改訂版 草凪ときつねの思い出ごはん。

ちはやれいめい

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白キツネの章

閑話 草凪と雪路のやくそく

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 ── 明治五年、夏のはじめ ──

 まだ夜が明けてまもない時間。

 鎌倉にはすずしい風が吹いていた。

 いおりがある丘の下には海が見える。
 空も海もどこまでも青くすみわたっていて、見ているだけでここちが良い。

 生まれたころから長谷はせに住んでいるのオレ、草凪 清継くさなぎきよつぐは、この地が好きだった。

 手ぬぐいを首に巻き、きもののたもとをタスキでうしろに結ぶ。

 庭にはびこるざっそうをぬいていく。
 指先は草の汁ですっかりみどりに染まっている。

 親父の代まではそれなりにの仕事があったのだが、さいきん来るのはせいぜい雨ごいや土地のお清めくらいだ。

 町を歩けば洋服の人とすれちがう。
 ハイカラ、というやつか。
 服だけでなく、市や店に並ぶのは、海外の品。
 カステイラだの、コーヒーだの、シャレたものがふえている。

 あやかし退治だの、侍たちの戦いだの、そういう時代は終わりつつあるのだろう。

 数百年つづいてきたも、オレの代でおしまいにするべきなのかもしれない。

 きっとこれからはたたかいがない時代になるのだ。


 すっかり庭がきれいになったあたりで、すうっと白いキツネが現れた。

「いつから庭のそうじやになったのだ、草凪。あやかしたいじはしないのか?」
「よう、雪路じゃないか。まためしを食いにきたのか?」
「そうだ。あのうまいやつをたのむ」
「はいはい」


 少し前、この雪路という名のキツネにカレーという西洋料理を作ってやった。

 それからはこんなふうに気まぐれにあらわれてはカレーをねだる。

 ひとりで食うめしというのも味気ないから、自分の食べるぶんのついでに雪路のものもつくって、いっしょに食べるのが常だ。

 ボートルに塩、小麦の粉にしたものに、これまた舶来の、カレーの粉をいれる。
 カエルをショウガとニンニクでいためて、昆布のだしでのばす。
 海の向こうの国の人たちはこういうものを日常で食べているというのだからふしぎなものだ。


「ほら、できたぞ雪路。今日は天気がいいからえんがわで食おう」
「いい心がけだな、草凪。海を見ながら食うめしはかくべつだ」


 オレがカレーを食べているよこで、雪路も毛を茶色くしながらカレーにかぶりつく。


「なあ雪路。オレがをやめたらどうする?」
「なんだ、草凪。ニンゲンとはおかしなことを言うのだな。どこでなにをしようと、草凪はかわるまいよ。りょうしをしようが、畑をやっていようが、草凪以外のなにかになるわけではなかろう」

「…………たまにまともなことを言うんだよなぁ、お前は」


 をとったら自分に何ができるのだろうと考えていたが、そうだな。

 ふかく考えなくてもいいのかもしれない。


「わしがこれを食べにきたときにいつでも出してくれたら、それ以上はのぞまんよ」

「はっはっはっ。それじゃあ、いつか雪路のための食事どころでも開くかねぇ。もっといろんなものを作れるようにならないといけないな」

「ほう。いつでもめしをたべられる店か、わしには特べつな席を用意しておくのだぞ」

「はいはい」

────────────────────────────


 いつの間にか雪路はあそびにこなくなってしまったけれど、草凪はやがて結婚して、妻と二人で小さな食事どころを開いた。

 メインメニューのカレーは、カエル肉が不評だからとブタ肉におきかえられた。

 お客さんの要望に答えながらレシピが変わっていく。

 長ネギは玉ねぎへ。ニンジンやジャガイモといった野菜を入れる。


 そして約束からおよそ百五十年の時をこえて、雪路は草凪の子孫にめぐりあう。



 閑話 草凪と雪路のやくそく おしまい


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