幸福の国の獣たち

夢 浮橋(ゆめの/うきはし)

文字の大きさ
122 / 215
北の国 ハーシ

122 消えた木の葉

しおりを挟む
:::

 無言のまましばらく歩いていたが、手にしていた紋章が突然ぱんっと乾いた音と立てて消えたので、そこで立ち止まった。

 単なる時間切れなら静かに薄くなって消えるので、こんなふうに爆ぜるようなことはない。
 明らかに外部から何らかの力で介入されたということは、ラグランネがすぐ近くにいると考えていいだろう。

 慎重にあたりを見回すが、相変わらず視界の大半はキノコに埋め尽くされており、尻尾のひとつも見当たらない。

「どっかに隠れてるのかな?」
「中に入れるくらい大きなキノコもありますね。それに枝の上や樹のも……」
「うーん、森ってけっこう隠れるとこたくさんあるね……じゃあ、あたしちょっと樹の上を見てくるから、ふたりは手分けして下のほうお願い」
「わかった。あ、一応周りを囲っておくか。スニエリタも手伝ってくれ」
「は、はい」

 ミルンとスニエリタが水と氷の紋唱を駆使して半径四、五メートルほどにぐるりと壁を造っている間に、ララキはするすると適当な樹に登っていった。
 オーファト戦でも彼女の身体能力には驚かされたが、さすがに登るのが早い。あっという間にミルンの頭より高いところへ消えていった。

 造壁作業の傍らその光景を眺め、思わず呟く。

「……あいつはサルか何かか?」
「すごいですよね」
「確かにすごいっちゃすごいが……こう言うとあれだけど原始的っつーか、やっぱあいつは古代人だな」

 そういえばいつだったか、自分で自分を元野生児とも称していたような。
 閉じ込められていたというクリャの結界がどんなだったかは知らないが、そこでも樹に登ったりしていたんだろうか。

「古代……あの、ララキさんって、そんなに昔の方なんですか」
「さあ。どれくらいの間結界にいたのかは本人もわからんらしいし……ただ、呪われた民の国が滅んだって言われてるのが少なくとも百年以上前じゃなかったか? だからそれよりは前なのは確かだろ」
「あ……そうなりますね……」

 そのあたりの歴史はまだはっきりとはわかっていない。
 イキエス以南には立ち入ることができないし、クシエリスルが制定もしくは施行されたと言われている時期──おおよそ五百年前から、呪われた民はクシエリスルの民との交流を絶ってしまっている。

 奇妙なもので、イキエスと呪われた民の国の間にはかつて明確な国境線も、それを示す柵や壁も造られてはいなかったというのに、呪われた民がクシエリスル側に流入してきたという話も聞かない。
 あるいは上手くイキエスに隠れて溶け込んだか、すぐ掴まって殺されたりしたのかもしれないが、そういった記録はないらしい。

 何にせよ現在のイキエスに呪われた民を名乗る人間は公的には存在していない。

 ちなみに呪われた民という回りくどい名称は後から歴史学者なんかがそう呼んだだけで、実際には彼らは別の自称を持っていたとされる。
 何と名乗っていたのか、人口がどの程度だったのか、タヌマン・クリャをどのように信仰したのか、どんな文化を持っていたのか、そしてなぜ滅んでしまったのか、そのすべては今なお謎だ。
 そして彼らの故地に誰も踏み入ることができない以上は今後も永遠に謎のままだろう。

 教科書などでの僅かな記述は、ほとんど推測のみで構成されている。
 伝染病で滅んだのではないかというような現実的な説もあれば、食糧難で人肉食が行われていたとかの、明らかに偏見が入った説も入り乱れていた。

 そもそも滅んでいないという説もあるらしい。
 尤もだとミルンも思う。むしろその領域に誰も近寄れないのに、どうして滅んだことがわかったのだろう。
 ララキという存在が目の前にいる以上、実際に滅んでいなければ彼女はライレマ教授に預けられることはなかったのだから、滅亡したこと自体は事実なのだろうが。

 どこかの神が夢枕にでも立って誰かに教えてやったのだろうか。何のためだか知らないが。

「……ま、そんなことよりラグランネを探さないとな」

 壁造りは適当な高さで造るのを止め、調査に移る。
 どのみちラグランネを見つけられたら壊して外に出なければならないのだし、相手は単なる獣ではなく神なのであるからして、大層な壁を造る意味はあまりない。

 背の低いスニエリタには地表のキノコを任せ、ミルンは樹の幹や木陰を中心に見て回った。

 果たしてこの結界はどちらの趣味なのか、どこもかしこもキノコだらけだが、何も樹のうろの中までキノコをびっしり生やすことはないのではないかと少し思った。
 念のため数本毟ってみたがキノコの陰に隠れられるほどの空間はなさそうだ。

 そうこうしているうちにララキがひょいと飛び降りてくる。どうやら樹上にも潜んではいないようだ。

「そう簡単には見つからないね。あと探してないのって地面の下くらい?」
「そりゃそうだけど、地中戦はカジンだけでたくさんだよ」
「あ、あの。……タヌキもキツネも、絵本や昔話ではよく人や物に化けてますよね。もしかしたら、このたくさんあるキノコのどれかがラグランネが化けたもの、だったり……」

 スニエリタがそう言いながらあたりをくるりと見回す。
 そして、自分の発想がちょっと気恥ずかしくなったのか、だんだん語末が小さくなっていく。

「……しません、よね、さすがに……」
「いや、あり得るんじゃねえか。いくら秋ったってこの数のキノコは異常ではあるし、一本ぐらい増えてもわかんねえからな」
「でも仮にそうだとして、どうやって特定するの? いっこずつ触って確かめるにも数が多すぎるよ」
「面倒くせえし焼き払っちまうか?」

 そう言って指を構えたときだった。

 はらり、とミルンの目の前を色づいた葉が舞い落ちた。

『そんなことしちゃったら、あとで後悔するわよぉ~?』

 耳元でラグランネの声がした。

 思わずばっと声のしたほうを振り返るが、もちろんそこには誰もいない。
 ただキノコが階段のように生えた樹があるだけだ。

 相変わらず女神の居所は掴めないが、今のはちょっとした手がかりだとミルンは思った。

 キノコを焼き払ったら後悔する、ということは、脱出方法にキノコが関わっているという意味ではないのか。
 もしくはキノコを焼く場合に巻き込まれるであろう周りの植物のことかもしれないが、とにかく安易に攻撃系の術を放つべきでない状況であるらしい。

 となると、ララキが言ったように時間をかけてでもキノコを一本ずつ検分していくしかないのだろうか。
 三人で手分けしたところで果てしなく時間がかかりそうだ。
 しかもそれでラグランネを見つけられたとしたら、このあとアルヴェムハルトも同じくらい手間をかけて探さなければいけなくなるという可能性が高いので、それを思うとげんなりする。

 いち早く覚悟を決めたか、ララキがひょいとしゃがみ込む。しかし彼女が手にしたのは一枚の葉だ。
 先ほどミルンの鼻先を掠めながら落ちてきた、橙色に染まった丸い落ち葉。

「ミルン、これさ、どっから落ちてきたの?」
「どこって、そりゃそのへんの樹の上からだろ。……あ?」

 言われてみて、初めて真上を見上げる。
 ミルンの頭上には緑色の葉が青青と生い茂っている。紅葉した落葉樹が多いので疑問には思わなかったが、この森の結界の中には常緑樹がないわけではないのだ。

 辺りの樹を改めて確認すると、壁の中にあるのはすべて緑の葉をつけた樹ばかりだった。

 ララキはさっき樹の上に登っている。ラグランネを探そうとして、周辺の樹々の枝や葉を間近に観察したはずだ。
 それでここ一帯が常緑樹のみであることを知っていて、紅い葉に疑問を感じたのだろう。

「……最初に顕現したときも、ラグランネは紅い葉に包まれていましたよね」
「ってことはこの葉っぱの出どころがラグランネの隠れ場所? でもさっき登ったときはそれらしいものはなかったような……」
「むしろ木の葉に化けてるとかじゃねえだろうな」
「はは、まさか。……あっ!?」

 ララキが急にでかい声を出したので何かと思えば、その手に握られていたはずの葉が消えていた。

 落としたのかとすぐに地面を確認したが、眼がちかちかするような色合いのキノコが生え広がるほかは、枯れかけの草に混じって青いままの落ち葉が転がるばかりだ。
 ララキとスニエリタでキノコを掻き分けてみても見つからない。

 まさかほんとうに木の葉に化けていたのか、あの女神。

 樹を隠すなら森の中、という言葉があるが、まして木の葉のような小さなものを隠されたら探すのは至難の業ではないか。
 キノコを一本ずつ改めるよりも性質が悪い。

 ミルンがさらにげんなりしていると、スニエリタがあっと声を上げた。今度は何だ?

「壁が消えてしまってます……!」

 彼女が指差したほうを見ると、ふたりで拵えた壁が一箇所どろどろに融かされていた。どうやら囲みから逃げられたらしい。

 出て行った痕跡を残してくれる点は親切なような、かといって木の葉一枚を探すのに捜索範囲がまた森全体に広がってしまったことを考えるとちっともありがたくはない。
 苛立ちながらふたたび探索の紋唱を行う。

 囲みの外は広葉樹も多く、紅い葉なんて数え切れないほどそのへんに散らばっている。
 紋章の示した先へと急いで向かうが、たとえラグランネが潜んでいる地点にまた辿りつけたとしても、女神の化けた木の葉を見つけて今度こそ確保しなければ意味がない。

 走りながらララキに問う。直接木の葉に触れたのは彼女だけだ。

「ララキ、さっきの葉に何か特徴とかなかったか?」
「いやぁ特に珍しくもないふつうの葉っぱだったと思う……しいていえば形がちょっと丸いかな、ぐらい」
「手に取るくらいでは正体を現してくれませんでしたよね」
「しかもすぐ逃げるっていうね。やっぱりちょっとくらい攻撃とかしなきゃダメなのかな」
「炎は使うなよ、なんか知らんが後悔することになるらしいからな」

 ふたたび紋章が爆ぜた地点で立ち止まり、あたりを見回す。
 落ち葉ならたくさん落ちている。それに周りの樹もほとんど紅葉していて、形はともかく紅や黄色の葉ばかりだ。さっきよりも探しにくい。

 果たしてこの状況、どうしたものか。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

レオナルド先生創世記

ポルネス・フリューゲル
ファンタジー
ビッグバーンを皮切りに宇宙が誕生し、やがて展開された宇宙の背景をユーモアたっぷりにとてもこっけいなジャック・レオナルド氏のサプライズの幕開け、幕開け!

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

後宮妃よ、紅を引け。~寵愛ではなく商才で成り上がる中華ビジネス録~

希羽
ファンタジー
貧しい地方役人の娘、李雪蘭(リ・セツラン)には秘密があった。それは、現代日本の化粧品メーカーに勤めていた研究員としての前世の記憶。 ​彼女は、皇帝の寵愛を勝ち取るためではなく、その類稀なる知識を武器に、後宮という巨大な市場(マーケット)で商売を興すという野望を抱いて後宮入りする。 ​劣悪な化粧品に悩む妃たちの姿を目の当たりにした雪蘭は、前世の化学知識を駆使して、肌に優しく画期的な化粧品『玉肌香(ぎょくきこう)』を開発。その品質は瞬く間に後宮の美の基準を塗り替え、彼女は忘れられた妃や豪商の娘といった、頼れる仲間たちを得ていく。 ​しかし、その成功は旧来の利権を握る者たちとの激しい対立を生む。知略と心理戦、そして科学の力で次々と危機を乗り越える雪蘭の存在は、やがて若き皇帝・叡明(エイメイ)の目に留まる。齢二十五にして帝国を統べる聡明な彼は、雪蘭の中に単なる妃ではない特別な何かを見出し、その類稀なる才覚を認めていく。

ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。

タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。 しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。 ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。 激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...