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捌 上野ノ妖ノ章
捌ノ陸 復讐が生むもの
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術の直撃を受け、フェノエレーゼはその場に倒れました。
震える腕を伸ばし、杖を支えに、体を起こします。
ただでさえ足を折って動きにくいのに、全身にしびれるような痛みがあり、起きているのがやっとの状況でした。
安永の後ろに、逃げていく雀とキツネが見えます。
「やれやれ。かなり本気で打ったのに命に別状がないとは。堕ちても神格か。妖怪にも見捨てられるとは、哀れなものだ、笛之絵麗世命」
「私だからこの程度で済んでいるんだ。あいつらでは盾にもならんから逃したまで」
フェノエレーゼとて、普段から投げたり踏んだりしている雀が、こんな時にさっそうと助けに入るなんて思っちゃいません。
キツネだって、今出会ったばかりの天狗を助けようなんて勇猛果敢な気概の持ち主なら、最初から人間を驚かせて遊ぶなんてことしないでしょう。
殺されようとしているのに平素と変わらない顔色のフェノエレーゼを見下ろして、安永は舌打ちします。
「お前の弟子は知らないのではないか、この計画。お前が私を殺すためにおびき出したこと」
「…………今から死ぬやつに教える義理はない」
答えるまでに間があるのは、正解だと言っているようなものでした。
二人は何も知らず、安永を師匠と慕ったまま。安永がフェノエレーゼに強い憎しみを抱いていることも知らないのです。
「ここまで恨みを買うのは、さっき言っていた、土浦の里とやらが、原因なのだろうな」
フェノエレーゼを見下ろす冷たい目に、一瞬暗い光が宿りました。
「笛之絵麗世命。五十年前、その手で滅ぼした集落を覚えているか?」
「五十年、前……まさか」
思い当たることが、ひとつだけありました。
今から五十年前、フェノエレーゼはとある集落を襲いました。
そこは、かつてフェノエレーゼの森を奪った一族の村。
森があった場所に築かれた村を滅ぼすという形で、人間に復讐したのです。
嵐を起こして家屋を破壊し、フェノエレーゼを祓おうとした陰陽師を木々の下敷きにしました。
自分が生まれて間もない頃人間にされたように、村を破壊する。
罪悪感なんて、つゆほどもありませんでした。
その生き残りが巡り巡って自分に復讐しにくるなんて、思いもしませんでした。
「覚えていたか。私はお前が滅ぼした地ーー土浦の里の生き残り。お前に殺された陰陽師、土浦安永の息子だ」
安永は札を構えます。
弱っているところに祓呪を食らい、フェノエレーゼはまともに戦うことなどできません。
一族を目の前での殺された安永は、ただこの日のためだけに五十年を生きてきたのです。
「お前の首を父上の墓前に供える。これで、みんなの無念が晴らせる。ふさぎがちだったナギを変えてくれたことに感謝して、最期の情けだ。お前が殺した私の家族に謝る時間をやろう」
「断る。……謝れと言うのなら、お前こそ頭を下げろ。あの地は二百年前、私達普通の獣が住まう地だった。先に奪ったのは、お前の祖先だ」
「なに……?」
フェノエレーゼは傷だらけになりながらも、きぜんと胸をはって言います。フェノエレーゼもまた、奪われた者。目の前で家族を失い、憎しみを抱えて生きてきたのです。
頭を下げるどころか自らを責め立てる言葉を吐かれ、安永は激昂しました。
「私の家族を奪っておきながら、自分に罪はないと言うつもりか、妖怪の分際で!!」
「妖怪の、分際か。人間がどれほど偉いというのだ。木々を切り倒し、動物のすみかを奪うのは当然だとでも? 人間に殺されてきた獣たちはそこに生きる価値もなかったと言いたいのか?」
かつてサルタヒコが、“復讐は復讐しか生まないからやめろ”とフェノエレーゼを諭したことがありました。
フェノエレーゼが人を憎み続ければ、いつかこういうことになると予見していたのでしょう。
「死ぬ前に教えてやろう。お前にかけられた呪は、心に反応するもの。お前の中に憎しみの心がある限り、それは消えない。消す術があるとするならば愛。真に誰かを思いやり、愛すること。ーーお前のような、血に染まった天狗には生涯無縁だろう」
安永がトドメを刺すため、新たな術を紡ぎます。
フェノエレーゼもまた、ここで殺されるわけにはいかないので、扇を掴みます。
憎しみが憎しみを生み、フェノエレーゼも安永も、互いが互いの仇。きっとどちらか死ぬまで終わらない。
憎しみの輪を終わらせるために、フェノエレーゼは一歩踏み出しました。
震える腕を伸ばし、杖を支えに、体を起こします。
ただでさえ足を折って動きにくいのに、全身にしびれるような痛みがあり、起きているのがやっとの状況でした。
安永の後ろに、逃げていく雀とキツネが見えます。
「やれやれ。かなり本気で打ったのに命に別状がないとは。堕ちても神格か。妖怪にも見捨てられるとは、哀れなものだ、笛之絵麗世命」
「私だからこの程度で済んでいるんだ。あいつらでは盾にもならんから逃したまで」
フェノエレーゼとて、普段から投げたり踏んだりしている雀が、こんな時にさっそうと助けに入るなんて思っちゃいません。
キツネだって、今出会ったばかりの天狗を助けようなんて勇猛果敢な気概の持ち主なら、最初から人間を驚かせて遊ぶなんてことしないでしょう。
殺されようとしているのに平素と変わらない顔色のフェノエレーゼを見下ろして、安永は舌打ちします。
「お前の弟子は知らないのではないか、この計画。お前が私を殺すためにおびき出したこと」
「…………今から死ぬやつに教える義理はない」
答えるまでに間があるのは、正解だと言っているようなものでした。
二人は何も知らず、安永を師匠と慕ったまま。安永がフェノエレーゼに強い憎しみを抱いていることも知らないのです。
「ここまで恨みを買うのは、さっき言っていた、土浦の里とやらが、原因なのだろうな」
フェノエレーゼを見下ろす冷たい目に、一瞬暗い光が宿りました。
「笛之絵麗世命。五十年前、その手で滅ぼした集落を覚えているか?」
「五十年、前……まさか」
思い当たることが、ひとつだけありました。
今から五十年前、フェノエレーゼはとある集落を襲いました。
そこは、かつてフェノエレーゼの森を奪った一族の村。
森があった場所に築かれた村を滅ぼすという形で、人間に復讐したのです。
嵐を起こして家屋を破壊し、フェノエレーゼを祓おうとした陰陽師を木々の下敷きにしました。
自分が生まれて間もない頃人間にされたように、村を破壊する。
罪悪感なんて、つゆほどもありませんでした。
その生き残りが巡り巡って自分に復讐しにくるなんて、思いもしませんでした。
「覚えていたか。私はお前が滅ぼした地ーー土浦の里の生き残り。お前に殺された陰陽師、土浦安永の息子だ」
安永は札を構えます。
弱っているところに祓呪を食らい、フェノエレーゼはまともに戦うことなどできません。
一族を目の前での殺された安永は、ただこの日のためだけに五十年を生きてきたのです。
「お前の首を父上の墓前に供える。これで、みんなの無念が晴らせる。ふさぎがちだったナギを変えてくれたことに感謝して、最期の情けだ。お前が殺した私の家族に謝る時間をやろう」
「断る。……謝れと言うのなら、お前こそ頭を下げろ。あの地は二百年前、私達普通の獣が住まう地だった。先に奪ったのは、お前の祖先だ」
「なに……?」
フェノエレーゼは傷だらけになりながらも、きぜんと胸をはって言います。フェノエレーゼもまた、奪われた者。目の前で家族を失い、憎しみを抱えて生きてきたのです。
頭を下げるどころか自らを責め立てる言葉を吐かれ、安永は激昂しました。
「私の家族を奪っておきながら、自分に罪はないと言うつもりか、妖怪の分際で!!」
「妖怪の、分際か。人間がどれほど偉いというのだ。木々を切り倒し、動物のすみかを奪うのは当然だとでも? 人間に殺されてきた獣たちはそこに生きる価値もなかったと言いたいのか?」
かつてサルタヒコが、“復讐は復讐しか生まないからやめろ”とフェノエレーゼを諭したことがありました。
フェノエレーゼが人を憎み続ければ、いつかこういうことになると予見していたのでしょう。
「死ぬ前に教えてやろう。お前にかけられた呪は、心に反応するもの。お前の中に憎しみの心がある限り、それは消えない。消す術があるとするならば愛。真に誰かを思いやり、愛すること。ーーお前のような、血に染まった天狗には生涯無縁だろう」
安永がトドメを刺すため、新たな術を紡ぎます。
フェノエレーゼもまた、ここで殺されるわけにはいかないので、扇を掴みます。
憎しみが憎しみを生み、フェノエレーゼも安永も、互いが互いの仇。きっとどちらか死ぬまで終わらない。
憎しみの輪を終わらせるために、フェノエレーゼは一歩踏み出しました。
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