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都からの使者(3)
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マリアはアンネに言う。
「……これも陛下のなされていることと関係があるのかな」
「どうかしら。でも陛下がやると決めたことを私は支持するわ。マリアはどう?」
「私も。ジーク様がやっていることだもの……」
と、アンネは少しでも力を入れれば折れてしまいそうなくらい細い手を、マリアの手に重ねる。
「あなたはあなたの幸せを追いかけなさい」
「私の?」
「そう。もう耳にたこでしょうけどもう何件も縁談の話は来ているの」
「でも私がいなくなったらお母様が大変じゃない。今、家を空ける訳にはいかないわ」
「……マリア」
アンネはマリアの心に気付いているだろう。
その心に芽生えたまま行き場を無くしてしまっている恋心のことを。
だからこそアンネは娘の言うがまま、これまで寄せられた縁談を断り続けていた。
でももうマリアも適齢期である。
妹のセリノのことを考えれば、いつまでも一人という訳にはいかないのも事実だ。
※
午後になると、マリアは弟妹たちの厳しい家庭教師になって勉強を教える。
しかしそれもこれまでそうであったようにすぐに飽きだした二人を椅子に座らせる為の追いかけっこの様相を呈するのが常だった。
と、セリノとカルロスを両腕で抱えるように取り押さえていた時、扉を叩く音がした。
「――はい?」
「お嬢様、少しよろしいでしょうか」
執事が顔を出す。
マリアは弟妹たちに「良い? ちゃんと目標の所までやっておくのよ」と無駄と感じつつ言いつけをして部屋を出た。
「実は外に王国軍が参りまして、お嬢様とお話しをと……」
「私と?」
過ぎったのは今朝のことだ。
あのことが上に報告されて何かしら問題の訴状にでも上がったのかもしれない。
「分かりました」
マリアはドレスの裾を持ち上げながら階段を下り、玄関を出た。
そこには使用人たちと共に待つ兵士の一群がいた。
「お待たせいたしました。マリア・デ・エリトロスです」
と、兵士たちの中から一人、軍装ではない青年が進み出てきた。
「マリア様、お久しぶりです」
マリアははっとする。
「……ヨハン、様?」
ヨハンは嬉しそうに目を細める。
「覚えていて下さいましたか」
「それは、もちろんです」
「随分とご無沙汰でしたが、マリア様はますます綺麗になられて」
「ヨハン様ってば馴れないお世辞を。お話しがあるそうですね。どうぞ中へ。供回りの方は……」
「この者たちは外で待たせます。二人きりで話したいことですので」
「分かりました」
ヨハンはジクムントの側近――。
それですぐにピンと来た。
「……もしかしてあなたがここにいらっしゃったから、基地の方が騒がしかったのですか?」
「ご迷惑をおかけしてしまいましたか。極力、騒ぎにならないよう配慮したつもりでしたが」
「そうではないんです。実は今朝、基地の方に出向いた時に妙に物々しかったので何があったのだろうと」
「左様でしたか。もし何かありましたらいつでも仰って下さい。すぐに対処いたしますので」
ありがとうございます、とマリアは頭を下げ、使用人たちに準備をするよう命じた。
マリア達は中庭に設けたテーブルセットでお茶を飲む。
大きな古木の下、日射しが生い茂った葉っぱを通り、マリアたちに美しい木漏れ日を落としている。
枝が風に揺られるたび、木漏れ日が鮮やかに踊った。
お茶の支度が整うと人払いをして二人きりで向かい会っている。
ヨハンは周囲に目を向ける。
「ヨハン様、どうかされましたか?」
「こちらには初めて窺いましたが、とても良い所なんですね。自然が豊かで穏やかで、清
い。王都から参りますとそれを強く思います」
「気に入って頂いて良かったです。もしお時間に余裕がおありでしたら是非、農園の方にもご案内させて頂きます。――それでご用件とは?」
「陛下のことです」
「陛下の……」
「単刀直入に申し上げます。マリア様にもう一度王都へ……王宮にて陛下のお側にいて欲しいのです」
マリアは心の動揺を抑え、懸命に言葉を紡ぐ。
「陛下に何かあったのですか。お怪我をされたとか……」
ヨハンは首を横に振った。
「違います。陛下は健《すこ》やかにされています」
「そうですか」
しかし、とヨハンは言った。
「私が心配しているのは心のほうです。陛下は何かに追われるように反乱分子を討伐されています。マリア様、陛下のことを世間では何と言っているかご存じですか」
「…………」
知っていた。
しかしそれをマリアは自分の口から言うのを躊躇われた。
ジクムントのことをよく知らない者ならばいざ知らず、自分のように少なくない時間を共に過ごした者が言うのは憚られるものだったから……。
「血まみれジーク」
ヨハンは躊躇いなく言った。
「陛下はわざわざ血に濡れる為に白い鎧を装着し、近衛兵にもそれを徹底させております。マリア様の知る陛下は、そのようなことに耐えられるような方でしょうか」
「……分かりません。陛下と離れてもう三年ですから」
「では最後の記憶の陛下は……」
マリアは首を横に振った。
「私も同感です。ご存じの通り陛下は本来、血を好むような方ではございません。王位に就いた者として必要なことを、成すべき事をなそうと無理をされている……私はそれを心配しています。
陛下は決して弱音を漏らされるような方ではありません。だからこそ余計、私の知らない所で苦しんでおられるのではないかと……。マリア様にとって王都が因縁の場所であることは重々承知しております。でも、陛下の為にどうか……」
そう、王都ヴァラクイナはマリアにとって因縁の地だ。
そこで父が暗殺されたのだから。
父、メンデスは当時、第五王子時代であったジクムントの唯一の後ろ盾だった。
下手人は未だ見つかっていない。
「……これも陛下のなされていることと関係があるのかな」
「どうかしら。でも陛下がやると決めたことを私は支持するわ。マリアはどう?」
「私も。ジーク様がやっていることだもの……」
と、アンネは少しでも力を入れれば折れてしまいそうなくらい細い手を、マリアの手に重ねる。
「あなたはあなたの幸せを追いかけなさい」
「私の?」
「そう。もう耳にたこでしょうけどもう何件も縁談の話は来ているの」
「でも私がいなくなったらお母様が大変じゃない。今、家を空ける訳にはいかないわ」
「……マリア」
アンネはマリアの心に気付いているだろう。
その心に芽生えたまま行き場を無くしてしまっている恋心のことを。
だからこそアンネは娘の言うがまま、これまで寄せられた縁談を断り続けていた。
でももうマリアも適齢期である。
妹のセリノのことを考えれば、いつまでも一人という訳にはいかないのも事実だ。
※
午後になると、マリアは弟妹たちの厳しい家庭教師になって勉強を教える。
しかしそれもこれまでそうであったようにすぐに飽きだした二人を椅子に座らせる為の追いかけっこの様相を呈するのが常だった。
と、セリノとカルロスを両腕で抱えるように取り押さえていた時、扉を叩く音がした。
「――はい?」
「お嬢様、少しよろしいでしょうか」
執事が顔を出す。
マリアは弟妹たちに「良い? ちゃんと目標の所までやっておくのよ」と無駄と感じつつ言いつけをして部屋を出た。
「実は外に王国軍が参りまして、お嬢様とお話しをと……」
「私と?」
過ぎったのは今朝のことだ。
あのことが上に報告されて何かしら問題の訴状にでも上がったのかもしれない。
「分かりました」
マリアはドレスの裾を持ち上げながら階段を下り、玄関を出た。
そこには使用人たちと共に待つ兵士の一群がいた。
「お待たせいたしました。マリア・デ・エリトロスです」
と、兵士たちの中から一人、軍装ではない青年が進み出てきた。
「マリア様、お久しぶりです」
マリアははっとする。
「……ヨハン、様?」
ヨハンは嬉しそうに目を細める。
「覚えていて下さいましたか」
「それは、もちろんです」
「随分とご無沙汰でしたが、マリア様はますます綺麗になられて」
「ヨハン様ってば馴れないお世辞を。お話しがあるそうですね。どうぞ中へ。供回りの方は……」
「この者たちは外で待たせます。二人きりで話したいことですので」
「分かりました」
ヨハンはジクムントの側近――。
それですぐにピンと来た。
「……もしかしてあなたがここにいらっしゃったから、基地の方が騒がしかったのですか?」
「ご迷惑をおかけしてしまいましたか。極力、騒ぎにならないよう配慮したつもりでしたが」
「そうではないんです。実は今朝、基地の方に出向いた時に妙に物々しかったので何があったのだろうと」
「左様でしたか。もし何かありましたらいつでも仰って下さい。すぐに対処いたしますので」
ありがとうございます、とマリアは頭を下げ、使用人たちに準備をするよう命じた。
マリア達は中庭に設けたテーブルセットでお茶を飲む。
大きな古木の下、日射しが生い茂った葉っぱを通り、マリアたちに美しい木漏れ日を落としている。
枝が風に揺られるたび、木漏れ日が鮮やかに踊った。
お茶の支度が整うと人払いをして二人きりで向かい会っている。
ヨハンは周囲に目を向ける。
「ヨハン様、どうかされましたか?」
「こちらには初めて窺いましたが、とても良い所なんですね。自然が豊かで穏やかで、清
い。王都から参りますとそれを強く思います」
「気に入って頂いて良かったです。もしお時間に余裕がおありでしたら是非、農園の方にもご案内させて頂きます。――それでご用件とは?」
「陛下のことです」
「陛下の……」
「単刀直入に申し上げます。マリア様にもう一度王都へ……王宮にて陛下のお側にいて欲しいのです」
マリアは心の動揺を抑え、懸命に言葉を紡ぐ。
「陛下に何かあったのですか。お怪我をされたとか……」
ヨハンは首を横に振った。
「違います。陛下は健《すこ》やかにされています」
「そうですか」
しかし、とヨハンは言った。
「私が心配しているのは心のほうです。陛下は何かに追われるように反乱分子を討伐されています。マリア様、陛下のことを世間では何と言っているかご存じですか」
「…………」
知っていた。
しかしそれをマリアは自分の口から言うのを躊躇われた。
ジクムントのことをよく知らない者ならばいざ知らず、自分のように少なくない時間を共に過ごした者が言うのは憚られるものだったから……。
「血まみれジーク」
ヨハンは躊躇いなく言った。
「陛下はわざわざ血に濡れる為に白い鎧を装着し、近衛兵にもそれを徹底させております。マリア様の知る陛下は、そのようなことに耐えられるような方でしょうか」
「……分かりません。陛下と離れてもう三年ですから」
「では最後の記憶の陛下は……」
マリアは首を横に振った。
「私も同感です。ご存じの通り陛下は本来、血を好むような方ではございません。王位に就いた者として必要なことを、成すべき事をなそうと無理をされている……私はそれを心配しています。
陛下は決して弱音を漏らされるような方ではありません。だからこそ余計、私の知らない所で苦しんでおられるのではないかと……。マリア様にとって王都が因縁の場所であることは重々承知しております。でも、陛下の為にどうか……」
そう、王都ヴァラクイナはマリアにとって因縁の地だ。
そこで父が暗殺されたのだから。
父、メンデスは当時、第五王子時代であったジクムントの唯一の後ろ盾だった。
下手人は未だ見つかっていない。
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