<本編完結>転生巫女は腹黒宰相と狂い咲く

汐瀬うに

文字の大きさ
88 / 111
新たな風を連れて

88.手を伸ばせば、届く距離

しおりを挟む
 あとあれとこれと…と考えながら仕事していると時間が進むのはとても早く、マリが最後のテーブルクロスをかけ終わった頃には、あたりはもうすでに真っ暗だった。

 帰り掛けに晩餐会会場の窓を覗くともう女性陣がティーを楽しんでいて、そろそろお開きなのだと知った。巫女としてお披露目の晩餐会は、まだ社交界デビューしていないからとその後の時間を知ることは無かったけれど、この3年間の働いている間には、晩餐会の準備が何度もあった。

 大人たちは食事の後、男性はお酒とタバコや葉巻をたしなみに別室へ行き、女性はその場で食後のティータイムをする。

 OLとして働いていたころはよく、電子レンジで温めるタイプのパックご飯に味つけ海苔と納豆、フリーズドライのお味噌汁で晩御飯を済ませ、缶チューハイを飲みながら深夜のバラエティを一人楽しむこともあった。だから、どの世界でも、どんな地位にあっても、食後のお酒やお茶は欲しくなるものだと分かり、ちょっと嬉しくなったのを覚えている。

 メイド用の通路を抜け、質素で小さなドアをくぐり、外へ出る。メイン通りは通っちゃいけないから…少し回り道してかえろうかな、という気持ちになった。

 この王城のメイン通りは、建物に対してU字ロータリーと、その先にある十字の形で太く走っている2本の道だ。メイン通りを通らずに住み込み部屋のある棟まで行くには、城の横にあるグランルナとグランステラの間にある小さな庭園を抜ける必要がある。

 晩餐会の会場からは少し離れているし、警備面から考えても寄り道することなく、グランルナ・グランステラへ直接戻るであろう、ご一行のことを考えれば、おそらく見つかることもなく通れるはず。マリはなぜかドキドキとする心臓に落ち着くように言い聞かせながら、両手で胸元を抑えて慎重に、でもなぜか吸い込まれるように、庭園の入口の蔦が絡まったアーチを潜った。

「…わあっ……綺麗…。」

 多くの人は立ち入らないのか、全体的にほんのりと苔生した石畳の一本道。一歩、足を踏み出した途端、たっぷりの湿度を含んだ、ひんやりとした風がマリの頬を掠める。

 歩きやすいように舗装されている道の左右には、大小さまざまな高さの緑が非対称に植えられている。貴賓室に閉じ込められているあの時間に読んでいた植物図鑑に載っていた植物だと分かると、この一面緑に覆われた庭園が、一層華やいだ気がした。

 素敵な香りのするローズマリーは膝ほどの高さまでふんわりと育ち、くしゃくしゃと縮んだ葉っぱが特徴のゼラニュームと並んで、ふわふわと束になって風に揺れている。背の高い樫のようなつるりとした幹からはクレマチスの葉が顔を出し、青紫色の膨らみかけた蕾が、ここにいるよと揺れながら存在を主張していた。

 城の中にはない、植物の香り、土の香り、水の香り。複雑にまじりあったその自然のハーモニーにうっとりしていたマリは石畳から逸れたまま、月に照らされた庭園を散歩した。

 中央に走っていた一本道の真ん中には石造りの池があり、中央から真っすぐ縦に伸びる噴水が、しゅーっという音を立てて水を上げている

 どの世界でも噴水は噴水。変わらないものも多くあって、安心するのは、今も前も変わらない。あまりに静かで美しい景色に見惚れたマリは、石造りの分厚い池のふちに腰かけて、時折リズムをつけてピュッと出たり、ストンと止まったりする噴水越しの大きな満月を眺めた。


「綺麗なお月様…。っふふ…ハイド様みたい。」


 雲一つない空に浮かぶ大きな満月。銀色にくっきりと光る今日の月は、手を伸ばせば届きそうなほどに近い。

 そっとハイデル様からいただいた金時計をポケットから取り出し、両手に持って蓋をぱかっと開いた。文字盤のラピスラズリに含まれた金色の鉱物が月光に照らされ、真上に輝く星々を閉じ込めたみたいにキラキラと輝く。

 そっと両手で金時計を包み込んで目を閉じ、胸元に寄せて彼を思い出した。

 彼に書き残してきた手紙には、きっと毎日恋に落ちるなんて書いたけれど、結局毎日どころか、何をするにも彼の影を感じていた。3年という月日で変わったこともあるけれど、これだけは変わらないと胸を張って言えるほどずっと、彼に恋をしている。

 届きそうなほど近い月へ右手を伸ばして、掴むように手をギュッと握る。

 手を伸ばしても届かないことなどわかりきっているのに、どうしても手を伸ばしたくなるのは、今すぐ彼に会いたいのに会いに行けない自分を表しているみたいで、胸が強く締め付けられる。

 手のひらに力を入れているわけでもないのに、ナイフをグッと突き刺したような鋭い痛みを感じ、足元の石畳の間に咲く一輪のスミレを見つめて、ゆっくり深呼吸した。

 あのいろいろあった日々から、気丈にふるまって働き、ようやく平和に生きていける場所を手に入れたというのに、またハイデル様を手に入れたいと思ってしまう自分のおこがましさに腹も立つ。

「ハイデル様のばか。なんで来るのよ。」

 ハイデル様がここに来なかったら、私も身の程知らずなお願いなんて、一生願わなかったのに。

「会いたい、な…。」

 名前を呼ぶだけで苦しくなるほど好きになる人なんて、先にも後にも、彼だけ。目尻にうるっと滴がたまり、一筋の軌跡を残す。

 メアリは『いつか必ず、素敵な思い出になるわ』なんて言ってくれたけれど、私がこうやって月光に照らされている限り、彼を思い出してはまた恋に落ちて、会えないことに悩み苦しみ、永遠に泣き続けるのかもしれない。



「……私も会いたかった。」

 思いが強すぎたせいで、彼の声で自分を責めるようになってしまったのかと、自分自身を嘲笑う。
  
「……私の執着を、君は少し、舐めていたんじゃないか?」

 強い月光に照らされていた1輪のスミレに、男性らしくしっかりとした脚の影がかかる。うつむいていた顔を恐る恐るあげる。うつむいた私の顔にもかかる影の先を見つめると、眩い月光に照らされて、さらさらと輝く銀色の髪が見えた。

「全く。……君はいつも、自分を犠牲にする。」

 あの頃結ばれていた髪は短く、肩に着くかつかないかというほどの長さになっているけれど、さっきから聞こえている声だって、隙間から覗く耳の形だって、逆光で輝く首筋だって、知っている彼のままだ。

「……全て、私に委ねたらいい。」

 喉はからからに乾き、後頭部にじんわりと汗をかいている。会うはずない、会ってはいけないと思っていた彼の登場に、言葉は何も出てこない。

「おかしいな。……今度は君が、忘れてしまったか?」

 忘れるはずのない、耳の奥まで響くような、低く優しく、それでいてマリを挑発するような声が、1歩ずつこちらへ、まっすぐと近寄ってくる。

 どう誤魔化そう、どう言って離れよう、という焦りと疑問だけが頭の中をぐるぐると回り、何も考えられない。自分を忘れているはずの彼に会ってしまうなんて、想定もしていなかった。どうしていいかわからず、ただただ、顔をフルフルと横に振ることしか出来ない。何度か呼吸して、無理やり唾を飲み込んで、勇気を振り絞って言葉を紡ぐ。

「…っ違うんです、宰相様っ!
 一介のメイド風情が、こんな場所へ、忍び込んでしまいっ…申し訳ありません!」

 今ならまだ、間に合うと思った。わかっていても知らないふりをして、メイドとして生きていけばいい。今日の出会いを、一生の思い出にして生きていこうと誓って、逆光で見えない顔に大きく深々と声をかけ、頬を濡らした涙も拭わずに一目散に噴水の前を立ち去ろうと、立ち上がる。

「待たせてすまなかった、………マリ。」

 一歩も離れることを許す気のないハイデルの右手がマリの左腕を掴み、言葉を放った後、そのまま強引に強く抱きしめた。

「もう…いいんだ、ズューゼ。全て取り戻しにきたんだ。」

 長い腕に抱きしめられ、頭の上から降ってくる言葉に、体に入った力は抜けていく。思わず熱い胸に顔をうずめてしまった。これを味わってしまったらもう、この愛しく腹黒い宰相様の手から、逃れることはできない。頭ではわかっていても、この愛しい人の腕を拒むことなんてできなかった。

 長い髪も細い肩も、すべてを巻き込んで、離れられなくなる抱擁。何度も何度も体制を変え、互いの体温を確かめ合うように、首筋や肩、背中、腰、太ももなど、体のあちこちに触れながら抱きしめた。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる

しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。 いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに…… しかしそこに現れたのは幼馴染で……?

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

十歳の花嫁

アキナヌカ
恋愛
アルフは王太子だった、二十五歳の彼は花嫁を探していた。最初は私の姉が花嫁になると思っていたのに、彼が選んだのは十歳の私だった。彼の私に対する執着はおかしかった。

世話焼き幼馴染と離れるのが辛いので自分から離れることにしました

小村辰馬
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢、エリス・カーマインに転生した。 幼馴染であるアーロンの傍にに居続けると、追放エンドを迎えてしまうのに、原作では俺様だった彼の世話焼きな一面を開花させてしまい、居心地の良い彼のそばを離れるのが辛くなってしまう。 ならば彼の代わりに男友達を作ろうと画策するがーー

処理中です...