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西の国 ヴレンデール
082 捜索する者たち③
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ヴァルハーレは移動しながら紋唱を続けていた。
アウレアシノンを発ち、ワクサレアに入国したのが二日前。
幸いスニエリタをふたたび探知できるようになったので、その結果を確かめながらひたすら西へと向かっていた。
ここしばらくはスニエリタも一箇所に逗留しているようだった。
列車内は静かだ。一等席を選んだので当然だが、今ヴァルハーレの向かいには、上等な座席がほとほと似合わない男が座っていた。
どうしてもついてくると言って聞かなかったロンショット少佐は、両膝の上に握りこぶしを置いてじっと俯いている。
同行者は彼ひとりだった。できれば高速部隊からひとり、それから戦闘員を数人連れていけたら理想だったのだが、さすがにそうはいかなかった。
ヴァルハーレが渡航することすら粘り強く将軍を説得してようやく叶ったことなのだ。
だが、それはまあいい。よほどの相手でないかぎりヴァルハーレの敵ではないからだ。
ただ長旅の伴がこの男なのがどうしても気に入らない。
もともと話の合う相手ではないうえ、スニエリタの件があって敵対心を抱いているので、視界に入るだけで苛立ちを覚える。
恐らくロンショットも似たような心境なのだろう、ここまでの道中も必要最低限の会話しかしていない。
少しでも苦痛を和らげるために、ヴァルハーレは眼を閉じた。
脳裏に思い浮かべるのはマヌルドに残してきた女たちの顔だ。きっと寂しい思いをさせてしまっている、申し訳ないがそれはヴァルハーレとて同じだ、辛抱してほしい。
思いを馳せていると、前方から無粋な声がそれを遮ってくる。
「ヴァルハーレ卿、あの、少しよろしいでしょうか」
「……なんだい、手短にしてくれ」
「フィナナに着いたら、乗り換え待ちの間だけでも、少し聞き込みをしませんか」
何を言い出すかと思えば。
列車の本数や運行時間の都合上、ふたりは一度フィナナで下車しなくてはならない。
そこから西へ向かう列車の乗り換えまで一、二時間ある。
たったそれだけの時間で聞き込みなんてしても大した成果はないだろうし、そもそも何を聞くというのか。
「そんなことをして何になるんだ」
「お嬢さまと同行している者の情報が得られるかもしれません。それに、お嬢さま自身が、いつどこで何をされたのかがわかれば……その、どういうおつもりで家を出られたのか、わかるのではないかと」
「ふむ、前者は納得がいくね、もっともだよ。だが後のは要るか? 理由なんかわかりきってる。男だ」
「そう……ですね」
ロンショットは暗い面持ちになってふたたび俯く。
やはりこの男はスニエリタに対して不埒な想いを抱いているのではないか、というヴァルハーレの疑念はますます強くなった。
お嬢さま、という単語を口にするときの声が、単なる上官の娘を呼ぶにしては感情的すぎる気がするのだ。
もっとも、この男が横からスニエリタを奪う可能性というのは限りなく低い。
スニエリタ自身は今のところ別の男に身を寄せているし、彼女の周囲にいる男の中では社会的にもっとも権力があるのはヴァルハーレだ。ロンショットの立場でできることなどたかが知れている。
問題は、この男がスニエリタの意思を最優先してしまいかねないという一点にある。
こうしてついてきたのも、彼女を連れ戻す手助けをするのではなく、逆にヴァルハーレを欺いてスニエリタの逃亡を助けるためなのではないか。
スニエリタがこちらの予想どおり外から来た男に心を開いているのなら、彼女をそいつと添い遂げさせようとしてはいないか。
直接紋唱術でやりあうならこちらがはるかに上手だが、裏でこそこそされたら堪ったものではない。
今ここにヴァルハーレが信用できる部下はおらず、したがってヴァルハーレはスニエリタの奪還に全力を注ぐとともに、この荷物が余計なことをしでかさないか見張らなければならないのだ。仕事が増えるばかりである。
そうなるとスニエリタが単に誘拐でもされていたほうが話が早くていいかもしれない。
もっとも将軍の娘を攫っておいて、その家族に何の金品の要求もせずひと月以上放っておいている時点でそれはありえないが。
金目的でないのなら、単純に将軍個人に衝撃を与えて彼の立場を揺らがせたい敵対者によるものだが、今のところ国内でそのような動きを見せている者はいなかった。
時間をかけてゆっくりと潰すつもりなのかもしれないが、それならさっさとスニエリタを連れ戻せばいいだけだ。なんならその可能性がいちばんヴァルハーレには都合がいい。
むろん将軍を精神的に追い詰めるための誘拐なら、スニエリタの身の安全は保障されなくなってしまうが。
まあもし殺すつもりならとっくにそうしているだろうし、まだ彼女が生きていることは確かだから、悪くても処女を失っているくらいで済むだろう。
可哀想だが死ぬよりマシだと思って耐えてもらいたい。救い出したあとでいくらでも慰めてやるし、もちろんそんなことで婚約を解消するつもりは毛頭ないので安心してほしい。
それどころか連れ帰ったらすぐにでも式を挙げようと思ってさえいる。
彼女が二度と逃げ出すことがないように、まず公的にスニエリタを己のものにして、それから心身ともにヴァルハーレに捧げるよう育てていくのだ。
この世で唯一心を開いてくれない娘をそのまま妻にしてもつまらない。
どうせなら、ヴァルハーレがいなければ生きていけないくらいにしてやりたい。
そのほうが夫婦生活も豊かなものになるだろう。
……その邪魔はしてくれるなよ、ロンショット。
向かいの男を見ると、彼はいつの間にか顔を上げて車窓の向こうを眺めていた。
線路沿いは欠伸が出そうなほどの田舎で、森が茂っている地平線のところまで、延々と農地ばかりが続いている。農業大国ワクサレアらしい風景だった。
この男には軍よりそちらのほうが似合うかもしれないな。ふとそんな考えがよぎって、ヴァルハーレは鼻で笑った。
やがてフィナナに到着したふたりは、西部行きの列車の時刻を確かめてから駅舎を出た。
首都ともなれば昼でも広場に大勢の人間が行き交っている。
聞き込む相手を探すのには苦労しないが、さすがに数週間前に滞在した人間のことを知っている人間が、そう簡単に見つかるとも思えない。
ある程度場所を絞ったほうがいい。ヴァルハーレは口を開いた。
「どこで聞くのがいいと思う、ロンショット。たとえば紋唱術師センターには登録したんだろうか」
「……可能性は低いでしょう。どのような目的の者たちだったにしろ、お嬢さまの身分が公になるのは好ましくなかったはずです。下手をすると騒ぎになる」
「当然そうだな。となると、未登録の外国人でも出入りが簡単な場所だ。
ついでに小金が稼げるとちょうどよかったんじゃないかな? どこの国でも、犯罪に手を染める人間は貧しいものだ」
「そうですね。探索妨害を行ったくらいですから相手も紋唱術師には違いないわけですし、となると……」
ふたりは貧民街に向かって歩き出した。
どこの国でもある程度大きな都市には必ずある場所には、ほとんどつきものと言っていいほど似たような施設が存在する。
道中、身なりのいい外国人に寄ってくる物乞いとごろつきもいたが、当然軍人の相手ではない。軽く指を振るってから、大人しくなった彼らに尋ねる。
──この街にも賭博クラブがあると思うが、よければ案内してもらえないか?
首筋に冷たいものを当てられただけで彼らは驚くほどに親切に生まれ変わり、いそいそとそこまでの道を示した。
一見ただの貧しい民家にしか見えなかったが、その住民を訪ねろと言う。
そこに住んでいる、というか管理しているらしい男は如何にも見るからにやくざ者で、ふたりの服装を見るなり緊張した面持ちになった。
「安心しろ、いくら治安部員でも国外で捜査する権限はない。今は私用で来ている」
「ほんとかよ……まあいいや、入りな」
地下への階段を降り、内部に下りる。
中は有象無象の集団でごった返していた。
マヌルドにも同じような施設はあり、ロンショットなどは職務上摘発したこともあるだろうが、ヴァルハーレがこういった場所を訪れるのは初めてだった。来る必要もないからだ。
なるほどこのような処なんだな、と少し物珍しい気持ちになりながら、支配人と思われる男を捕まえて聞いた。
「小柄なマヌルド女性を連れた人物を探しているんだが」
「申し訳ございませんが、当クラブは連日たいへん多くのお客様にお越しいただいております。マヌルドからいらっしゃる方も少なくない。一度でも試合に参加していただいていれば、遣獣などの記録をお調べできますが」
「彼女は参加者にはなりえないし、遣獣も持っていないはずだ。ほんとうに見ていないか? 栗色の髪で、眼は青、色白で、歳は十六、背はこれくらい……」
「容姿だけではお答え致しかねます。当てはまる方が大勢いらっしゃる」
「……そうか」
「無駄足だったな、ロンショット。まあそもそもスニエリタがここに来たかどうかすら定かではないし──」
ヴァルハーレがそう言ったときだった。後ろから、おい、と無遠慮な声がかかる。
振り向くとここの常連客らしい男が観戦席に腰掛けたまま、訝しむような目つきでヴァルハーレたちを見ていた。
「あんた今、スニエリタっつったのか?」
「そうだが……彼女について何か知っているのなら教えろ。ただし手短にな」
「……あんたら見たとこ軍人かい。へえ、さすが、やっぱりただ者じゃあなかったんだな、あの女。
教えてやってもいいけどよ、それならそれで、それなりの態度ってものがあるよな?」
「金か? なるほど、それがここの礼儀というわけだな。まあいいだろう」
多少の出費はもとより覚悟の上だ。端金を握らせてやると、男はにやりと笑って答えた。
「あんたらがさっき言ってたような外見のスニエリタって女はな、ちょっと前にここで人気の闘士だったよ」
「……闘士?」
「試合の参加者って意味さ。ありゃ見事なもんだった、どでけえワシと同じくらいでけえヘビを操って、確か十二試合だか十三試合だかの連続無敗記録をおっ立てたんだよ。
強すぎて誰も試合相手に賭けたがらないんで、あんたも困ってたろ? マルジャックさんよ」
「ええ、思い出しました。いささか当クラブには不向きなお嬢さまでしたね。
ですが、おふたりがお探しの方とは別人ではありませんか? 毎回どなたもお連れにならなかったし、ワグラールさまのおっしゃるとおりお強い方で、お越しの日は積極的にご参加いただきましたから」
「その女性は術師認定証の提示を?」
「もちろんご参加いただく際に必ず提示していただいております。──おい、近くの受付員を呼んでこい」
マルジャックと呼ばれた支配人の指示により、いちばん近い入り口に詰めていた男がひょっこり顔を出す。
念のためその男に聞いたところ、彼は頷いた。
スニエリタの認定証を見たことを、ずいぶん時間が経ってしまった今でも、はっきりとその内容まで覚えているというのだ。
なぜなら彼女が出したのはマヌルド帝国立紋唱学術院のもので、こんな地下の賭博クラブでは滅多にお眼にかかれない代物だったから。
生まれて初めて見た、まさかそんないいところに通ったような人間が違法クラブに来るはずがない、だから最初は偽造ではないかと疑ってじっくり確認した、と彼は語った。
念のためヴァルハーレが自分のものを見せてこれと同じ形式かと尋ねると、彼は何度も頷いた。間違いなく同じものだったという。
そうなると別人である可能性は限りなく低くなる。
完全にまったくないとは言い切れないが、たまたま同じ名前で、マヌルドでもほとんど上流階級しか入学を認められない上位校の卒業者、しかも年頃や容姿なども一致しているとなると奇跡的な確率だ。
それも国内ならまだしも隣国であるワクサレアに、同時期に近い場所に滞在していたことになる。
そんな偶然が起こりうるとはあまりにも考えにくい。だが、それと同時に、証言されるスニエリタの姿がヴァルハーレたちの知っているものと違いすぎた。
巨大なワシとヘビを遣獣に持っていた?
ひとりで戦って、しかも十試合以上も続けて勝利していた?
ありえなかった。
学術院もほとんど情けと将軍からの圧力でなんとか卒業したようなものだったあのスニエリタには、まずひとり旅そのものが無理だ。
遣獣だって持っていないはずだし、こんな地下クラブの試合に参加するどころか、そもそもここに辿り着くまでに貧民街のごろつきどもに襲われるとしか思えない。
だから、どれほど確率が低かろうとも、きっとその人物は別人だ。そうに違いない。
ヴァルハーレはそう結論づけたが、ロンショットはふたたび質問を投げかけた。
「……受付員、認定証に書かれていた名前を覚えているか? 家名も含めて」
「はあ、ええと……スニエリタ、エルなんとか……いやあミドルネームは長いんで覚えてませんね、でも家の名前は短かったんで間違いないです。"キュイナジュ"と書いてあった。
マヌルド人なら、そっちの読みでは"クイネス"ですかね」
その言葉を耳にした瞬間、頭を思い切り殴られたような衝撃に襲われた。
貴族の家名は絶対無二だ。
同じ個人名の娘はいても、同じ姓ではありえない。
その認定証を持っているのはスニエリタ以外にありえないのだ。
では何か? 故郷であれほど不出来で知られたスニエリタが、急に有能な紋唱術師に生まれ変わって新しい人生を謳歌しているとでもいうのか?
初めから彼女をかどわかした間男など存在せず、誘拐犯もおらず、彼女は彼女自身の意思だけで旅をしているのか?
わけがわからなかった。
ロンショットも困惑しながら、どういうことでしょうか、と言っていた。
ヴァルハーレもかなり混乱していたので、それに答える言葉もなく、無言のままクラブをあとにした。
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ヴァルハーレは移動しながら紋唱を続けていた。
アウレアシノンを発ち、ワクサレアに入国したのが二日前。
幸いスニエリタをふたたび探知できるようになったので、その結果を確かめながらひたすら西へと向かっていた。
ここしばらくはスニエリタも一箇所に逗留しているようだった。
列車内は静かだ。一等席を選んだので当然だが、今ヴァルハーレの向かいには、上等な座席がほとほと似合わない男が座っていた。
どうしてもついてくると言って聞かなかったロンショット少佐は、両膝の上に握りこぶしを置いてじっと俯いている。
同行者は彼ひとりだった。できれば高速部隊からひとり、それから戦闘員を数人連れていけたら理想だったのだが、さすがにそうはいかなかった。
ヴァルハーレが渡航することすら粘り強く将軍を説得してようやく叶ったことなのだ。
だが、それはまあいい。よほどの相手でないかぎりヴァルハーレの敵ではないからだ。
ただ長旅の伴がこの男なのがどうしても気に入らない。
もともと話の合う相手ではないうえ、スニエリタの件があって敵対心を抱いているので、視界に入るだけで苛立ちを覚える。
恐らくロンショットも似たような心境なのだろう、ここまでの道中も必要最低限の会話しかしていない。
少しでも苦痛を和らげるために、ヴァルハーレは眼を閉じた。
脳裏に思い浮かべるのはマヌルドに残してきた女たちの顔だ。きっと寂しい思いをさせてしまっている、申し訳ないがそれはヴァルハーレとて同じだ、辛抱してほしい。
思いを馳せていると、前方から無粋な声がそれを遮ってくる。
「ヴァルハーレ卿、あの、少しよろしいでしょうか」
「……なんだい、手短にしてくれ」
「フィナナに着いたら、乗り換え待ちの間だけでも、少し聞き込みをしませんか」
何を言い出すかと思えば。
列車の本数や運行時間の都合上、ふたりは一度フィナナで下車しなくてはならない。
そこから西へ向かう列車の乗り換えまで一、二時間ある。
たったそれだけの時間で聞き込みなんてしても大した成果はないだろうし、そもそも何を聞くというのか。
「そんなことをして何になるんだ」
「お嬢さまと同行している者の情報が得られるかもしれません。それに、お嬢さま自身が、いつどこで何をされたのかがわかれば……その、どういうおつもりで家を出られたのか、わかるのではないかと」
「ふむ、前者は納得がいくね、もっともだよ。だが後のは要るか? 理由なんかわかりきってる。男だ」
「そう……ですね」
ロンショットは暗い面持ちになってふたたび俯く。
やはりこの男はスニエリタに対して不埒な想いを抱いているのではないか、というヴァルハーレの疑念はますます強くなった。
お嬢さま、という単語を口にするときの声が、単なる上官の娘を呼ぶにしては感情的すぎる気がするのだ。
もっとも、この男が横からスニエリタを奪う可能性というのは限りなく低い。
スニエリタ自身は今のところ別の男に身を寄せているし、彼女の周囲にいる男の中では社会的にもっとも権力があるのはヴァルハーレだ。ロンショットの立場でできることなどたかが知れている。
問題は、この男がスニエリタの意思を最優先してしまいかねないという一点にある。
こうしてついてきたのも、彼女を連れ戻す手助けをするのではなく、逆にヴァルハーレを欺いてスニエリタの逃亡を助けるためなのではないか。
スニエリタがこちらの予想どおり外から来た男に心を開いているのなら、彼女をそいつと添い遂げさせようとしてはいないか。
直接紋唱術でやりあうならこちらがはるかに上手だが、裏でこそこそされたら堪ったものではない。
今ここにヴァルハーレが信用できる部下はおらず、したがってヴァルハーレはスニエリタの奪還に全力を注ぐとともに、この荷物が余計なことをしでかさないか見張らなければならないのだ。仕事が増えるばかりである。
そうなるとスニエリタが単に誘拐でもされていたほうが話が早くていいかもしれない。
もっとも将軍の娘を攫っておいて、その家族に何の金品の要求もせずひと月以上放っておいている時点でそれはありえないが。
金目的でないのなら、単純に将軍個人に衝撃を与えて彼の立場を揺らがせたい敵対者によるものだが、今のところ国内でそのような動きを見せている者はいなかった。
時間をかけてゆっくりと潰すつもりなのかもしれないが、それならさっさとスニエリタを連れ戻せばいいだけだ。なんならその可能性がいちばんヴァルハーレには都合がいい。
むろん将軍を精神的に追い詰めるための誘拐なら、スニエリタの身の安全は保障されなくなってしまうが。
まあもし殺すつもりならとっくにそうしているだろうし、まだ彼女が生きていることは確かだから、悪くても処女を失っているくらいで済むだろう。
可哀想だが死ぬよりマシだと思って耐えてもらいたい。救い出したあとでいくらでも慰めてやるし、もちろんそんなことで婚約を解消するつもりは毛頭ないので安心してほしい。
それどころか連れ帰ったらすぐにでも式を挙げようと思ってさえいる。
彼女が二度と逃げ出すことがないように、まず公的にスニエリタを己のものにして、それから心身ともにヴァルハーレに捧げるよう育てていくのだ。
この世で唯一心を開いてくれない娘をそのまま妻にしてもつまらない。
どうせなら、ヴァルハーレがいなければ生きていけないくらいにしてやりたい。
そのほうが夫婦生活も豊かなものになるだろう。
……その邪魔はしてくれるなよ、ロンショット。
向かいの男を見ると、彼はいつの間にか顔を上げて車窓の向こうを眺めていた。
線路沿いは欠伸が出そうなほどの田舎で、森が茂っている地平線のところまで、延々と農地ばかりが続いている。農業大国ワクサレアらしい風景だった。
この男には軍よりそちらのほうが似合うかもしれないな。ふとそんな考えがよぎって、ヴァルハーレは鼻で笑った。
やがてフィナナに到着したふたりは、西部行きの列車の時刻を確かめてから駅舎を出た。
首都ともなれば昼でも広場に大勢の人間が行き交っている。
聞き込む相手を探すのには苦労しないが、さすがに数週間前に滞在した人間のことを知っている人間が、そう簡単に見つかるとも思えない。
ある程度場所を絞ったほうがいい。ヴァルハーレは口を開いた。
「どこで聞くのがいいと思う、ロンショット。たとえば紋唱術師センターには登録したんだろうか」
「……可能性は低いでしょう。どのような目的の者たちだったにしろ、お嬢さまの身分が公になるのは好ましくなかったはずです。下手をすると騒ぎになる」
「当然そうだな。となると、未登録の外国人でも出入りが簡単な場所だ。
ついでに小金が稼げるとちょうどよかったんじゃないかな? どこの国でも、犯罪に手を染める人間は貧しいものだ」
「そうですね。探索妨害を行ったくらいですから相手も紋唱術師には違いないわけですし、となると……」
ふたりは貧民街に向かって歩き出した。
どこの国でもある程度大きな都市には必ずある場所には、ほとんどつきものと言っていいほど似たような施設が存在する。
道中、身なりのいい外国人に寄ってくる物乞いとごろつきもいたが、当然軍人の相手ではない。軽く指を振るってから、大人しくなった彼らに尋ねる。
──この街にも賭博クラブがあると思うが、よければ案内してもらえないか?
首筋に冷たいものを当てられただけで彼らは驚くほどに親切に生まれ変わり、いそいそとそこまでの道を示した。
一見ただの貧しい民家にしか見えなかったが、その住民を訪ねろと言う。
そこに住んでいる、というか管理しているらしい男は如何にも見るからにやくざ者で、ふたりの服装を見るなり緊張した面持ちになった。
「安心しろ、いくら治安部員でも国外で捜査する権限はない。今は私用で来ている」
「ほんとかよ……まあいいや、入りな」
地下への階段を降り、内部に下りる。
中は有象無象の集団でごった返していた。
マヌルドにも同じような施設はあり、ロンショットなどは職務上摘発したこともあるだろうが、ヴァルハーレがこういった場所を訪れるのは初めてだった。来る必要もないからだ。
なるほどこのような処なんだな、と少し物珍しい気持ちになりながら、支配人と思われる男を捕まえて聞いた。
「小柄なマヌルド女性を連れた人物を探しているんだが」
「申し訳ございませんが、当クラブは連日たいへん多くのお客様にお越しいただいております。マヌルドからいらっしゃる方も少なくない。一度でも試合に参加していただいていれば、遣獣などの記録をお調べできますが」
「彼女は参加者にはなりえないし、遣獣も持っていないはずだ。ほんとうに見ていないか? 栗色の髪で、眼は青、色白で、歳は十六、背はこれくらい……」
「容姿だけではお答え致しかねます。当てはまる方が大勢いらっしゃる」
「……そうか」
「無駄足だったな、ロンショット。まあそもそもスニエリタがここに来たかどうかすら定かではないし──」
ヴァルハーレがそう言ったときだった。後ろから、おい、と無遠慮な声がかかる。
振り向くとここの常連客らしい男が観戦席に腰掛けたまま、訝しむような目つきでヴァルハーレたちを見ていた。
「あんた今、スニエリタっつったのか?」
「そうだが……彼女について何か知っているのなら教えろ。ただし手短にな」
「……あんたら見たとこ軍人かい。へえ、さすが、やっぱりただ者じゃあなかったんだな、あの女。
教えてやってもいいけどよ、それならそれで、それなりの態度ってものがあるよな?」
「金か? なるほど、それがここの礼儀というわけだな。まあいいだろう」
多少の出費はもとより覚悟の上だ。端金を握らせてやると、男はにやりと笑って答えた。
「あんたらがさっき言ってたような外見のスニエリタって女はな、ちょっと前にここで人気の闘士だったよ」
「……闘士?」
「試合の参加者って意味さ。ありゃ見事なもんだった、どでけえワシと同じくらいでけえヘビを操って、確か十二試合だか十三試合だかの連続無敗記録をおっ立てたんだよ。
強すぎて誰も試合相手に賭けたがらないんで、あんたも困ってたろ? マルジャックさんよ」
「ええ、思い出しました。いささか当クラブには不向きなお嬢さまでしたね。
ですが、おふたりがお探しの方とは別人ではありませんか? 毎回どなたもお連れにならなかったし、ワグラールさまのおっしゃるとおりお強い方で、お越しの日は積極的にご参加いただきましたから」
「その女性は術師認定証の提示を?」
「もちろんご参加いただく際に必ず提示していただいております。──おい、近くの受付員を呼んでこい」
マルジャックと呼ばれた支配人の指示により、いちばん近い入り口に詰めていた男がひょっこり顔を出す。
念のためその男に聞いたところ、彼は頷いた。
スニエリタの認定証を見たことを、ずいぶん時間が経ってしまった今でも、はっきりとその内容まで覚えているというのだ。
なぜなら彼女が出したのはマヌルド帝国立紋唱学術院のもので、こんな地下の賭博クラブでは滅多にお眼にかかれない代物だったから。
生まれて初めて見た、まさかそんないいところに通ったような人間が違法クラブに来るはずがない、だから最初は偽造ではないかと疑ってじっくり確認した、と彼は語った。
念のためヴァルハーレが自分のものを見せてこれと同じ形式かと尋ねると、彼は何度も頷いた。間違いなく同じものだったという。
そうなると別人である可能性は限りなく低くなる。
完全にまったくないとは言い切れないが、たまたま同じ名前で、マヌルドでもほとんど上流階級しか入学を認められない上位校の卒業者、しかも年頃や容姿なども一致しているとなると奇跡的な確率だ。
それも国内ならまだしも隣国であるワクサレアに、同時期に近い場所に滞在していたことになる。
そんな偶然が起こりうるとはあまりにも考えにくい。だが、それと同時に、証言されるスニエリタの姿がヴァルハーレたちの知っているものと違いすぎた。
巨大なワシとヘビを遣獣に持っていた?
ひとりで戦って、しかも十試合以上も続けて勝利していた?
ありえなかった。
学術院もほとんど情けと将軍からの圧力でなんとか卒業したようなものだったあのスニエリタには、まずひとり旅そのものが無理だ。
遣獣だって持っていないはずだし、こんな地下クラブの試合に参加するどころか、そもそもここに辿り着くまでに貧民街のごろつきどもに襲われるとしか思えない。
だから、どれほど確率が低かろうとも、きっとその人物は別人だ。そうに違いない。
ヴァルハーレはそう結論づけたが、ロンショットはふたたび質問を投げかけた。
「……受付員、認定証に書かれていた名前を覚えているか? 家名も含めて」
「はあ、ええと……スニエリタ、エルなんとか……いやあミドルネームは長いんで覚えてませんね、でも家の名前は短かったんで間違いないです。"キュイナジュ"と書いてあった。
マヌルド人なら、そっちの読みでは"クイネス"ですかね」
その言葉を耳にした瞬間、頭を思い切り殴られたような衝撃に襲われた。
貴族の家名は絶対無二だ。
同じ個人名の娘はいても、同じ姓ではありえない。
その認定証を持っているのはスニエリタ以外にありえないのだ。
では何か? 故郷であれほど不出来で知られたスニエリタが、急に有能な紋唱術師に生まれ変わって新しい人生を謳歌しているとでもいうのか?
初めから彼女をかどわかした間男など存在せず、誘拐犯もおらず、彼女は彼女自身の意思だけで旅をしているのか?
わけがわからなかった。
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