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迷惑な客と幻のデザート

5.ミルクコーヒーは喫茶店で

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「壺ぉ? 僕はそんなもの持って来た覚えはないぞ」
「えっ……じゃあ、コレ何なんですかね……」

 いつも通りの時間に見せに“いた”丈牙から問いの答えを返されて、和祁は驚きに目を丸くしてしまった。

 数時間前にカウンターの上に見つけた壺。てっきりそれは丈牙が置いて行った物だとばかり思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
 ならば一体この古そうな壺はなんなのだろうと首を傾げていると、丈牙が件の壺を手に取って、しげしげと眺め始めた。

「うーん……茶色に褪せた肌に、白の墨垂れ模様……? 壺というより、これはかめじゃないか? 梅干しやら漬物やら入れるタイプの」
「んんん……そう言われてみるとそう見えてくるような……」

 言われてみれば、昔話に出てくるようなツボ……いや瓶にそっくりだ。
 大きさとしては低身長の和祁が両手で抱えて運ぶくらいのサイズで、これが梅干しなどを漬ける瓶であれば、かなりの量の梅干しを漬けこめるだろう。

(でも、このかめ……中は汚れてたし葉っぱも入ってたよなぁ……)

 となると、長い間そういう用途には使われて無かったのだろうか。
 カウンターの上に座っていた速来も「食べ物を入れる」という部分に引っかかったらしく、丈牙が軽々と持つ瓶に怪訝けげんそうな目を向ける。

「そのカメ、汚かったぞ。それに、妖気の気配しない。妖怪でもないのに、何故いきなりここに在った?」
「うむ……そこなんだよな……。僕達三人が知らないとすると、これは外部の何物かが置いたとしか思えないんだが……。おい和祁、この中に入ってたゴミは捨ててしまったのか?」
「え? あー……多分、休憩室のごみ箱の中にあります」
「ちょっと持って来てくれ」

 排水溝が詰まると怒られると思ったので、あらかじめゴミは纏めておいたのだが、良い方向に作用したらしい。面倒臭がらずにやって良かったと思いつつ、和祁はかめの中に入っていた砂やら葉っぱやらをまとめた袋を持って来た。

 丈牙はその袋の中をじっと見やると、葉っぱを手に取る。

「ふむ…………この葉は……アカガシのものだな。落ちてそれほど時間が経っていないものと……粉になりかけている物がある。と言う事は、これは世知原せちばるの山にあった瓶であることは間違いないだろう」
「間違いないんですか? それに……せちばるとは」
「佐世保の一地域だよ。お茶が有名な所で、長閑のどかな山間の町だ。あと、アカガシは長崎県内では世知原にしか群生してないんだよ」
「へ~……」

 丈牙の説明によると、世知原町は佐世保市の北限に位置する町で、昔は炭鉱で栄えていたという。だが周囲が山に囲まれた地形だったが故か、さほど周囲の山林は切り崩される事は無く、その豊かな自然のお蔭か、かなりの長い間妖怪や山の精霊たちが暮らしていたらしい。

「しかし、どうして世知原にあった物がここに……」

 丈牙が軽々と持ち上げている瓶を見ながら首を傾げていると、カランカランとドアベルが鳴った。まさかサーティンではないかと思い咄嗟に入口を見た和祁達だったが……そこに居たのは、稲穂色の綺麗な毛並みをしたキツネ耳と、金の長い髪を揺らす妖狐……イナマキ食料品店の女店主、イナマキだった。

「ど、どがんしたとね、そがん驚いた眼でこっちば見て」
「なんだ、イナマキさんか……良かった……」
「んん? よう解らんけど、砂糖ば持って来たよ。和祁君がもうすぐ切れるっち言うとったけんね。対価はミルクコーヒーで良かよ」

 そう言いながらカウンターに砂糖の入った紙袋を置いて、イナマキは当然のようにカウンター席に座る。
 豊かな胸を見せつけるように開かれた色っぽい着物姿は目の毒だ。
 慌てて視線をそらす和祁にクスクス笑いながら、イナマキは丈牙に面白そうに目を向けて片眉を上げた。

「ミルクコーヒー。注文ばい?」
「……まだ開店時間じゃないんだが?」

 何故か不機嫌そうに返す丈牙に、イナマキは更に笑って口元を手で隠す。

「ふふふ、アタシばよう帰したかなら、対価ばよう用意すれば良かやろ?」
「くっ……。和祁、冷蔵庫から牛乳取ってこい……」
「は、はい……?」

 何だかよく解らないが、丈牙はいつもイナマキと喋ると不機嫌になる。
 前は恋人同士か何かだったのだろうかとも考えたが、イナマキの余裕な態度を考えるとどうも違うような気がする。
 となると、以前の銀平と蔵子のように、何となく確執がある感じなのだろうか。
 もっともイナマキの方は丈牙のように感じる所は何もないようだが。

(うーん……? ま、いいか。大人の事情なんて俺にはよく解らんしな。しかしそれより、ミルクコーヒーってなんだろ?)

 丈牙の剣幕に思わず何も考えずに従ってしまったが、牛乳を用意するという事はコーヒーと混ぜて作られる何かという所だろうか?
 よく解らないまま大きな瓶に入った牛乳を持って来ると、丈牙は朝一番に作っていたコーヒーとそのミルクを一対一の割合で混ぜて、砂糖をたっぷりと入れた。

(うん? 普通に混ぜた……?)

 乳褐色の液体がずんぐりとしたコーヒーカップの中でくるくると渦を巻いているのを見て、和祁は疑問に眉根を寄せた。

「これ……カフェオレじゃないんですか?」

 そう。砂糖に牛乳にコーヒーとくれば、カフェオレだ。
 しかし丈牙は「ちっちっち」と指を振ると、四角い黒縁眼鏡をくいっと上げた。

「これは“ミルクコーヒー”だ。大正時代から日本に存在する、れっきとした純喫茶の定番ドリンクだぞ。コーヒーを飲み慣れなかった日本人向けに牛乳で苦みを緩めて、庶民にコーヒーを浸透させようとした先人がそう名付けたんだ」

 カフェオレなんぞと一緒にするな、と丈牙は不機嫌そうに言ったが、今となってはどちらの表記でも問題は無いだろう。しかし、カフェオレが大正時代から存在したとは驚いた。コーヒーがかなり昔から輸入されていたのは、教師が「豆知識」などとダジャレを言いながら説明してくれたので知っていたが、しかし喫茶店と言う物がだいぶん昔から存在しているとは思わなかったのだ。

(そういえば、喫茶店っていつからあるのか知らないなあ……。ジャズ喫茶は昭和の頃に出来たって店長に聞いたけど……)

 来た事のない場所だし興味が無かったので調べた事も無かったが、このような個人経営の喫茶店がいつからあるのかなんとなく気になって来た。
 とは言え、今のこの状況では調べるべくもないのだが。

「ん~、やっぱり新鮮な牛乳と淹れたてのコーヒーで作るミルクコーヒーは美味かねぇ~! たまに飲む贅沢たい」

 イナマキが嬉しそうに耳を動かすのを見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。
 カフェオレ一杯でこれほど美味しそうに微笑んでくれる人なんて、人間ではそうそう居ないかも知れない。それほどカフェオレは人間には浸透した飲み物だった。
 高校生の和祁ですら、カフェオレは有って当たり前の物だと思っていたのだから。

「しかし……あんた達なんでその蜜瓶みつがめばもっとっとね?」
「え?」

 ミルクコーヒーを飲みながらさらりと言うイナマキに、丈牙と和祁は目を丸くする。
 速来だけはのんびりとカウンターに箱座りをしていたが、イナマキはそれを面白そうに笑って見やると、和祁達に目を向けた。

「それ、蜜瓶よ。多分、木霊なんかが蜂を操って取った花の蜜を入れとった瓶やろうね。しかし中身はずいぶん前から空……妖気も既に消えとったい」

 イナマキの言葉に、和祁は全身が総毛だった。
 蜂を操って取った蜜。それはすなわち、蜂蜜ではないか。
 今でなければ蜂蜜だったのかとただ納得するだけだったが……今は、和祁達には蜂蜜の情報はとても重要な物だった。

「ハチミツ……ま、まさか、これってサーティンが探してたハチミツと関係ある……とか……いや、でも、偶然ですかね……」

 そう。もしこれが何らかの存在の手助けによる事なら、サーティンが探していた“妖怪と暮らしていた女性が作ってくれた蜂蜜ホットケーキ”は、十中八九この蜜瓶に入っていた蜂蜜による物だろう。
 だが、そう考えるには偶然が重なり過ぎている。

 その考えは飛躍し過ぎだろうかと丈牙を見上げる和祁に、相手は真剣な顔をして、小さく頷いた。

「いや、偶然じゃないだろう。きっと、どこかの妖怪が手助けしてくれたんだ。何故手助けをしたのかは解らないが、この【異界】では偶然すら必然になる。この蜜瓶も、きっと意味があるはずだ」
「しかし、中身が無いならほっとけえきは作れんな」

 速来の言葉に、和祁はがっくりとうなだれる。

「そうなんだよなあ……。仮にこれがマジでサーティンの探していた物だとしても、中身がなくっちゃどうしようもないよな……」

 明らかに気分が落ち込んでいる和祁の声に、イナマキも流石に心配になったのか、丈牙に困ったように顔を向ける。

「サーティンって誰ね。どういうこと?」
「…………協力するか? なら、教えてやってもいい」
「はぁー、本当あんたって男は…………まあ良か。和祁君が困っとったら、あたしも心配けんね。あたしに出来る事があるなら話してみらんね」

 すっかりミルクコーヒーを飲んでしまったイナマキに、丈牙は難しそうな顔をしたが、お礼と言わんばかりにまた同じ飲み物を作って差し出してやった。












 
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