君の痴態が忘れられないんだ。

雅鳳飛恋

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第62話 不安

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 三人共順調に記録を伸ばし続け、現在は一メートル八十六センチにまで到達している。
 一度で成功させた町野に対し、共に一発で成功させ続けていた伊吹は惜しくも失敗してしまう。今日初めての失敗だったが、二度目の試技では完璧に調整して危なげなく跳び越えてみせた。
 そして二回失敗していた梅木は三度目の試技でギリギリ成功させる。

 バーの高さが一メートル八十七センチになると、流石の町野も一回目は尻が接触してバーを落としてしまう。
 今まで完璧な跳躍を続けていた町野の失敗に会場が俄かにどよめくも、本人は真顔のまま下がっていった。

 続く梅木も背中がバーに接触して失敗する。
 彼女にとってはバーの高さが完全に未知の領域なので苦戦は免れないようだ。

 二人が立て続けに失敗したのを目の当たりにしてしまったのが影響したのか、伊吹も引き摺られるようにミスをしてしまった。踏み切り位置が合わずに上手く跳躍出来なかったのだ。

「前の二人が失敗したから雰囲気に飲まれちゃったのかな……」

 マットから降りる際に首を捻っていた伊吹を紫苑が心配そうに見つめる。

「それはあるかもしれないな」
「次は跳べるよ……!」

 実親が相槌を打つと、紫苑は祈るように両手を胸元で握り合わせた。

 フィールドでは町野が二回目の試技を行おうとしている。
 無表情でバーに目をやった町野は、ふっと息を吐くと左側から半円を描くように走り出した。
 何度見ても見惚れてしまう流麗な跳躍に、誰もが確信する。跳び越えた、と。

 大方の確信は正しく、町野の身体がバーに接触することはなかった。
 成功した事実だけを確認し、喜ぶことも興奮することもない町野は無表情のままマットから降りる。

「王者の貫禄……!」

 紫苑が感嘆しながら呟く。

 本当は王者の貫禄などではないのだが、それは町野と親しい一部の人にしか知り得ないことだった。

 その一部の人である梅木が二回目の試技を行う。
 いつも通りの豪快な跳躍を披露するも、一回目と同じで背中が接触してバーが落下してしまった。

 続く伊吹も踵がバーに当たってしまい失敗する。

「惜しい……!」
「高さは問題なかったから後は姿勢制御だな」

 身体はバーを跳び越えていたが、最後にバーを通過する足が上がりきらなかった。
 高さ自体は申し分なかっただけに、紫苑が悔しそうに唇を噛んでしまうのも仕方がないだろう。

「三度目の正直だね」
「そうだな」

 許された試技の回数が三回なので、梅木も伊吹も次失敗したら終わりだ。
 後がない状況なので過度に緊張してしまい、身体に余計な力が入ってしまう恐れもある。そういった状況下でも平静を保てるか否かが成否を分けるポイントだ。

「伊吹なら大丈夫。必ず跳べるよ」

 紫苑は自分に言い聞かせるように呟く。
 言葉にすることで不安な気持ちを誤魔化そうとしていたのだ。

「梅木さんも頑張れ!」

 旭川に縁がある身としてすっかり親近感を抱いていた梅木に対する応援も欠かさない紫苑であった。

◇ ◇ ◇

 三回目の試技を行う為に助走位置へ向かおうとした梅木の背に今帰仁が声を掛ける。

「梅ちゃん」
「何?」

 梅木が振り返ると、今帰仁は何も言わずに抱き着いた。

「どうしたのよ……」

 当然梅木は戸惑う。

「私の愛と言う名のパワーを注入してるの」
「何よそれ……」

 ぼそっと呟いた今帰仁の言葉に梅木は呆れたように溜息を吐くも、優しく抱き締め返して慈愛の籠った眼差しを向けながら「ありがとう」と囁く。

「心配しなくても大丈夫よ」
「うん」
「そんなしおらしい態度あんたには似合わないわよ。いつも通りアホみたいに笑っていなさい」
あふぅみぅたいひってアホみたいにってゆうのらいうのはよへいらとおもふへど余計だと思うけど……」

 梅木が今帰仁の頬を両手で摘まんで引っ張るので上手く声を発することが出来ず、翻訳しないと何を言っているのかわからない状態になってしまった。

 しおらしい今帰仁よりも、普段の天真爛漫な姿の方が梅木は好きだった。なので頬を摘まんで無理やり笑わせようとしたのだ。

(多分この子も察しているのでしょうね……私には厳しい高さだということを……)

 梅木は心の中で自嘲気味に呟く。

 実は梅木の中では、一メートル八十七センチのバーは跳べない高さだと見切りを付けていた。
 勿論跳んでみせる気概でいるが、自分の実力は本人が一番理解しているので現実が見えていたのだ。少なくとも今の自分には無理だと。

 それを今帰仁は雰囲気から察してしまった。
 だから「頑張れ」、「跳べるよ」と無理には言えなかったのだ。
 三年前に梅木が高跳びを辞めようと思ってしまうほど打ちひしがれていた姿を間近で見ていたから余計に言えなかった。
 結局高校でも町野に勝てずに終わってしまう梅木が、また高跳びを辞めようとしてしまうのではないかと思い、不安で胸中が埋め尽くされていたのである。

「梅ちゃんのお願いなら聞かない訳にはいかないね……」

 屈みながら梅木の胸元に顔を埋《うず》めていた今帰仁は顔を上げると、にへらっと笑みを浮かべる。

「うん。やっぱりこっちの方があんたに合ってて可愛いわよ」
「えへへ」

 梅木に頭を撫でられている今帰仁はだらしない顔を晒す。

「それじゃ、今度こそ行ってくるわね」
「うん。楽しんできて!」

 今帰仁は去っていく梅木の背に向かって、「最後のインターハイだから悔いが残らないようにね」と囁く。
 梅木の耳に届いていたのかは、本人にしかわからないことだった。
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