「……まったく、親子揃って救いようのない馬鹿だな。」
「どういう意味だ?」
「親父さんに言われたんだよ。本人が望んだらそうするようにってな。術後の痛みで舌を噛み切っても、私は知らんぞ」
「望むところだ」
男は左手で、ベッドのシーツを固く握りしめた。
サヤカは、そんな男の姿を見て、もう止めることはできないと悟った。彼女は静かにタブレットを開き、書きかけの報告書を全消去した。
「……分かりました。私は、私の仕事をします。所長の代わりの雇い主なんて、この世のどこにもいないんですから。死んだら訴訟ですよ訴訟。」
サヤカの言葉は、男の胸に深く刺さった。
だが、男はもう、光の差す世界へ戻ることはできない。
隔離地域の外、朝焼けの街並みは美しく輝いている。
しかし、男の視界には、再び降り始める「灰」の幻影が見えていた。
隔離地域の「壁」から北へ数キロ。かつては町工場が立ち並び、活気に溢れていたその一画は、今や都市の排泄物のように静まり返っていた。
錆びたシャッターが並ぶ路地の奥、ひときわ古びた鉄工所跡――そこが、親父さんの工房がある。
佐藤はそんな外観に不釣り合いなスーツを着込み、シャッターの前で止まり、息を呑んだ。
「_____よし。いくか。」
意を決し、佐藤がシャッターを開く。
天井から吊り下げられた白熱灯が、電圧の不安定さゆえに時折チカチカと瞬き、床に散らばったスカイフックの予備部品や、使い古されたコフィンの装甲板を不気味に照らし出している。
その中央で、親父さんは一台の作業台に向かっていた。親父さんは佐藤に気づいて、鋭い眼光を向けている。
「ノックもなしか。」
かつては「神の手」と称された職人。その背中は、もはや一人の老人というよりは、古びた機械そのもののように見えた。
なぜはら親父さんは手を止めなかったからだ。レンチを回す一定のリズムも、その荒い鼻息も変わらない。
「……随分と上等な靴の音だな。ここをどこだと思ってる、佐藤」
「今回は人を連れているんですよ。どうぞ。」
「なに?」
入り口の影から、一人の男が歩み出た。
自衛隊の制服を寸分の狂いもなく着こなし、その肩に刻まれた階級章が、暗がりの中で冷たく光っている。彼は工房の雑多な床を厭う様子もなく、親父さんの背後数メートルの位置で足を止めた。
「はじめまして。私は畠中良一1等陸佐です。突然の来訪、申し訳ありません。」
「……陸幕か。エリート様がなんの要件でここに。」
親父さんはようやくレンチを置き、ゆっくりと椅子を回転させた。その瞳は、深淵のような暗さを湛え、佐藤を見据えた。その様子を見兼ねて畠中1佐が割り込んだ。
「私が願い出たのです。本件、登山家3908に依頼したのは私。身勝手にも息子、孫の捜索が断念された事で佐藤君を通じてご依頼したのです。」
「それがどうし_____」
「重ねてお願いをする為に伺った次第です。」
深い溜息を吐いて、親父さんは男二人に向き直る。
「時間も遅い。話がしたいなら、少し付き合え。」
「ええ。もちろんです。いくぞ佐藤くん。」
「え?え、なんですか?」
「尻の青い。酒だよ酒!辛気臭い話なら、酒でも飲まんときいてらんねぇ。」
親父さんは、椅子の軋む音を長く響かせながら、畠中良一を値踏みするように見つめた。
オイルで汚れたウエスを放り出し、作業台に無造作に置かれた安ウィスキーのボトルを掴む。一口煽り、喉を焼くアルコールの熱に顔を歪めた。
「……畠中、と言ったか。あんたの襟についているその徽章が気になって仕方ねぇよ。何だそりゃ。見たことがねぇ。」
畠中の襟元、そこには「壁」をモチーフにした重厚な職種徽章が、鈍く光っていた。
「徽章と呼びますか…昔は軍属で?」
「…昔の話だ。」
「そうですか。……これは隔離地域を隔てる壁の職種を表すものです。私はそこの責任者を。」
「なるほど。なるほどな…。」
親父さんは無言でウィスキーのボトルを畠中に差し出した。その行為に佐藤は無表情のまま驚く。
(すご。親父さんが酒渡してる…)
無論畠中も迷いなくウィスキーを受け取り、一口のんで、ゆっくりと話を初めた。
「……話は伺っています。その上で、3908に起きたことも佐藤くん伝で概ねは聞いています。」
畠中の声は、静かだったがゆえに、工房の鉄の空気を震わせた。
「佐藤君には感謝している。私の独断による捜索依頼を引き受け、3908という優秀な男を繋いでくれた。……だが、結果として彼は腕を失い、孫も……」
畠中は一度、言葉を切った。その拳が白くなるほど握りしめられている。
「私はもうすぐ退官を迎える身だ。だが、このまま『兵隊』として綺麗に去るつもりはない。息子を、孫を、そして3908の未来を奪ったこの不条理なシステムに……私は個人的な意趣返しをしたい」
親父さんの瞳が、微かに揺れた。
「意趣返し、だと? 1等陸佐様が、国家を相手に反乱でも起こすつもりか?」
「いえ。組織の内部から牙を剥くのは非効率だと判断しました。だから、私は『外』に新たな城を作ることにした。」
畠中が取り出したのは、一枚の趣意書だった。そこには大きく、**【独立法人:隔離地域協会】**という文字が記されていた。
「現在、隔離地域での活動は、一部の登山家協会と自衛隊の杜撰な協力体制に依存している。これを完全に分け、私が退官後に理事として、文字通り『壁』の利権と運営を完全に掌握する。……国家の犬ではなく、私の意志で動く、隔離地域専用の統治組織だ」
「……そのために、俺を相談役に据えたいってか」
「左様です。協会の基盤には、現場を熟知する最高峰の技術者が必要だ。親父さんの持つギアのノウハウ、そして現場への影響力を貸していただきたい。」
「はっ!!!あっはっは!!」
畠中の言葉で親父さんは吹き出した。それはなにも面白いからでなく、あくまで卑屈、侮蔑の嘲笑だ。
「絵空事に聞こえるぞ。アンタもやはり極限を責める自衛官。まぁ好きにしたらいいが、政事なら他所でやりな。」
「……これは依頼ではない。私と共に、この狂ったルールを書き換えるための『共謀』です。」
迷彩服には不釣り合いな言葉が、空気を止めた。畠中本人はきっと気づいていないのだろう。その動悸は正義の心からくるものでなく、邪な復讐心からでているものだと。
親父さんはそんな事を考えると、ゆっくり佐藤の方を向いた。
「佐藤。お前、これを知ってて連れてきたのか?」
佐藤は薄く笑い、眼鏡の位置を直した。
「知るわけ無いですよ。こんな謀反みたいな話、知ってたらここにいません。」
親父さんが佐藤の手見ると、僅かながらだが震えているとわかる。本当に知らなかったのだと確信していると、畠中が会話を引き取った。
「北野病院での一件、そしてサフミという女。……私は長年、壁の管理者を務めてきたが、そのような特殊部隊や個人の存在は、私の台帳には一切載っていない。……我々の知らないところで暗躍している『寄生虫』が内部にいる。……私の息子と孫は_____」
畠中良一の瞳には、打算ではなく、燃え盛るような復讐の炎が灯っていた。
「サフミ……特殊部隊……。不勉強ながら、私はそれらの正体をまだ掴めていない。だが、協会を設立し、私が壁の門を完全に閉鎖・管理すれば、奴らも姿を現さざるを得なくなる。……その時は私がその引導を渡してやる。これらはその為のお膳立てです。」
親父さんは、ウィスキーのボトルを机に置いた。
工房の天井で、白熱灯が激しく瞬き、死に際のような音を立てる。
「……一つ、勘違いしてるようだがな、畠中。……息子は、もう元の登山家には戻れねぇぞ」
「承知しています。腕を失ったことも、そして彼が何を望んでいるかも」
「……あいつは今、人間を辞めようとしてる。自分の身体の中にギアを埋め込み、あのサフミとかいう化け物と同じ土俵に上がろうとしてる。……あんたの孫の骨を、その鋼鉄の腕の中に詰め込んでな。」
畠中の顔が、一瞬だけ歪んだ。それは、祖父としての痛みだった。
だが、彼はすぐにその表情を消し、冷徹な指揮官の顔に戻った。
「ならば、その『腕』のメンテナンス費用から、法的な保護まで、すべて私の協会が引き受けましょう。……3908を我が協会の組合員第一号にして『主席執行官(チーフ・エクスキューショナー)』として公認する。……壁の内側では、彼が法律だ。私の部下にもそれを伝えておきましょう。」
親父さんは、ゆっくりと立ち上がった。
義足が重く響き、彼は工房の奥から、一枚の古い設計図を持ってきた。
「……面白ぇ。1佐様がそこまで腹を括ってるなら、俺も隠居は辞めだ。……この『隔離地域協会』。俺が相談役になってやる。……その代わり、準備しろ。佐藤。畠中」
親父さんは、設計図を二人の前に広げた。
そこには、かつて「神の手」が夢見た、隔離地域のすべてのインフラを物理的にハッキングし、支配するための究極のシステムが描かれていた。
佐藤はまた眉をひそめて驚きに溺れた。
「こんなエグいもの持ってたのかよ…。」
「そらぁよ。これだけ期間ながけりゃ暇ができるってもんだ。」
「ほぼっていうか、ちゃんとした犯罪だわ。」
「まぁ息子が新しい腕で地獄から戻ってきたとき、帰る場所がねぇんじゃ可哀想だからな。……最高の『城』を用意してやろうじゃねぇか」
畠中は深々と一礼した。それぞれの喪失と、共通の怒りが、隔離地域の歴史を根底から覆すための「闇の同盟」を成立させた瞬間だった。
「_____よし。決まりだな。」
佐藤がシャッターへと歩き出す。
外は、隔離地域の壁が放つ冷たい風が吹き抜けていた。
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