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優しい人・第24話
しおりを挟む自転車をこぎながら、涙が溢れては流れる。
何故泣けるのか、自分は怒っているのか、悲しいのかも解らない。
ただ、胸がムチャクチャに掻き毟られるのだ。
息苦しい……
早朝5時。
もちろん、誰もいない診療所。
鍵を開けて中に入り、施術ベッドの一つに寝転がる。
シーン…とした中で、ぐるー…と周りを眺めながら思考する。
ここまできた、道程(みちのり)を…
自分という人間のことを…
長年の恋人であり婚約者だった萌花に、正に晴天の霹靂の裏切りを受けた日は、まだ遠くない。
なのに、それを思い出せなくなるほど今、一番気になる、滝のことを…
志賀篤仁として28年、生きてきた。
平成元年、7月29日生まれ、男。
因みに獅子座。
いたって普通人間だ。
父母、妹の4人家族。
父親は銀行員で母親は専業主婦。
子供が結婚しようかというくらいの日本人家族のモデルケースと言ってもいいくらい平凡な家庭。
父親は銀行の支店長だからちょっとばかし、暮らしはマシなのかも知れない。
神戸はもうかなりの都会だが、自分は北区の比較的自然の残る緑いっぱいの住宅地で生まれ育った。
子供の頃は、自然の中で朝早くから夕方まで遊びまわっていた子供だった。
友達はゲームオンリー、インドア派が半分。
後の半分も外で遊ぶがゲームは好きで、折角集まっているのに、近くにある神社の千年木、と言われる立派な大木の木陰で、仲間同士で対戦ゲーム、という日が増え、ただ一人、ゲームに興味がなく、ゲーム機を持ってもいなかった篤仁は、そんな時は、友達を下に見ながら千年木のかなり上の方まで登って景色を楽しんだ。
千年木の上は、かなり遠くまで見渡せる篤仁のお気に入りの展望台だった。
家々を眺めたり、鳥の巣を見つけたり、少しでも近くなった空を眺めた。
友人達は、一人で木に登る篤仁を誰も気にも留めなかったし、ゲームを使う?なんて声をかけられたこともない。
最も、篤仁がゲームに興味ゼロだけに貸して、とも言わないのだが。
行きと帰りだけ一緒、という日も少なくはなかったのに、不思議なことに、親に
「誰と遊ぶの?」
と聞かれると、全員が
「あっくん(篤仁)達」
と答えるのだった。
外遊び派は、習い事などで、日替わりで遊ぶので、メンバーは日によって違ったが、篤仁はオール参加で毎日、雨が降ってもカッパに長靴で遊んでいたせいかな、と本人は思っていた。
生傷が絶えず、万年日焼けで地黒のように肌は浅黒くなった。
そんなことだから、いつまでも昆虫や運動や基地作りにしか興味のない、所謂ガキんちょでいるのかと思いきや、反面では、低学年から女子のスカート捲りに興じ、その攻撃は若い女教師にまで至り、親は何度学校に呼び出されたか判らない。
中学に入り、目立つ美人が顧問の文学部に入ると、いつも、物静かに微笑んでいて、誰にでも本当に優しく、ダメだ、嫌だと言っているのを見たことがない、といってもいいほどの、先輩、滝千佳史に出会った。
最初に部室を訪れたのは、4月の肌寒い日で、最初、制服のシャツの上にベビーピンクのパーカーを着て座っていた滝を、間違いなく女性徒だと思って、よっしゃー!と思ったのを覚えている。
男だと判ってどれほど落胆したことか…
それでも、いくら顧問が美人の女性だと言っても、共学だというのに、男しかいない文学部を、女子大好き!の篤仁が、滝達の学年の卒業まで辞めようとはチラとも思わなかったのは七不思議の一つだ。
それから…
色んなことがあったなぁ…と走馬灯のように思い出す。
滝達が卒業して一気につまらなくなって、文学部は辞めてしまい、しつこく誘われていた男バレに入った。
子供の頃の過激なまでに活発な外遊びの賜物で、運動はバカみたいに出来た。
中学入学当時ですでに173cmの高身長と、筋肉質でバランスの良い体、それに万年日焼けの色黒も手伝って、新1年生では目立ち過ぎ、スポーツの盛んだった北中運動部は、入学と同時に、こぞって篤仁獲得に躍起になった。
それがあっさり、一切誘われていない文学部入部、となり、運動部顧問が全員
「はい?」
となった話しは、今でも北中の伝説だと、男バレの同窓会で当時の顧問から聞いたことがある。
それからはちょこっとバレーにのめり込み、中体連では全国大会出場。
男バレで有名な大阪の縁川(えんかわ)学院高校にスカウトで入学し、インハイ、国体、春高全てに、出場した。
高2から、実業団、Vリーグからの誘いが来たが、3年の春、練習試合の最中に靭帯損傷を起こしてしまった。
それはバレーボール選手としては致命的な怪我で、篤仁は、バレーを諦め、スポーツマッサージの勉強をして、卒業までトレーナーのようなことをして男バレを支えた。
バレーは好きだった。
沢山の実業団や大学、Vリーグからも誘いが来て嬉しかったし、その中から何処か選んでこの先の人生をいくつもりにはしていた。
だが、それがダメになったからと言って、周りが心配するほど、篤仁はダメージを受けてはいなかった。
昔から、熱中はしても執着はしない性格だった。
そして今度は、体のケアに興味を持ち、トレーナーになろうと医療専門学校を調べ、柔整と鍼灸を取れる、神戸医業専門学校に入学し、萌花に出会った。
整骨院でバイトしながら専学へ通ううち、整骨院開業の方に気持ちが傾いて行き、国試をパスして専学を出て1年間は学生時代からバイトしていた整骨院に、お礼奉公して、翌年、灘区で開業した。
これまでの人生は、篤仁的には、窮地はなかった。
萌花の裏切りさえ、今となっては………
なのに、この苦しいまでの悲痛は何だ…
滝は、自分にとって、何だと言うのか……
恋愛感情ではない。
…と思う。
だが、自分の人生で、記憶している限り、これは初めての「執着」だ。
たった2ヶ月弱と言えども、人間気分のいい日も悪い日もあるものだ。
だが、滝は、いつも変わらず自分を甘やかし、母親よりよく世話をやいてくれた。
「お前はズレてる」
「KYって篤仁の為にある言葉ね」
色んな人間から、そんなことを言われまくって、自分は少し変わっているらしい、という自覚は何となく。
だが、何がどう変わっているのかは誰も教えてくれないし、教えられたところで変えなかっただろう。
滝は、再会してKY全開で暴言を吐き、傷つけ、泣かせたのに、怒ることもなく、篤仁を全面的に受け入れてくれた。
ゲイだから当たり前かも知れないが、男の篤仁のキスや自慰のオカズになることも受け入れてくれた。
下らない押し付けがましいプレゼントに感激して抱きついてくれた…
いつも微笑んでくれた滝。
優しい、優しい人…
漣(さざなみ)のような笑顔が、どうしても頭から離れてくれない。
と、同時に
―「口でしてやろうか?」
耳を疑った、どうしようもなく蓮っ葉に聞こえた言葉…
そして、あの微笑みを、切りつけた、自分━━━
「うおーー……ッッ!!」
叫んで頭を掻き毟っても、滝の所にはもう、戻れない……
△
その日の夜、20時―。
志賀邸の客間では、篤仁の両親と、萌花の両親が、間わずか1日を挟んでの、2度目の対峙をしていた。
「あの…一昨日、お話しは終わったか、と思うのですが…」
篤仁の父が、困惑顔で切り出した。
一昨日。
篤仁と萌花の破談は、萌花に100%の非がある。強姦まがいの行為だが、娘は篤仁くんではない相手の子供を妊娠してしまったのだ、と畳に額を擦りつけて謝罪したのだ。
「失礼ですが、息子さんの性癖をご存知ですか?」
「は、はあ?!」
一昨日は2人揃って青くなって畳に額を擦れるだけ擦って、という感じで平身低頭謝って帰った橋本夫婦が今日は、顔を強ばらせ、声のトーンも違う。
篤仁の父の声が裏返る。
「息子さんの性癖です。ご存知ですか?」
もう1度、萌花の父親が言った。
「それは…どういう?」
わけが解らない。
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篤仁の両親は、頭痛を伴うほどに緊張して、萌花の父の次の言葉を待った。
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