異世界日帰り漫遊記

御結頂戴

文字の大きさ
445 / 1,264
彩宮ゼルグラム、炎雷の業と闇の城編

29.知る存在と知らされぬ存在

しおりを挟む
 
 
「おいっ、ちょっと! 俺今から部屋に帰るんですけど!!」
「それは困ります、こっちにだって予定が有るんですから。いい加減に研究を進めないと、せっかく見つけたざぃ……いや、実験体なのに勿体もったいない」
「材料って言おうとした! 材料って言おうとしたこの人ー!!」

 実験体ってのも酷いけど材料は無いでしょさすがに。つーかモノ扱いしかされてないよ俺。ふざけるんじゃない、お前の血は何色だ。
 ここは断固抗議せねばと思って、俺の襟首えりくびを引っつかんで移動しようとする相手に対抗せんと暴れるが、片手で軽々と空中に持ち上げられてしまっては、俺には最早なすすべもない。
 あれよあれよと言う間に引き摺られ、アドニスの部屋に連れ込まれてしまった。

「さて、鍵を掛けておきましょうかね」

 そう言いながらドアの掛け金をつけるアドニスに、俺はニヤリと笑う。
 ふっふっふ、そんな事しても無駄だぞ。決して自慢にはならないが、ブラックは危ないピッキングおじさんなんだ。起きた時に俺がいないと解れば、ここにも探しに来るだろう。その時はお前もただでは済まないぞ! もちろん俺もな!
 ……いやそれダメじゃん。早く逃げてブラックの所に帰らないと。

「そ、そんな事したって無駄だぞ!」
「そう言われてみればそうですね。君今日は随分ずいぶんと非協力的ですし……万が一隙を突かれて逃げられないように、こうしておきましょうか」

 そう言うと――アドニスはローブのように広がったそでの中から、にょろりとつたのような植物を出現させると、鍵にぐるぐるに巻きつけてしまった。
 勿論もちろん、それは手でやったのではない。全部蔦が一人でやった事だった。
 グロウで袖の中に隠し持っていた種を発芽させてレインで操ったのかな……でもそれにしては一言も発しなかったし……まさか何かの発明か。

「お、お前その蔦、ひとりでに……」
「ああ、これですか。なんなら君の事も縛る事が出来ますよ?」
「ひっ! え、遠慮します!」

 触手に散々拘束されたってのに、この上蔦にまで緊縛されてたまるか。
 それに縛られたら逃げられなくなるじゃないか。

 両手を振りながら必死に拒否アピールをする俺に、アドニスは何故だかニヤリと気味の悪い笑みを見せると、こちらに蔦を絡ませた手を向けた。

「そんな顔で拒否されると、『期待に応えなきゃ』って気になるんですよねえ」
「は!? き、期待してないって! なに勘違いしてんだよ!!」

 俺は「押すなよ! 絶対押すなよ!」なんて前フリした覚えはねーぞ!
 妙な勘違いをするなと慌てて後退あとずるが、アドニスは実に楽しそうな微笑みを浮かべながら、蔦を絡ませた手をふっと動かす。

 その瞬間――――
 蔦が凄い勢いでこっちに向かって来た。

「ぎゃあああああ!!」
「ふふふふ逃げたって無駄ですよ、いいですねえその青ざめて嫌がる表情」
「いやああああこの人頭おかしいいいいいい」

 人の逃げ惑う姿を見て清々しく笑うなんてどうかしてる。
 コイツSエスだ、前々から思ってたけど絶対にどSエスだ!!

 そこそこ広い部屋の中で必死に逃げ惑うが、しかしぐりぐり伸びて追ってくる蔦は俺を執拗しつように追尾し諦めようとしない。
 しかも疲れなんて知らないもんだから、俺との勝負はもうついたも同然だった。
 疲れてすっ転んだ俺に、蔦は勢いよく襲い掛かってくる。

「に゛ぎゃああああああ」
「ははは、ほーら捕まえましたよー」

 しゅるしゅると音を立てながら巻き付いて来る蔦は、恐ろしいほどしっかりしていて力強い。戸惑っている間にすっかり縛り上げられてしまった。
 とてつもなく嫌な格好で。

「なっ、どっ、どうしてこんな縛り方……っ!!」
「いやだって、逃げられたら困りますし」
「だからってなんでこんな変な縛り方するんだよ!」

 腕を後ろ手に縛るのはまあ良い。けど、どうして足を膝で折り曲げて、別々に縛ったんだよ。どう考えても嫌な予感しかしないんですけど。
 普通の縛り方じゃ無いぶん物凄く怖いんですけど!!

 いも虫のごとく床に転がる俺に、アドニスは実に楽しそうな笑みで近付く。
 そして、俺の両脇に手を差し込むと軽々と俺を持ち上げてソファに座らせた。

「変な縛り方なんてとんでもない。これが一番都合がいいんですよ」

 ソファの柔らかさに跳ねる俺をぐっと押しとどめて、アドニスはまたもやニヤリと笑う。どうやら凄く機嫌がいい時はこういう顔になってしまうらしい。
 悪人顔としてはブラックといい勝負だ。現に俺は物凄く怯えている。

「な、何する気なんだよ」

 足を閉じて体育座りのようになる俺を見下ろして、アドニスは目を細めた。
 さっきまで微笑んでいた顔が、すっと冷める。
 思わず硬直する俺に、アドニスはその表情のままでぼそりと声を零した。

「ツカサ君。きみ……先程さきほどから、周囲に“大地の気”が浮いているのが見えるんですけど……あの小汚い中年とをしていたんですか?」
「……え?」

 何を言っているのか、よくわからない。
 困惑する俺に構わず、アドニスは口を少し歪める。

「とぼける意味、ありますか? 君は人をあおるのが本当に上手ですねえ。まさか、そんなに頭が悪い訳じゃあるまいし」
「べ、別に言葉の意味が解ってない訳じゃねーよ。俺にはアンタの言う“大地の気が周りに浮いてる”姿も見えないし、第一それがなんで“ブラックと何をしていたか”に関係あるのか解らないから驚いたんだけど……」

 チクショウみなまで説明させんなよ。驚いた意味ねえな。
 って言うか……ホントに俺の周囲に大地の気が散ってるのか?
 俺には全然そんなもの見えないし、ブラックに関係あるなんて考えられないんだけど……いやまあ、正直に言うと関係あるけど、それはアドニスには解らないハズだし……。

 パーヴェル卿を尾行する時に気をブラックに渡したから、その残りか何かがまだ残っていたんだろうか。でも、俺にもブラックにも見えなかったのに、どうしてアドニスはそれを感じ取る事が出来たんだろう。
 うーん……ハッタリとか……?
 そう言えば俺が植物を生き返らせた時もすげー疑ってたもんな。
 でも“大地の気”って種類を限定出来るほどの核心は無かったはずだ。
 じゃあどうして……まさかマジで俺の周囲に気が見えたってのか。

「その顔だと本当に気付いてなかったようですね。……まあ、の本質を知る存在でなければ、光として成形されるまでの“存在”を知ることは出来ない……解らなくても仕方がないか」
「アニマって……」
「ああ、他国ではそう言わないんでしたね。【アニマ】とは、大地の気の事ですよ。夜にやっと見えるようになる、光の玉になる存在……この世界の生命そのものとも言える力です」

 やっぱりそういう意味だったのか……でも、アニマってアレだよな。アニメとかで良く言われる「生命」って意味の言葉だっけ?
 確かに健康な大地であるにはあの気が必要って話だったけど、この世界の命そのものだなんて……じゃあ、もしあの機械で大地の気を吸ってエネルギーにしているとしたら、この国を荒廃させてるのはやっぱこの皇帝領のせいなんじゃ……いや、そんな事言っている場合じゃない。
 今は、どうしてアドニスがそんな事を言いだしたのか聞きださねば。

 頭を振って、俺は目の前の相手を見上げた。

「その“アニマ”って存在が俺の周りに舞ってるのが、どうしてブラックと関わりがあるんだよ。俺は特別な事なんて何もしてねーぞ」

 よし、どもらずに言えた。俺完璧!

 内心自画自賛しながらアドニスをじっと見つめると、相手は先程の楽しそうな顔はどこへやらと言った様子の不機嫌な顔をして、俺の両ひざに手を置いた。
 ぐっと力を籠められて、足の部分がソファに沈む。
 少し怖くなって眉根を寄せると、アドニスはまた顔をしかめた。

「特別な事は何もしていない? したんでしょう? 今まで起こらなかった変化が、あの不潔な中年と会った事で発生した。それは間違いなく、君があの男と何か特別な事をしたからです。……普段やらない、私とはしなかった行為と言えば……ひとつしか、ないでしょう?」
「…………」

 そこまで言われては、俺も純情ぶって「えっ、なーに?」なんて言えない。
 まあ、そりゃ……勘繰りますよね。俺とブラックがえっちしたからこんな事になったって思っちゃいますよね~……でも、あんた前に「交尾しましたか?」ってさらっと聞いてなかったっけ。何故にその時みたいな軽さがないの?
 交尾とか言うくらいなんだから、別に俺がブラックとえっちする事なんて気にしてなかっただろうに。なのに、どうして今はこんなに不機嫌そうなんだよ。

「……一応言っておくけど、何もしてないぞ。……でも、仮にブラックと俺が一緒に寝て変化が有ったとして、どうしてそれでアンタが不機嫌になるんだ?」

 見た事ない変化が現れたら普通驚く方が先じゃね?
 訳解らんと睨む俺に、アドニスは片眉をひくりと動かす。

「不機嫌になる? 当然でしょう。今まで何度も実験していたのに、その実験は、君達の至極つまらない交尾に劣る検証だったと証明されたんですよ。たかが人間の下らない交尾に。しかもそれが、何も生み出しもしなさそうな不快極まりないあの男によってもたらされた結果なんて、我慢できますか?」
「い、いやでも、アンタのやった事は無駄じゃないじゃん。実証した記録は、今の状態が特別だって事を裏付けてんだろ? 俺には良く解らないけど、それって結果的に必要な事だったんじゃないの……?」

 だってほら、安全装置だって「ありえねーだろ」的な事態も想定して実験したりするんだろ? だったら検証した事が無駄だったなんて事はないはずだ。
 何もない事を証明出来たんだから、そしたら次回はそのセンを考えなくて良くなるわけで、一つ可能性を潰せたって事で良かったじゃないか。

 それはアドニスだって解ってるはずだろうに、どうして怒ってるんだろう。
 ブラックが想像以上に気に食わない奴だったから?
 それともやっぱ炎の属性持ちと木の属性持ちは相性最悪だからなの?

 良く解んないけど、変な事で怒るのはやめてくれよ。
 っつーか早く正気に戻ってこの変な緊縛の仕方やめて!

「と、とにかく、逃げないからコレ外してよ。それに俺、パーヴェル卿に話したい事があるんだ。アンタの都合も解るけど……無理矢理こういう事をするのはやめてくれよ……な、頼むから」
「嫌ですよ、離したら君は延々と逃げるんでしょう? なら、絶対に離しません。この部屋で実験できる事は少ないが、もう我慢の限界です。少しでも計画を進めるために、ここで出来る事をします」

 だーもーこの誘拐犯は人が下手に出てれば付け上がりやがって。
 何でこう俺の周りの大人は自分勝手で人の話なんか聞きゃしないんだ。
 必死こいて相手のご機嫌取りして穏便に済ませようとしている俺がバカみたいじゃねーか。お前ら大人だったらもう少し大人らしくしろよなもううう!

 ……くそ、でもここで怒ったら相手の思うつぼだし、ホントはパーヴェル卿に話を聞きに行く予定なんて無かったけど、口をついて出た折角の「思い出した緊急の用事」なんだから、活用しないと……。

 落ちつけ俺、と自分に言い聞かせながら、俺は大きく息を吸って不機嫌ゲージがマックスのアドニスをしっかりと見上げた。

「解った、じゃあ取引しよう」
「……取引?」
「そうだ。良く考えて見ろよアドニス、この彩宮じゃ俺もアンタも外様なんだぜ? それに俺は狂犬みたいなオッサンを連れてるし、夜には必ずヨアニスの所に行かなきゃならない。ブラックは今は寝てるけど、起きたらそりゃーもう面倒くさい事になる。実験も中断せざるを得ないほどにな。……それを考えると、アンタが俺を無理矢理拉致って実験するなんて、どれほど面倒臭い事か解るはずだ」

 ブラックと口論したアンタなら、解るはずだよな。
 あいつなら鍵を閉めたあの扉を無理矢理にでもこじ開けて、俺を拉致ったお前を殺しに掛かって実験どころじゃなくなるだろうって事が。
 流石にアドニスもその事に思い至ったのか、少し正気を取り戻して頷いた。

「…………それはまあ、そうですが」
「だったら、取引しようぜ。……俺はブラックを怒らせるような事はしたくないし、事を荒立てたくもない。だから、無理のない範囲で……ブラックが嫌がる事はしないって約束してくれたら、俺も時間を作れるように協力するよ」
「あの不潔な中年の嫌がる事、ですか。何しても嫌がりそうですけどね」
「う……まあ、それは……双方擦り合わせをすると言う方向で……」

 ぶっちゃけブラックは何したって怒るだろうけど、でもこういう風に拉致られて変な格好させられるよりかはずっとマシだろう。
 ブラックも急に俺の姿が見えなくなるよりかは安心できるだろうし……何より、アドニスは基本的に人の話を聞きゃしないんだから、先にこっちに有利な約束を取り付けて、相手を黙らせるしかない。

 そう、この面倒臭いマッドサイエンティストを黙らせるには、水戸黄門のように相手に見せつける「印籠」たる約束が必要なのだ。

 どの道、彩宮での俺の身柄は俺自身が自由にできる物ではない。今日はヨアニスが外出しているから自由に動けただけで、本当はこうはいかないんだ。
 だから、このドS眼鏡もそこら辺を考えると嫌とは言えないだろう。
 相手が本当に頭がいいなら、ここで実験を続けるよりも、確かな約束の時間を使って安心して実験できる方が得だと思ってくれるはず……!

 頼むから乗ってくれ……! と内心膝をついて祈りながら、渋い顔のアドニスを見ていると……相手はふうと溜息を吐いて、膝から手を離した。

「……仕方ありませんね。この場所に居て、君がソーニャ様の代わりになっている以上は、どうする事も出来ないか」

 アドニスがそう言うと、あれほどしっかりと巻き付いていた蔦がしゅるしゅると簡単に解けて、再び袖の中へと戻ってしまった。
 よ……よーし、よーしいい子だぞー!

 心の中で滅茶苦茶ガッツポーズをして安堵したが、表面上の俺は胸をなでおろすだけでその歓喜を押しとどめた。
 ふ、ふふ、大人だぜ俺。ビビってないぜ。

「解って貰えて嬉しいよ」
「……協力すると言いましたし、仕方ないでしょう。……ですが、君のその状態は早急に調べたい。出来れば今すぐあの中年に許可を取って来て欲しいんですが……無理でしょうね」
「……多分……。俺も話してみるから、我慢してくれよ。つーか我慢出来るよな? 二度も俺を拉致って俺に迷惑かけてんだし」
「………出来れば、夜にもう一度来て下さい。その時に備えて器具を準備しておくので。……さ、もう帰って大丈夫ですよ」

 てめこのやろ、話を逸らそうとしやがって。
 ほんと一発殴ってやろうかと思ったが、これ以上長居するのも危険な気がしたので俺はさっさとおいとますることにした。
 どうせ夕食の時にまた顔を合わせるんだろうし、その時話せばいいだろう。

 アドニスの部屋を後にして、俺はブラックの部屋に戻ろうと客間に足を向けたのだが……ふと、思う所が有って足を止めた。

「……パーヴェル卿に話を、か…………」

 出任せの言葉だったけど、今思えばそれもやるべき事なのかもしれない。
 本人の人となりをなんとなく理解した今なら、相手を傷つける事なくそれとなく話を聞けるのではないだろうか。
 それに……俺としては、ヨアニスにどう接したらいいかも聞きたいし……。

「……パーヴェル卿なら、ヨアニスへの謝り方とか知ってるかな」

 襲われたけど、でもやっぱりヨアニスを放って置く事は出来ない。
 もしパーヴェル卿に何か後ろ暗い所があるとすれば、余計に今のまま離れている訳にはいかなかった。

「よし、一か八か話を聞きに行ってみるか」

 でも、その前にブラックに置手紙をしてからだ。
 そう思い、俺は再びブラックの部屋に戻るべく早足で歩きだした。

「…………」

 ……しかし……大地の気が周囲に漂っている……か……。

 俺の体、マジで一体どうなってるんだろう。
 それだけでもアドニスに聞いておけば良かったな……。










 
しおりを挟む
感想 1,346

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

カテーテルの使い方

真城詩
BL
短編読みきりです。

月弥総合病院

御月様(旧名 僕君☽☽‪︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

少年探偵は恥部を徹底的に調べあげられる

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...