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竜呑郷バルサス、煌めく勇者の願いごと編
異変2
全てを聞き終え、最初に出てきたのは……深い深い溜息だった。
「…………はぁー……」
普段なら怒るところだったが、今はそんな気力も無い。……いや、目の前の無様な負け犬に対しては怒っているが……それよりも、ブラックは酷く呆れているのだ。
だが、それも仕方のない事だろう。
もとより全てが胸糞悪い傲慢貴族が語った「ここまでの回想」は、呆れ果てるような話としか言いようのないものだったのだから。
(……いつまで経ってもツカサ君に『オスとして見て貰えない』ことにイラついて、我慢出来なくなったせいで犯しかけてこの状況になったって? なんだそれ。間抜けにも程があるだろ。もうちょっとマシな展開はなかったのか? それとも、無意識にコイツを高く見積もっていた僕が馬鹿だったとでも言うのかな?)
思わず自分の事を責めかけるが、そうではない。今回の事は十割方この下郎貴族が悪いのであって、ブラックは一切悪くなくむしろ被害者だ。潔白なのだ。
しかしそれでも深く呆れ返ってしまい自分に罪を求めてしまうのは、この目の前の男がどれほど無様で愚かなのかを見抜けなかった自分が情けないからだろう。
人を買い被って裏切られると言うのは、ブラックの記憶でも滅多にない事だ。
普段から他人にそこまでの意識を向けないブラックにとって、排除したいと思った相手を正確に観察する事は半ば無意識の行動になっている。それ故に、今までは敵対する存在を過小評価も過大評価もする事は無かったのだ。
しかし、今回ばかりは違った。無意識に相手を上に見過ぎていたのである。
ブラックの持つ【紫月のグリモア】と相克を成す【黄陽のグリモア】を取り込んだ相手だから――――と言うには、あまりにも迂闊な思い込みだ。そう自分でも思ったからこそ、ブラックは呆れたのである。
相手の愚かさを予想する事も出来ず、ツカサを簡単に手放してしまった己に。
(…………見当違いを起こしたのは……黄陽の“前任者”が、あまりにもデキたヤツだったからだな……。あの男と同じ実力であれば絶対に侮れないと無意識に考えてしまって、こんなことになってしまったわけだ)
ブラックは、かつて【黄陽のグリモア】だった男を知っている。
だからこそああまで警戒していたと言うのに、こんな場所で分別もつかずツカサを強姦しようとするとは、まったくもって見下げ果てたガキだ。
けれども、と、ブラックは内心で思い直す。
(……いや……そもそも、グリモアだからこそなのか……?)
自分達は、そもそもが【常軌を逸した欲望や感情の権化】とも言える。
曜術師という存在は、欲望や感情の力によって自然の力を操る特殊な人族だ。その時点で一般人とは全く違う存在であり、それゆえ孤独である事も多い。
言ってみれば「普通の人族よりずっと感情の沸点が低い存在」で、それはブラックだろうが他の曜術師だろうが、同じ事だった。シアンとてツカサと出会う前までは、全てを諦め受け入れつつ流す――――「諦受」という意識が強かった。
ブラックも、同じだ。昔も今もずっと【執着】という感情が暴走している。
いや、今の方が酷いかも知れない。
だがそれこそが、グリモアとして必要な事だった。
己の中に強く根付く本性によって人道から外れた力こそが、グリモアと言う悪魔の魔導書を引き寄せて、ブラック達は「この世の頂点に立つ力」を刻まれたのだ。
そう考えると、この下郎貴族が感情に流されたのも仕方ないが……やはり、過去の優秀なグリモアを知っていると、その堪え性の無さに溜息を禁じ得なかった。
(まあ、僕だって人の事は言えないけどさ……そもそも、常識人ヅラしててそう言う事になるのが気に入らないんだよ。クソ……なんでこう、簡単に殺せる距離なのに、剣を抜いちゃいけないんだ……)
ブラックとて、物事の道理が判らぬ子供ではない。ここで相手を殺してしまうのは悪手だと解っている。だが、やはり、ツカサが害されたと思えば思うほど、目の前の見下げ果てた下郎に怒りが湧いてイラついてしまうのだ。
もういっそ、全て終わらせてツカサと二人きりで逃避行でもしてやりたい。
誰も知らぬ山奥にでも籠れば、もう二度とツカサに手を出す愚かなオスどもに煩わされなくて済むと言うのに。
(…………本当に、そうしちゃおうかな……)
だが、それを実行するには準備が足りない。そもそも、今の不可解な状態に陥ったツカサを放っておくことは出来なかった。
この男は、ブラックのみならずシアンにまで「触れると危うい」と言った。
と言う事は、ツカサは性別や体別が問題ではなく「グリモア」である自分達すべてがツカサに影響を及ぼしてしまうと言いたいのだ。
しかし、何故そう思うのかが解せない。
今の説明を聞いても、あの金の属性の間で何が起こったのか解らない。
ここまで言うのだから何らかの確証が有って言っているのだろうが……その辺りの話を聞いてみない事には、何とも言えない。
未だに相手への侮蔑の思いは強いままだったが、己を制してブラックは問うた。
「……で、何でツカサ君に触れちゃいけないんだ」
シアンもそこが聞きたかったようで、どこか訴えかけるような目を向けている。
その視線が居た堪れないのか、下郎貴族は俯いたまま己の片腕を掴み、ただ淡々と自分なりの見解を答えた。
「ツカサを組み敷いた直後、口付けを行った。……その時に、彼の気が乱れたんだ」
「どのように……?」
「…………今までに……見た事が無い……。五つの属性全ての色に包まれて、五曜の全てに弄ばれるが如く体の様々な所から曜気が噴き出し、体内に爆発的な衝撃を与えながら戻っているように見えた……」
全ての属性の曜気が、噴き出し、戻っているように見えた?
相手のその言葉に違和感を感じ――――すぐに「正答」が脳内にはじき出される。
だが、その「真実」というものは、にわかには信じがたいものだった。
――――まさか、そんな事があるのか。
一瞬そう思い、しかしブラックは背後で違う男の腕に抱かれているツカサを見て――ブラックは、汗を一筋垂らしながら問いかけた。
「……ちょっと待て、お前、気は見えても属性の特定はできないはずじゃないのか」
そう。
この男の特殊能力は【属性の確認は出来ないが、気の流れが読める】という、他に類を見ないようなものだった。
だが、それは「曜気の種類」までは把握出来なかったはずだ。
なのに今、この男はハッキリと「五曜」と言った。即ち――――
「嘘をついていたのか」
再度問いかけるブラックに、相手は俯いたまま体を震わせた。
「今、その話はすべきではない。ツカサの事とはまた別だからな」
「…………」
「ともかく……俺には、その様子が明らかに異常だと分かった。通常、人体は許容量以上の曜気を受け入れるように出来てはいない。押された物体が押した物体の力量分だけ動くように、人体もまた器を満たすほどの気が与えられれば、入れ替わりながら気が零れる。……だが、ツカサが受け入れて放出する五曜の気は……本来のツカサの許容量をはるかに超えているようだった」
「そのせいで、ツカサ君がああなったのですか?」
シアンの問いに、下郎貴族は頷きかけて首を強張らせる。
まるで、他にも原因があるかも知れないとでも言いたげだった。
そんなブラックの見解は、当たる事になる。
「断定は、出来ん……。だが、その曜気に体内を弄られたせいなのか、ツカサの体に妙な変化が起こっていた。それが、あの状態だ」
「熱に浮かされたような……」
「それだけじゃない。あれは……まさに【エサ】だ」
貴族らしからぬ単語が出て来て思わず姿勢を正したブラックに、ようやく相手は顔を上げた。どこか、やつれたような疲れ切ったような顔を。
……それが後悔の表情なのだろうか。にしては、どこか自分の悲劇性に酔っているような臭みを覚えた。どこまで行っても傲慢な男だ。
「エサとは、どういうことですか」
さすがのシアンも、嫌な予感を覚えているのか焦ったように問いかけている。
だが、恐らくその問いは彼女が望むような答えにはならないだろう。
徐々に冷静になり、周囲に気を配る余裕が出て来た今のブラックには、そのことが痛いほど理解出来ていた。
何故なら。
(エサ……はは……なるほどね…………)
離れた場所で、熊公に抱かれて苦しんでいるツカサ。
そんなツカサを、ブラックは背にしていると言うのに――――――
彼から伝わってくる、逆らい難いほどに強く濃厚な曜気を知覚していたのだから。
「ラスター様!」
「……もう、分かっているだろう水麗候。…………恐らくは、俺との口付けが原因で、ツカサの中に存在する【黒曜の使者】の呪いが発動したんだ」
「僕達が食らい尽くすための、曜気のエサ。そういうワケか」
つまり、この下郎貴族が……グリモアの中でも『稀なる存在』が、ツカサに心の底からの劣情を覚えた事によって、ツカサに刻まれている【呪い】が発動して暴走している。そう言う事なのか。
(だとしたら……厄介な事になったな……)
改めてツカサの厄介な身の上を思い返し、ブラックは内心舌打ちをした。
――――かつて、黒曜の使者はグリモアを想像した創造主だったという。
【黒曜の使者】が敵対するこの世界の神に対抗するために作り上げた至高の兵隊、それがグリモアの始祖であり、元は創造主を守るためのまともな存在だったのだ。
だが、グリモアは当時この世界に君臨していた文明神・アスカーによって【改変】され、七つの悪徳を象徴する存在に変化し、挙句の果てに【黒曜の使者】が生み出す曜気を食らい尽くして世界を滅亡させるための存在にされてしまった。
その神の呪いは今も連綿と続き、今でもツカサはその呪いの影に怯えている。
もちろん、彼はそんな事などおくびにも出さないが、深く心を繋げたブラックには解る。ツカサはその事を故意に考えないようにして、恐怖から逃げているのだ。
そんな稚拙過ぎる意地がまた可愛いのだが……それはともかく。
(自分の体が自分の物じゃ無くなる恐怖ってのは、誰にでもあるものだ。それを、僕のような絶対的な力を持つグリモアに強制されるかもしれないんだから……そりゃ、怖くなっても仕方ないだろうさ)
いつ【真名】で“支配”されて、意識を失い好きに操られるか分からない。いつ周囲のグリモアに殺されて、不老不死の能力が消え死ぬか分からない。
何より――――曜気を無限に吸って力を増す【グリモア】の強欲に抵抗も出来ず、曜気を奪われる事が怖かろう。……なにせ、黒曜の使者は、グリモア達全員に曜気を奪われる苦痛や衝撃を「快楽」に感じる呪いを植えつけられている。心通わぬ下郎に脅され、強制的に曜気を奪われても、抵抗が出来ないのだ。
だから、最悪の場合は良いように貪られ……最終的には吸い尽くされて死ぬ。
そんな恐ろしい呪いを持っているのだと、ブラックは聞かされた。
初心で貞操観念の強いツカサには耐え切れないだろう、そんな話を。
だからこそ、解るのだ。
ツカサに今降りかかっている不幸は、明らかに【黒曜の使者】の能力のせいだと。
何より……彼が垂れ流す濃厚な曜気が、ブラックの空腹を刺激している。
理性の無い化け物なら、とっくの昔にツカサを食らっていただろう。今の彼が放出している曜気は、それほどに凄まじい力を与えるものだった。
それを下郎貴族も感じているのか、苦しげな顔をしながら口角を引き締めた。
「これは、俺の予測でしかない。だが恐らく……正しいはずだ。……ツカサは、現在誕生しているグリモア全員と『何らかの接触』を持っている。お前、水麗候、北方のオーデル皇国にいる【救世の薬師】、それと“導きの鍵の一族”の子息に加えて――――俺だ」
この「何らかの接触」という言葉は、恐らく「出会った」という意味ではない。
ツカサが、彼らと肉体的接触を果たしたか……。
「全員が、ツカサ君に対して強い想いを抱いているってことか」
「そう言い換えても構わん。……今までの俺は、こうまでしてツカサを欲しいと思う気概も何も無かった。清廉潔白な貴族として恥ずべき行為を無意識に封じていたんだ。……だが、今回……俺は、己の心を騙しきれなくなった……」
それで、合点が言った。
いや……やっと「理解が出来た」と言った方が正しかっただろうか。
ともかくブラックには、やっと目の前の下郎に落ちた貴族が「我々と同じ存在だ」という意識が、ハッキリと認識できたのである。
(ああ、そうか。コイツもやっぱり同じなんだ。僕と同じ、汚らしい欲望を是とする存在。どれだけ綺麗に繕っても、やっぱり浅ましい欲望を留められない化物だった)
溜飲が下がる、とはこの事か。
異質だったこの男の言動にやっと納得が出来たような気がして、ブラックは無意識に深い息を吐いてしまっていた。
だが、まあ、だとしてもこの下郎貴族を許す気は無いのだが。
「では……ツカサ君は、私達の強い想いを受け取ったせいであの状態に……?」
「そこまでは解らん……だが、俺は間違いなくツカサを欲しいと思った。そのせいで、彼の体が勝手に暴走してしまったのかもしれない」
…………ありえる話だ。
先程の説明のように、ツカサの能力であり称号でもある【黒曜の使者】は、自分達グリモアが望む時に望むだけの曜気を与える。
とすれば、今回あの男がツカサに強い執着を抱いた事でこの事態になった、と。
「……なんだ。結局お前のせいかよ」
低い声で吐き捨てると、相手はグッと顔を歪めたが……何も言えずに肩を落とす。
この男の尻拭いをするのかと思うとむかっ腹が立ったが、しかしツカサをいつまでも苦痛に喘がせるわけにもいかない。
そもそも、自分が触れられない状態など論外だ。何としてでも戻って貰わねば。
そう思い、ブラックは踵を返しツカサへと近付いた。
「おっ、おい!」
背後から声を掛けられるが、ブラックは振り返らずに不機嫌な声を返す。
「黙ってろクソ下郎。ツカサ君を元に戻す」
「え……」
「良いから黙って見とけ」
ぶっきらぼうに声を放って、ブラックは熊公が抱えているツカサに近寄る。
「ツカサ君……」
むさ苦しい腕の中で苦しむツカサ。
何刻かぶりに再開したが、やはり可愛らしい。苦しむ表情も、喘ぐ声も、その熱に汗を流し薄らと開く小さく可愛い唇も、何もかもがブラックの欲を誘った。
こんな場合でなければそのまま犯していた所だが、それを他の奴らに見せるのは少々問題がある。というか、シアンに怒られかねない。
その事を残念に思いつつも、ブラックは跪いてツカサの頭にそっと手をやった。
「ひぐっ……! うっ、うぅ……んっ、ぐ、ぅ……っ、うぁあ……っ」
甘い声。やはり、ツカサの体は曜気の暴走によって、強制的に快楽を感じる体へと切り替えられてしまっているようだ。
ブラックの目には、白い曜気と赤い曜気が飛び交ってツカサの体全体を叩くように入り込んでいる様が見えるが、きっと彼の状態はそれ以上なのだろう。
「ぶ、ブラック……」
さすがにこの状態のツカサは見た事が無かったようで、熊公が心配そうな声で、耳をへたれさせている。間抜けな光景だが、まあ、さもありなん。
「今から治すから黙ってろ」
「む、むぅ……」
額へと手を動かし、喘ぐツカサをじっと見やる。
(…………正直、あまり使いたくないけど……。でも、今はこれしか知らない……)
そう思いながら、ブラックは己の底に眠る力を揺り起こすように体を緊張させた。
深く。深く暗い場所に押し込んだ悍ましい力を、たった一握りだけ掴む。
それ以上は求めてはならない。制御するためには、多くを望んではならない。
強く己を律して何度も言い聞かせながら――ブラックは、呟いた。
「我が根源たる【絶無】よ、その真名を示し――――全てを、喰らえ」
二度と口にしたくなかった呪いの言葉を含む、詠唱。
だがブラックのそんな思いとは裏腹に、ツカサに触れた手からは色すら無い漆黒の炎がゆらゆらと沸き立ち、雪のような小さな粒子を零しながら噴きあがった。
「――――っ……!」
黒の炎が、ツカサの体を遊具と勘違いしたかのように蹂躙していた曜気を喰らう。
爪先まで達していた曜気が勝手に漆黒の炎へと吸い込まれていき、そして。
「うっ……ぐ……!!」
これ以上は、駄目だ。
危機を感じて、ブラックは思いきり手を離す。まるで、ツカサの額に密着していたかの如く張り付いていた手は、バチンと音を立て大きい動きで離れた。
何者かに阻止されて、弾き飛ばされたかのように。
(ぐっ……くそっ…………)
久しぶりで、加減が判らなかった。
失敗していたらどうしよう、ツカサの様子は。
「ム……っ、ね、熱がひいたぞ……! ツカサ、ツカサ……」
心配そうに大きな手でツカサの顔の汗をぬぐう駄熊。
その手に、ツカサは徐々に荒い息を収めて行った。……上手く曜気を取り除けたか不安だったが、どうやら成功したらしい。
「ブラック……」
「…………これで、ひとまずは安心だ」
シアンの心配そうな言葉を遮り、立ち上がる。
振り返った先にいるシアンと下郎貴族は、どこか自分を「信じられない」と言ったような様子で見つめていたが――今はその顔を見たくなくて、ブラックは本来の目的であった物を見た。
「早く、ここから出るぞ。ここに一連の事件の手がかりがあるってんなら、さっさと持って帰って精査でも何でもすればいい。ツカサ君を早くベッドに寝かせたい」
それだけを低い声で零すと、シアンは表情を戻して頷いた。
「……そうね。では……行きましょうか」
これ以上、時間を掛けてはいられない。
それぞれ思う事は有るにせよ、それだけは全員が思った事だろう。
(この場の全員が、ツカサ君を愛している)
無論、その愛はそれぞれ違う。
違う物だが……誰一人として、それを捨てる気など毛頭ない。
だが、その事を思うと――――いっそ異様にも思えて、ブラックは臍を噛んだ。
グリモアでなければ、そんな事など気にしなくても良かったのに。
そんなどうしようもない事を頭の中で反芻しながら。
→
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