【完結】貧乏公爵(令嬢)マルゲリータの失踪

カズモリ

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ダルマータ国

31. ヨシュア

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 カトリーヌの話を聞いていると、あれほど母のことが嫌っていたのが嘘のようだった。
 いや、正確には今も嫌いだが、前よりは人間味があるようで、顔を見るだけでも嫌だった母親が、そこまでの嫌悪感ではなくなっていた。

 何よりも、母が父ヨシュアの手紙にあれほど食いつくとは思えなかった。
 仲睦まじい家族という訳ではない。ヨシュアも何を考えているのかはわからない。

 それでも、あの夫婦にはあの夫婦なりの何か絆があるのかもしれない。

 エドワードは懐中時計を取り出し、足早に自身の屋敷に戻る。そろそろ時計商が訪問してくる。それまでにクリスタとリルルと話ができればと良いが。

 ジョルジュの森へはサファイアの血がなければいけないと母は言っていた。
 それならば、純血のサファイアの血を引く母から生まれた私ならば、その問題は解決できるのではないか。

 早く頭を整理したい。
 エドワードの足はさらに速度を上げた。


 エドワードが閉めた扉の音が耳にこびりついた。ヨシュアが残してくれた手紙を見るだけで、少女のように嬉しい気持ちで満たされる自分にカトリーヌは苦笑した。

「ヨシュア……」

 ヨシュアにはもう何年もまともに顔を合わせていない。
 ヨシュアが領地から戻ってきても、カトリーヌが避けるように保養所に向かっていたからだ。

 10歳で再びサファイア家に戻されたカトリーヌにとって、ヨシュアの手紙はパルクルトの街で過ごした思い出もあり、陰湿なサファイア家の暮らしの中で唯一の希望だった。

 結婚して子を成して、自分の気持ちが朽ちていくように感じていた。季節が巡っても二度と実をつけることのない枝な様に、カトリーヌの心は枯れてしまっていた。

 だが、手紙を取ってくれていたのか、とその事実を知らされて、今更、朽ちた枝がむず痒く芽を出すようなそんな気持ちになる。

 扉をのっする音が聞こえ、カトリーヌは肩をびくりと振るわせた。
 ゆっくりと開く扉の向こうからは、あの美しい銀髪と漆黒の瞳がカトリーヌを捉えていた。

「やあ。エドワードが出ていくのが見えてね。お邪魔だったかな?」

「ヨシュア……」
 ヨシュアはカトリーヌの側によると、テーブルの上に置かれた手紙の束を見つけ、照れながら、回収する。
「ああ、懐かしいね」
「懐かしい……わね」

 ヨシュアは手紙を握り、久方ぶりに会う妻へ話す次の言葉を頭で考えながら、その一方で、どうしてすれ違ってしまったのだろうか、と、過去を振り返った。

◆◆◆

 ヨシュア=フォン=パールにとって妻のカトリーヌは不思議な存在だった。
 カトリーヌはサファイア家出身というのに、どことなくおどおどしていて、それでいて自分をしっかり持っている子だった。

 カトリーヌは自身の髪が金色ではないことを酷く残念がっており、だからこそ、自分に価値がないと思っているが、ヨシュアから見ればそんなことを気にしているのか、というほど些末なことだ。

 髪の色でその人の全てが決まる訳ではない。人となりを知る上で、考え方、価値観が大切なのだが、それより優先すべきことなどない。

 両親が隠居して、パルクルトの街で牧師夫婦をすると言い出した時、何を言っているのかと思っていたが、死ぬ前のわがままだと言って、笑って人生を楽しむ二人何だか羨ましくも思えた。

 そんな二人がカトリーヌを可愛がっているとニーブから聞いた時、今までの両親ならば孤児を可愛がるということはしなさそうだと思っていた。

 ヨシュアにとっては、父は厳格なタイプで、サファイア王朝に不満などなさそうな古風の考え方の持ち主だった。
 一方、母はおおらかで、父と正反対の人間で、何故この二人がうまくいっているのかとヨシュアは子供の頃から不思議だった。

 父は兄に家督を継がせるとそのまま隠居してしまった。元の銀髪が年齢相応の白髪と見分けがつかなくなった頃だ。

 兄はこのパール家を治めるには若すぎたが、それでも良くやっていた。私は兄の苦労を考えたことなく、方々を歩き回っていたから、父がパルクルトの地下聖堂のことを調べるように言ったのだ。

 どうせお前は王都でじっとしていないのだから、良いだろう、と。
 母には秘密だったようだ。母の育ったエメラルド家は自由主義の家柄だから、厳格なサファイア政権とは折り合いが良くない。
 特にエメラルドは旧六帝の中でも特に精霊に好かれた家で、精霊が屋敷中を飛び回っている。
 精霊の加護を持たぬサファイア家にとっては、真逆の価値観だ。

 父が敬虔かつサファイア王朝の忠実な僕となっていたのは母の実家に害が及ばぬようにとの配慮からそうさせていることをやっと悟った。

 母が死んだ時、一度だけ父へ会いにパルクルトへ訪れた。

「私もそう長くはないよ。そしてイーサンも」

 イーサンとは、ヨシュアの兄で今は中央で家督を継いで仕事をしている。春ごろに変な咳をし、時折血を吐くと聞いている。

「お前は私が死ぬまでは、イーサンを補佐しなくて良い。変な小蝿が頭の上を飛ぶのは避けたいからな」

 笑ってそう話す父の目は窪んでいて、疲れが見えた。ヨシュアは父の言葉に嫌そうに顔を歪めた。
 兄は無理をしすぎたのだ。もとより身体が弱い兄は、パールを納める長には向いていない。

 だが、ヨシュアとて、長兄を差し置いて家督を欲しがるようなタイプではない。
 そのため、自分は放蕩暮らしを満喫し、パール家にはイーサンしかいないと思わせることで、周囲彼の不満に蓋をしていた。

「そんなこと、わからないですよ」
 ヨシュアが苦虫を潰したような顔で父を見つめると父は、幼子をなだめるように目を細くした。
「いずれ人は死ぬよ。そして、生まれ変わって、また出会う」

 父は懐からヨシュアに一つの指輪を差し出した。パール家だと言うのに、差し出した指輪はエメラルドで、ヨシュアが不思議そうにくるくると回しては眺めた。

「取り戻すのに少々時を要した。その指輪をお前に預ける」
「預けるって、誰に返せばいいのですか?」
「そのうち、わかるよ」


 父は謎解きのようなことを言って、優しく微笑んだ。

「地下聖堂の件はどうなった?」
「ひとつだけどうしても難しいですね。なんなんですか。あれ。魔女でもいますか?」
「ジョルジュの森だな。あそこは特殊だ」

 父はそう言って、そうなることが必然だと知っているように苦笑いをした。

「お前が無理でも、そのうち、ジョルジュの森も解決するだろう」

 それがヨシュアと父マーリンとの最後の会話だった。

 パルクルトにて、父の葬儀を終えた足で王都に戻ったヨシュアは兄のイーサンの体調が想像よりも遥かに優れていないことを知った。

 イーサンの頬は老人のようにこけ、手にもハリがなくなっていた。

「ヨシュアが戻ってきているなら、安心だ」

 小枝のように触れれば折れてしまいそうな痩せ細った兄の腕を見て、ヨシュアはパルクルトの教会で会ったカトリーヌを思い出した。

 父マーリンがいなくなり、カトリーヌは生きていけるのだろうか。

 パルクルトの教会で会った彼女の衣服はサファイア家出身とは思えないほどボロボロに着古したものばかりだった。
 彼女に今後手を差し伸べる者はもういない。そう思ったら、ヨシュアはサファイア家に連絡をしていた。


 こうしなくては、彼女は餓死してしまう。

 父マーリンが何故、カトリーヌを保護していたか。
 慈悲の心ももちろんある。だが、ジョルジュの森を渡る案内人として、彼女を手懐けたかった邪な気持ちもあったと思う。

 それでも、父はしなかった。
 いや。できなかったのだろう。

 親の愛を知らず、大人の政治にばかり巻き込まれたカトリーヌにそれをさせてはならないと思ったのだろう。

 程なくして、兄イーサンが亡くなり、ヨシュアは家督を継いだ。
 そして、カトリーヌを助けるために婚約したのに、彼女は年頃になって、王妃にも負けぬほど、美しく成長していた。
 いつしかその美貌に虜になり、彼女を見て、彼女となら共に生活できると思っていたし、実際順調だった。

 そして子が生まれた。
 
 あまりにも可愛くてカトリーヌの海なような瞳を持つ男の子だ。
 無垢なその瞳に見つめられると、彼女を利用しようとした自分が、大罪を犯したような仄暗い気持ちになった。

 私は彼女に黙ったままで良いのだろうか、と。

 その一瞬の暗い感情をカトリーヌは察知したのだろう。入ってしまった亀裂がどんどん広がっていった。

 カトリーヌの澄んだ海のような青い瞳は、ヨシュアにとってあまりにも眩しすぎたのだが、その瞳は輝きを失い日に日に濁っていくのを、止められなかった。


◆◆◆

 私は一体、何をしたいのだろうか。
 家族を犠牲にして突き進むほど、揺るがぬ決意もなく、過去と割り切れるほど、容量も良くない。
 結果、中途半端で、周りを傷つけている。

 茶色く変色した封筒に目を落として、ヨシュアが妻に優しく声をかける。

「きみとゆっくり話がしたいよ、カトリーヌ」

 カトリーヌの結い上げられた髪と頬に手の甲で触れ、ヨシュアは、そう言った。

 
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