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漆 三国峠ノ妖ノ章
漆ノ漆 気持ちの名前
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谷に飛び込んだナギは、暗闇に目を凝らしてフェノエレーゼを探しました。
太めの木の枝を何回か足場にして、茂みに着地しました。
「オーサキ、フェノエレーゼさんのにおいは感じるか?」
『きゅい~。ええ、そう離れてないところに落ちたようで。ここより南に行ってくださいな。野生の獣の巣も近いので、気をつけてください』
「助かる」
獣相手には陰陽術が通用しません。ナギは宗近にもらった脇差しを確認して、すぐ抜けるよう手を添えて歩きました。
『きゅきゅー。それにしても、意外です。主様は最初天狗に会ったとき、快く思ってなかったのに。それなのに今は、危険をかえりみず助けに行くのですね。いつ人間に悪さをするかもしれないあやかしなのに』
「……そうだな。おれも意外だ」
出会った頃のフェノエレーゼは極度の人間嫌いで、ナギが桜木精を祓うのを邪魔してきました。
もちろんナギは邪魔されたことは不快だし、妖怪は皆そんなものなのだろうと思っていました。
けれど言葉を交わし、フェノエレーゼの生い立ちを聞き、共にする時間が増えるたびに心持ちは変化していました。
人間に家族と故郷を奪われた、哀しい天狗。ナギも家族を知らずに育ったので、フェノエレーゼがどこか自分に似ているように思えました。
「憎かったはず、なのに」
政信がフェノエレーゼを我が物にしようとしているのが許せなかった。
フェノエレーゼが人間に害をなすあやかしなら、助けなければいい。そのまま政信の式神になってくれたほうが、行動が縛られ悪事を行えなくなります。
化け猫ともども、崖から落ちたなら、放っておけば深手を負ったまま命を落とすでしょう。
悪いあやかしなら、放っておけばいい。
放っておけばいいのに。
ナギが何者であってもかまわないと、半妖であることをまるごと受け入れてくれたひと。
失いたくない、生きていてほしい。
フェノエレーゼが命の危険にさらされてようやく、ナギは自分の奥底の気持ちを理解しました。
誰にも奪われたくないほど、自分の命を危険に晒してしまえるほど、フェノエレーゼを愛してしまっていることに。
『主様?』
「……急ごう、オーサキ。化け猫が生きていて、追い打ちをかけてくる可能性もある」
『きゅい!』
ナギは闇を見据え、足を早めました。
「いたた…………。ここは」
フェノエレーゼは深い茂みに落ちていました。
途中何度か木々の葉に当たったため、落ちた衝撃がだいぶ和らげられたようです。
見上げた峠は真っ暗で、なにも見えません。もとが烏であるため夜目は他のあやかしほどきかないのです。
「ヒナがなにかやらかしてなければいいが……」
“こうしたい”と思うとまわりが見えなくなる子なので、フェノエレーゼの後を追って崖から飛び降りかねません。
すぐそばに、化け猫が気を失ってころがっていました。呼吸で胸が上下しているのが見て取れて、安心します。
「良かった……お前も無事だったか」
手を伸ばして黒い毛並みを撫でまると、化け猫はうわ言を言いました。
『母ちゃん、母ちゃん……おいてかないでくれよぅ』
どんなにフェノエレーゼに説得されても、所詮見ず知らずの相手から言われたこと。母が死んだと受け入れられていないようです。
政信は化け猫を祓う気まんまんだったため、化け猫をあそこに連れて戻るのは気が引けました。
真っ暗な上に戻る道がわからないため、本当なら絶望するところなのでしょうが、不思議と不安はありません。
枯れ枝を踏む音がきこえ、振り返るとそこにはナギがいました。
「フェノエレーゼさん! 良かった。無事だったんですね!」
「ああ。おかげさまでな」
フェノエレーゼはナギが助けに来たことに安心します。
陰陽師なんて大嫌いなのに、ナギだけはフェノエレーゼのことを傷つけたりはしないと、そう思えます。
ナギはフェノエレーゼのそばに化け猫がいるのを見て一瞬警戒しましたが、気を失い無力化しているのを悟り、肩の力を抜きました。
「お前なら道がわかるだろう。早くもど……痛つっ」
立ち上がろうとして、左足に鋭い痛みを感じてうずくまります。
「大丈夫ですか!? 無理に動かないで。落ちたときどこかに怪我を?」
『きゅいー。大丈夫? あんたそこの化け猫に噛まれでもしたの?』
「噛まれてはいない」
噛まれていないけれど痛みがひどい。フェノエレーゼは動くことができず、その場に座り込みました。
歩けないほどの怪我なのか。服の上からではわからず、ナギは恐る恐る聞きます。
「すこし、足を見せてもらってもいいですか? 折れているのなら添え木をしないと」
「何をそんなに怯えている。ナギに触れられるのを嫌とは思わん」
「そ、そうですか。……それでは、失礼します」
政信に手を握られたときものすごい形相で嫌がっていたので、ナギが応急処置で触れることを「嫌じゃない」と言い切られて焦りました。
本来女性が肌を見せるのは、夫となるものに限られます。
夫婦でもないのにいいのか悩みましたが、怪我を放っておけば悪化するので腹をくくりました。
まくりあげた袴の下、左足のすねが傷つき曲がっていて、とても痛々しい。肌は真白で、神聖さすら感じるほどです。
治療のためだからと己に言い聞かせ、脚に触れました。手ぬぐいを三つにたたんで患部をおおい、折ってきた太めの木の枝を脚に添えます。もう一枚の手ぬぐいで添え木ごと脚をしばり、固定しました。
「手慣れているのだな」
「ええ。師匠のもとで修行していた頃はよく怪我をしていましたから。政信もあんなふうに自信家ではありますが、怪我の数はおれとそう変わらないんですよ」
「ハハハ。面白いな、お前たちは。人間も、血のつながりがなくとも家族のように生きたりするんだな」
ナギが話す過去のことを聞いて、フェノエレーゼが声をたてて笑います。
手当をおえ、フェノエレーゼは迷惑を承知で、ナギに願いました。
化け猫を助けたいと。
太めの木の枝を何回か足場にして、茂みに着地しました。
「オーサキ、フェノエレーゼさんのにおいは感じるか?」
『きゅい~。ええ、そう離れてないところに落ちたようで。ここより南に行ってくださいな。野生の獣の巣も近いので、気をつけてください』
「助かる」
獣相手には陰陽術が通用しません。ナギは宗近にもらった脇差しを確認して、すぐ抜けるよう手を添えて歩きました。
『きゅきゅー。それにしても、意外です。主様は最初天狗に会ったとき、快く思ってなかったのに。それなのに今は、危険をかえりみず助けに行くのですね。いつ人間に悪さをするかもしれないあやかしなのに』
「……そうだな。おれも意外だ」
出会った頃のフェノエレーゼは極度の人間嫌いで、ナギが桜木精を祓うのを邪魔してきました。
もちろんナギは邪魔されたことは不快だし、妖怪は皆そんなものなのだろうと思っていました。
けれど言葉を交わし、フェノエレーゼの生い立ちを聞き、共にする時間が増えるたびに心持ちは変化していました。
人間に家族と故郷を奪われた、哀しい天狗。ナギも家族を知らずに育ったので、フェノエレーゼがどこか自分に似ているように思えました。
「憎かったはず、なのに」
政信がフェノエレーゼを我が物にしようとしているのが許せなかった。
フェノエレーゼが人間に害をなすあやかしなら、助けなければいい。そのまま政信の式神になってくれたほうが、行動が縛られ悪事を行えなくなります。
化け猫ともども、崖から落ちたなら、放っておけば深手を負ったまま命を落とすでしょう。
悪いあやかしなら、放っておけばいい。
放っておけばいいのに。
ナギが何者であってもかまわないと、半妖であることをまるごと受け入れてくれたひと。
失いたくない、生きていてほしい。
フェノエレーゼが命の危険にさらされてようやく、ナギは自分の奥底の気持ちを理解しました。
誰にも奪われたくないほど、自分の命を危険に晒してしまえるほど、フェノエレーゼを愛してしまっていることに。
『主様?』
「……急ごう、オーサキ。化け猫が生きていて、追い打ちをかけてくる可能性もある」
『きゅい!』
ナギは闇を見据え、足を早めました。
「いたた…………。ここは」
フェノエレーゼは深い茂みに落ちていました。
途中何度か木々の葉に当たったため、落ちた衝撃がだいぶ和らげられたようです。
見上げた峠は真っ暗で、なにも見えません。もとが烏であるため夜目は他のあやかしほどきかないのです。
「ヒナがなにかやらかしてなければいいが……」
“こうしたい”と思うとまわりが見えなくなる子なので、フェノエレーゼの後を追って崖から飛び降りかねません。
すぐそばに、化け猫が気を失ってころがっていました。呼吸で胸が上下しているのが見て取れて、安心します。
「良かった……お前も無事だったか」
手を伸ばして黒い毛並みを撫でまると、化け猫はうわ言を言いました。
『母ちゃん、母ちゃん……おいてかないでくれよぅ』
どんなにフェノエレーゼに説得されても、所詮見ず知らずの相手から言われたこと。母が死んだと受け入れられていないようです。
政信は化け猫を祓う気まんまんだったため、化け猫をあそこに連れて戻るのは気が引けました。
真っ暗な上に戻る道がわからないため、本当なら絶望するところなのでしょうが、不思議と不安はありません。
枯れ枝を踏む音がきこえ、振り返るとそこにはナギがいました。
「フェノエレーゼさん! 良かった。無事だったんですね!」
「ああ。おかげさまでな」
フェノエレーゼはナギが助けに来たことに安心します。
陰陽師なんて大嫌いなのに、ナギだけはフェノエレーゼのことを傷つけたりはしないと、そう思えます。
ナギはフェノエレーゼのそばに化け猫がいるのを見て一瞬警戒しましたが、気を失い無力化しているのを悟り、肩の力を抜きました。
「お前なら道がわかるだろう。早くもど……痛つっ」
立ち上がろうとして、左足に鋭い痛みを感じてうずくまります。
「大丈夫ですか!? 無理に動かないで。落ちたときどこかに怪我を?」
『きゅいー。大丈夫? あんたそこの化け猫に噛まれでもしたの?』
「噛まれてはいない」
噛まれていないけれど痛みがひどい。フェノエレーゼは動くことができず、その場に座り込みました。
歩けないほどの怪我なのか。服の上からではわからず、ナギは恐る恐る聞きます。
「すこし、足を見せてもらってもいいですか? 折れているのなら添え木をしないと」
「何をそんなに怯えている。ナギに触れられるのを嫌とは思わん」
「そ、そうですか。……それでは、失礼します」
政信に手を握られたときものすごい形相で嫌がっていたので、ナギが応急処置で触れることを「嫌じゃない」と言い切られて焦りました。
本来女性が肌を見せるのは、夫となるものに限られます。
夫婦でもないのにいいのか悩みましたが、怪我を放っておけば悪化するので腹をくくりました。
まくりあげた袴の下、左足のすねが傷つき曲がっていて、とても痛々しい。肌は真白で、神聖さすら感じるほどです。
治療のためだからと己に言い聞かせ、脚に触れました。手ぬぐいを三つにたたんで患部をおおい、折ってきた太めの木の枝を脚に添えます。もう一枚の手ぬぐいで添え木ごと脚をしばり、固定しました。
「手慣れているのだな」
「ええ。師匠のもとで修行していた頃はよく怪我をしていましたから。政信もあんなふうに自信家ではありますが、怪我の数はおれとそう変わらないんですよ」
「ハハハ。面白いな、お前たちは。人間も、血のつながりがなくとも家族のように生きたりするんだな」
ナギが話す過去のことを聞いて、フェノエレーゼが声をたてて笑います。
手当をおえ、フェノエレーゼは迷惑を承知で、ナギに願いました。
化け猫を助けたいと。
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