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海洞ダンジョン、真砂に揺らぐは沙羅の夢編
7.好きなものには弱くなる
◆
誰かが、泣いている。
真っ暗闇の中で、細い声を漏らしながら泣いている人の声が聞こえた。
……誰だろう。
目を動かして探ってみるが、何も分からない。そもそも、自分の体すらも闇の中に埋没していて、自分が本当にそんな行動を起こせたのかも謎だった。
だけど妙に冷静な自分がいて、そのことを怖がる気持ちも無い。なんだか自分の中に別の心が有るみたいで、とても不思議な感じだった。
でも、どうしてこんな事になっているんだろう。そう思っていると……――
「…………」
泣き声が近くなってきて、それが女性の柔らかい声だと言う事に気付く。
どうしたんだろうと思っていると、目の前に光る塊がぼんやりと現れて、その塊は徐々に人の形になり色付いて行った。
(あ……)
声を漏らしたつもりなのに、声が出ない。
だけどそんな事など構わずに、目の前の光る誰かは闇の中に座り込んで、しくしくと静かに大人しく泣き続けていた。
(綺麗な……女の人……?)
細くすらりとした手。ドレス……というよりは男女兼用の何かの民族衣装のような服で、座り込んだ事で大きく広がっている。とても美しい紋様が花のようで、不謹慎にも綺麗だと思ってしまった。さすが美人の服だなと思うほどに。
うん、その人は綺麗だった。服に負けないくらい美しいスタイルだったんだ。
癖一つない綺麗な黒髪は腰まで伸びて床に流れている。広がった服に起伏を作る足は、明らかに細い。すらりとした体には目立つ特徴が無いけれど、体が女性的になり始める前の少女のようで可憐だ。顔を覆う手も腕も、守ってあげたくなるような頼りなさで、とても白くて思わず見惚れてしまうほどだった。
そんな美しい人が、泣いている。
どうしてなんだろうと思っていたら、彼女は不意に手を離して顔を上げた。
(ふわ……)
細い顎に、小さな鼻。睫毛に縁どられた少し切れ長のつぶらな目は、息を呑むほど美しい海のような青い瞳を嵌め込まれている。
涙に震えるその小さな口も、淡い桃色に染まっていて思わず胸が高鳴った。
『どうして……』
……彼女が、なにかを言う。静かで、意外と落ち着いた大人の声だ。
思っても見ない声に驚いたが、彼女はそんな俺の事など見えていないのか、こっちを見つめたままで悲しそうな声を再び零した。
『どうして、わたくしを置いて行ったのですか……? どうして、振り向いて下さらなかったのですか……わたくしが、醜かったのですか。いたらなかったのですか……? 貴方様に恋い焦がれる事が、間違いだったのでしょうか……』
思わず、首を振る。
こんな綺麗で可愛い女の子に恋をされたなら、誰だって嬉しいだろう。こんな風に泣いてくれるほどに健気だというのなら、もう言う事など無い。
だけど、彼女は白い頬に涙を流しながら俺を詰った。
『追いかけたのは、わたくしが貴方様を愛しいと思ったが故です……。それほどに、わたくしは貴方様を愛しておりました……命を賭しても添い遂げたいと思っていたのです……なのに……なのに、あなたは……』
ゆらり、と、女性を囲っていた光が揺らぐ。
一瞬気を取られて女性から目を離した、と。
『許さ、ない』
俺の目の前に、目玉を真っ赤に充血させたその人が。
鼻が、引っ付くほどの距離に、近付いていた。
(あ……あ、あぁ……っ)
思わず、鳥肌が立った。そんな気持ちが湧き起こるが、俺は動けないし、何故だか怖がっている自分の気持ちすら遠い感情のように思えて、叫び声も出なかった。
自分の中に心が二つあるみたいだ。
でも、静かに混乱する俺に構わず、美女は俺の体に腕を絡めてきた。
ぐるぐる、ぐるぐると、撒き付いて来た両腕が何重にも俺を拘束する。ひんやりとして、明らかに生き物だと解る感覚。縄のように俺を拘束しているが、それが腕なんだとハッキリわかる。けど、なんだか、おかしい。
『許さない……。許さない、許さない、許さない……っ! 一生許さない、死んでも貴方様を許さない、魂になっても永遠に……!』
――――がくがくと、震え出した。
いや、相手ではない。今、充血した二つの目に射竦められている俺の体だ。
やっと恐怖が体に浸透して来たのかと思ったが、しかし今度は逆に怖いはずなのに冷静になって行ってしまう。あべこべなのに、焦る事が出来ない。
ただ、目の前で俺を凝視して来る恐ろしい目をした美女に体を震わせながら、何故だか判らない「哀れに感じる気持ち」をぼんやりと抱く事しか出来なかった。
「………………あぇ……」
ハッとしたと同時、自分がヨダレを垂らして寝ていた事に気付いて口を閉じる。
不快感に顔を歪め、ベッド横に置いているバッグから懐紙を取り出そうとするが――そこで、未だに筋肉痛で動けない自分の体に気付き、俺は鼻で息を吐いた。
うう゛……体が痛い……一日寝ただけじゃ全然治んない……。
にしても、なんかまた変な夢見ちゃったなぁ……一体なんだったんだろう。もしや、この筋肉痛のせいだろうか。それとも、廃虚の街で強化型ゾンビとコンニチワパーティーをしちゃったから、あんな夢を見たのかな。
どちらにせよ、現実で怖い体験をしたからには違いない。
にしても……何だかヘンな夢だったなぁ。
怖い夢だったはずなのに怖くないだなんて、初めての体験だ。
「うーん……」
もしかして、あのお姉さんが美人だったからだろうか。
それに、許さないって何度も言われてたけど、結局怖いことは何もされてなかったしなぁ。蛇に巻き付かれるみたいに体を拘束されてたけど、それだってめちゃくちゃ強く拘束されてたって感じでもなかったし。
だから、何だか可哀想だなって思っちゃったんだろうか。
でも気持ちがボンヤリしてたから、よく判んないなあ。まあ、夢だったけど美女と肉薄できたし、良い夢と言われたら良い夢といえなくもない。
はあ……俺もあんだけ美女に思われてみたい……。
「うぅん……ツカサくぅん……なに考えてるのさぁ……」
「んぐっ!?」
な、なんか背後からガシッてされた。美女と全然違う!
ごつくて分厚い……ってこの感触は……。
「ぶ、ブラックお前! 別々に寝ろって言っただろ!?」
昨日さんざん「ベッドに入って来るなよ」と怒ったのに、何で今日も一緒に寝てるんだよ! なんなんだお前は、全然反省してないじゃないか!
俺をナメてるのはいつもの事だが、こういう時ぐらい空気読めよばかー!
「だって寂しかったんだもん……ツカサ君に怒られて寂しくなったんだから、ツカサ君が僕を慰めてくれるのが当然でしょ……? だって僕達恋人同士なんだからさぁ」
「なにその謎理屈!」
なんで怒った俺がお前を慰めなきゃいけないんだよ。
どう考えてもお前が反省して「ゴメンネ」で終わらせる話だろ!?
ああもう離れろ。やめろ、肩に顔を突っ込むな。フガフガするなヒゲが痛い、息が生温くてくすぐったいオッサンくさい!
でえいチクショウ、俺が筋肉痛じゃなかったら絶対逃げてるのに……!
「それよりツカサ君、なんかさっき変な感じだったけど……またなんか夢見たの?」
「え……いや、まあ見たけど……別に変な夢じゃ無かったぞ?」
怖い……と言えば怖い夢かもしれないけど、俺にとっては物凄い美女と至近距離で見つめ合う夢だ。まあよくある怪談みたいな悪夢だし、他人に話して聞かせるようなモンでもないわな。説明してもつまんないだろうし。
それに、美女に見惚れてたとか絶対コイツ怒るだろうからなぁ。
「ん~? なーんか隠してない~?」
「ないない! それより早く離れろってば。俺まだ筋肉痛治ってないんだよ」
「やだぁ~せっかくの休みなんだし、イチャイチャしようよぉ」
「朝食どうすんだってば! 俺は起きるの!!」
苦心して体を捻りブラックの顔を見やると、相手は不満げに口を尖らせる。
寝惚けたような目をしているくせに、菫色の瞳は外からのかすかな光にキラキラと輝いていて、鮮やかな赤い髪と相まって思わず息が引っ込んでしまった。
そんな俺に、ブラックはヒゲだらけの顔でニタッと笑って顔を近付けて来る。
やめろと手で牽制しようとしたのだが、その手を剥がされ抵抗むなしく俺は頬に額にとキスで攻撃されてしまった。あーっだから朝は余計にヒゲが痛いんだってば!
「んふふ~。ツカサ君、どうせ体が動かないでしょー? 僕が全部やったげるから、今日はイチャイチャしてようよぉ。ねっ? ねっ? ハイこれ決定~!」
「ばっ……もうっ、ばかっんんっ! やめろってばっ……!」
「は~、ツカサ君は柔らかくて気持ち良いなぁ……あはっ、あはは、ぼ、僕もう……朝から元気になっちゃいそうだよぉ……!」
「ん゛ぐーっ!」
だー、ばっきゃろーっ!
元はと言えばお前が大暴れするからこうなったってのに、俺の意志を無視してまたとんでもねえ事しようってのかー!
ただでさえ体が痛いのに、これ以上酷い事になってたまるか。
なんとかブラックから逃れようと、俺はギシギシ痛む体で暴れようと力を込めた。
――すると。
「あのっ、あのお! すみません、ここに薬師様がいると聞いて来たのですが!」
勢いよくドアが開く音が聞こえて、女性の大声が飛び込んできた。
これは……もしかして、玄関から誰か入って来たんだろうか。薬師って事は、ここを今でも運営している治療院だと勘違いしたのか?
でも、残念ながらここはもうやってないんだよな……。
「勘違いしてんのかなぁ」
「それなら早く説明しないと……おらブラック離せ!」
「ああんもう、素股ぐらいは出来ると思ったのに」
だーうるさいうるさい、朝からそんなに元気が有るなら俺に分けてくれ。
とにかく訂正しに行かないと。でも体が痛くてズボンが穿けない。どうしたものかと焦っていると、ブラックが溜息を吐きつつも服を着せてくれた。
そうして、何を思ったかお姫様抱っこを……いや、あのっ、なにしてんの。
「早く一階に行くんでしょ? こっちのが早いよ」
「うう……し、仕方ない……」
髪も整えていない状態で女性に会うのは恥ずかしいが、相手も急いでいるんだし、許してくれるだろう。ブラックに抱えられて階段に差し掛かると、階段横の診察室から、クロウとペコリア達が玄関の方を窺うように顔を出していた。
どうやら、出て行って良いかどうか迷っていたらしい。
クロウ達には「俺が対応する」と無言でジェスチャーして、玄関へと向かった。
しかし、よっぽど焦っているみたいだけどどうしたんだろうか。そう思いながら、未だに俺達を呼んでいる相手の所へ辿り着くと――そこに待っていたのは、つい先日も会った見覚えのある女性だった。
「えっ、あ、あの……貴方は、レイドのパーティーの……」
そう。彼女は、レイドとパーティーを組んでいる僧侶風の服装の美女だったのだ。
でもなんで薬師なんか探してるんだろう。
不思議に思った俺達に、お姉さんは矢も楯も止まらず駆け寄ってきた。
「ああっ、貴方ここに居たんですね!? 頼みます、あの回復薬は残ってませんか、一番良いの……いえどんな物でも、何本でもいいから売って下さい、頼みます!」
「えっ、ええ!? ちょ、ちょっと落ち着いて、どうしたんです一体!」
「そう要望だけ言われても、こっちも困るんだけどなあ」
ブラックの嫌そうな声に気付いたのか、お姉さんはグッと息を飲む。
そうして少しだけ落ち着いたのか、改めて俺を見つめ訴えて来た。
「た、頼みますツカサさん。坊ちゃま……レイド様を助けて下さい……! この街で今動ける薬師は……もう、あなたしかいないんです……っ!」
レイドを助けて、って……一体、なにがどうなってるんだ。
もしかして、お姉さん達のパーティーに何か起こったんだろうか。
そこを詳しく聞きたかったけど、彼女の慌てようだとそんな暇はないみたいだ。
「……わかりました。すぐ用意してきます!」
「あーあー……」
即座に返事をした俺に、ブラックが呆れたような声を上げる。
だけど女性に「助けて」と言われているのに助けないってのは、男が廃る。それに今日みたばかりの夢でも、女性に縋られて泣かれてしまったんだ。
縋る女の子を無碍にして泣かせるなんて、大人の男のやる事じゃねえ。
薬師が必要だって言うのなら、俺も役に立てるかもしれない。とにかく、残ってる回復薬全部を抱えてレイドの所に行ってみよう。
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