異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

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白砂村ベイシェール、白珠の浜と謎の影編

  見えないものの侵食2

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「なに、これ…………」

 お爺ちゃんの背後から、薄紫のもやあふれ出て来る。
 まさか件の“淫魔”が来たのかと思わず足がお爺ちゃんの方に動いたが、しかし「逃げろ」と言われた事を思い出して俺はきびすを返した。

 そうだ、お爺ちゃんは外から俺を助けに来てくれた。だったら、距離を取れば俺を追って来て、お爺ちゃんは助かるかも!
 もしくは、俺がシンジュの樹の枝か何かを持ってこの靄に特攻すれば、魔とやらが退しりぞいてお爺ちゃんを助けられるかも知れない。とにかく、対処法が判らない今はそういう方法に頼るしかないな。
 よし、そうと決まればシンジュの樹まで走るぞ!

 俺は腰に巻いたシーツを両手で持って、砂を蹴りあげる勢いでシンジュの樹へと全速力で駆けだした。
 しかし、遠い。シンジュの樹の群生地までが、何故か異様に遠く思えた。
 上から見た時は小さな入り江だと思ったんだけど、端にあるシンジュの樹までは結構な距離があったらしい。ここはかなり広い入り江だったようだ。

 はっきり理解すると途端に足が重くなるが、構っている場合ではない。
 意外と走りにくい砂浜に四苦八苦しつつ、ふと背後を確認すると。

「――――!!」

 ヤバい、もやが広がっててもう向こうが見えない。っていうかお爺ちゃんがどこに居るかも判らなくなっちゃったんだけど!!
 多分窒息とかそういう事は無いだろうけど、でもあんな所にご老体を長く留まらせるわけには行かない。どうやら靄はこっちに来ているっぽいし、早い所シンジュの樹に辿たどり着かなきゃ……!

 ……しかし、本当にこの砂浜は走りにくい。
 さらさらしているから、逆に足が沈んでしまうんだろうか。

 こんな事では靄に追いつかれてしまう。なんだか背後の空気がよどんできたような気がするし、寒気がする。気のせいだとは思いたいが、最早背後を振り返る余裕も体力も無い。必死に走っているが、この速度が限界だ。

 後ろを見て捕まる恐怖を覚えるくらいなら、いっそこのまま駆け抜けて、散る時はいさぎよく散りたい……って散りませんけど、どうにかしますけど!!
 とにかく早く、はやく着かないと……!!

「ハァッ、は、はぁっはぁっ、はぁっ、はっ……!」

 息が乱れる。ちゃんと息を継ごうとしても、肺が意識に追いついてくれない。
 もうすぐそこに白く光る木々の群れが在るのに、もう少しなのに。

「っ、くっ、っは……はぁ……っ!!」

 もう少し、もうすぐ、もうちょっと、届く、もうすぐそこ……――!

 ラストスパートだと、足を思いきり踏み込んだ、刹那。

「うおぉおおおお!!」

 思いっきりつまずいて、俺はゴロゴロと転がってしまった。
 ……が、転んでもただでは起きない。ここであきらめてたまるか!!

 俺は体中に砂がまとわり付くのも構わずに、そのままシンジュの樹の群れの中へとなんとか逃げ込んだ。

「はぁっ、はっ、は……せ……せーふ……ッ!!」

 あ、あぶねえ、本当に危なかった……。正直死ぬかと思った。つーか砂が、砂がめっちゃついたんですが、服とかシーツの中に入ったんですが。
 いやそんな場合ではない。
 早く倒木の欠片を見つけて、お爺ちゃんを助けに戻らねば……!

 そう思って白く光る木々の間から、薄紫色のもやに相対すると――人影が見えた。
 あの小ささは、お爺ちゃんだ。でも、なんだか様子がおかしい。
 嫌な予感がして周囲に倒木の欠片が無いかと探したが、少しも見当たらない。俺があせる間にも、うずくまったお爺ちゃんの人影は靄に呑み込まれて消えた。
 ――――と、思った瞬間。

「え……!?」

 お爺ちゃんが居たはずの場所に、唐突に大きな影が現れた。
 その人影は靄をかき分けて、ゆっくりと縦に伸び上がる。……いや、あれは……立とうとしているのか?
 どっちにしろ、あれはお爺ちゃんじゃない。

 血の匂いはしないし、魚達も何故か動じてないから、殺傷沙汰って訳じゃないんだろうけど……でも、放っておけない。
 だけど、俺がこの場所から出来る事って…………。

「曜術、でも俺の術で使えそうなのって。水はダメ、炎も危ない、木でどうすんだって感じだし……土と金の曜術に至っては使った事すらねーし!!」

 頼みの綱は気の付加術だが、今有効な術と言ったら【フロート】(物を浮かせる術)か【ブリーズ】(微風を起こす術)くらいだし、それだけじゃもやを消せない。
 入り江の砂浜を覆い尽くす量の靄となると、突風でも無けりゃ無理だ。

 どうしよう。持ち物は全部宿に置いてきちゃったし、どうしようもない……。

「いや、でもまて、倒木の枝を投げつけるくらいでも効果はあるんじゃないか?」

 今の所、もやは結構な距離をたもっている。というか、こちら側に来れないようだ。
 だったら、枝の一つ程度でも結構な範囲の靄は晴れるはず!

 そう思って、俺はすぐそばに有った白亜の倒木の枝を引っ掴んだ。が。

「ぐううううううってぇええええええ」

 い、石、マジで石だこれ!!
 なるほど百科事典に書いてあった事がようやく実感できた、これマジで岩だわ。
 倒木の形をした、かったい岩!

 なんとか枝を折ろうと倒木に足を引っ掛けて体全体で引っ張るけど、びくともしない。つーか足が砂でじゃりじゃりして滑るせいで、力が入らない。

 こんな事している間にもお爺ちゃんが危ないってのに……!

「くっそ……!!」

 ああもうせめて【ラピッド】みたいな身体強化の術に、腕力も増す術があれば、俺でもこの枝を楽々折れたかもしれないのに……!

 焦って手が滑るが、建て直す暇さえ惜しい。
 とにかくもう一度挑戦だ、と枝を掴んだと同時。

「はは、えらく頑張るねえ」

 妙に聞き覚えのある、歪んだ声が聞こえた。

「…………え?」

 思わず振り返ったそこには、薄紫のもやの中に隠れた人影が在る。
 その影がゆらりと一歩踏み出すと、周囲の靄が徐々に薄くなって退いていった。
 靄の中から、爪先が出る。そうして現れた相手に……俺は、瞠目した。

「あ……あん、た…………リオル……?!」

 絶句しそうになる口を必死に動かして呼びかけた相手。
 そう、それは、まぎれも無くリオルだった。

「誘惑してる途中で逃げ出しちゃう子なんて、ツカサちゃんが初めてだよ」

 毛先を遊ばせた茶髪に、村人にしては派手なチャラついた服装。
 細身でイケメンでいかにも女の子がぽーっとしちゃうような、ニヤけた顔の軟派な男……どこからどう見ても、リオルだ。見間違いであろうはずがない。

 だけど、リオルがどうしてここに…………。
 数秒考えて、俺はまさかと相手の顔を見やった。

「も、もしかしてお前が……淫魔…………?」

 信じられない。だけど、そう考えれば色々と辻褄つじつまが合う。
 俺の体に変なことが起こり始めたのは、コイツと出会ってからだ。リオルと遭遇してから、あの「見えざる手」に触られ始めた気がする。

 もし爺ちゃんの「魅入られてる」って言葉が本当だとすれば、俺達の行く先々で現れたこいつが一番怪しい。……と言うか、俺に何度も接触できたのはリオルしかいないんだ。今の状況と合わせても、リオルが村で起こっていた異変の犯人であることは充分にあり得る結論だった。

 仮定でしかない話だが、しかし、もしそうであれば警戒せざるを得ない。
 枝から手を離して構える俺に、リオルは楽しそうに笑うと近付いてきた。

「残念だけど、俺は淫魔じゃないよ」
「え……そうなの……?」
「ははは、それだけはホント。マジの話」
「いや、でも、アンタが俺をもやで眠らそうとした犯人なんだろ!?」

 嘘を言っている可能性もあるが、問いかけなければ判らない事はある。
 ゆっくりと歩いて来るリオルに答えをうながすと、相手は口をにいっと歪めた。

「ま、それはせーかい。……だってさあ、ツカサちゃんもオッサン達も、ちっとも俺の言う事聞いてくれねーからさぁ」
「言う事って……い、一体どういう事だよ! ていうか、何でお前が……何の為にあんな呪いなんて……!」

 そうだ、考えれば考えるほどよく解らない。
 リオルがもし本当にこのベイシェールに呪いをかけていた張本人なら、どうしてこんな事をしたんだろう。淫魔じゃないとしたら、やり方が回りくど過ぎるし、何より目的が解らない。

 リオルも、ケーラーさんと何か関わりが在るんだろうか?
 だから、年頃の女の子達を誘惑して不倫させた挙句あげく、離婚させたのか?

 でも、何故若い女性を狙うんだろう。淫魔じゃなければ何もかもが良く解らなくなってしまう。予想していたこと全ての基盤が崩れてしまうと、もうどうしていいのか判断がつかない。戸惑う俺に、リオルはわざとらしく肩を揺らした。

「俺が何者か、どんな存在か、何を目的にしてるのか知りたい?」

 シンジュの樹の光が辛うじて届く、仄明るい場所。
 そこまで近付くと、リオルは足を止めて両手を広げた。

「教えてあげてもいいけど~……高くついちゃうよ」
「高くつくって……」

 どういう事だと構える俺に、リオルは君の悪い笑みで微笑んだ。

「教える代価かわりに……ツカサちゃんの“純真”を、俺にちょーだい」









 
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