君の痴態が忘れられないんだ。

雅鳳飛恋

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第56話 ライバル

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 実親と紫苑がスタンドで乳繰り合っていた頃、伊吹はストレッチしながらスタッフがバーを次の高さに上げるのを待っていた。

町野まちのさんも梅木うめきさんも流石だなぁ)

 ライバル二人に視線を向ける。

(町野さんは一度もミスしてないし、梅木さんも自分のスタイルを貫いてる)

 町野は三重県の高校の三年生であり、現在の高校女子高跳び界の頂点に君臨する女王だ。
 今年開催された十九歳以下の選手が対象のアジアジュニア陸上競技選手権大会と、Uアンダー二〇世界陸上競技選手権大会に大学生や社会人の選手に交ざって日本代表に選ばれて出場していた。
 昨年のインターハイでは優勝しており、今年も優勝候補筆頭として最有力視されている。
 安定感がありミスをしないスタイルが特徴で、心技体が高水準で揃っている傑物だ。
 世界のトップ選手にも劣らない百八十センチを超える長身と長い手足を備えている。

 梅木は北海道の高校の三年生であり、町野と共に女子高跳び界を引っ張ってきたシルバコレクターである。
 町野と同学年でさえなければ何度も優勝していたと言われている実力者だ。
 だが、残念ながら同じ年に生まれてしまったが故に、町野の後塵を拝す競技人生になってしまった。
 優勝が町野、準優勝が梅木という結果が恒例になっているので、シルバーコレクターという不名誉な渾名を与えられてしまっている。
 安定感はないが、博打上等の挑戦的なスタイルを身上としており、一度勢いに乗ったら止まらないタイプだ。
 百七十七センチの長身なので世界にも通用する素質を有している。

「ブッキー調子良さそうだね」

 声を掛けられた伊吹は視線を移す。

「ええ、絶好調です」

 視線の先には日焼けして褐色肌になっている女子選手がおり、伊吹は口元を緩ませながら頷いた。

今帰仁なきじんさんは惜しかったですね」
「中々イメージ通りにはいかないねー」
「それが出来たら誰も苦労しませんよ」
「まあ、そうなんだけど」

 今帰仁と呼ばれた少女は苦笑しながら頭を掻く。

「今回は私の負けだよ」

 今帰仁は悔しそうにしながらも、どこか晴れやかな印象を受ける表情で伊吹の肩に手を置いた。

 彼女は沖縄県の高校の二年生だ。
 伊吹とは学年が一つしか違わないので、昔から良く大会で顔を合わせていた。なのでブッキーと呼ぶくらいには交流がある。
 今大会は惜しくも四位に終わってしまったが、二年生世代ではナンバーワンの実力者で抜群の身体能力を誇っている。
 しかし、如何せん身体能力頼りで技術を疎かにするきらいがあり、能力を生かしきれていなかった。
 上位四人の中では最も小柄だが、それでも百七十センチ中盤くらいの身長を備えているので、才能があるだけに惜しい、と陸上界の関係者は嘆いている。

「今帰仁さんは技術を磨けばもっと跳べるのにもったいないですよ」
「それを言われると耳が痛い……」

 本人も自覚があるようで、反論出来ずに視線を彷徨させてしまう。

「今はとりあえず私のことは良いよ」

 伊吹の正面に腰を下ろして胡坐をかいた今帰仁は話題を逸らす。

「今日のブッキーならあの二人の牙城を崩せるんじゃない?」

 町野と梅木に視線を向けながら告げる。
 二年生の今帰仁は、一つ上の学年の二人とずっと上位争いを繰り広げてきた。しかし、いつも二人の陰に隠れる存在で終わってしまう。
 その日の調子や運次第で梅木に勝つことはあっても、町野に勝てたことは一度もない。
 今大会も二人に勝つ気で臨んだものの、結果は振るわず四位だった。
 本当は自分で一泡吹かせたいが、それが叶わなくなったので代わりを伊吹に託そうと思ったのだ。

「どうでしょうね……町野さんは兎も角、梅木さんは苦労しているようなのでチャンスはあるかもしれないですね」
「梅ちゃんはギャンブラーだからねぇ」
「今帰仁さんと違って、梅木さんは基礎が確りしていて技術の向上にも余念がないですけどね」
「ははは……ブッキーは容赦ないなー」

 梅木は博打に賭けるような思い切りの良い跳躍をする。成功したら吉、失敗したらツキが無かったとでも言うかのように。
 基礎が備わっていて技術も確りと磨いているからこそ、彼女は自分のスタイルを貫けている。
 今帰仁のように技術面を軽視している訳ではないのだ。

 伊吹の容赦ない返しに、今帰仁は頬を掻いて空笑いするしかなかった。

「私がなんだって?」
「っ!?」

 いつの間にか近くに来ていた梅木が今帰仁の背後から声を掛けた。
 死角から声を掛けられた今帰仁はギョッとして身体がビクつく。

「ううううううう梅ちゃん……!」
「……そんなに動揺するってことは私の悪口でも言ってたのかな?」

 梅木は腰に手を当てて今帰仁のことを見下ろす。

「そ、そんなこと言ってないよ!!」

 仰け反るのではないかと思うほどの勢いで顔を空に向けた今帰仁は、梅木と目が合って萎縮する。
 まるで後ろ暗いことがあると自ら言っているかのような反応だ。

「まあ、どうでも良いけど」

 興味を失ったように今帰仁から目線を逸らすと、流れるような動作で伊吹に目を向けた。
 獲物を狙う獰猛な肉食獣に睨まれた草食獣の気分を味わった今帰仁は、自分から視線が逸れたことにほっと胸を撫で下ろす。

「あなたは椎葉さんだったよね?」
「はい」
「この子に変なこと吹き込まれなかった?」

 今帰仁の頭を鷲摑みにしながら尋ねる梅木は妙な迫力がある。

「他愛もない雑談しかしてないですよ」
「そう。椎葉さんはそのまま育てば間違いなく世界で戦える選手になれるだろうから、この馬鹿の影響を受けないようにね」
「いてててててて……!!」

 今帰仁は梅木の手を自分の両手で掴んで退けようとするも、痛みで力が入らずに苦悶の表情を受けべることしか出来なかった。
 その様子にどんな反応をすれば良いのかわからなかった伊吹は困り顔になる。

「大丈夫ですよ。私は私ですから」
「椎葉さんは真面目そうで安心したわ」

 梅木はスイカを握り潰すのではないかと思う程の力で今帰仁の頭を鷲摑みにしているが、伊吹には優しい微笑みを向けており、面倒見の良いお姉さんのような雰囲気が滲み出ていた。

「う、梅ちゃんそろそろ堪忍してぇー!」
「……真面目に練習する気になった?」
「するから! ちゃんとするからぁー!!」
「なら良し」

 冷笑を湛えた表情で詰め寄った梅木の迫力に、今帰仁は涙目になりながら頷く。
 そして言質を取った梅木は頭を解放した。

「梅ちゃんのいけずぅー」

 両手で頭を押さえて口を尖らせる今帰仁の態度に、梅木は溜息を吐き、伊吹は苦笑する。

 梅木は今帰仁の才能を買っており、真面目に努力さえすればもっと活躍出来ると思っていた。
 自分のことだけではなく、女子高跳び界のことまで考えている彼女にとっては放っておけない人材だったのだ。

 今帰仁自身が趣味で高跳びをしているのならお節介を焼いたりはしない。本人が上を目指していると公言しているから苦言を呈しているのだ。
 上を目指すなら努力をしろと口酸っぱく言っても聞く耳を持たない。努力しない者には上を目指す資格はない、趣味の範囲に留めておきなさい、と何度も言っている。
 今回もちゃんと準備をしていればもっと良い結果を残せた筈だと思っていた梅木は、自分のことのように悔しがっていたのだ。
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