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西の国 ヴレンデール
080 ウサギは野を駆ける
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翌日、三人はシレベニを発った。
出発前、スニエリタが用事があると言ってしばらくどこかに行っていた。戻ってきた彼女の手には買い物袋が抱えられている。
また何か必要なものが出てきたのだろうか、言ってくれれば昨夜のうちに買っておいたのにと思ったが、ついでなので大丈夫ですとのことだった。他にもすることがあったのだろうか。
それとも男には頼みにくい買い物だったか、とも思ったが、昨日はララキのほうが先に帰ってきていたようだったから、あまり関係ないかもしれない。
とりあえず積極的に話してはくれそうにないので黙っておく。
ともかく今回も紋唱車を借り、三人はシレベニからさらに西へと走る。
目的地はムナという町だ。
そこにいる忌神が試験を行うことになっているとフォレンケに言われている。
どんな内容かまでは教えてくれなかったが、ララキが言うにはできるだけ難しくないものをお願いしたとのことなので、スニエリタを連れて行っても問題ないと思いたい。ていうか難易度をこちらの都合で変えてもらっていいのだろうか。
相変わらず賑やかなララキと、まだあまり調子がよくなさそうなスニエリタを乗せ、紋唱車は平野を抜ける。
しばらく走っていると、ララキが急に素っ頓狂な声を上げた。──ちょっと停めて!
ミルンも慣れたもので、走らせるだけでなく停車させるのも自在にできるようになっていた。
ひとまず声に反応して咄嗟に停めたはいいが、なんなんだと振り向くと、草葉の陰を何かの動物がすり抜けていったのが見える。ララキが見ているのもそれだ。
「スニエリタ、行こう! そして獲ろう!」
「えっ……!? で、でもわたし、あの、ウサギなんてとても……」
「まあまあそう言わないで、とりあえず一回やってみようよ。
……あーそうだ、あたしじゃ大して役に立たないかもだから、ミルンがついてったげて?」
ね、とララキが意味ありげに目配せしてくる。
なんだこいつ。もしかしてそれでミルンとスニエリタの仲を取り持とうとしているつもりなのだろうか。
やっぱこいつたまにわりとバカだよな、と呆れるミルンだったが、スニエリタもこちらをじっと見ていることに気づき、固まる。
もしかしなくてもミルンが頷くのを期待しているのだろうか。
確かにここでミルンが断ると、スニエリタには無理だと否定しているのと同じことになってしまう。それは避けたい。
それに、その、なんだ……そんな眼で見ないでもらえますか、スニエリタさん。
潤んだ瞳で見つめられるとどうにも弱いミルンだった。
ただでさえ妹を思い出して無視しづらいのに、それがスニエリタとなると尚のこと断れないというか、もう有無を言わず引き受けたくなってしまう。わかった、と半ば諦めの気持ちで頷いて車を降りた。
しかしウサギの姿は見えない。
あまり遠くに逃げられてしまうと探すのも大変だが、どうやらわずかな草地のどこかに潜んでいるらしい。隠れられる場所が少ないのである程度絞られる。
ミルンは紋唱をして、ウサギの居所を炙り出すことにした。
「──地霜の紋」
地表を霜柱の筋が走ると、やがて草陰から長い耳がぴょこんと飛び出して、そこから数メートル跳ねて移動した。地面が凍ったので、霜の降りていない場所に移ったのだ。
「野生動物の捕まえかたって知ってるか」
「い、いえ……」
「いちばんいいのは先に罠を仕掛けておくことだろうが、今日みたいな突発でやるんなら、とりあえず逃げ道を塞がないとな。こんなだだっ広いところで逃げられたら、当たり前だけど追うのも大変だろ」
続けて、別の紋唱でウサギのいるあたりを"囲む"作業に移る。
氷が張りやすいように水の紋唱であたりに水を撒きながら、ぐるりと氷の壁を張っていく。ミルンが土台を作るので、スニエリタはそれにさらに紋唱を加えて、壁を高くするように指示を出した。
とりあえず壁がひとつできたら、今度はウサギを挟んで反対側に行き、同じくらいの大きさの壁を立てる。
ウサギが警戒して逃げないように、かなり距離を開けたまま行っていく。
最初に作る壁の高さは、それほどなくてもいい。
ウサギが越えられる高さは一メートル程度と言われているが、本気で逃げようとしたらもっと高く跳べるという話も聞くので、完全に閉じ込められる壁を建てていたらあまりに時間がかかってしまう。
まずは全体を囲うことが重要なのだ。
そこから低い壁を元にして、内側に向けてさらに壁を生やす。そうしてウサギをじりじりと追い詰めながら、次第に壁が狭くなってゆき、自然と高さも増していく。
やがて氷の壁は細く狭まり、ミルンとウサギとスニエリタを一列に並べる状況にまで至った。
「ほれ、スニエリタのほうに行けよ」
ミルンはウサギを追い立てる。ウサギはぴょんぴょん跳ねて逃げ出すが、その先にはスニエリタがいるし、彼女を越えられたとしても壁しかない。
かといってウサギに立ち止まる選択肢はなく、まっすぐ駆けてスニエリタの足元をすり抜けていった。
ついに壁際に追い詰められた獣とスニエリタが対峙する。
ミルンは彼女に寄りながら背後の壁をさらに詰めていって、ウサギの逃げ場を奪っていく。
「契約……できるんでしょうか……結局ほとんど、ミルンさんにやっていただいてしまいましたし……」
「悩んでる暇ないぞ。そのうちウサギだって反撃してくる」
ミルンが言うが早いか、ウサギの頭上に紋章が浮かび始める。
おとなしく閉じ込められるつもりはないというように、紋章から棘の生えた蔓植物がぞろりといくつも這い出してきたかと思うと、そのうちの一本がスニエリタに向かって鞭のように叩きこまれる。
スニエリタは急いで防御の紋唱を行うが、防壁ごと押されて何歩か後ずさりしてしまう。
他の蔓草がウサギの周りの壁を壊そうと、激しくしなって打ち付けられる。
表面がぼろぼろと崩れたところを見るとなかなかの威力らしい。これは放っておくと力ずくで逃げられるだろう。
「こっちからも攻撃しておとなしくさせろ。意外とタフだから、ちょっとやそっとじゃダメだぞ。思いきりいけ」
「は、はい」
「ちなみに聞くが、野生動物に契約を試みた経験は?」
「……ありません。ほとんどアウレアシノンから出たこともなかったので」
スニエリタは一生懸命に風の紋唱を放ってウサギの蔦をいなす。
まだ威力が足りなくて攻撃にはなっていないが、とりあえず壁を壊す余裕は奪えた。
「それなら、今回は上手くいく可能性があるな」
「え……」
「アウレアシノンの遣獣業者が扱ってるのはもっと攻撃性の高い獣だろ。客の大半が軍人だろうから、そういう獣のほうが売れるとなれば仕入れも偏ってくる。
契約ってのは性格の相性も大事なんだ。どんなに腕がいい術師でも絶対に契約できない獣はいる。
でもって軍人がよく来るような店の獣だって、自分に求められる資質がわかってて、そのうえで自分を上手く使えそうな人間と契約をする。
でも野生のやつはそうじゃない。
もっと単純に、性格が合いそうだとか、何か気に入ったところがあるから、で了承するやつもいるんだ。そもそも向こうも人間を見慣れてなかったりするからな」
たとえばミルンの場合、出会いがしらに突進してきたアルヌと紋唱の壁越しにぶつかりあって、そのまま何時間か耐えたところで、根性を気に入られて契約したのだ。
あれは命がけだった。壁が消えて突き飛ばされて死ぬか、雪の中だったので衝突したまま凍死するかの瀬戸際だった。
シェンダルのときもやはり冬の森で出逢った。ミルンは丸三日ほどしつこく彼を追い掛け回し、反撃されては攻撃し返し、逃げられては追いかけを繰り返したのち、物理的に腕と牙とで語り合った。
当然ミルンもそれなりの怪我になったが、そのしつこさには呆れる、と言いながらもシェンダルは満足げに契約を受けた。
ミーのときも、まだ術師としてはあまりに未熟だったミルンに対し、あなたは家族想いだから、という完全に彼女特有の基準で合格したのだ。
何を持って良しとするかは獣次第。人間にいろいろな性格のやつがいるように、獣だっていろんなやつがいる。
だからスニエリタと気が合う獣だって絶対にどこかにいるはずだ。
でも、それをアウレアシノンで探すのは難しいだろう。
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出発前、スニエリタが用事があると言ってしばらくどこかに行っていた。戻ってきた彼女の手には買い物袋が抱えられている。
また何か必要なものが出てきたのだろうか、言ってくれれば昨夜のうちに買っておいたのにと思ったが、ついでなので大丈夫ですとのことだった。他にもすることがあったのだろうか。
それとも男には頼みにくい買い物だったか、とも思ったが、昨日はララキのほうが先に帰ってきていたようだったから、あまり関係ないかもしれない。
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どんな内容かまでは教えてくれなかったが、ララキが言うにはできるだけ難しくないものをお願いしたとのことなので、スニエリタを連れて行っても問題ないと思いたい。ていうか難易度をこちらの都合で変えてもらっていいのだろうか。
相変わらず賑やかなララキと、まだあまり調子がよくなさそうなスニエリタを乗せ、紋唱車は平野を抜ける。
しばらく走っていると、ララキが急に素っ頓狂な声を上げた。──ちょっと停めて!
ミルンも慣れたもので、走らせるだけでなく停車させるのも自在にできるようになっていた。
ひとまず声に反応して咄嗟に停めたはいいが、なんなんだと振り向くと、草葉の陰を何かの動物がすり抜けていったのが見える。ララキが見ているのもそれだ。
「スニエリタ、行こう! そして獲ろう!」
「えっ……!? で、でもわたし、あの、ウサギなんてとても……」
「まあまあそう言わないで、とりあえず一回やってみようよ。
……あーそうだ、あたしじゃ大して役に立たないかもだから、ミルンがついてったげて?」
ね、とララキが意味ありげに目配せしてくる。
なんだこいつ。もしかしてそれでミルンとスニエリタの仲を取り持とうとしているつもりなのだろうか。
やっぱこいつたまにわりとバカだよな、と呆れるミルンだったが、スニエリタもこちらをじっと見ていることに気づき、固まる。
もしかしなくてもミルンが頷くのを期待しているのだろうか。
確かにここでミルンが断ると、スニエリタには無理だと否定しているのと同じことになってしまう。それは避けたい。
それに、その、なんだ……そんな眼で見ないでもらえますか、スニエリタさん。
潤んだ瞳で見つめられるとどうにも弱いミルンだった。
ただでさえ妹を思い出して無視しづらいのに、それがスニエリタとなると尚のこと断れないというか、もう有無を言わず引き受けたくなってしまう。わかった、と半ば諦めの気持ちで頷いて車を降りた。
しかしウサギの姿は見えない。
あまり遠くに逃げられてしまうと探すのも大変だが、どうやらわずかな草地のどこかに潜んでいるらしい。隠れられる場所が少ないのである程度絞られる。
ミルンは紋唱をして、ウサギの居所を炙り出すことにした。
「──地霜の紋」
地表を霜柱の筋が走ると、やがて草陰から長い耳がぴょこんと飛び出して、そこから数メートル跳ねて移動した。地面が凍ったので、霜の降りていない場所に移ったのだ。
「野生動物の捕まえかたって知ってるか」
「い、いえ……」
「いちばんいいのは先に罠を仕掛けておくことだろうが、今日みたいな突発でやるんなら、とりあえず逃げ道を塞がないとな。こんなだだっ広いところで逃げられたら、当たり前だけど追うのも大変だろ」
続けて、別の紋唱でウサギのいるあたりを"囲む"作業に移る。
氷が張りやすいように水の紋唱であたりに水を撒きながら、ぐるりと氷の壁を張っていく。ミルンが土台を作るので、スニエリタはそれにさらに紋唱を加えて、壁を高くするように指示を出した。
とりあえず壁がひとつできたら、今度はウサギを挟んで反対側に行き、同じくらいの大きさの壁を立てる。
ウサギが警戒して逃げないように、かなり距離を開けたまま行っていく。
最初に作る壁の高さは、それほどなくてもいい。
ウサギが越えられる高さは一メートル程度と言われているが、本気で逃げようとしたらもっと高く跳べるという話も聞くので、完全に閉じ込められる壁を建てていたらあまりに時間がかかってしまう。
まずは全体を囲うことが重要なのだ。
そこから低い壁を元にして、内側に向けてさらに壁を生やす。そうしてウサギをじりじりと追い詰めながら、次第に壁が狭くなってゆき、自然と高さも増していく。
やがて氷の壁は細く狭まり、ミルンとウサギとスニエリタを一列に並べる状況にまで至った。
「ほれ、スニエリタのほうに行けよ」
ミルンはウサギを追い立てる。ウサギはぴょんぴょん跳ねて逃げ出すが、その先にはスニエリタがいるし、彼女を越えられたとしても壁しかない。
かといってウサギに立ち止まる選択肢はなく、まっすぐ駆けてスニエリタの足元をすり抜けていった。
ついに壁際に追い詰められた獣とスニエリタが対峙する。
ミルンは彼女に寄りながら背後の壁をさらに詰めていって、ウサギの逃げ場を奪っていく。
「契約……できるんでしょうか……結局ほとんど、ミルンさんにやっていただいてしまいましたし……」
「悩んでる暇ないぞ。そのうちウサギだって反撃してくる」
ミルンが言うが早いか、ウサギの頭上に紋章が浮かび始める。
おとなしく閉じ込められるつもりはないというように、紋章から棘の生えた蔓植物がぞろりといくつも這い出してきたかと思うと、そのうちの一本がスニエリタに向かって鞭のように叩きこまれる。
スニエリタは急いで防御の紋唱を行うが、防壁ごと押されて何歩か後ずさりしてしまう。
他の蔓草がウサギの周りの壁を壊そうと、激しくしなって打ち付けられる。
表面がぼろぼろと崩れたところを見るとなかなかの威力らしい。これは放っておくと力ずくで逃げられるだろう。
「こっちからも攻撃しておとなしくさせろ。意外とタフだから、ちょっとやそっとじゃダメだぞ。思いきりいけ」
「は、はい」
「ちなみに聞くが、野生動物に契約を試みた経験は?」
「……ありません。ほとんどアウレアシノンから出たこともなかったので」
スニエリタは一生懸命に風の紋唱を放ってウサギの蔦をいなす。
まだ威力が足りなくて攻撃にはなっていないが、とりあえず壁を壊す余裕は奪えた。
「それなら、今回は上手くいく可能性があるな」
「え……」
「アウレアシノンの遣獣業者が扱ってるのはもっと攻撃性の高い獣だろ。客の大半が軍人だろうから、そういう獣のほうが売れるとなれば仕入れも偏ってくる。
契約ってのは性格の相性も大事なんだ。どんなに腕がいい術師でも絶対に契約できない獣はいる。
でもって軍人がよく来るような店の獣だって、自分に求められる資質がわかってて、そのうえで自分を上手く使えそうな人間と契約をする。
でも野生のやつはそうじゃない。
もっと単純に、性格が合いそうだとか、何か気に入ったところがあるから、で了承するやつもいるんだ。そもそも向こうも人間を見慣れてなかったりするからな」
たとえばミルンの場合、出会いがしらに突進してきたアルヌと紋唱の壁越しにぶつかりあって、そのまま何時間か耐えたところで、根性を気に入られて契約したのだ。
あれは命がけだった。壁が消えて突き飛ばされて死ぬか、雪の中だったので衝突したまま凍死するかの瀬戸際だった。
シェンダルのときもやはり冬の森で出逢った。ミルンは丸三日ほどしつこく彼を追い掛け回し、反撃されては攻撃し返し、逃げられては追いかけを繰り返したのち、物理的に腕と牙とで語り合った。
当然ミルンもそれなりの怪我になったが、そのしつこさには呆れる、と言いながらもシェンダルは満足げに契約を受けた。
ミーのときも、まだ術師としてはあまりに未熟だったミルンに対し、あなたは家族想いだから、という完全に彼女特有の基準で合格したのだ。
何を持って良しとするかは獣次第。人間にいろいろな性格のやつがいるように、獣だっていろんなやつがいる。
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