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命に替えて
65.巫女らしく在りたい
しおりを挟む走ってきたハイデルは、カチャリと自室の鍵を回してドアを開けると、既に部屋の前で待っていた兄にどうぞ、と入室を促した。
「ハイドさ…えっ!レオン様!?
あ、わ、おはようございます…っ!」
ハイデルが来ると思っていたような、はしゃぐ声、そのあと一変して焦った声になり、カーテシーを取ったような、布の擦れる音がする。
「あぁ、驚かせてすまない。
君にどうしても伝えなくては行けないことがあってね。ハイドもきている。
…入って。」
レオンから直接合図を出すとは言っていたが、まさか最初から呼ばれるとは。ハイデルは、これが彼女の笑顔を見られる最後の時かもしれないと覚悟した。数回深呼吸して、熱くなった目頭と胸の鼓動を落ち着かせてから、ゆっくりと歩を進める。いつも使っている部屋だというのに、今日は花のような柔らかい香りに包まれている気がした。
兄が軽くオットマンに腰掛けて今この国がどういう状況にあるのかを説明する間、マリは大人しく真剣に、向かいのソファで話を聞いていた。ハイデルの方はちらりとも見ず、兄の目を真剣に見つめてくれているせいもあって、ハイデルは真剣な彼女の表情を目に焼き付けることができた。
この国では私にしか許されていない紺色を纏い、夕焼けのあと空のような紫色の瞳をしている少女。顔立ちは幼いままだというのに、体付きはこの数ヶ月でだいぶ大人の女性に近づいて来たように思う。
自らの失態のせいで招いた事態で、自分の手で育てた花を横から掻っ攫われるような、悔しくて憎らしい気持ちが渦を巻く。兄の説明が終わり、マリはただ、そうですかとだけ小さく声をもらしたあと、一度だけ深呼吸して言葉を続けた。
「…わかりました。
事細かにご説明いただけて、嬉しいです。
巫女として生きると決めたときから、私の気持ちは決まっていますから、そんなにご心配なさらないでください。
私は、エカードへ向かいます。」
あぁ、やっぱりそうだとハイデルは思った。マリには、自分よりも周りの人間を想い、人の悲しみを救うためなら自らを犠牲とすることも厭わないところがある。その性格を読み取れるほど一緒にいたのだという喜びと、その答えを出してほしくは無かったなという悲しみで、ハイデルの口からは一言、何か言葉が出ることはなかった。
彼女は泣いて嫌がったり、悲しんだり、そういう反応をして当然の年齢だというのに、そんな素振りは全く見せない。嫌ではないのか?いや、そんなはずはない。自分が彼女の傍で守りたい気持ちも、彼女が私を大切に思う気持ちも、嘘偽りないものだと誓える。
「そうか。…ありがとう、マリ。これから伝令の手配をする。また連絡が来るまでは、この部屋でハイドと、この部屋にいてくれ。鍵は私が貰っていく。
…ハイド、お前は今日一日、床に臥せっていることにする。いいな。」
それが何を意味するのかは、大体見当がついた。粗方、兄にできる精一杯の気遣いをしてくれたのだろう。立ち上がった兄に合わせてマリが立ち上がり、ドアの閉まる手前まで共に歩き、お辞儀をして見送る。
ドアが閉まり、鍵がかけられた音がすると、マリはゆっくりと膝から地面に崩れ落ちた。カタリナから借りたワンピースを着たままのマリ。ぼた、ぼたぼた、と大粒の涙が溢れて、スカート部分には濃い色のシミがいくつも生まれていた。
「ハイド様………私、ちゃんと、巫女…らしくっ、いられて、ましたか?」
「あぁ、君は誰よりも誇らしく、強く、気高い巫女だよ。ズューゼ。」
両手で顔を覆い、しゃくりあげるように泣きながら、語りかけてくる言葉の悲痛なこと。ジャケットを脱いで彼女の肩にかけ、膝立ちするように彼女を抱きしめる。細くてか弱いこの肩に、この国の全てがのし掛かっている。
国民を守る巫女らしくあろうという気持ちと、皇帝直々の交渉であるという重圧に押し潰されないように、必死で気丈に振る舞っていたのだろう。半分ほどしかない年齢のマリに、最終的な決断をさせてしまった自分の汚さに、ハイデルは反吐の出る思いだった。
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