借金13億の天才、デスゲームを「論理的」に搾取する。

白山 乃愛

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第8話 確率の魔女

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「……嫌な予感がします」

第3ステージへの通路を歩きながら、歪が震える声で呟いた。
彼女は自分の両腕を抱きしめ、周囲の空気を探るように視線を彷徨わせている。

「予感? 君の『色』に何か反応があったのか?」

「いえ、逆です。
……何も見えないんです。
この先の部屋から、人の気配も、感情の色も、まったく感じられない。
まるで『無』なんです」

直感の少女が怯えている。
それは、これから対峙する敵が、これまでの有象無象(モブ)とは次元が違うことを示唆していた。

「安心しろ。どんな『無』だろうと、そこに事象が存在する限り、確率は発生する」

僕は71億の負債が入ったタブレットを抱え直し、重厚なベルベットのカーテンを開けた。

そこは、カジノのVIPルームだった。
深紅の絨毯、クリスタルのシャンデリア、そして部屋の中央に鎮座する、緑色の羅紗(ラシャ)が張られたカードテーブル。
廃倉庫の無機質さとは無縁の、洗練された狂気の空間。

テーブルの向こう側には、一人の女が立っていた。
黒い燕尾服に身を包み、長い黒髪を一つに束ねた女性ディーラー。
その顔立ちは美しいが、陶器の人形のように無表情だ。

「ようこそ、芥川馨様。そして生存者の皆様」

女が深々と一礼する。
その所作は完璧で、機械のように正確だった。

「ひっ……!」
後ろをついてきた能見が、短く悲鳴を上げた。
「な、なんだあの女……目が、死んでるぞ」

能見の手元にあるタブレットには、『資産:201,500,000円』という数字が表示されている。
彼は第2ステージで破産寸前だったが、僕が渡した手切れ金(配当)のおかげで、クリア条件である「2億円」をギリギリ達成し、首の皮一枚でここに立っている。
他の数名の生存者たちも同様だ。彼らは運良くバブル相場で勝ち逃げし、2億円という安住の地を手に入れた「凡人」たちだ。

だが、彼らは怯えている。
2億円を持っていても、この異様な女の気配には抗えないのだ。

「私は本ステージの進行役兼、対戦相手を務めます。
コードネーム『ラプラス』と申します」

ラプラス。
その名は、かつて数学者ピエール=シモン・ラプラスが提唱した、因果律ですべての未来を予見する超越的存在――「ラプラスの悪魔」に由来する。
運営にしては、洒落た皮肉だ。

「ご丁寧な挨拶どうも。
で? 今回の集金システムはどんなルールだ?」

僕は向かいの席に座り、足を組んだ。
ラプラスは表情一つ変えず、懐から一組のトランプを取り出した。

「今回行っていただくゲームは『ハイ・リミット・ブラックジャック』です」

彼女の指先が、目にも止まらぬ速さでカードをシャッフルする。
リフルシャッフル、ヒンドゥーシャッフル、カッティング。
その手つきは芸術的ですらあった。

「ルールは通常のブラックジャックと基本は同じ。
手持ちのカードの合計を『21』に近づけるゲームです。
ただし、使用するカードから『2、3、4、5、6』の数字札(ローカード)をすべて除外しています」

「……なるほど。7以上のカードしか入っていないデッキか」

僕は瞬時に、そのルールの悪辣さを理解した。

「おい、どういうことだ?」
能見が小声で聞いてくる。

「ブラックジャックにおいて、プレイヤーが最も恐れるのは『バースト(22以上になって負けること)』だ。
低い数字がデッキにないということは、カードを引けば高確率で『10』や『絵札』が来る。
つまり、手札が『12』や『13』といった微妙な数字でも、ヒット(もう一枚引く)した瞬間にバーストして自滅する確率が跳ね上がるんだ」

「げっ……じゃあ、引けないじゃないか!」

「ああ。プレイヤーは身動きが取れなくなる。
だがディーラーはルール通りに機械的に引くだけだ。
これは、プレイヤーの『選択の自由』を殺すために設計されたルールだ」

ラプラスが手を挙げると、天井から巨大なモニターが降りてきた。
そこに表示されたのは、僕の負債額『-7,143,508,542円』。

「芥川様には、この負債をチップとして賭けていただきます。
勝利すれば、負債は減額。
敗北すれば、負債は増額。
……そして、もし負債が『100億円』を超えた時点で、ゲームオーバーとなります」

「100億……」
能見が絶句する。
「あと30億負けたら終わりってことか……!?」

「あ、あの!」
歪がたまらず声を上げた。
彼女は自分のタブレットを胸に抱きしめている。そこには、第2ステージで天道から奪い取った数十億円(推定30億以上)が入っているはずだ。

「私、お金なら持ってます!
このお金を使って、芥川さんの借金を減らせば……!」

「無駄だ、歪」
僕は彼女を制止した。

「えっ……でも!」

「勘違いするな。
その数十億円は、僕たちが運営を殴り倒すための『武器(軍資金)』だ。
こんなところで借金返済に使って、『普通の参加者』に戻ってどうする?
借金がなくなれば、僕はただの『殺しても問題ない人間』になるだけだぞ」

「あ……」
歪がハッとして口をつぐむ。
そうだ。この71億という巨大な負債こそが、運営に僕を殺させないための『盾(防具)』なのだ。

ラプラスが、冷たい瞳で僕たちを見つめた。

「賢明な判断です、芥川様。
我々も、貴方の現金には興味がありません。
欲しいのは、貴方の『脳』ですので」

「……どういうことだ?」

「100億を超えた場合、芥川様には『脳の前頭葉切除手術(ロボトミー)』を受けていただきます。
その優秀な計算能力だけを残し、人格を削除して、我々の運営スタッフとして一生涯働いていただくために」

なるほど。
第7話で運営が言っていた「頭脳をチップにする」とは、こういうことか。
僕を殺せば71億の損害が出る。
だから殺さず、僕というハードウェアを徴収して、システムの一部に組み込むつもりだ。

「いいだろう。受けて立つ」

僕は承諾した。
能見は震え上がり、歪は不安そうに僕の袖を掴んでいる。

「芥川さん……私、彼女のことが読めません。
いつもなら『嘘の色』が見えるのに、彼女からは何も……
私の目が、役に立たないかもしれません」

「大丈夫だ、歪」

僕は彼女の手に自分の手を重ねた。

「君の目が使えないなら、僕の脳を使えばいい。
相手は『確率の魔女』か、あるいは『悪魔』か。
どちらにせよ、数学で解けない魔法はない」

「さあ、始めましょう」

ラプラスがカードを配り始める。
その指先には、微塵の迷いもない。
確率0.01%の誤差すら許さない、完全なる論理戦の幕開けだ。
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