ほしとうつひと

五月四日。

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 「ワザオサーーー!」
遠くから自分を呼ぶ大きな声に、その女性はゆっくりと振り向いた。黒髪が大きく風に揺れてその白い肌を隠し、表情は良く分からない。女性を乗せた船は、少しずつ岸を離れていく。船の側面からは、その船を進める推進力となる数多くのオールが一定の速度で前後しているが、そのオールが水を掻く音はとても静かだ。甲板に乗る人は彼女だけだった。
「もうワザオサではないでしょう。」
大声でワザオサと叫んだ男性の隣に立つ女性がそう、男性を窘めた。男性はわざと眉間に皺を寄せ、大げさに困ったような顔をつくった。
「だって、それ以外の名前、分からないだろ。」
わざとつくった困った顔を人懐っこそうな笑顔にして、男性は付け加えた。
「固いなぁ、サカキは。」
その言葉と表情に、サカキと呼ばれた女性はひとつ小さいため息をつき、離れていく船へ視線を向けた。甲板の上にいた女性は、もうこちらを見てはいなかった。その後ろ姿も、遠くなっていく。
「それも見つかるといいわね。」
サカキは甲板の女性の背中を見つめ、そう言った。ふたりが立つ砂浜の、錆びたような灰色の細かい砂の粒が少しだけ、風に飛ばされて浮かび、舞った。静かに船は水の上を行く。かつて海と呼ばれていたその水は、今はその砂浜よりも濃く暗く、絵の具を溶かしてかき混ぜたような深い灰色に濁っているのだった。
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