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幸福の国 アンハナケウ
200 遠雷は雨を率いたり②
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アフラムシカへの追及を決意したドドだが、その時点ですでにアフラムシカの消耗が想像以上に激しく、彼は自由に表に顕現できる状態ではなくなっていた。
ドドは知らなかったのだが、アフラムシカは予め己の力の大半をクリャを通じて生贄の内に送っていたのだ。
そのためアフラムシカ自身にはわずかしか残らず、干上がった川が消えるように細く弱り果てていくように見えていたのだった。
そしてアフラムシカと接触するより先に、ドドはクリャの傀儡を捕らえることに成功した。
己の領内に仕掛けていた罠にかかったのだ。
ドドが譲歩の姿勢を見せると、クリャは憐憫を誘うような口調ですべてを語った。
離反の理由。
──アフラムシカの指示。
その真意。
──いつか現れる内部からの背反者に対処するため。
生贄の少女。
──来る日に向けて用意されたクリャの器であり、アフラムシカの依り代を兼ねたもの。
生かされている一名以外はすべて囮にすぎなかった。
むろん何人か、ドドも殺した。
信じがたい内容だった。
あのアフラムシカが万全を期すためとはいえ、配下の神に犠牲を強いた事実。
その信徒、数千に及ぶ民と大地と大気が汚染され、結果として民族滅亡にまで追いやられてしまったこと。
それを考えたのはアフラムシカだが、実行したのは他のクシエリスルの神々だ。
『……何てこったよ。それじゃあ、己、いや、己たちゃァ全員、共犯じゃねえか……』
『仕組んだのは大盟主殿だよ。彼はもちろんすべての責を負うつもりだろうさ、貴様が案ずる必要はなかろう』
『そういう問題じゃねンだよ!』
殺してしまった。
知らなかったとはいえ、何の罪もなかった人間を。
クリャの信徒は、民族的にはドドの信徒と同源の民だ。
先祖を同じくしている者もいたし、古い世代なら家族として繋がっていた者もいたかもしれない。
その彼らから土地を奪い、空気を取り上げ、獣すら満足に暮らせない場所にまで貶めてしまった。
こんなことが許されるはずもない。
だが、クシエリスルの神は同罪だ。
大陸のすべての神が同じ咎を負っているのだ。
誰が指示した? ──答えはヌダ・アフラムシカ。
『何を嘆く、青二才。この件で苦情を申し立てる権利があるのはこの私だけだぞ』
『けど、……ッけどよォ……己はおめぇさんに、どうやって詫びりゃいい? ほんとうに生き残りはあの娘だけなのかよ』
『……間違いなく、あれが最後のチロタ人だよ。
しかしなぁ、ふ……ふふふっ……よもや貴様がそんなことを言う日が来ようとはな。いやはや、イキエスの未来は安泰だ』
『なんでだ。なんでおめぇさんはそんなに、落ち着いて、笑ったり、できんだ?』
『後悔はしていないからだ。アフラムシカの提案を呑み、従ったのは私の意思』
『自己満足じゃねえか! それで、さんざん利用されて、もう残りひとりっきりのおめぇさんの信徒は浮かばれんのかよ!』
『もう、ではない。まだ、残りひとり、だ。……それに』
クリャはそこで、笑んで答えた。
『あの子はアフラムシカが直々に幸せにしてくださるだろうからねぇ。これはこれで名誉というものだろう。
ま、私も余生くらいアンハナケウで静かに暮らさせてもらうつもりなのでね、そのときは貴様も口添えくらいしたまえよ』
からからと喉を軋ませて軽快に笑うクリャを、ドドは訝しげに見つめる。
彼の言葉の意味が今ひとつわからなかった。
しかしそれ以上クリャに尋ねても、見ていればわかる、と楽しそうにはぐらかされてしまうのだった。
ドドは困惑と苛立ちに塗れながらも、ひとまずひっそりクリャを支援することにした。
その代わりにクリャはあれこれ教えてくれるようになった。
彼は生き延びるための戦略として傀儡を大量に創り、世界各地に潜ませていたらしい。
ドドの助力によって傀儡は数も性能も大幅に向上した。
そのうち一体をドド自らが改造して、直接情報が得られるようにした。
たぶんその時点ですでに、離反の意志はあった。
何を信じたらいいのかわからなくなっていた。
目的もなく日がな傀儡を覗き込み、その先にいる最後のチロタの娘を観察し続けた。
娘はライレマ夫妻に育てられ、素直で活発な少女となっていた。
同じ年頃の娘たちが恋愛話で盛り上がるようになったころ、彼女はそれらの噂話に耳をそばだてつつも加わらず、いつも同じ書物を胸に抱き締めている。
それはライレマが彼女に与えた紋唱術の教本で、表紙にアフラムシカの紋のひとつが描かれていた。
娘は母親代わりのライレマの妻にだけ、少しはにかみながら打ち明ける。
『あたし、シッカが好きみたい。家族として、恩人としてもだけど、ママさんがせんせーを好きなのと同じ「好き」もあるの……おかしいかなぁ』
『そんなことないわよ。アフラムシカは素晴らしい方だもの。
それに、相手が誰であれ、恋をするのってとても素敵なことよ、ララキ』
『へへ。そっか。……シッカはあたしのこと、どう思ってるんだろ?』
『それは本人に聞いてみないとわからないわね』
『うーん……簡単には呼べないし、また機会があったら、かな。
……あう、想像したらなんか緊張する……』
盗み聞きながら、ドドは薄く笑った。
人間が神に恋をするだなどと、おこがましいやら微笑ましいやら、どのみちアフラムシカの答えは否と決まっている。
そもそも両者の立場が違いすぎて話にならないからだ。
せいぜい数十年の命、紋章ひとつ肉体ひとつの簡素な人間と、ことによっては数万年でも生きられる可能性のある神とでは創りからしてまったく異なる。
ドドが枷をつけるまではアフラムシカが傍に顕現してべったり守っていたものだから、この娘は神を近しい存在だと思い込んでしまっているだけだ。
現実には神の姿を目の当たりにすることすら一生に一度でもあるほうが稀だというのに。
神は人の傍にはいない。獣の友でもない。
ただ見守り、耳を傾け、遠くから彼らを抱き締めるだけのものだ。
直接何かを与えることもない。奪うことも滅多にはない。
何のために存在しているのかと聞かれれば、しいて言えば、人々の祈りを聞き遂げるためだろう。
それが誰かの慰めになり、生きる支えになり、力になり、夢になる。
それでいい。
それらを日日(にちにち)見届けて、神は生きている。
ありえないのだ。
神と人とが交わること自体、本来ならば。
『俺もおまえを愛している』
あってはならない。
人が神を崇愛することはあっても、神がそれに直接応えることなど。
それはきっと世界の理を脅かす。
根本を揺らがせ、いつか崩壊させてしまう。
いや、そういう理屈はこの際どうでもいい、どうだっていいが、とにかくドドには絶対的に許しがたかった。
『私はこれから、おまえの命が尽きるまで、おまえのために生きたいと思う』
いろいろな前提でなんとか支えていた柱だった。
アフラムシカは誰のことをも愛さない。
数多の女神が求愛しても、彼は万事において平等を尊ぶ、それがゆえに特別な誰かを選ばない。
誰かが選ばれることで他の者が絶望しないように。
あるいは最高格の女神でなければ釣り合いが取れない。
そしてルーディーンは彼にはその身を許さず、それ以上の進展はない。
それでよかった。いや、そうであってほしかったのだ。
聞くべきでなかった言葉を耳が拾った瞬間、ドドの中に散らばっていた何かの破片が、胸の奥にその切っ先を突き立てた。
鮮血が泉のように吹き上げてドドの内側を濡らす。
紅く、冷たい、憎悪の色に染まる。
──そんなことを許してたまるか。
ふざけるな。
いいかげんにしろ。
「……何が、公私の区別がしっかりしてる、だ……くそったれ」
そして、今、ドドは。
傷ついたアフラムシカを片手で引っ張り上げ、溜め込んだ感情で泥沼のようになった瞳を彼のそれに晒しながら、あふれ出す呪詛をもはや抑えることもない。
憧れていた。
嫉妬してもいた。
だから、完璧な存在でいてほしかった。
僻んでいた。
尊敬してもいた。
だから、姉分の系恋も黙って見守っていた。
均衡を崩したのはアフラムシカ自身だ。
クシエリスルの仲間を騙し、クリャに汚れ役を押し付け、罪のない人間たちを何も知らない他の神々の手で殺させ、一国を滅ぼして永遠の不浄に追いやった。
女神たちの想いを知りながら、よりにもよって人間なんぞにその心を開きやがった。
「おめぇのせいで何人の血と涙が流れたかわかってんのかよ。
なあ、おい、己たちが一度だって好き好んでチロタの連中を嬲り殺したとでも思うのか。
クリャがどんな思いで民を差し出したか知ってんのか。
何人が死んだ? そのうちおめぇが直接手を下したのは!?
ヴニェクがッ……何柱の女神が、何百年おめぇを慕って陰で泣いてたと思ってやがる……!」
首根っこを掴んだ手が震えた。
チロタの生贄を手にかけたときのことを覚えている。
小さな子どもだった。
まだ片手で数えられるほどの齢の、この世の喜びも愁いも指先ほどしか知らないような稚(いとけな)い少女が、結界を抉じ開けたドドを曇った瞳で見上げていた。
ぼろ布を纏った娘の顔には親が描いたらしい泥化粧の痕がわずかに残り、そこに込められた祈りを神たるドドの眼は自然と読み上げてしまう。
永い結界暮らしで感情を失し、何の感慨もなく見つめてくる双眸を閉じさせて、ドドはその少女の紋章をすばやく身体から引き剥がした。
痛みも、苦しさも、極力感じさせないように、一瞬で。
少女の魂と紋章はそのとき担当であった忌女神のサイナに引き渡した。
ドドの大きな掌のうえでそれはあまりにも小さくて、ともすれば指の間から零れ落ちそうだった。
それを受け取って、サイナは何と言ったのだったか。
『……ご愁傷さま。安心して、我らが主さまはお優しい方だから……』
忌神に労われるほどひどい顔をしていたのだろうか、そのときのドドは。
「お望みどおり反逆してやった。盟約を転覆してやった。
己にできる限りの悪行は尽くしたぜ、アフラムシカ……けどよ、覚えときな、引鉄を用意したのはおめぇだってことをよ……」
用意はあった。
思えば初めからドドは裏切るつもりだったのかもしれない。
フォレンケに指摘されたときは少しムッとしてしまったが、図星だったのだ。
クシエリスル発足当初、そんなものがほんとうに世界をまとめられるだなんて信じられなかった。
あとで失策だったとわかったときに、できるだけ早く自由に行動ができるようにと保険をかけておいたのだ。
同じ手を使ったらしいカーシャ・カーイも似たようなことを考えていたのだろう。
ドドはたまたま真実を知ってしまった。
そして、それに対して行動する手段と力を持ち合わせていた。
それだけだ。
胸倉を掴まれたまま、アフラムシカの眼がぼんやりとドドを見上げている。
そこに浮かぶ感情は何なのだろう。
この男の考えることはどうにもドドには度し難く、今からどんな言葉が返ってくるのかも、わからない。
→
アフラムシカへの追及を決意したドドだが、その時点ですでにアフラムシカの消耗が想像以上に激しく、彼は自由に表に顕現できる状態ではなくなっていた。
ドドは知らなかったのだが、アフラムシカは予め己の力の大半をクリャを通じて生贄の内に送っていたのだ。
そのためアフラムシカ自身にはわずかしか残らず、干上がった川が消えるように細く弱り果てていくように見えていたのだった。
そしてアフラムシカと接触するより先に、ドドはクリャの傀儡を捕らえることに成功した。
己の領内に仕掛けていた罠にかかったのだ。
ドドが譲歩の姿勢を見せると、クリャは憐憫を誘うような口調ですべてを語った。
離反の理由。
──アフラムシカの指示。
その真意。
──いつか現れる内部からの背反者に対処するため。
生贄の少女。
──来る日に向けて用意されたクリャの器であり、アフラムシカの依り代を兼ねたもの。
生かされている一名以外はすべて囮にすぎなかった。
むろん何人か、ドドも殺した。
信じがたい内容だった。
あのアフラムシカが万全を期すためとはいえ、配下の神に犠牲を強いた事実。
その信徒、数千に及ぶ民と大地と大気が汚染され、結果として民族滅亡にまで追いやられてしまったこと。
それを考えたのはアフラムシカだが、実行したのは他のクシエリスルの神々だ。
『……何てこったよ。それじゃあ、己、いや、己たちゃァ全員、共犯じゃねえか……』
『仕組んだのは大盟主殿だよ。彼はもちろんすべての責を負うつもりだろうさ、貴様が案ずる必要はなかろう』
『そういう問題じゃねンだよ!』
殺してしまった。
知らなかったとはいえ、何の罪もなかった人間を。
クリャの信徒は、民族的にはドドの信徒と同源の民だ。
先祖を同じくしている者もいたし、古い世代なら家族として繋がっていた者もいたかもしれない。
その彼らから土地を奪い、空気を取り上げ、獣すら満足に暮らせない場所にまで貶めてしまった。
こんなことが許されるはずもない。
だが、クシエリスルの神は同罪だ。
大陸のすべての神が同じ咎を負っているのだ。
誰が指示した? ──答えはヌダ・アフラムシカ。
『何を嘆く、青二才。この件で苦情を申し立てる権利があるのはこの私だけだぞ』
『けど、……ッけどよォ……己はおめぇさんに、どうやって詫びりゃいい? ほんとうに生き残りはあの娘だけなのかよ』
『……間違いなく、あれが最後のチロタ人だよ。
しかしなぁ、ふ……ふふふっ……よもや貴様がそんなことを言う日が来ようとはな。いやはや、イキエスの未来は安泰だ』
『なんでだ。なんでおめぇさんはそんなに、落ち着いて、笑ったり、できんだ?』
『後悔はしていないからだ。アフラムシカの提案を呑み、従ったのは私の意思』
『自己満足じゃねえか! それで、さんざん利用されて、もう残りひとりっきりのおめぇさんの信徒は浮かばれんのかよ!』
『もう、ではない。まだ、残りひとり、だ。……それに』
クリャはそこで、笑んで答えた。
『あの子はアフラムシカが直々に幸せにしてくださるだろうからねぇ。これはこれで名誉というものだろう。
ま、私も余生くらいアンハナケウで静かに暮らさせてもらうつもりなのでね、そのときは貴様も口添えくらいしたまえよ』
からからと喉を軋ませて軽快に笑うクリャを、ドドは訝しげに見つめる。
彼の言葉の意味が今ひとつわからなかった。
しかしそれ以上クリャに尋ねても、見ていればわかる、と楽しそうにはぐらかされてしまうのだった。
ドドは困惑と苛立ちに塗れながらも、ひとまずひっそりクリャを支援することにした。
その代わりにクリャはあれこれ教えてくれるようになった。
彼は生き延びるための戦略として傀儡を大量に創り、世界各地に潜ませていたらしい。
ドドの助力によって傀儡は数も性能も大幅に向上した。
そのうち一体をドド自らが改造して、直接情報が得られるようにした。
たぶんその時点ですでに、離反の意志はあった。
何を信じたらいいのかわからなくなっていた。
目的もなく日がな傀儡を覗き込み、その先にいる最後のチロタの娘を観察し続けた。
娘はライレマ夫妻に育てられ、素直で活発な少女となっていた。
同じ年頃の娘たちが恋愛話で盛り上がるようになったころ、彼女はそれらの噂話に耳をそばだてつつも加わらず、いつも同じ書物を胸に抱き締めている。
それはライレマが彼女に与えた紋唱術の教本で、表紙にアフラムシカの紋のひとつが描かれていた。
娘は母親代わりのライレマの妻にだけ、少しはにかみながら打ち明ける。
『あたし、シッカが好きみたい。家族として、恩人としてもだけど、ママさんがせんせーを好きなのと同じ「好き」もあるの……おかしいかなぁ』
『そんなことないわよ。アフラムシカは素晴らしい方だもの。
それに、相手が誰であれ、恋をするのってとても素敵なことよ、ララキ』
『へへ。そっか。……シッカはあたしのこと、どう思ってるんだろ?』
『それは本人に聞いてみないとわからないわね』
『うーん……簡単には呼べないし、また機会があったら、かな。
……あう、想像したらなんか緊張する……』
盗み聞きながら、ドドは薄く笑った。
人間が神に恋をするだなどと、おこがましいやら微笑ましいやら、どのみちアフラムシカの答えは否と決まっている。
そもそも両者の立場が違いすぎて話にならないからだ。
せいぜい数十年の命、紋章ひとつ肉体ひとつの簡素な人間と、ことによっては数万年でも生きられる可能性のある神とでは創りからしてまったく異なる。
ドドが枷をつけるまではアフラムシカが傍に顕現してべったり守っていたものだから、この娘は神を近しい存在だと思い込んでしまっているだけだ。
現実には神の姿を目の当たりにすることすら一生に一度でもあるほうが稀だというのに。
神は人の傍にはいない。獣の友でもない。
ただ見守り、耳を傾け、遠くから彼らを抱き締めるだけのものだ。
直接何かを与えることもない。奪うことも滅多にはない。
何のために存在しているのかと聞かれれば、しいて言えば、人々の祈りを聞き遂げるためだろう。
それが誰かの慰めになり、生きる支えになり、力になり、夢になる。
それでいい。
それらを日日(にちにち)見届けて、神は生きている。
ありえないのだ。
神と人とが交わること自体、本来ならば。
『俺もおまえを愛している』
あってはならない。
人が神を崇愛することはあっても、神がそれに直接応えることなど。
それはきっと世界の理を脅かす。
根本を揺らがせ、いつか崩壊させてしまう。
いや、そういう理屈はこの際どうでもいい、どうだっていいが、とにかくドドには絶対的に許しがたかった。
『私はこれから、おまえの命が尽きるまで、おまえのために生きたいと思う』
いろいろな前提でなんとか支えていた柱だった。
アフラムシカは誰のことをも愛さない。
数多の女神が求愛しても、彼は万事において平等を尊ぶ、それがゆえに特別な誰かを選ばない。
誰かが選ばれることで他の者が絶望しないように。
あるいは最高格の女神でなければ釣り合いが取れない。
そしてルーディーンは彼にはその身を許さず、それ以上の進展はない。
それでよかった。いや、そうであってほしかったのだ。
聞くべきでなかった言葉を耳が拾った瞬間、ドドの中に散らばっていた何かの破片が、胸の奥にその切っ先を突き立てた。
鮮血が泉のように吹き上げてドドの内側を濡らす。
紅く、冷たい、憎悪の色に染まる。
──そんなことを許してたまるか。
ふざけるな。
いいかげんにしろ。
「……何が、公私の区別がしっかりしてる、だ……くそったれ」
そして、今、ドドは。
傷ついたアフラムシカを片手で引っ張り上げ、溜め込んだ感情で泥沼のようになった瞳を彼のそれに晒しながら、あふれ出す呪詛をもはや抑えることもない。
憧れていた。
嫉妬してもいた。
だから、完璧な存在でいてほしかった。
僻んでいた。
尊敬してもいた。
だから、姉分の系恋も黙って見守っていた。
均衡を崩したのはアフラムシカ自身だ。
クシエリスルの仲間を騙し、クリャに汚れ役を押し付け、罪のない人間たちを何も知らない他の神々の手で殺させ、一国を滅ぼして永遠の不浄に追いやった。
女神たちの想いを知りながら、よりにもよって人間なんぞにその心を開きやがった。
「おめぇのせいで何人の血と涙が流れたかわかってんのかよ。
なあ、おい、己たちが一度だって好き好んでチロタの連中を嬲り殺したとでも思うのか。
クリャがどんな思いで民を差し出したか知ってんのか。
何人が死んだ? そのうちおめぇが直接手を下したのは!?
ヴニェクがッ……何柱の女神が、何百年おめぇを慕って陰で泣いてたと思ってやがる……!」
首根っこを掴んだ手が震えた。
チロタの生贄を手にかけたときのことを覚えている。
小さな子どもだった。
まだ片手で数えられるほどの齢の、この世の喜びも愁いも指先ほどしか知らないような稚(いとけな)い少女が、結界を抉じ開けたドドを曇った瞳で見上げていた。
ぼろ布を纏った娘の顔には親が描いたらしい泥化粧の痕がわずかに残り、そこに込められた祈りを神たるドドの眼は自然と読み上げてしまう。
永い結界暮らしで感情を失し、何の感慨もなく見つめてくる双眸を閉じさせて、ドドはその少女の紋章をすばやく身体から引き剥がした。
痛みも、苦しさも、極力感じさせないように、一瞬で。
少女の魂と紋章はそのとき担当であった忌女神のサイナに引き渡した。
ドドの大きな掌のうえでそれはあまりにも小さくて、ともすれば指の間から零れ落ちそうだった。
それを受け取って、サイナは何と言ったのだったか。
『……ご愁傷さま。安心して、我らが主さまはお優しい方だから……』
忌神に労われるほどひどい顔をしていたのだろうか、そのときのドドは。
「お望みどおり反逆してやった。盟約を転覆してやった。
己にできる限りの悪行は尽くしたぜ、アフラムシカ……けどよ、覚えときな、引鉄を用意したのはおめぇだってことをよ……」
用意はあった。
思えば初めからドドは裏切るつもりだったのかもしれない。
フォレンケに指摘されたときは少しムッとしてしまったが、図星だったのだ。
クシエリスル発足当初、そんなものがほんとうに世界をまとめられるだなんて信じられなかった。
あとで失策だったとわかったときに、できるだけ早く自由に行動ができるようにと保険をかけておいたのだ。
同じ手を使ったらしいカーシャ・カーイも似たようなことを考えていたのだろう。
ドドはたまたま真実を知ってしまった。
そして、それに対して行動する手段と力を持ち合わせていた。
それだけだ。
胸倉を掴まれたまま、アフラムシカの眼がぼんやりとドドを見上げている。
そこに浮かぶ感情は何なのだろう。
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