8 / 21
第8話 確率の魔女
しおりを挟む
「……嫌な予感がします」
第3ステージへの通路を歩きながら、歪が震える声で呟いた。
彼女は自分の両腕を抱きしめ、周囲の空気を探るように視線を彷徨わせている。
「予感? 君の『色』に何か反応があったのか?」
「いえ、逆です。
……何も見えないんです。
この先の部屋から、人の気配も、感情の色も、まったく感じられない。
まるで『無』なんです」
直感の少女が怯えている。
それは、これから対峙する敵が、これまでの有象無象(モブ)とは次元が違うことを示唆していた。
「安心しろ。どんな『無』だろうと、そこに事象が存在する限り、確率は発生する」
僕は71億の負債が入ったタブレットを抱え直し、重厚なベルベットのカーテンを開けた。
そこは、カジノのVIPルームだった。
深紅の絨毯、クリスタルのシャンデリア、そして部屋の中央に鎮座する、緑色の羅紗(ラシャ)が張られたカードテーブル。
廃倉庫の無機質さとは無縁の、洗練された狂気の空間。
テーブルの向こう側には、一人の女が立っていた。
黒い燕尾服に身を包み、長い黒髪を一つに束ねた女性ディーラー。
その顔立ちは美しいが、陶器の人形のように無表情だ。
「ようこそ、芥川馨様。そして生存者の皆様」
女が深々と一礼する。
その所作は完璧で、機械のように正確だった。
「ひっ……!」
後ろをついてきた能見が、短く悲鳴を上げた。
「な、なんだあの女……目が、死んでるぞ」
能見の手元にあるタブレットには、『資産:201,500,000円』という数字が表示されている。
彼は第2ステージで破産寸前だったが、僕が渡した手切れ金(配当)のおかげで、クリア条件である「2億円」をギリギリ達成し、首の皮一枚でここに立っている。
他の数名の生存者たちも同様だ。彼らは運良くバブル相場で勝ち逃げし、2億円という安住の地を手に入れた「凡人」たちだ。
だが、彼らは怯えている。
2億円を持っていても、この異様な女の気配には抗えないのだ。
「私は本ステージの進行役兼、対戦相手を務めます。
コードネーム『ラプラス』と申します」
ラプラス。
その名は、かつて数学者ピエール=シモン・ラプラスが提唱した、因果律ですべての未来を予見する超越的存在――「ラプラスの悪魔」に由来する。
運営にしては、洒落た皮肉だ。
「ご丁寧な挨拶どうも。
で? 今回の集金システムはどんなルールだ?」
僕は向かいの席に座り、足を組んだ。
ラプラスは表情一つ変えず、懐から一組のトランプを取り出した。
「今回行っていただくゲームは『ハイ・リミット・ブラックジャック』です」
彼女の指先が、目にも止まらぬ速さでカードをシャッフルする。
リフルシャッフル、ヒンドゥーシャッフル、カッティング。
その手つきは芸術的ですらあった。
「ルールは通常のブラックジャックと基本は同じ。
手持ちのカードの合計を『21』に近づけるゲームです。
ただし、使用するカードから『2、3、4、5、6』の数字札(ローカード)をすべて除外しています」
「……なるほど。7以上のカードしか入っていないデッキか」
僕は瞬時に、そのルールの悪辣さを理解した。
「おい、どういうことだ?」
能見が小声で聞いてくる。
「ブラックジャックにおいて、プレイヤーが最も恐れるのは『バースト(22以上になって負けること)』だ。
低い数字がデッキにないということは、カードを引けば高確率で『10』や『絵札』が来る。
つまり、手札が『12』や『13』といった微妙な数字でも、ヒット(もう一枚引く)した瞬間にバーストして自滅する確率が跳ね上がるんだ」
「げっ……じゃあ、引けないじゃないか!」
「ああ。プレイヤーは身動きが取れなくなる。
だがディーラーはルール通りに機械的に引くだけだ。
これは、プレイヤーの『選択の自由』を殺すために設計されたルールだ」
ラプラスが手を挙げると、天井から巨大なモニターが降りてきた。
そこに表示されたのは、僕の負債額『-7,143,508,542円』。
「芥川様には、この負債をチップとして賭けていただきます。
勝利すれば、負債は減額。
敗北すれば、負債は増額。
……そして、もし負債が『100億円』を超えた時点で、ゲームオーバーとなります」
「100億……」
能見が絶句する。
「あと30億負けたら終わりってことか……!?」
「あ、あの!」
歪がたまらず声を上げた。
彼女は自分のタブレットを胸に抱きしめている。そこには、第2ステージで天道から奪い取った数十億円(推定30億以上)が入っているはずだ。
「私、お金なら持ってます!
このお金を使って、芥川さんの借金を減らせば……!」
「無駄だ、歪」
僕は彼女を制止した。
「えっ……でも!」
「勘違いするな。
その数十億円は、僕たちが運営を殴り倒すための『武器(軍資金)』だ。
こんなところで借金返済に使って、『普通の参加者』に戻ってどうする?
借金がなくなれば、僕はただの『殺しても問題ない人間』になるだけだぞ」
「あ……」
歪がハッとして口をつぐむ。
そうだ。この71億という巨大な負債こそが、運営に僕を殺させないための『盾(防具)』なのだ。
ラプラスが、冷たい瞳で僕たちを見つめた。
「賢明な判断です、芥川様。
我々も、貴方の現金には興味がありません。
欲しいのは、貴方の『脳』ですので」
「……どういうことだ?」
「100億を超えた場合、芥川様には『脳の前頭葉切除手術(ロボトミー)』を受けていただきます。
その優秀な計算能力だけを残し、人格を削除して、我々の運営スタッフとして一生涯働いていただくために」
なるほど。
第7話で運営が言っていた「頭脳をチップにする」とは、こういうことか。
僕を殺せば71億の損害が出る。
だから殺さず、僕というハードウェアを徴収して、システムの一部に組み込むつもりだ。
「いいだろう。受けて立つ」
僕は承諾した。
能見は震え上がり、歪は不安そうに僕の袖を掴んでいる。
「芥川さん……私、彼女のことが読めません。
いつもなら『嘘の色』が見えるのに、彼女からは何も……
私の目が、役に立たないかもしれません」
「大丈夫だ、歪」
僕は彼女の手に自分の手を重ねた。
「君の目が使えないなら、僕の脳を使えばいい。
相手は『確率の魔女』か、あるいは『悪魔』か。
どちらにせよ、数学で解けない魔法はない」
「さあ、始めましょう」
ラプラスがカードを配り始める。
その指先には、微塵の迷いもない。
確率0.01%の誤差すら許さない、完全なる論理戦の幕開けだ。
第3ステージへの通路を歩きながら、歪が震える声で呟いた。
彼女は自分の両腕を抱きしめ、周囲の空気を探るように視線を彷徨わせている。
「予感? 君の『色』に何か反応があったのか?」
「いえ、逆です。
……何も見えないんです。
この先の部屋から、人の気配も、感情の色も、まったく感じられない。
まるで『無』なんです」
直感の少女が怯えている。
それは、これから対峙する敵が、これまでの有象無象(モブ)とは次元が違うことを示唆していた。
「安心しろ。どんな『無』だろうと、そこに事象が存在する限り、確率は発生する」
僕は71億の負債が入ったタブレットを抱え直し、重厚なベルベットのカーテンを開けた。
そこは、カジノのVIPルームだった。
深紅の絨毯、クリスタルのシャンデリア、そして部屋の中央に鎮座する、緑色の羅紗(ラシャ)が張られたカードテーブル。
廃倉庫の無機質さとは無縁の、洗練された狂気の空間。
テーブルの向こう側には、一人の女が立っていた。
黒い燕尾服に身を包み、長い黒髪を一つに束ねた女性ディーラー。
その顔立ちは美しいが、陶器の人形のように無表情だ。
「ようこそ、芥川馨様。そして生存者の皆様」
女が深々と一礼する。
その所作は完璧で、機械のように正確だった。
「ひっ……!」
後ろをついてきた能見が、短く悲鳴を上げた。
「な、なんだあの女……目が、死んでるぞ」
能見の手元にあるタブレットには、『資産:201,500,000円』という数字が表示されている。
彼は第2ステージで破産寸前だったが、僕が渡した手切れ金(配当)のおかげで、クリア条件である「2億円」をギリギリ達成し、首の皮一枚でここに立っている。
他の数名の生存者たちも同様だ。彼らは運良くバブル相場で勝ち逃げし、2億円という安住の地を手に入れた「凡人」たちだ。
だが、彼らは怯えている。
2億円を持っていても、この異様な女の気配には抗えないのだ。
「私は本ステージの進行役兼、対戦相手を務めます。
コードネーム『ラプラス』と申します」
ラプラス。
その名は、かつて数学者ピエール=シモン・ラプラスが提唱した、因果律ですべての未来を予見する超越的存在――「ラプラスの悪魔」に由来する。
運営にしては、洒落た皮肉だ。
「ご丁寧な挨拶どうも。
で? 今回の集金システムはどんなルールだ?」
僕は向かいの席に座り、足を組んだ。
ラプラスは表情一つ変えず、懐から一組のトランプを取り出した。
「今回行っていただくゲームは『ハイ・リミット・ブラックジャック』です」
彼女の指先が、目にも止まらぬ速さでカードをシャッフルする。
リフルシャッフル、ヒンドゥーシャッフル、カッティング。
その手つきは芸術的ですらあった。
「ルールは通常のブラックジャックと基本は同じ。
手持ちのカードの合計を『21』に近づけるゲームです。
ただし、使用するカードから『2、3、4、5、6』の数字札(ローカード)をすべて除外しています」
「……なるほど。7以上のカードしか入っていないデッキか」
僕は瞬時に、そのルールの悪辣さを理解した。
「おい、どういうことだ?」
能見が小声で聞いてくる。
「ブラックジャックにおいて、プレイヤーが最も恐れるのは『バースト(22以上になって負けること)』だ。
低い数字がデッキにないということは、カードを引けば高確率で『10』や『絵札』が来る。
つまり、手札が『12』や『13』といった微妙な数字でも、ヒット(もう一枚引く)した瞬間にバーストして自滅する確率が跳ね上がるんだ」
「げっ……じゃあ、引けないじゃないか!」
「ああ。プレイヤーは身動きが取れなくなる。
だがディーラーはルール通りに機械的に引くだけだ。
これは、プレイヤーの『選択の自由』を殺すために設計されたルールだ」
ラプラスが手を挙げると、天井から巨大なモニターが降りてきた。
そこに表示されたのは、僕の負債額『-7,143,508,542円』。
「芥川様には、この負債をチップとして賭けていただきます。
勝利すれば、負債は減額。
敗北すれば、負債は増額。
……そして、もし負債が『100億円』を超えた時点で、ゲームオーバーとなります」
「100億……」
能見が絶句する。
「あと30億負けたら終わりってことか……!?」
「あ、あの!」
歪がたまらず声を上げた。
彼女は自分のタブレットを胸に抱きしめている。そこには、第2ステージで天道から奪い取った数十億円(推定30億以上)が入っているはずだ。
「私、お金なら持ってます!
このお金を使って、芥川さんの借金を減らせば……!」
「無駄だ、歪」
僕は彼女を制止した。
「えっ……でも!」
「勘違いするな。
その数十億円は、僕たちが運営を殴り倒すための『武器(軍資金)』だ。
こんなところで借金返済に使って、『普通の参加者』に戻ってどうする?
借金がなくなれば、僕はただの『殺しても問題ない人間』になるだけだぞ」
「あ……」
歪がハッとして口をつぐむ。
そうだ。この71億という巨大な負債こそが、運営に僕を殺させないための『盾(防具)』なのだ。
ラプラスが、冷たい瞳で僕たちを見つめた。
「賢明な判断です、芥川様。
我々も、貴方の現金には興味がありません。
欲しいのは、貴方の『脳』ですので」
「……どういうことだ?」
「100億を超えた場合、芥川様には『脳の前頭葉切除手術(ロボトミー)』を受けていただきます。
その優秀な計算能力だけを残し、人格を削除して、我々の運営スタッフとして一生涯働いていただくために」
なるほど。
第7話で運営が言っていた「頭脳をチップにする」とは、こういうことか。
僕を殺せば71億の損害が出る。
だから殺さず、僕というハードウェアを徴収して、システムの一部に組み込むつもりだ。
「いいだろう。受けて立つ」
僕は承諾した。
能見は震え上がり、歪は不安そうに僕の袖を掴んでいる。
「芥川さん……私、彼女のことが読めません。
いつもなら『嘘の色』が見えるのに、彼女からは何も……
私の目が、役に立たないかもしれません」
「大丈夫だ、歪」
僕は彼女の手に自分の手を重ねた。
「君の目が使えないなら、僕の脳を使えばいい。
相手は『確率の魔女』か、あるいは『悪魔』か。
どちらにせよ、数学で解けない魔法はない」
「さあ、始めましょう」
ラプラスがカードを配り始める。
その指先には、微塵の迷いもない。
確率0.01%の誤差すら許さない、完全なる論理戦の幕開けだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について
沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。
かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。
しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。
現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。
その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。
「今日から私、あなたのメイドになります!」
なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!?
謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける!
カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる