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海洞ダンジョン、真砂に揺らぐは沙羅の夢編
30.もう、いいんです
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カーデ・アズ・カジャックは、かつて【薬神老師】と讃えられ、多くの人々の尊敬を集めた稀代の薬師だった。
死に魅入られた病人を救い、流行り病を三日で打ち倒す。
その名前はかつて英雄と共に旅をしたものと持て囃され、遠き島国で人々に教えを授ける物の頂点に立つ称号と言われる【老師】という称号を授かった。
そう言われるほどの傑物で、遠い昔には大陸中に名が轟くほどだったと言う。
しかし年代が下るにつれその名声は薄れ、人々の記憶から彼の名は消えた。
カジャックの名は、歴史の海に一度消えたのである。
――――だが、それでも彼は薬師として活動を続けていた。
彼は、アランベール帝国でひっそりと高度な薬学の研究を続けていたのだ。
そうして少しずつ画期的な研究結果を公開する内に、カジャックは再び己の名声を高め、学術院に講師として招かれる事となった。
【学術院】は、この大陸で唯一「曜術師」としての教育を施す、アランベール帝国の要とも言える国立教育機関だ。そこで再び【薬神老師】として花咲くかと思われたが――講師としての評価は、微々たるものだった。
それどころか木の曜術師随一と言われたその腕は軽んじられ、彼がオスメスの区別なく等しい授業を行ったことで、貴族からは疎まれていたのである。
しかし、それは仕方のない事だった。
この世界のメスは、オスに比べて曜気の許容量が小さい。そのため、メスの曜術師は男女問わず軽んじられ「子さえ産めばよい」と思われていた。
曜術師の世界では、その考え方が普通だったのだ。
そのうえ、学術院は貴族の意向が強く反映される。メスはオスより一歩下がる者と言う意識が強かったベランデルンでは、カジャックの平等かつ開放的な講義は到底受け入れられるものではなかった。彼の「技術さえあれば、薬師のメスは薬師のオスと並ぶ実力が持てる」という理論も、貴族に激しく糾弾され有り得ない妄言だと抗議が殺到したのである。
そうして、カジャックは低評価の異端者として扱われる事になったのだ。
しかし、カジャックは他人にどう言われても気にしなかった。己の教えが良い薬師を作り上げると信じ、己の流儀に従って行動して居たからだ。
それで良いのだと、カジャックはそう信じていた。
だが、人と言う者は苦境に曝され続けると精神が摩耗していく。ついにカジャックは体調を崩し、学術の世界から追われる事となった。
カジャックは再び、職も地位も何もかもを失う事となったのである。
けれど、それでも薬師としての腕を鈍らせる事無く、カジャックは僻地に住む人々の為に旅を続け、流離の薬師として何十年も旅をし続けていた。
この行動こそが、薬師としての自分の使命なのだと自分に言い聞かせて。
そんな年月を過ごし、気まぐれにアランベールに帰った或る日――――
カジャックは、一人の少年に「弟子にして下さい」とせがまれることとなった。
何度も滞在先に押しかけ土下座までする、情熱的な少年。
その少年が、稀代の薬師カジャックの最後の弟子となるはずだった……ブランティ・エカム・ドリシュだった。
ブランティは、シムロの街が存在する国・ハーモニック連合国の砂漠地帯に住む、少数民族の少年だとカジャックは聞いた。仔細は分からないが木属性の曜術を扱える体質であることから学術院に推薦され、アランベール帝国に留学したのだ。しかし、彼は哀れな事に母子――メスだった。
どれほど実力が有ろうとも、持って生まれた体力差は埋められない。
それは、ブランティ自身が一番自覚していた。
学習意欲が強く模範的生徒であったが故に、ブランティはその事に苦しんでいたのである。だからこそブランティは、かつて分け隔てのない講義をしていたカジャックを見込んで、弟子入りを志願したのだ。
彼がかつて掲げていた「努力と技術があれば、メスであってもオスと遜色のない、立派な薬師に成れる」という言葉を心の御旗にして。
……無論、世捨て人のようになっていたカジャックはそれを拒絶した。
だが何度も頼み込んでくる彼の熱意に負けて、旅の供として受け入れたのだ。
そうして旅を続ける内に、カジャックはこう思うようになった。
――――そうだ。曜術師のメスがオスよりも一段下に見られるのは、彼らが満足に講義を受けられず、未だ結果を出せていないからだ。ならば、自分が「メスも立派に薬師として働ける。技術が有れば、オスよりも有能だ」と言う持論を証明すれば……己の【薬神老師】と言う過去の称号に見合う結果が得られるのではないか――と。
だが、その考えこそが間違いだった。
カジャックは、いつしか己の妄執に取り憑かれ、ブランティを「世界最高の薬師」として育てる事に躍起になって行った。ブランティも、そんな師匠の情熱に突き動かされ、実際あと少しでカジャックに並ぶ薬師として「完成」されつつあったのだ。
これで、やっと自分の主張が証明できる。
カジャックはそう思っていた。
自分の教えを否定した者達をやっと見返す事が出来るのだと。
だが、そんな「もうすこし」の時に訪れたシムロの街で……自体が一変した。
「お前が、あの商館の一人息子と恋に落ちてしまった」
肩を落としそう呟くカーデ師匠に、ブランティは穏やかな顔をしている。
いや、あれは……穏やかというよりも……もう“何とも思っていない”表情だと言うべきなのかも知れない。それくらい、ブランティからは感情が感じられなかった。
『クレーシャは、勉学と修行に明け暮れる僕に安らぎをくれました』
淡々と話すブランティに、カーデ師匠は項垂れたまま続けた。
「お前は……楽しそうだったな……。この街に居る間、そいつの話ばかりしていた。私が修行に身が入っていないと言っても、お前はあの男と会うのをやめなかった」
『僕は、クレーシャと出会って……世界の広さをやっと知りました。彼の持っている書物や記憶が、僕の視界をこじ開けてくれたんです。……今までの僕は、旅の全てが修行のためと思って一心不乱に研鑽に明け暮れていました。それが、当然のことだと思っていた。今まで何の疑問も抱いていなかったんです』
怒りも悲しみも笑みすらも無い、穏やかな表情。
まるで、作りたての彫刻を見ているかのようでなんだか心が寒くなる。
本来なら良い事のはずなのに、ブランティの表情はただ冷たかった。
『僕の見識の扉を……クレーシャが開いてくれた。世界がこんなに広く、興味深く、美しい物だったのかをクレーシャが教えてくれたんです。そして彼は、僕を――メスとしては男性的すぎる僕のことを、世界で一番美しいと……僕の良いところも、悪いところも、全てを……愛すると、いって……くれた……』
「だからお前は婚姻を結ぼうとしたのか。そんな、言葉だけで……」
不意に顔を上げた師匠に、ブランティは視線を合わせて見下ろしたまま続けた。
『そんな、言葉? ……そうですか。お師様にとっては、そうなのかも知れませんね。けれど僕は、クレーシャの言葉で救われました。彼の純粋で真っ直ぐな言葉は、僕の心を間違いなく包んでくれたんです。それは、僕の確かな事実です。そして今は、はっきりと分かる。クレーシャは……本当に、僕の事を愛してくれていた。……罠にはまって、僕のことを激しく憎むほどに』
ああ、そうか。ブランティは、蛇と化したクレーシャさんに丸呑みにされた時に、彼と同化したのだと言っていた。その時に記憶を読み取ったとも言ってたっけ。
あれは本当の事だったのか。
だけど、それを説明しないで師匠が納得できるはずもない。どういう事だと師匠は顔を歪めていたが、ブランティは意に介さずに続けた。
『クレーシャは、最後まで僕を愛してくれていた。憎むほど、身を焼き尽くすほどに愛してくれていたんです。彼は、最後まで誠実だった。……だけど、師匠……貴方は……貴方と彼の父親は、不実だった。それは……貴方の都合が全ての行動だったのですか。僕達を思っての行動だったのですか』
「…………」
ブランティの言葉に、師匠は視線を逸らす。
――――師匠は、己の自尊心が過ちを犯した……というような事を言っていた。
自分が悪いんだとも言っていたけど、どうしてこんなことになったのか。
たまらず、俺は師匠に問いかけた。
「カーデ師匠、さっき自分のせいだって言ってたけど、本当に結託して彼らを騙したんですか? どうやって、どうして……」
「…………簡単な事だ。手紙を読ませずに捨て、双方に『相手はお前を裏切って別の誰かと婚姻を結んだ』と言い続けた……それだけだ……。それで、二人が正しい道に戻ると思っていた。全てが円満に収まると思っていたんだ……それなのに、あの男はどういうことかモンスターになり大変な事になってしまった……。慌ててあやつの親と連絡を取ってシムロへと戻ったが、もう何もかもが遅かった……」
『僕は早々に人身御供のごとく差し出され、クレーシャに喰われた』
初めてブランティはこちらを向く。
その目は、何も映していない。俺を見ていても、その目は虚ろだった。
『そして、君が来て……僕はようやくはっきりと目覚めた。……人違いで、君を追い回してしまいましたけどね』
「俺が来て……?」
思わず問いを返すと、ブランティは一つ瞬きをしながらゆっくり頷いた。
『ごめんなさい。だけど、君は本当に優しい色をしていた。魅力的だった。だから、クレーシャのように見えたんです。……同じメスなのに、変ですね。でも、君は僕の事を考えてくれた……クレーシャのように。だから、恋しかったのかも知れない』
俺が、ブランティやクレーシャさんの事を考えたって……心が読めたのかな。
どうしてそう言い切れるのか解らないけど、でも、俺は二人の記憶を夢で見る事が出来たんだから、もしかしたら彼には俺の考えも透けて見えていたのかも知れない。
……けど、一番何の関係も無い俺が意識を浮上させたなんて、皮肉だ。
本当なら、彼を一番強く思って考えていたカーデ師匠がその役目だったろうに。
その師匠も酷く狼狽しているようで、ただブランティを見つめていた。
「ブラン、ティ……」
『……そう。他の人達は、そうして僕やクレーシャの事を考えてくれなかった。昔話にしてしまった。師匠も結局、クレーシャの事なんて何も考えてくれなかった。僕の幸せなんて、僕自身の幸せなんて、昔も今も、何も考えていなかったんですよね』
「なっ……」
目を見開き顔を強張らせた師匠に視線を戻し、ブランティは続けた。
『師匠にとって、僕は【持論が正しいと言う為の証】でしかなかった。今貴方の話を聞いて、やっと貴方の気持ちが解りました』
「ちっ……違う、ブランティ違う! 私はお前のためを……っ」
『僕のためって、なんですか。貴方は一度でも“望みはなんだ”と問いかけてくれた事がありますか? クレーシャと過ごす日々を僕がどれだけ大事にしていたのか、彼が僕との時間をどれだけ大事にしてくれていたのか……理解していたんですか?』
「だ、だがお前が……お前が一人前の薬師になりたいと言うから、私は……!」
そうブランティが望んだから、全てを託そうと今まで注力してきたんだ。
師匠が必死にそう訴える姿を彼は静かに見ていたが、やがて彼は首を振った。
『責めているのではありません。ただ、僕は間違っていた。ずっと最初から全てを間違って、間違い続けた挙句に命を落としただけ。己の力を慢心せずに生まれた地で平凡に暮らしていれば、努力も修行もしなくてよかった。クレーシャと貴方のことで苦しんだり、悲しむ事も無かったんです』
「――……!」
ブランティの体が薄らと光り始める。
今までの光とは違う、暖かで白い光だ。けれどその光が強くなるに比例して、彼の体がその場から徐々に浮き上がって行った。
まるで……魂が天に昇るみたいに。
「ブランティ……っ!」
『もう、いいんです。あの優しい子のお蔭で、やっと理解出来ました。クレーシャはこんな場所には居ない。天の階を先に昇って、僕を待っていてくれている。こんな薄汚い場所にずっと留まっているはずが無かったんだ』
「ま、待てブランティ」
師匠が呼び掛けるが、相手は何も答えない。
ただ、やっと彼は薄らと微笑んで空を見上げていた。
『だって彼は……最後まで愛に溢れていて、僕に対しては……憎しみを抱くほどに真っ正直でいてくれた……。今なら、分かる……』
「ブランティ、おい、ブランティ待ってくれ……」
『だから僕は、もう、いいんです……早くクレーシャのところに行きたい……』
その言葉が何を意味するのか、もう誰もが理解していた。
彼は、消えるのだ。
ブラックとクロウの攻撃は、やはり彼に対して致命傷を与えていたんだろう。
しかし師匠だけは、上昇しながら徐々に色が薄れて行くブランティを見て、必死に手を伸ばしていた。まるで、神様に許されようとするかのように。
「あっ、あぁ……! 違う、待ってくれブランティ、行かないでくれ! 私は、私がすべて悪かったんだ、だから私はお前に謝らなければと……!」
『さようなら、師匠。もう嘘なんてつかなくて良いんですよ。嘘なんて……』
「待ってくれ! 違う、私は、私は……!」
『クレーシャ……今いくよ……』
「ブランティ――――!!」
老人とは思えない声で叫びながら師匠は追いかけるが、ブランティは光に包まれて消えてしまった。それと同時、シムロの街が一気に色を失って薄暗くなる。
何が起こったのかと思ったら――いつの間にか、周囲は岩場に変わっていた。
「これ……」
「完全にダンジョンの主が死んだようだな」
俺の言葉にクロウが被せてくる。
確かにこの光景はそうとしか思えない。あれほど精巧に作られていた場所が一気に消え失せるなんて、それこそダンジョンの主にしか出来ない芸当だった。
でも、そうすると……結局師匠は……。
「ブラン、ティ……」
横目で見た師匠は、再び地面に膝をついて俯いてしまっていた。
……そりゃ、そうだよな……だって、彼は師匠の行いを「理解した」と言っていたけど、それを受け入れも許しもしていなかった。
ただ、穏やかで虚ろな顔で事実を知っただけだったんだ。
それって……やっぱり、許してるって言わないよな……。
「…………師匠……」
自分が悪かったんだと理解して、謝ろうと思っていたのに、許されなかった。
そのまま相手に消え去られてしまった師匠の気持ちは、計り知れない。
何も声を掛けられずに黙っていると、俺を抱えていたブラックがボソリと呟いた。
「つーか、なんだいまの。よく分かんないけど満足して死んだってこと?」
「お、お前なあ……」
「だって意味わかんないんだもん。何かさぁ、凄くどうでもいい他人の修羅場を強引に見せつけられたって感じでしょーもなかったんだけど」
「ぐ……」
いや、事情を知らないブラック達からしてみればそうだろうけど……。
しかしそんなにハッキリ言わなくたっていいじゃないか。
思わず顔を歪めたが、俺を見下ろしたブラックは「だけどね」と笑った。
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「え……なんで?」
「愛してる人が自分を愛してくれていたら、それでいいんだ。他のコトなんて、どうでも良いんだよ。……僕だって、僕を好き過ぎてモンスターになっちゃったツカサ君に丸呑みされて死ぬんなら……嬉し過ぎて、もうこの世に未練なんてないなぁ」
そう言いながら、ブラックは場の空気なんて考えずに俺を抱き締めてくる。
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「…………」
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