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囚われの親子編
第14話 不審死(五)
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◇ ◇ ◇
同時刻、アークフェネフォール区のメルクカートリアという町にある邸宅の前に金髪の男がいた。邸宅は一般的な庶民が暮らす家屋よりも大きくて広いが、豪邸というほどではない。庶民でも少し無理をすれば暮らせる程度の邸宅だ。
アークフェネフォール区は、ウォール・ツヴァイとウォール・トゥレスの間の北西に位置する区だ。
この区は芸術が盛んであり、多くの芸術家が活動拠点にしている。劇場や美術館などもあり、芸術の都ならぬ芸術の区だ。
メルクカートリアはアークフェネフォール区の中で最も大きく、人口の多い町でもあり、区内の行政の中心地でもある。無論、芸術も盛んだ。
町そのものを芸術品として考えられており、区画整備や建物の建築段階から芸術家と相談して作られている徹底ぶりだ。また、自宅の壁に芸術家や芸術家の卵が絵を描くことも頻繁に行われており、邸宅の持ち主も快く了承する文化がある。
「大変な時に申し訳ありません」
家人が出迎えると、男が突然の訪問を詫びる。
「いえ、わざわざお越しくださりありがとうございます」
男を出迎えたのは三十代くらいに見える女性だ。女性は丁寧な対応で出迎える。
「どうぞお上がりください」
頭を上げた女性の顔色は傍目に見てもわかるほど悪い。
「早速ですが、ロバートさんの執務室に失礼してもよろしいですか?」
「はい。どうぞご自由になさってください」
「ありがとうございます」
男は女性の案内のもと廊下を進む。
質素になりすぎず、華美にもなりすぎないように調度品が廊下を彩っており、家人のセンスの良さが窺える。だが、今は家中に沈んだ空気が充満していた。
「こちらです」
目的の部屋の前に辿り着くと、女性は一歩引いて扉の前のスペースを空ける。
「失礼します」
男が扉を開くと、部屋の主の性格が窺えるようにしっかりと整理整頓された書物や書類の数々が並んでいた。
「アナベルさんはご無理なさらずに」
一度振り返って優しさの籠った声音で女性――アナベルに声を掛ける。
「お気遣い頂きありがとうございます。ですが、大丈夫ですのでお気になさらないでください」
「……そうですか。ご無理はなさらないでください」
アナベルが気丈に振舞っているのが、男には心が痛むほど鮮明にわかった。
(可能な限り早急に終わらせよう)
手早く済ませてアナベルが少しでも早く休めるようにしようと心に決めた男は、室内に視線を戻す。
まずは部屋の主が腰を据えるデスクを注視して歩み寄る。
(ロバートさんは椅子に座ったまま亡くなっていたと聞いたが、争った形跡はないか……)
デスク周りには傷などが見当たらないので、争いがあったとは思えない。
引き出しを全て開けて中を確認するが、どこにも不自然な点は見当たらない。
男は一先ずデスク周りを諦めて別の場所を調べることにした。
壁際に並んでいる本棚に目を向ける。
(持病があったとは聞いていないが、本人が言っていなかっただけの可能性もあるか……)
目についた書物を一つ一つ手に取って不自然な点がないか確認しながら思考に耽る。
「アナベルさん、ロバートさんは持病を患ってはいませんでしたよね?」
「ええ。主人が持病を患っていたとは聞いていません」
「そうですよね」
「それに主人は普段から健康には気をつけていましたから」
「それは私も良く知っています」
亡くなった部屋の主は普段から健康には気をつけていた。
食事に気を配り、時間がある時は運動をしていたので、持病を患っていた可能性は低いと思われる。
(突然の心臓発作の線もあるが、遺体を検分した者の話によるとその線は薄いらしい。やはり暗殺の線が濃厚か……?)
持病を患っておらず、普段から健康に気を使っている者が突然亡くなった。
それだけならば、何か事故や突然の発作が原因という線もある。
しかし、ここ最近は立て続けに不審死する者が出ている。明らかに不自然だ。
(明らかに不自然だが、かと言って確たる証拠があるわけでもない……)
顎に手を立てて考え込む。
「しばらく調べてみるので、私のことは気にせずアナベルさんは休んでいてください」
「……そうですか、わかりました。では、お言葉に甘えさせて頂きます。何かありましたら遠慮なさらずにいつでもお呼びください」
「ええ。ありがとうございます」
アナベルは丁寧にお辞儀をすると執務室を後にした。
誰が見ても女性が疲労困憊の状態であることがわかる。化粧で誤魔化しているが、明らかに顔色が悪く、目の下には隈があった。
それも仕方のないことだろう。第一発見者として夫が自宅で亡くなっているのを目の当たりし、葬儀の手配や子供たちの世話など忙しない日々を送っていたのだから。
肉体的にも精神的にも疲弊してしまうだろう。いくら気丈に振舞っていても隠し切れるものではない。
故に男はアナベルを気遣った。少しでも休むことができればいいと。
アナベルが退室した後、男は部屋を隈無く見て回った。
飾ってある絵画の裏、アンティーク調の調度品の隅々まで目につく場所を全て確認する。
(やはり確たるものは見つからないか……。だが、違和感が拭えない……)
室内をいくら見回しても確たる証拠は見当たらない。だが、彼には拭い切れない違和感があった。しかし、その違和感の正体が掴めない。もどかしさが胸中を這いずり回る。
「仕方ない。申し訳ないが彼を頼るか」
これ以上自分の力だけでは何も進展がないと判断し、溜息を吐いた後に考えていた選択肢を自然と呟いていた。
善は急げと執務室を退室すると、休んでいるアナベルのもとへ向かう。
男はこの邸宅には何度か足を運んでいる。客が足を踏み入れる範囲の間取りはしっかりと頭に入っていた。
目的の場所であるリビングに辿り着くと、目当ての人物がソファで寛いでいたので声を掛ける。
「――アナベルさん、失礼します」
「あら? ミハエル様、何かありましたか? 呼んで頂ければ私が赴きましたのに」
ソファで寛いでいた女性が立ち上がって出迎える。
「今、紅茶をご用意致しますね」
「いえ、お構いなく。アナベルさんはゆっくりなさっていてください」
「ミハエル様にそんな粗相は致せません」
男こと――ミハエルは、アナベルのことを気遣って断りを入れたが、逆に気を遣わせてしまう羽目になった。
「本当にお構いなく。もうお暇しますので」
「……そうですか。わかりました」
アナベルは不承不承ながらも引き下がる。
「その前に一つ伝えておくことがありまして」
「なんでしょうか?」
首を傾げるアナベル。
「ロバートさんの死因はやはり不自然です。ですが、情けないことに私では違和感の正体を掴めませんでした」
「……そうですか」
夫の死の謎が少しでも判明することを期待していたアナベルの表情に影が差す。
「なので、次は頼りになる友人を連れてきます」
「頼りになるご友人ですか?」
「ええ」
続け様にミハエルが告げた言葉に、アナベルは再び首を傾げた。
「ミハエル様が頼りにされる御方ならきっとご立派な御方なのでしょう。私はミハエル様を信用していますので全てお任せ致します」
「アナベルさんもご存じのように、ロバートさんは私の恩人であり友人でもありました。本人に直接恩を返すことは叶いませんでしたが、少しでも彼の恩に報いる為に誠心誠意応えてみせます」
ミハエルよりロバートの方が年上だが、互いに気心の知れた友人同士だった。ミハエルにとってロバートは恩人でもある。ロバートは非魔法師だったが、お互いに尊敬し合える関係でもあった。
ミハエルはロバートに招かれて自宅にお邪魔することが多々あり、その都度、妻であるアナベルとも顔を合わせている。
彼女には良く手料理を振舞ってもらったし、子供たちの遊び相手になることもあり、家族ぐるみの付き合いがあった。
アナベルはミハエルの肩書と為人のことは、交流を重ねてきたので理解している。なので、夫であるロバートを除けば最も信頼している相手だった。子供たちも懐いているので尚更だ。
「ええ。ミハエル様のお気持ちは痛いほど伝わっておりますよ。お心遣い感謝致します」
「友人に頼ろうとしている時点で説得力はありませんが……」
ミハエルが自嘲交じりに冗談を言うと、女性は口元に手を当てて笑みを浮かべた。
「――では今日のところはこれで失礼致します」
「お手数をお掛け致しました」
「いえ、こちらこそお手間を取らせて申し訳ありません。また近いうちにお伺いします」
「わかりました。お待ちしております」
互いに別れの挨拶を済ませると、ミハエルは玄関へ移動した。
アナベルは一歩下がった位置から共に移動し、玄関先まで見送る。
「では、改めて失礼致します」
「はい。重ね重ねありがとうございました」
ミハエルが邸宅を後にすると、アナベルは彼の姿が見えなくなるまで見送っていた。
同時刻、アークフェネフォール区のメルクカートリアという町にある邸宅の前に金髪の男がいた。邸宅は一般的な庶民が暮らす家屋よりも大きくて広いが、豪邸というほどではない。庶民でも少し無理をすれば暮らせる程度の邸宅だ。
アークフェネフォール区は、ウォール・ツヴァイとウォール・トゥレスの間の北西に位置する区だ。
この区は芸術が盛んであり、多くの芸術家が活動拠点にしている。劇場や美術館などもあり、芸術の都ならぬ芸術の区だ。
メルクカートリアはアークフェネフォール区の中で最も大きく、人口の多い町でもあり、区内の行政の中心地でもある。無論、芸術も盛んだ。
町そのものを芸術品として考えられており、区画整備や建物の建築段階から芸術家と相談して作られている徹底ぶりだ。また、自宅の壁に芸術家や芸術家の卵が絵を描くことも頻繁に行われており、邸宅の持ち主も快く了承する文化がある。
「大変な時に申し訳ありません」
家人が出迎えると、男が突然の訪問を詫びる。
「いえ、わざわざお越しくださりありがとうございます」
男を出迎えたのは三十代くらいに見える女性だ。女性は丁寧な対応で出迎える。
「どうぞお上がりください」
頭を上げた女性の顔色は傍目に見てもわかるほど悪い。
「早速ですが、ロバートさんの執務室に失礼してもよろしいですか?」
「はい。どうぞご自由になさってください」
「ありがとうございます」
男は女性の案内のもと廊下を進む。
質素になりすぎず、華美にもなりすぎないように調度品が廊下を彩っており、家人のセンスの良さが窺える。だが、今は家中に沈んだ空気が充満していた。
「こちらです」
目的の部屋の前に辿り着くと、女性は一歩引いて扉の前のスペースを空ける。
「失礼します」
男が扉を開くと、部屋の主の性格が窺えるようにしっかりと整理整頓された書物や書類の数々が並んでいた。
「アナベルさんはご無理なさらずに」
一度振り返って優しさの籠った声音で女性――アナベルに声を掛ける。
「お気遣い頂きありがとうございます。ですが、大丈夫ですのでお気になさらないでください」
「……そうですか。ご無理はなさらないでください」
アナベルが気丈に振舞っているのが、男には心が痛むほど鮮明にわかった。
(可能な限り早急に終わらせよう)
手早く済ませてアナベルが少しでも早く休めるようにしようと心に決めた男は、室内に視線を戻す。
まずは部屋の主が腰を据えるデスクを注視して歩み寄る。
(ロバートさんは椅子に座ったまま亡くなっていたと聞いたが、争った形跡はないか……)
デスク周りには傷などが見当たらないので、争いがあったとは思えない。
引き出しを全て開けて中を確認するが、どこにも不自然な点は見当たらない。
男は一先ずデスク周りを諦めて別の場所を調べることにした。
壁際に並んでいる本棚に目を向ける。
(持病があったとは聞いていないが、本人が言っていなかっただけの可能性もあるか……)
目についた書物を一つ一つ手に取って不自然な点がないか確認しながら思考に耽る。
「アナベルさん、ロバートさんは持病を患ってはいませんでしたよね?」
「ええ。主人が持病を患っていたとは聞いていません」
「そうですよね」
「それに主人は普段から健康には気をつけていましたから」
「それは私も良く知っています」
亡くなった部屋の主は普段から健康には気をつけていた。
食事に気を配り、時間がある時は運動をしていたので、持病を患っていた可能性は低いと思われる。
(突然の心臓発作の線もあるが、遺体を検分した者の話によるとその線は薄いらしい。やはり暗殺の線が濃厚か……?)
持病を患っておらず、普段から健康に気を使っている者が突然亡くなった。
それだけならば、何か事故や突然の発作が原因という線もある。
しかし、ここ最近は立て続けに不審死する者が出ている。明らかに不自然だ。
(明らかに不自然だが、かと言って確たる証拠があるわけでもない……)
顎に手を立てて考え込む。
「しばらく調べてみるので、私のことは気にせずアナベルさんは休んでいてください」
「……そうですか、わかりました。では、お言葉に甘えさせて頂きます。何かありましたら遠慮なさらずにいつでもお呼びください」
「ええ。ありがとうございます」
アナベルは丁寧にお辞儀をすると執務室を後にした。
誰が見ても女性が疲労困憊の状態であることがわかる。化粧で誤魔化しているが、明らかに顔色が悪く、目の下には隈があった。
それも仕方のないことだろう。第一発見者として夫が自宅で亡くなっているのを目の当たりし、葬儀の手配や子供たちの世話など忙しない日々を送っていたのだから。
肉体的にも精神的にも疲弊してしまうだろう。いくら気丈に振舞っていても隠し切れるものではない。
故に男はアナベルを気遣った。少しでも休むことができればいいと。
アナベルが退室した後、男は部屋を隈無く見て回った。
飾ってある絵画の裏、アンティーク調の調度品の隅々まで目につく場所を全て確認する。
(やはり確たるものは見つからないか……。だが、違和感が拭えない……)
室内をいくら見回しても確たる証拠は見当たらない。だが、彼には拭い切れない違和感があった。しかし、その違和感の正体が掴めない。もどかしさが胸中を這いずり回る。
「仕方ない。申し訳ないが彼を頼るか」
これ以上自分の力だけでは何も進展がないと判断し、溜息を吐いた後に考えていた選択肢を自然と呟いていた。
善は急げと執務室を退室すると、休んでいるアナベルのもとへ向かう。
男はこの邸宅には何度か足を運んでいる。客が足を踏み入れる範囲の間取りはしっかりと頭に入っていた。
目的の場所であるリビングに辿り着くと、目当ての人物がソファで寛いでいたので声を掛ける。
「――アナベルさん、失礼します」
「あら? ミハエル様、何かありましたか? 呼んで頂ければ私が赴きましたのに」
ソファで寛いでいた女性が立ち上がって出迎える。
「今、紅茶をご用意致しますね」
「いえ、お構いなく。アナベルさんはゆっくりなさっていてください」
「ミハエル様にそんな粗相は致せません」
男こと――ミハエルは、アナベルのことを気遣って断りを入れたが、逆に気を遣わせてしまう羽目になった。
「本当にお構いなく。もうお暇しますので」
「……そうですか。わかりました」
アナベルは不承不承ながらも引き下がる。
「その前に一つ伝えておくことがありまして」
「なんでしょうか?」
首を傾げるアナベル。
「ロバートさんの死因はやはり不自然です。ですが、情けないことに私では違和感の正体を掴めませんでした」
「……そうですか」
夫の死の謎が少しでも判明することを期待していたアナベルの表情に影が差す。
「なので、次は頼りになる友人を連れてきます」
「頼りになるご友人ですか?」
「ええ」
続け様にミハエルが告げた言葉に、アナベルは再び首を傾げた。
「ミハエル様が頼りにされる御方ならきっとご立派な御方なのでしょう。私はミハエル様を信用していますので全てお任せ致します」
「アナベルさんもご存じのように、ロバートさんは私の恩人であり友人でもありました。本人に直接恩を返すことは叶いませんでしたが、少しでも彼の恩に報いる為に誠心誠意応えてみせます」
ミハエルよりロバートの方が年上だが、互いに気心の知れた友人同士だった。ミハエルにとってロバートは恩人でもある。ロバートは非魔法師だったが、お互いに尊敬し合える関係でもあった。
ミハエルはロバートに招かれて自宅にお邪魔することが多々あり、その都度、妻であるアナベルとも顔を合わせている。
彼女には良く手料理を振舞ってもらったし、子供たちの遊び相手になることもあり、家族ぐるみの付き合いがあった。
アナベルはミハエルの肩書と為人のことは、交流を重ねてきたので理解している。なので、夫であるロバートを除けば最も信頼している相手だった。子供たちも懐いているので尚更だ。
「ええ。ミハエル様のお気持ちは痛いほど伝わっておりますよ。お心遣い感謝致します」
「友人に頼ろうとしている時点で説得力はありませんが……」
ミハエルが自嘲交じりに冗談を言うと、女性は口元に手を当てて笑みを浮かべた。
「――では今日のところはこれで失礼致します」
「お手数をお掛け致しました」
「いえ、こちらこそお手間を取らせて申し訳ありません。また近いうちにお伺いします」
「わかりました。お待ちしております」
互いに別れの挨拶を済ませると、ミハエルは玄関へ移動した。
アナベルは一歩下がった位置から共に移動し、玄関先まで見送る。
「では、改めて失礼致します」
「はい。重ね重ねありがとうございました」
ミハエルが邸宅を後にすると、アナベルは彼の姿が見えなくなるまで見送っていた。
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