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迷惑な客と幻のデザート
20.誰もが我を抱いて生きている
しおりを挟む目の前の霊玉を壊してしまえば、和祁が帰るための【時限門】は機能しなくなる。
そんな大事なものを壊してしまって良いとは、どういう事なのか。
丈牙の言っている意味が解らずに顔を歪める和祁に、相手は薄らと笑いながら、霊玉をぽんぽんと軽く叩く。
「遠慮しなくていいんだぞ? こいつはお前の手でなら簡単に壊せるだろう。助走を付けて思いっきり殴ってやればそれでいい」
「あ、あの、ちょっと待って下さい。それ壊していいんですか?!」
「よくないけど、お前には壊す事が許されてるんだ。コレを壊せば数百年は修復に時間がかかる。充分な時間じゃないか?」
「そ……そんな事言われても……」
丈牙がなぜこんな事を言うのかが解らない。
先程の説明からすれば、霊玉とはこの【異界】を構成する要素の一つだ。壊してしまえば大変な事になるに違いない。
そんな物を壊せと言われても、和祁には出来なかった。
「どうだ、壊すか?」
「そ、そんなの出来る訳ないじゃないですか。この霊玉って、時限門の他にも色々と重要な役割を果たしてるんでしょう? 俺の為に壊すなんてそんな」
「じゃあ、素直に帰るのか? お前を慕うものも、友と呼べるものもいない、冷たい人間達の世界に」
「う…………で、でも……でも、俺一人の為に、皆に迷惑をかけるなんて……」
仮にこの霊玉が【異界】の要だとすれば、余計に自分一人のワガママで壊す訳にはいかない。そんな事をすれば、イナマキ達やこの商店街の住人全員が数百年困ってしまうではないか。
例え自分がこの温かい世界にずっと浸っていられるのだとしても……そんな事をして迷惑をかけたとなれば、和祁はここでも居場所を失くしてしまうだろう。
なにより……自分を受け入れてくれた妖怪達の居るこの世界を、壊したくない。
疎まれるのだったら、忘れられる方がもっとずっとましだった。
「壊さんのか」
「……はい。……大人しく……帰ります……」
大丈夫だ。別れには慣れている。
いままで何十回も転校を繰り返して来たではないか。
友達も出来ず、ただ奇異の目で見られて一人ぼっちで机に座り、誰と会話する事も無く、ずっとずっと一人ぼっちで学校に居続けた。そして、誰にも惜しまれずに次の辛い場所へと何度も渡って来たではないか。
だから、もう、忘れられても平気だ。
この世界での事は夢だと思って忘れたらいい。
(そんな事もあったじゃないか。学校で友達が出来たと思ったら夢で、現実の学校に行ったらそんな友達なんて居なくて、悲しくて……。そんな風に思う自分が凄く情けなくて、涙が出て来て――そう言う事だって、けっこうあったじゃないか。だから平気だ。今度の事だって、凄く長くて凄く良い夢だったって……そう思って、忘れたらいい。それで、良いんだ)
ずっと、誰かと親しく話せる関係を夢見て来た。
友達と呼べる存在が欲しくて、仲の良い幼馴染が居る級友達が羨ましくて、自分にもそんな友達が居たらといつも恋い焦がれていた。
だが、いざ友達の方からやって来て、仲良くなって、別れる時が来ると……――
こんなに辛くて悲しいなんて、思わなかった。
「っ……う……う、ぅ……」
急に喉が締まって苦しくなり、口の奥がじわじわとした熱に侵され辛くなる。
目の裏側が熱くなって、目尻から何かが溢れて来たと思ったら、和祁はいつの間にか泣いていた。
何度も袖で拭うがそれでも涙は止まらず、和祁は必死に情けない自分を抑えようとするのにどうする事も出来なかった。
そんな和祁を丈牙はじっと見つめていたが――――
やがて、呆れたように顔を緩めて溜息を吐いた。
「本当に、人間というのは面倒な存在だな。我儘を押し通せばいいのに、遠慮して他者を気遣い、自分の欲望を必死に抑え込もうとしてしまう。妖怪ならまずありえない事だ。速来なら、恐らく二つ返事で壊しているぞ?」
そうは言われようが、和祁には出来ない事だ。
ただ首を振って一歩後退すると、丈牙は肩を竦めた。
「お前は、いつもそうだ」
「…………え?」
丈牙の思いがけない言葉にふと見上げると、相手は真剣な表情で和祁をただじっと見つめていた。眼鏡の奥に光る、金色の瞳で。
「遠慮する。遠慮して何も話さず、他の奴の願いに対して無言で頷いて流される。人間の世界でも、この妖怪の世界でもお前はそうだ。思えば、お前が我を通した事なんて有ったか?」
「…………」
「銀平の事も、あの米国妖怪の事も、お前はただ流されるままに受け入れただけじゃないか。どうしてそうなる」
「……わか、らない……です……。だけど、俺は…………そう、ですよね。思えば俺、流されて……友達が出来たのだって、なりゆきだったんですよね……」
そうだった。
考えてみれば、和祁が自分から能動的に友達を作りに行った事なんて、一度も無かったではないか。
この世界でも和祁は流されて、その結果友達が出来ただけだ。
相手の優しさに甘えて「友達になってもらった」だけなのに、この世界の寛容さに甘えて恐ろしい事を考えるだなんて。
(やっぱり俺、ここに居ちゃいけないんだ……)
一瞬でも丈牙の言う事に耳を傾けてしまった自分が恥ずかしい。
己のワガママで、この【異界】に身を寄せた妖怪達に迷惑をかけるなんて、それでは彼らを忘れ居場所を奪った人々と同じではないか。
やはり自分は帰らなければならないのだ。そう思えばまた胸が痛くなってきて、再び顔を歪めた和祁に、丈牙は妙な大声を漏らしだした。
「あーあーあー! ったく、もう……なんでお前はそういう風に思うのかねえ!! ネガティブにも程があるっての……!」
苛ついたような声を空間に響かせて、ガシガシともじゃついた髪の毛を掻き回す。
何故そんなに怒っているのかと身を縮める和祁に、丈牙はつかつかと近寄った。
「あのな、俺が言いたいのはそうじゃない。ちょっと落ち着け!」
眉間に皺を寄せて目を細める丈牙に、和祁は目を瞬かせる。
(店長、俺って言ってる……)
今までは「僕」だったのに、もしかしてこれが素なのだろうか。
目を丸くする和祁に、丈牙は鼻が付き合う程に顔を近付けて睨む。
「俺は、なんでお前はワガママを言わないんだって言ってるんだ」
「え……」
「他人を思いやるのは良い事だ。それは人間の美徳だろう。だがな、自分の思いを抑えつけてばっかりいる奴は、死んでるのと一緒だ。自分の望みすら言えない奴が、友達なんかできるか!」
「う、うぅ……」
確かに、そうかもしれない。
今までの自分は本当に流されるがままで、人間の世界でも自分の意思でどこかに留まりたいとダダをこねたことなど一度も無かった。
そんな事を言っても無駄で、両親を困らせるだけだと解っていたから。
小さい頃からそれを解っていたから、自分が我慢すれば良い事だと思って、ただ流されるままに生きて来たのだ。けれど、そうする内に……和祁は、自分の我儘を言う事を忘れてしまっていたらしい。
「それになあ、お前は自分から話しかける事無く友達を作ったと思っているようだが、いつの間にか友達が出来てたなんて話は腐るほどある。どっちが話しかけたにしろ、それを気に病む奴なんかいないんだよ」
「…………」
「お前は、人を……というか、他人を知らなさすぎる。それに、自分の心にも、嘘をつきすぎる」
そう言いながら、丈牙は和祁の両肩を掴んだ。
しっかりと、絶対に離さないとでもいうように。
「和祁。お前はもっと、我儘を言え。もっと自分を出していいんだ。……この【異界】は、望まれて……たった一人の尊いワガママによって、出来た場所なんだ。妖怪達だって、生きたいという最初のワガママから生まれた。誰もが、自分が強く望む事だけはどんなに困難でも叶えようとするんだ」
丈牙の金色の目が、輝いている。
自分を見て何かを必死に伝えようとしている相手に、和祁はただ呑まれて、その綺麗な瞳を見つめる事しか出来なかった。
何故か、不可思議な懐かしさを覚えながら。
「……俺は、お前にもそうであって欲しい。速来のように、銀平や蔵子のように、サーティンのように……自分が望むことを、叫んでほしいんだよ。この、【異界】でだけでも……」
「てん、ちょう…………」
わがまま。それを、言ってもいいのだろうか。
叶う訳がないと思って押し殺していた事を望んでも良いのだろうか。
ずっと望んでいた事を、生まれて初めて強く願った、失いたくない願いを。
「さあ、聞かせてくれ和祁。お前が俺達に望んだ事を」
金色の瞳が、自分を射抜く。
和祁は、霊玉の放つ輝きに陰になった丈牙の顔を見上げると、嗚咽と泣き声でままならない自分を必死に堪えながら……情けない声で、雄叫びを上げた。
「俺、は……俺は……――――――……!」
生まれたばかりの白い竜の子供が、舞う。
霊玉はまるで和祁の言葉に反応するかのように輝き、空間を光で覆った。
「…………そう、それでいい。……それでこそ、お前は……――――」
何もかもが白に塗りつぶされるような世界の中で、和祁は丈牙の慈しむような声を聞いたような気がしたが……そこで、意識を手放した。
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