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第1話:一ミリの最短手順
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九重枢(ここのえくるる)は、クラスの空気のような存在だった。
休み時間の喧騒が渦巻く教室。
その片隅、窓際の席で、彼はただぼんやりと校庭の木々を眺めている。
分厚い眼鏡の奥にある瞳は、誰とも視線を合わせようとしない。
クラスメイトにとって、彼は背景の一部であり、名前すら忘れられる「無害な地味なやつ」だった。
「おい、これマジでどうなってんだよ! 欠陥品じゃねえのか!」
教室の中心、カーストの頂点に君臨する男、佐竹が苛立ちを爆発させた。
彼の手には、最近流行している難攻不落の多面体パズルが握られていた。
十二の面を持ち、複雑に組み合わさったそれは、漆黒の宇宙に星が散らばったような、異様な圧迫感を放っている。
「佐竹、まだ一面も揃ってないの? もう三日目じゃん」
「うるせえ。これ、プロでも一時間はかかる代物なんだぞ。構造が複雑すぎて、回転の法則すら掴めねえんだよ!」
佐竹がパズルを乱暴に机に叩きつける。
跳ね返ったパズルは、ちょうど消しゴムを拾おうと身をかがめた枢の足元へと転がった。
「……あ」
枢が、無造作にそのパズルを拾い上げる。
佐竹が鼻で笑い、周囲からは冷ややかな失笑が漏れた。
「おい九重。お前みたいなトロいやつには、そのパズルは難しすぎるだろ。壊す前にさっさと返せよ」
枢は答えなかった。
ただ、手に収まった多面体をじっと見つめている。
彼の脳内では今、数万通りの色彩の回転が、一秒間に数千回の演算となって駆け巡っていた。
(右に三十二度。軸をスライドさせて、位相を反転。重心を三ミリ右へ。……なるほど、美しい構成だ)
彼にとって、世界は「色がズレているだけのパズル」に過ぎない。
本来あるべき場所へ、最短の手順で戻してやるだけだ。
「……こう、かな」
カチャ、カチャカチャ、カチャッ!!
教室中の時が、止まった。
枢の指先が、視認できないほどの速度で踊った。
無駄な動きが一切ない。速いというより、まるで「最初から揃っていた状態へ動画を巻き戻している」かのような、物理法則を無視した不気味な合理性。
「……え?」
誰かが声を漏らすのと、すべての面が「正解」に収まるのは同時だった。
「はい。初めて触ったけど、パズルとしては論理的で面白いね。これ」
時間は、わずか五秒。
一点の曇りもなくすべての色彩が完璧に揃った多面体が、机に置かれた。
「……は? 嘘だろ、おい……五秒? 今、五秒だったぞ!?」
一拍おいて、教室が爆発したような騒動に包まれた。
しかし、枢は無表情のまま、拾った消しゴムをポケットに入れ、自分の席へと戻った。
「九重くん……今の、本当にあなたなの……?」
たった一人。
学級委員長の白凪繭(まゆ)だけが、震える声で枢に問いかけた。
彼女の瞳には、かつてないほどの激しい動揺と、好奇心が宿っていた。
しかし、本当の「パズル」が始まるのは、その日の放課後だった。
忘れ物を取りに教室へ戻った枢は、その光景に足を止めた。
教室の中央。空間が鏡のようにひび割れ、バリバリと耳障りな音を立てて「黒い泥」のようなものが溢れ出していた。
その「バグ」の中から這い出してきたのは、身長二メートルを超える、漆黒の重鎧を纏った巨神――『死神騎士(デス・ナイト)』。
「ギ、ガ、アアアアア……! 殺、ス……」
巨大な剣が、腰を抜かして震える繭に向かって、容赦なく振り上げられた。
(……いや、待て。落ち着け。パズルだ)
枢は、死の恐怖を無理やり演算の奥底へ押し込んだ。
極限の緊張状態で、彼の脳が「オーバークロック」を開始する。
(右肘、装甲の隙間三ミリ。
剣の重量は推定八十キロ。振り下ろされる重力加速度から逆算される、関節の負荷ポイントは――そこだ)
驚きは、一秒で終わった。
ギィィィィィィッ!!
死神騎士の剣が、繭の頭上数センチで、火花を散らしながら静止した。
枢が実験台からひったくった「ステンレス製の頑丈な支柱」が、騎士の肘関節の隙間に、楔(くさび)のように深く打ち込まれていた。
枢は力で受け止めているのではない。
騎士が剣を振るうために発生させた強大なエネルギーを、ステンレスを「支点」にして、騎士自身の肘関節を逆方向に破壊する力へと変換し、固定(ロック)したのだ。
「……力は強いけど、関節の組み方が甘い。これも、やり直した方がいいパズルだね」
支柱を握る枢の手は、まだ少し震えている。
だが、その瞳には、すでに敵を「完全解体」するための最短手順が映っていた。
休み時間の喧騒が渦巻く教室。
その片隅、窓際の席で、彼はただぼんやりと校庭の木々を眺めている。
分厚い眼鏡の奥にある瞳は、誰とも視線を合わせようとしない。
クラスメイトにとって、彼は背景の一部であり、名前すら忘れられる「無害な地味なやつ」だった。
「おい、これマジでどうなってんだよ! 欠陥品じゃねえのか!」
教室の中心、カーストの頂点に君臨する男、佐竹が苛立ちを爆発させた。
彼の手には、最近流行している難攻不落の多面体パズルが握られていた。
十二の面を持ち、複雑に組み合わさったそれは、漆黒の宇宙に星が散らばったような、異様な圧迫感を放っている。
「佐竹、まだ一面も揃ってないの? もう三日目じゃん」
「うるせえ。これ、プロでも一時間はかかる代物なんだぞ。構造が複雑すぎて、回転の法則すら掴めねえんだよ!」
佐竹がパズルを乱暴に机に叩きつける。
跳ね返ったパズルは、ちょうど消しゴムを拾おうと身をかがめた枢の足元へと転がった。
「……あ」
枢が、無造作にそのパズルを拾い上げる。
佐竹が鼻で笑い、周囲からは冷ややかな失笑が漏れた。
「おい九重。お前みたいなトロいやつには、そのパズルは難しすぎるだろ。壊す前にさっさと返せよ」
枢は答えなかった。
ただ、手に収まった多面体をじっと見つめている。
彼の脳内では今、数万通りの色彩の回転が、一秒間に数千回の演算となって駆け巡っていた。
(右に三十二度。軸をスライドさせて、位相を反転。重心を三ミリ右へ。……なるほど、美しい構成だ)
彼にとって、世界は「色がズレているだけのパズル」に過ぎない。
本来あるべき場所へ、最短の手順で戻してやるだけだ。
「……こう、かな」
カチャ、カチャカチャ、カチャッ!!
教室中の時が、止まった。
枢の指先が、視認できないほどの速度で踊った。
無駄な動きが一切ない。速いというより、まるで「最初から揃っていた状態へ動画を巻き戻している」かのような、物理法則を無視した不気味な合理性。
「……え?」
誰かが声を漏らすのと、すべての面が「正解」に収まるのは同時だった。
「はい。初めて触ったけど、パズルとしては論理的で面白いね。これ」
時間は、わずか五秒。
一点の曇りもなくすべての色彩が完璧に揃った多面体が、机に置かれた。
「……は? 嘘だろ、おい……五秒? 今、五秒だったぞ!?」
一拍おいて、教室が爆発したような騒動に包まれた。
しかし、枢は無表情のまま、拾った消しゴムをポケットに入れ、自分の席へと戻った。
「九重くん……今の、本当にあなたなの……?」
たった一人。
学級委員長の白凪繭(まゆ)だけが、震える声で枢に問いかけた。
彼女の瞳には、かつてないほどの激しい動揺と、好奇心が宿っていた。
しかし、本当の「パズル」が始まるのは、その日の放課後だった。
忘れ物を取りに教室へ戻った枢は、その光景に足を止めた。
教室の中央。空間が鏡のようにひび割れ、バリバリと耳障りな音を立てて「黒い泥」のようなものが溢れ出していた。
その「バグ」の中から這い出してきたのは、身長二メートルを超える、漆黒の重鎧を纏った巨神――『死神騎士(デス・ナイト)』。
「ギ、ガ、アアアアア……! 殺、ス……」
巨大な剣が、腰を抜かして震える繭に向かって、容赦なく振り上げられた。
(……いや、待て。落ち着け。パズルだ)
枢は、死の恐怖を無理やり演算の奥底へ押し込んだ。
極限の緊張状態で、彼の脳が「オーバークロック」を開始する。
(右肘、装甲の隙間三ミリ。
剣の重量は推定八十キロ。振り下ろされる重力加速度から逆算される、関節の負荷ポイントは――そこだ)
驚きは、一秒で終わった。
ギィィィィィィッ!!
死神騎士の剣が、繭の頭上数センチで、火花を散らしながら静止した。
枢が実験台からひったくった「ステンレス製の頑丈な支柱」が、騎士の肘関節の隙間に、楔(くさび)のように深く打ち込まれていた。
枢は力で受け止めているのではない。
騎士が剣を振るうために発生させた強大なエネルギーを、ステンレスを「支点」にして、騎士自身の肘関節を逆方向に破壊する力へと変換し、固定(ロック)したのだ。
「……力は強いけど、関節の組み方が甘い。これも、やり直した方がいいパズルだね」
支柱を握る枢の手は、まだ少し震えている。
だが、その瞳には、すでに敵を「完全解体」するための最短手順が映っていた。
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